日本古典文学総復習続編8『太平記』3

『太平記』を読むその3

ようやく読了したので、報告。第三部だ。
この第三部は、観応の擾乱、直義の死に代表される足利幕府中枢部の内訌から細川頼之の将軍補佐による太平の世の到来までを描く。
例によって各巻の内容を見ていく。

巻22

四国・中国方面の南朝方の衰退を語る。足利軍は鷹巣にたてこもる畑らを攻め、激戦の末、これを討つ。美濃の根尾にあった脇屋義助は、尾張・伊勢・伊賀を経て吉野へ参り、これまでの労に対し恩賞を賜る。伊予からの要請により、備前、佐々木信胤の援護をもえて義助は四国の今治に下り、四国全土を従えるが、突然病をえて急死。足利方の細川頼春は、この宮方の弱みにつけこんで金谷経氏らの軍を備後の鞆などに破り、さらに世田城に大館氏明を攻めて討ちとる。宮方にとって、重ねて転機を迎えたわけである。

巻23

楠正成・後醍醐天皇らの怨霊のなせるわざか、京都に種々異変があり、足利直義が発病する。光厳院は直義の快癒を石清水八幡宮へ祈願、そのしるしがあってか直義は忽ち回復する。光厳院が故伏見院供養のため、その旧跡へおもむいた還幸の途中、土岐頼遠の一行に行きあい、かれらの狼藉にあう。事件を聞いた直義は激怒し、頼遠の討伐を土岐一門に命じたので、頼遠は夢窓国師にとりなしを頼む。結果として、一門の所領安堵はかなえられるが、頼遠は処刑される。以後、貴族も武家も、この頼遠事件の顛末に怖れをなして極端に神経質になり、京の人々の笑いをかった。

巻24

夢窓国師の天龍寺の建立をめぐる延暦寺の山門大衆とそれに与した興福寺と幕府の対立が描かれる。結局天龍寺は建立され、幕府側は盛大に祝するが、天皇側が遠慮する形で納めた。その頃、備前の三宅高徳が、丹波の荻野朝忠としめし合せて、討幕の兵を挙げるが、事成らず、この間、謀叛にくみした香勾高遠は、壬生
地蔵の身代りにより追及の手を免れたなどの話が展開する。

巻25

京都の持明院殿では崇光天皇が即位、直仁が皇太子に立つ。かつて父正成より朝敵追討の遺訓を受けていた正行が、亡父の遠忌を契機に、天王寺・住吉方面に挙兵、幕府ではその追討に細川らを派遣する。楠正行の追討に向った幕府軍は、住吉で楠軍の逆襲にあい、山名らは敗走する。そのころ寿永の昔、平家とともに壇浦に水没した宝剣を発見したとの進奏が伊勢からもたらさた。平野社の卜部兼員がこれを真の宝剣であると卜定するが、坊城経顕が否定したので、剣は平野社へ移される。

巻26

安部野の合戦に楠軍は勝利する。幕府側の捕虜となった人たちは、かえって正行の恩情に浴して感動し、これに帰服したことが語られる。しかし、正行軍は四条畷に幕府軍を攻めるが苦戦し、討死をとげる。ついで師直らが吉野の攻略に向ったので、南朝は賀名生に退く。しかし、勝利した幕府內に亀裂が生じる。仁和寺に集まった先帝側近の怨霊たちのことが語られる。幕府は、西国平定のため、直冬を西国探題に任じ、備前へ下す。

巻27

貞和五年の年始から天下に異変が続くことが語られる。天狗の所為か、四条河原での田楽興行に桟敷が倒壊し、多くの死者が出た事件が語られる。足利直義と高師直兄弟の対立が表面化し、直義は師直の暗殺を企てるが露顕、挫折に終る。師直は逆に将軍兄弟を攻め、直義の隠退を条件に包囲を解き、関東より義詮を後任として上洛させるといった具合に幕府側の内紛が語られる。事が一応落着すると、北朝では延引していた崇光天皇の即位の大礼を行う。

巻28

この巻は、その大半が北畠親房の語る漢楚の故事で占められる。このころ高師直が実質的に幕府の実権を握っているためか、慧源(直義)が難を避けて大和へ下り、持明院殿から鎮守府将軍の院宣を得るが、窮するあまり南朝へ降服を願い出るといったことになり、この件について南朝ではせん議の末、漢楚の故事を引いて説く北畠親房の意見を容れて慧源の願いを許すこととしたという。

巻29

慧源(直義)との合体成った南朝が動き始めたため、尊氏・師直は九州下向を断念、帰洛を急ぐことになる。しかし、形勢は尊氏側にまずく、一時は尊氏が自害を考えることになるほどだった。しかし、饗庭の交渉により直義との和睦がなって自害を思いとどまることができた。一方これまで権勢を誇っていた師直兄弟も望みを断たれ出家するが、帰洛の道中、武庫川で斬られてしまう。

巻30

将軍足利尊氏の弟で幕府の実権を握る足利直義の派閥と、幕府執事高師直・将軍尊氏の派閥が争い、そこに対立する南朝と北朝、それを支持する武家や、公家と武家同士の確執なども絡んで、ここまで語られてきたのが観応の擾乱だ。その観応の擾乱の終結が描かれる。最終的には師直も直義も死亡したことから、生き残った尊氏が擾乱に勝利したことになる。しかし、南北朝の確執は続き、世は平和にならないことが語られる。

巻31

いまだに南北朝の争いが各地で燻っている様が描かれる。関東の小手差原・鎌倉の戦い、それに京の周辺、八幡山の合戦にも、両軍ともにこれといった決め手のないまま世の中は混乱状態が続くのである。

巻32

関東では小手差原・鎌倉での足利尊氏と新田義興らとの合戦、畿内では八幡での足利義詮軍と和田・楠ら吉野朝軍との合戦、いずれもこれといった決め手がないまま世は混乱状態にあった。そうした中に持明院統の後光厳が即位、文和と改元するが、おりから京には大火があり、世はますます衰微する。その上、足利政権内部の紛争が、吉野殿を利用しつつとどまることなく続く経過を語る。

巻33

尊氏の死をはさんで、とどまることのない諸国の乱れを語るのがこの巻である。
洛中の荒廃、貴族たちの疲労は大きいが、逆に佐々木道誉ら武将たちの奢りには目に余るものがある。世の不安を静めようとする願いを込めてのことであろう、故直義に従二位を贈るが、尊氏が発病し、あわただしく死去する。さらに新待賢門院・梶井二品親王が相次ぎ薨去。おりから九州南朝方の菊池が畠山治部大輔を攻めて動き始め、関東でも新田義興らが挙兵するなどいまだ戦乱は続く。

巻34

義詮の将軍就任を機に畠山らが南朝攻めを企てるが、決定的な成果をあげられないというのが、この巻の内容である。
尊氏の亡き後、足利義詮が将軍の宣旨を受けたので、兄弟間の仲が懸念された鎌倉の基氏と義詮との和解をはかろうと、畠山道誉が南朝攻めを志し大軍を率いて上洛する。南朝では楠・和田がこれを迎え撃つべく後村上天皇は観心寺へ遷る。しかし、一進一退が続き結局は南朝攻めを中断して帰洛するといった具合だ。

巻35

将軍側の内乱と、この隙をねらって事を起す南朝側の動きが、この巻の内容である。
畠山道誉が細川らと仁木討伐を企て、事を知った仁木はその旨を将軍に訴え、将軍を自分の保護下におくが、佐々木道誉がひそかに将軍を逃がしたので仁木は狼狽し都を落ちる といった将軍側の内紛が語られる。そこに南朝側がからんでまた戦いがはじまる。

巻36

前巻にひき続き将軍側近の内乱を描く。
道誉の介入により細川清氏が不本意にも将軍から離反、追及された清氏は若狭へ脱出するが、結局これも南朝につくことになり、この清氏に呼応する動きが将軍方に相つぎ、将軍義詮は狼狽するといった具合だ。また、関東では、畠山道誓兄弟が関東管領基氏に追放されるといったことが起きる・

巻37

南朝側の攻勢がまた始まるが、それほどの勢いにはならない。また関東でも内紛があり、世の中は落ち着かない。これらの情勢に対し語り手は、宮方が大将を立てるすべを知らないと批判のことばをさしはさむ。

巻38

前年から怪異がうち続き、各地で宮方の蜂起が続いた。山名時氏が伯耆に、細川清氏が讃岐に兵を挙げる。越中の桃井直常が加賀の富樫を攻めるなどだ。
将軍方では、九州の宮方菊池に手を焼く少弐・大友を助けるため斯波氏経を探題に任命して送るが、士気が上がらず長者原の合戦に敗れ、少勢の菊池軍に包囲される。伊豆にこもっていた畠山道誓・義深兄弟は、足利基氏の策にはまりおびき出されて敗れ、時衆を頼って落ち行く。いずれにしても宮方も勢いを取り戻せないようだ。例によって語り手は、細川清氏の敗北を、宋を滅ぼした元の老皇帝の故事を引き、一門の頼之の策に敗れたと評する。

巻39

かつて宮方だった山名時氏や仁木義長が将軍に帰順したり、将軍方でも関東の芳賀入道禅可が鎌倉公方足利基氏に背いて挙兵したりと、宮方の離反が相次ぎ、将軍方でも内乱が続く。また、この頃、元・高麗の浦々に倭寇が跋扈、元帝の抗議を受ける。語り手は文永・弘安の元軍来襲を回想し、神功皇后の新羅攻めをも回想するが、それらとは性格が異なり、日本滅亡の兆しかと危ぶむ。持明院統の光厳院が高野へ御幸、吉野の後村上天皇と会い、来し方を語る。還御後、丹波へ隠棲、その地に崩御、葬儀が営まれる。

巻40

後光厳天皇は、後白河法皇遠忌供養のために長講堂へ行幸、併せて中殿御会の儀の開催を関白良基らに命じ準備を始める。当日、御会は盛儀をきわめるが、内々世に不相応とするささやきがあり、はたせるかな天龍寺火災の怪が起きる。ついで鎌倉の足利基氏が死去、園城寺の衆徒が南禅寺を破却すべしとして強訴、大内裏での最勝講の法会に南都・北嶺の衆徒が闘諍に及ぶ。異変が続く中に将軍義詮が死去し、細川頼之が執事に就き、新将軍義満を補佐することで、ようやく世は鎮まる。

ということで、長かったけれどようやくこの「太平記」は終わりを迎える。なんとも冗長というか、同様な話の繰り返しというか、はっきり言って古典作品としては二流の謗りを免れない気がする。
それにしてもこの南北朝の時代はなんともこまった時代だった気がする。足利尊氏にしても決して英雄的ではないし、他に登場する武将たちもなんとも節操のない人たちだ。現実はこんなもので、それをよくも悪くも第三者的立場で書いているとは言えそうだ。
また、ここに登場する怪異現象による事件の描写や中国古典に典拠した批評は僅かにこの作品の特徴と言えるのかもしれない。
あらすじを追うだけに終わったが、これも大変であった。

『太平記』はここまで。
次は『和漢朗詠集』です。

2021.07.20

書籍の電子化手順(まとめ)

1  PDF の作成

非破壊書籍の場合、 iPad mini などで Adobe Scan というアプリを使って PDF を作成する。、
できれば専用のスキャナーの台をつくるといい。
本を解体してバラバラにできる場合は ScanSnap を使う。

2  PDF の OCR 化

PDF を Google ドライブで Google ドキュメントに読み込ませる。
PDF が大部の場合は PDF を分割する必要がある。
PDF を分割するにも Google Chrome を使うといい。

3 テキストエディターでの修正

OCR でテキスト化したとしても完全ではない
テキストエディターで適宜置換機能を使い、修正をする

4 電子ブック化

テキストファイルができたならそれを「でんでんコンバーター」というサイトで電子ブック化する。
出来上がるのは EPUB ファイルなので、例えば Kindle で読む場合は Kindle プレビューアと言うソフトウェアを導入しそこで変換をする。
その際 Kindle 専用機例えば Kindle ペーパーホワイトなどで読む場合は mobi ファイルにする。
Kindle のアプリで読む場合は (iOS の場合は) azk 拡張子のファイルに出力する。
iOS の場合はmobiファイルだと横書き表示になってしまうので。

5 ファイル転送

Kindle の専用機はそれぞれの Kindle のアドレスで添付ファイルで mobi ファイルを送ればいい。
azk ファイルは添付で送ることができないので、 iPad mini などを PC に接続し直接転送する。 PC が Mac であれば簡単にできるはずだ。 Windows の場合は iTunes を使わなくてはならない。やや面倒だ。
送った後、登録してあるメインの自分のアドレスに確認メッセージがくるので、必ず確認すること。これを忘れるとDLできない。(送った別のアドレスには来ないので注意。これでハマってしまった!)

以上の過程で書籍を電子化し、色々なデバイスで持ち歩き 読むことができる。
それぞれの詳細は追って注意書きとして記しておくことにする。

2021.07.07

電子ブック化について2

電子ブック化について2

青空文庫のツールを使った電子ブック化ではなく、「でんでんコンバーター」と言うサイトがあって、これを使うとテキストファイルを電子ブック化してくれる。 この形式は一般的な EPUB 形式だが、目次や表題などを入れることができる。そしてこのファイルを Kindle プレビューアでいわゆる Kindle の mobi ファイルにする。これが一番電子ブック化については簡便な方法と思われる。
さて、この方法で作った電子ファイルもいわゆる Amazon のメールを使った転送で Kindle Paper White や iPad mini に送ってみると、Kindle Paper Whiteだと上手く縦表示できるが、 iPad mini の Kindle アプリではうまく縦表示をしてくれない。
これについては昨日問題点としてあげておいたが、どうやら解決方法がありそうだ。 iOS 用には mobi ファイルではなく、別の azk の拡張子を持つファイルに変換する必要がありそうだ。 ただこのファイルはプレビューワーで変換はできるが、メールでの転送ができないようだ。 そこで直接 iPad mini にこのファイルを送ってやる必要がある。 それにはPCにiPad mini をつなぎ、 iTunes でファイル転送をする必要があるようだ。 この辺りはやや面倒だが、仕方がないことだと言える。 早速行ってみることとする。
やってみた。しかし iTunes は必要ない。 パソコンがMacであれば、繋いだだけでファインダーを通じて、アプリを表示し、こにファイルをドラッグアンドドロップすればすむ。そして表示してみると、確かに縦書きになっていた。 しかし Kindle 上で表題が出ない。 ま、これは EPUB の作成の問題かもしれない。

OCR の問題点

ここで問題となった点について、なんとか解決したので、記しておく。

「ここまではいいのだが 、これが実際に電子ブックで読み込んだ場合、いいところで改行されていることにならない。
これは元の書籍の行の文字数で改行しているからで、本来は段落で改行していなくてはならない。ここをどうするかが大きな問題だ。 これについては研究の余地がある。」

と書いた点だ。

どこをまず改行しないかということだ。これは句点がついていないところということができる。ただ、句点がついていなくても、”」”があって改行されているところはこの限りではないということだ。それをどう正規表現で表現するかだ。もう一つ”)”もある。
つまり、”。”、”」”、”)”を文末に含まない行を指定するにはどうするか。
これは正規表現をエディタで使い、置換できればいいわけだ。

正規表現について

ここで久しぶりに正規表現の復習とあいなった。復習というのは、随分以前に(MSDOSの時代)随分必要に迫られて勉強した。しかし、ほとんど忘れていた。また、正規表現はプログラムによって若干の違いがあるので、だいぶ時間を要してしまった。結論的には単純なのだが、結構ハマった!

先ずはやりたいこと。
「文末が、句点(”。”)、閉じかっこ(”」”)と(”)”)以外で終わっている文末の改行をさせない(改行キーを削除する)こと」だ。

先ずは「以外」の表現は[^文字]で表せる。しかも並べることができるので、
[^。」)]
となる。文末は$なので、
[^。」)]$
これで「句点(”。”)、閉じかっこ(”」”)、(”)”)以外で終わっている文末の文字」
となる。
そして、この文字は置換後も使うのでかっこで囲んで、それに改行キーを付け加え
([^。」)]$)\n
とする。これで検索し、置換後は
$1
とする。
ここが色々と違っているところで、macのmiエディタでは通じた。すなわち最初の()で囲まれた文字を指すのが$1ということになるからだ。そしてそこに改行キーをつけていないので、改行されないというわけだ。

このテキスト、3000行あるのでこうした一括処理がじつに役に立つ。

ただ、気をつけなくてはいけないのはこれを実行する前に見出し部分はタグをつけておくことだ。見出し文字とかだ。

今回はここまで。
2021.07.07

書籍の電子化を行って問題になったところを洗い出す

まずはスキャンについて

アプリの Adobe Scan の問題点

設定で
「テキスト認識を実行」と
「スキャン後に毎回境界線を調整する」
この二つをオフにしておくこと。
スキャン画面で
文章を選びオートスキャンをオンにしておくこと。

この設定でスキャン台に iPad おけば後は本のページをめくるだけでスキャンはできていく。
しかしどういうわけだか数ページやるとスキャンが止まってしまう。
これはアプリの問題で再起動すれば問題なくできるのでよしとする。

PDF の作成も時間がかかったが問題なくできた。
ここには容量の制限はなさそうだ。

作成したスキャン機械の問題点

本を置く台について

やはり本の背の真ん中の部分を凹ませて置くための工夫が必要そうだ。
もう一つはページをめくった時に抑える方法を考えるべきだ。
ここは透明のアクリル板等をうまく使えばいいかもしれない。
透明の定規でもいいだろう。

追記

ここは次に関連して、本文外の下のページ数字と上の表題文字をスキャンしないほうがいいので、窓枠のようなものを作って,押さえていくというのがいいかもしれない。

OCR について

Google のドキュメントを使って OCR を実行しようとしたが、容量が大きくてうまくいかなかった。
結局 PDF を分割して OCR を実行しなければならなくなった。
PDF の分割は実は Google の Chrome で実行できることが分かった。
これはヒットだ。
ここにそのやり方を書いておくと以下のようになる。

  1. まず Chrome で PDF を読み込む
  2. 次に PDF を印刷するという形をとる
  3. その際「送信先」を PDF とし、
  4. 「ページ」をカスタムとし、ページ数を指定する(例えば1ー10といった具合だ)
  5. するとファイルの保存ができるのでファイル名を付けて保存をしておく。

これが Chrome を使った PDF の分割のやりかただ。
さてどのぐらいの容量だと OCR が実行できるか、ネットによると2メガぐらいだという話であった。実はこのファイル32メガぐらいあったので、かなり分割しなければならないと考えたが、実際には8分割、ページ数で言うと10ページずつでやることができた。

こうして OCR を実行しそれをテキストファイルに繋いで行った。

OCR の問題点

よく日本語に直してくれているのだが、ポイントは改行についてだ。
Google ドキュメントの OCR では、行を改める場合がまちまちだ。本の通りに改行していたり、半角スペースを入れて改行していなかったりだ。ただ、この半角スペースが明らかに改行を表していることは確かなので、 テキストエディターに読み込んだ後その半角スペースを改行キーに置換すればうまくいくことになる。(実際の本と同じ体裁になる)
ここまではいいのだが 、これが実際に電子ブックで読み込んだ場合、いいところで改行されていることにならない。
これは元の書籍の行の文字数で改行しているからで、本来は段落で改行していなくてはならない。ここをどうするかが大きな問題だ。 これについては研究の余地がある。

電子ブック化について

これはやや苦労をしたが、結局は青空文庫のツールを使うことになった。
実は当初マックでやっていたので、 Pages を使って電子ブック形式にすると言うことを考えた。 しかしどういうわけだかうまくいかなかった。これについてもよく考えなければいけないが、一応電子ブック形式になるのだが、実際にアプリで読んでみるとうまく表示されないということになってしまった。 これについては文字コードの問題とか色々ありそうな気がするこれも研究の余地がある。

結局は青空文庫のツールを使ってテキストを青空文庫形式にし、それをアップロードして Kindle で読むという形にした。
しかしここでも問題が起きた。
Kindle 専用機では( Kindle ペーパーホワイトだが)うまく縦表示で読むことができたが、アプリの Kindle ではどういうわけだか縦表示にならなかった。 これは一体どういうことなのかこれも研究の余地がありそうだ。

最終的な問題点

テキスト化するときに段落をどう扱うかということこれが結構大きな問題だ。
ここをうまく一括処理できればいいのだが、結構難しい問題だと言える。

もう一つは表紙や目次をどう作るかだ。
ここはpagesの作成の仕方を学ぶか、それとも青空文庫形式を学ぶか、どうするかだ。
両方を試していくしかないかもしれん。

今回はここまで。
2021.07.05

iPad miniで書籍のデジタル化

解体したくない書籍のデジタル化

書籍のデジタル化についてはかつても書いたことがあった。それは古い新書や文庫を解体して、ScanSnapというスキャナーで高速に読み込んでPDF化するという話だ。しかし解体したくない書籍も多くある。これには専用のスキャナーが必要だ。だがこれは高価であるし、プリンタについているスキャナーで取り込むにはページめくりとスキャンがのパソコン操作が大変だ。

書籍スキャナーの制作

そこでiPadminiを使ってスキャンする台を作ってみた。しかもAdobeのAdobe Scanというアプリを使うと自動シャッターが使えるのだ。
自動シャッターなので、本を下に置いて、めくって行くことができる。
いわば書籍スキャナーだ。といっても箱なのだが、意外に作るのに苦労してしまった。大事なのはiPadminiのカメラの位置と書籍の大きさに応じた高さの設計だ。できれば高さを調整したいところだが、ここは一番多い書籍の大きさに合わせておいた。また、iPadを置くのでそれなりに重さに耐えなくてはならないが、手前は空いていないとページをめくることができないので、木材でと考えたが、たまたまあった厚さ5ミリのMDF板(ボール紙の超硬いもの)を使った。

GoogleのOCR機能

さて、Adobe Scanというアプリ、とても優れているのだが、そのOCR機能がイマイチだ。スキャン後はPDFのままならそれでもいいのだが、やはりテキスト化して、Kindleでも文字の拡大等できるようにしたいので、OCRがうまくないといけない。そこでグーグルさんの登場となる。GoogleのOCR機能がとても優れているのだ。これは実際にAdobe ScanのOCR機能とGoogleのOCR機能を同じ書籍を使ってやってみた結果、Adobe ScanのOCR機能では多くのエラーがあったが、なんとGoogleのOCR機能では全くエラーがなかった。しかもルビについては別にそのページの冒頭にまとめて示すというやり方で、本文のテキストに狂いを生じないようにしている。このGoogleのOCR機能についてはあまり知られていないようだが、以前にも紹介したが、ちょとやり方が複雑だが、慣れればうまくできる。しかもPDF化しないでも画像のままで文字認識してくれる。
ためしにやってみるといい。そのやり方は以前にも書いたが、以下だ。(もちろんGoogleのアカウントは必要です。)

GoogleのOCR機能の使い方

  1. 画像(書類など文字列を写したもの)かPDFを用意する。(同じPCのどこかにあればいい)
  2. Chromeを開いて、アプリからGoogleDriveを開く。
  3. マイドライブの右の矢印をクリックする。(もしくは左メニューのマイドライブの文字の上で右クリックする)
  4. 出てきたメニューから「ファイルをアップロード」をクリックする。
  5. フォルダメニューから画像(書類など文字列を写したもの)かPDFを選んで、「開く」ボタンをクリックする。
  6. アップロードされたファイルの上で右クリックする。
  7. 出てきたメニューから「アプリで開く」から「Google ドキュメント」を選ぶ。

以上で、しばらくするとテキストに変換された文字列が現れるので、これを全選択してコピーし、他のテキストエディターなり、ワープロソフトに貼り付ける等で利用できるというわけだ。

やってみなはれ!ちなみにほとんどの言語に対応しているというからすごい!

アナログレコードをデジタル化する

ここのところいろんなものをデジタル化しているが、今回はあたらしいターンテーブルが手に入ったので、昔買ったLPレーコドのデジタル化をやってみたのでその報告。

必要なもの

  • ターンテーブル(新しい製品でPC出力ができるもの)
  • PC(今回はMacbookAir)
  • 録音ソフトウエア(Audacityというフリーソフトを使う)
  • もちろんアナログレコード

操作

  1. ターンテーブルとPCをUSBで接続する。
  2. PC上でオーディオの設定をする。
    • MACの場合 システム環境設定 サウンド 入力 で USB PnP Audio Device を選択 確認する。
  3. 録音ソフトウエア(Audacityというフリーソフト)をPCにインストールする。

    • WEBで検索 Audacity mac ですぐに出てくるはず。(もちろんWIN版もある)
    • audacity-3-0-2.dmg をDL
    • 展開、導入
  4. Audacityを起動

    • 入力装置(マイクアイコン)のところをUSB PnP Audio Deviceにしておく。
    • レコードをかけたら、録音ボタンを押す。
    • 終了したら、停止ボタンを押し、
    • ファイルから書き出しを選び、MP3として書き出す。

これで録音は終了する。なお、この録音ソフト多機能で色々と修正ができるようだ。
レコードはどうしても傷による雑音が入っている場合があるので修正するといい。
これについてはまた後日。
暇な時に昔聞いたレコード

日本古典文学総復習続編7『太平記』2

『太平記』を読むその2

久しぶりに古典文学の記事、「太平記」の続編。

第二部、巻12から巻21までは、建武政権の乱脈を批判しつつ、諸国の武士の、新政に対する不満を背景に足利・新田の対立、足利の過去の善因による勝利、後醍醐天皇の吉野での崩御までを描く。
では各巻の概略を見ておこう。

巻12

新政権発足から、大塔宮護良親王が捕われ鎌倉へ護送・幽閉されるまでを描く。
王朝体制の回復が進むが、早くも大塔宮と足利高氏の対立が顕在化し、武士たちも論功行賞をめぐって不満を募らせ、社会は決して安定しない。また、大内裏造営の計画が進むが作者は北野天神縁起を長々と引いてこれが時代にそぐわないことを語る。

巻13

新政権内部の矛盾が引き続き現れ、北条残党の謀反も生じ、一時は北条残党が鎌倉を奪還するが、足利尊氏の活躍により平定され、足利尊氏の存在感が一躍脚光を浴びることを語る。

巻14

足利尊氏と新田義貞との対立抗争が中心的に語られる。足利尊氏と新田義貞はいわば論功行賞をめぐって対立し、戦うことになる。一時尊氏は恭順の意を示したりするが、結局は天皇をいただく新田義貞を京から天皇とともに追い出すことに一時的に成功する。ここにこの書の第二部の世界が展開し始める。

巻15

ここも尊氏と義貞の対立抗争が描かれる。この抗争がいわば全国展開を見せ、この巻では足利尊氏が九州に敗走するまでを描く。また、延暦寺と園城寺との対立がそれに絡んで語られ、俵藤太説話が語られたり、後醍醐天皇の失意の恋物語が語られたりする。

巻16

九州に到着した尊氏は九州を平定、その後再び京を目指し、新田軍・楠軍と湊川で戦い勝利する。ここで楠木正成は自害し、新田軍は京都へ退くことになる。後醍醐天皇は東坂本(比叡山)に難を避けるが、光厳院ら持明院統の人々は、尊氏の待機する東寺へ入る。
この巻ではなんといっても後々語られることとなる正成の自害とその子正行の話がクライマックスだろう。また、尊氏の正成に対する評価も見逃せない。

巻17

この巻は尊氏と新田義貞の一進一退の戦いの様を描く。
上洛を遂げた足利尊氏は、後醍醐天皇を匿い支援する山門(延暦寺)の攻略を図り、坂本で新田軍と戦うが、神仏に阻まれ敗退、これを新田軍が追って京を攻めるが、機を逸したため敗北、というように決着がつかない。
結局新田は東宮を擁して北国にのがれる。一方尊氏は天皇を幽閉して、新田のこもる金崎城攻略のため大群を差し向けるが、これも責め切れない。

巻18

最終的に尊氏の勝利を描く。
幽閉の身であった後醍醐天皇は花山院を脱出、吉野衆徒の協力を得て吉野へ臨幸、この知らせが新田軍の立てこもる金崎城へもたらされ城内の兵は活気ずくが、援軍のない金崎城は落城、新田義貞は脱出、しかし新田義詮は自害を遂げる。東宮も捕らえられ、尊氏の勝利は確実となる。

巻19

光厳天皇を重祚させた足利尊氏は将軍職につき、一門栄華を極める。
しかしながら、新田義貞ら南朝側の抵抗も各地で起きていることを描く。北条時行が先帝に拝謁、許されて尊氏討伐の勅許を得たり、奥州に下っていた北畠顕家が兵を挙げて、鎌倉に足利義光らを破って上洛の途についたり、といった具合だ。ただ、こうした動きに統一感はなく、結局は尊氏側の勝利となってしまう。

巻20

ここは新田義貞の最期を語る部分。
北陸にとどまっていた義貞は、大群を持っていながら、平泉寺の衆徒が味方する足利高経を攻めきれず、かえって藤島城に直接赴いて討ち死にしてしまう。やがて義貞の首が京の大路を引かれ獄門にかけられ、その北の方を始め京の人々の涙を誘う。
このことが南朝側の離散をうみ、諸国の趨勢は北朝側に有利に働き始める。かくて新田物語は幕を閉じる。

巻21

物語の展開が、編年の順序に従っていないのはいつものことで、史実に照らすと年次に混乱があるようだが、ここでも南朝側の抵抗と北朝側の結果的な勝利が描かれる。また、ついにここで後醍醐天皇の崩御が語られる。また、足利側の内部の不祥事が語られる。高師直と塩谷判官の話もここで語られる。いうまでもなく江戸時代の忠臣蔵が仮託した話だ。

以上が第二部。足利尊氏と新田義貞の戦いが中心となっている。そこに楠木正成の最後と後醍醐天皇の崩御が語られている。さて、この太平記の本文はどのようなものかも紹介しなければならない。楠木正成の自害の場面を引いておこう。

この勢いにても打ち破って落ちは落ちつべかりけるを、楠京を出しより、世の中の事今はこれまでと思ふ所存有ければ、一足も引かず戦ひて、機すでに疲れければ、湊川の北に当たつて在家の一村有ける中にへ走り入つて、腹を切らんために、鎧を脱いでわが身を見るに、斬り傷十一箇所までぞ負うたりける。(中略)正成座上に居つつ、舎弟の正季に向かつて、「そもそも最後の一念に依つて、善悪の生を引くといへり。九界の間に何か御辺の願ひなる」と問ひければ、正季からからとうち笑うて、「七生までただ同じ人間に生れて、朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」と申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、「罪業深き悪念なれども、われもかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替へてこの本懐を達せん」と契つて、兄弟ともに差し違へて、同じ枕に臥にけり。

この「七生までただ同じ人間に生れて、朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」という言葉が、後々尊氏が朝敵で正成が忠臣という図式を生むことになるが、実はこの「太平記」はどちらにも偏らない立場で書いているように思える。

今回はここまで。

2021.06.17

WordPressのサイトが真っ白になったら

WordPressのサイトが真っ白に

この記事の前に長い記事を書いて、久しぶりにUPしようとした。その時テーマの更新の知らせがあったので、更新してしまった!その後記事のプレビューを見ようとすると画面が真っ白なのだ。やってしまった!注意不足だった。PHPのバージョンと使っているテーマが合わないのだ。これは逆にサーバーのPHPのバージョンを更新した時にも起こった。その時は確かPHPのバージョンをサーバー側で戻して修復した。さて今度はどうするか?テーマを古いバージョンに戻せばいいということになる。さてどうするか。その手順をここに書いておく。

使っているテーマの配布ページに行く
ダウンロードボタンを右クリックして、リンクアドレスをコピーする
https://downloads.wordpress.org/theme/graphy.2.3.2.zip
これが最新バージョンということになる
これのバージョンを下げてアクセスしてみる
https://downloads.wordpress.org/theme/graphy.2.3.0.zip
2.3.1はなかったので、これが以前のバージョンということになる
これをダウンロードして
テーマフォルダに入れ替える

これで戻った!

それにしてもWordPressはめんどうですね。
よく考えてみると本来はPHPとテーマ両方バージョンアップすればいいのだけれど
どの順序でやるべきか、ようく考えてやらないといけない。

プラグインのバージョンアップも気をつけましょう。

2021.06.04

ITいろいろ

ここのところIT関係ではいくつか行ったことがあったので報告
実はいずれもきっかけがあってのこと

WINマシンのメモリ増設

WINマシンでの画面録画と動画編集

これのきっかけはWINマシンでの動画編集。
これまでMACでやってきたが、WINでも行う必要が生じたためだ。
YoutubeにHTMLに関した学習動画を載せているが、世の中はWINユーザーが多いので、WIN上での操作を画面録画する必要が生じたからだ。
これも当初はWIN標準のツールでできるとの話だったが、これが使い物にならず(どうもゲーム専用のようだ)、
フリーで画面録画できるツールを探していたら、OBSという本来は同時配信用のオープンソフトが画面録画にも使えるということでやってみた。
これはこれで中々の代物だが、結構使えることがわかった。
(ついでにこの過程でもう一つWEBカメラも導入した。これはこれで色々問題があるのだが。まあ使えているのでよしとする。)
さて、すると当然録画したものを編集する必要が生じてくる。
これも標準のツール(フォト)で可能という話だったが、どうもうまくいかなかった。書き出しができないのだ。
これは結論的にはメモリー不足が原因だったが、なぜがそのエラー表示が出なかった。
そこでこれもオープンのShotCutというツールを入れて試してみた。使い勝手はMACのiMovieに似ていてよかったのだが
これはしっかり「メモリーが足りません」といわれて出力できなかったわけだ。
そこでのメモリー増設となった。

メモリー増設

さて、小生のWINマシンはなんと2006年に導入した代物だ。もう15年も使っている。しかし当時としてはハイエンドなPCだ。
GPUも入れていて、ここにメモリーもあるし、たしか一回メモリーも増設している。また、HDDもSSDに交換している。
まあ中身を色々いじって生き延びてきたし、これまでの作業で不足を感じたことはなかった。
実は最近になったようやくWIN10を導入したばかりだが、それもそんなにストレスを感じるものではなかった。
というのもメモリーと速さが必要な作業はMACがやってきたということなのかもしれない。
さて件のメモリー増設だが、不安がなかったわけでは無い。というのは古いマシンだけに対応するメモリーがあるかどうかだ。
そこでまずは調査となる。これは筐体を開けて確認すればいいのだが、まずはCPUZというツールで確認する。
そうすれば今入っているメモリーの仕様がわかる。それと同様の仕様で要領の大きいものを探せばいい。
今回4枚セットで売っていたので、すべて取り換えることにした。メモリー交換は全て変えた方がリスクが少ないからだ。
これで保存の際メモリエラーは出なくなった。

ネットワーク環境の更新

ケーブルテレビの営業

これのきっかけはケーブルテレビの営業だ。
現在テレビはJ:COMに契約している。実はこれもある行きがかりからそうなってしまった。これをまずは語っておこう。
我が家は、かつてあった米軍の通信隊という施設の近くにあり、地デジ化以前からケーブルでテレビを見ていた。(BSは独自にアンテナを立てていた)
つまり電波障害があるということで、防衛施設庁が資金を出し、ケーブル施設が作られて、アンテナ組合とか言ったか、そこに年間で少しの資金を出してケーブルを自宅に引いてテレビを見ていたわけだ。
それがその米軍施設が横浜市に返還となり、その組合も解散となり、それが地デジ化と重なったため、地元のケーブルテレビ会社がそのケーブル設備をそのまま引き継ぐということで、工事なしで地元のケーブルテレビ会社(確か南横浜ケーブルテレビとかなんとか言った)と契約することとなった。
そしてその会社がJ:COMに吸収合併されてしまって、そのまま契約を引き継ぐことにしたわけだ。
しかもそのころ娘もまだ同居していたせいか、かなりのチャンネルを見られる契約をし、そのままになっていたというわけだ。

さて、本題に戻るが、ある日そのJ:COMを名乗る女性から電話があって、点検に来たいという。一応来宅してもらうことにしたが、このJ:COMの点検というのが実に怪しく、結局はしつこい営業だ(多分インターネット契約とか携帯の契約とかの抱き合わせ販売)という話を各方面から耳にしたので、こちらから改めて電話をすることにした。中々通じなかったが、ここはリアルにJ:COMの担当者と話をしなければならないと思い、我慢して待った。(何せ暇人!)そして男性の社員と話ができた。まずはその営業の電話を確認できるか聞き、その上で現在の契約内容を確認し、そちらの点検の内容、営業の提案について聞いた。(実はその前にネットで現在のJ:COMの契約プランを調べておいた。)結局は来宅する必要なく、契約を変える必要のないことを確認した。というより、これはもうJ:COMをやめて、光テレビにするか、フレッツテレビにする方がお得な気がしてきた。そこでこれもずっと放っていた光回線についても見直すこととなったわけだ。

光回線の見直し

我が家は随分前からNTT東日本のフレッツ光の回線を使っている。しかもLAN配線を各部屋に敷設していた(これは自分で屋根裏に潜ったり、壁に穴を開けたり、一階の天井と二階の床を貫通させたり、外を回すしかなかったりと色々やった)。これまで別段遅くてイラつくとか、そんなこともなく使っていた。しかし、今回この光を使ったテレビについて検討したのと、実は去年の秋に大規模な自宅のリフォームをした際ケーブルを更新し、すべて壁に埋め込んでもらったことからこの見直しとなった。(このリフォームを請け負ってもらった地元の工務店はなかなかだった。LANケーブルを壁に通すにあたって鉄骨に穴を開けなければならず(自宅は軽量鉄骨構造)、かなり苦労したようだがやってくれた。しかもケーブルの種類についてもよく知っていた。どこぞの業者は「お客さん。今はwifiでしょ。」などと知ったかするそうだが。)

光回線等インターネット網の進化

さて、こうしたきっかけから、まずは現在のインターネット環境の進化について勉強することとなった。

やれ5Gだ、wifiは5G帯を使うべきだ、光回線はいまや5Gだ、IPv6を使うと速くなる、など色々と言われているのはなんとなく耳にしていた。しかし、しっかりと認識できていたわけではない。どうも原則的に理解できないと済まない性格なので、改めて勉強したわけだ。その上で我が家のインターネット環境を変更した。

さて、まずは誤解されやすい用語だが、今世間で言われている5GのGはgenerationすなわち世代のGだ。第5世代の通信規格という意味だ。このGという文字はよく使われるので混乱する。G7のGはGroupすなわちグループの意味(これはインターネットとは関係ないけど)。さて、wifiの5Gは正確には5GHzで周波数のことで電波の帯域を表している。wifiでは他に2.4GHz帯を使っているが、これは他の機器でも使うので干渉しやすいという(ただ、5GHzと違い壁等を通りやすいプラスの面もあるという)。しかもそれぞれの帯域に複数のチャンネルがある。そこをみんながいろいろと使っているわけだ。さて光回線の5GのGはギババイトのGで正確にいうと5Gbpsのことで、5ギガバイトパーセコンド、すなわち1秒間に転送できるデータの量を表す。
このあたり、携帯の料金や速さと容量の関係等でしっかり理解していないといけませんね。それにIPv6なる用語も出てきて混乱します。この辺を理解した上で自宅インターネット環境を整備することにした。

自宅インターネット環境の更新

回線自体の契約更新

まずNTTの光回線を100Mbpsを1Gbpsに変更することにした。これは比較的簡単に終了。WEB上で申し込んだら、向こうから電話があった。当初NTTからレンタルしている機器も変えようとしたが、変える必要がないということで、月額200円ぐらいのアップで済むという話だった。開通日が指定され、その日にONUをリセットすれば済むという話だった。ところが速度計測しても速度が全く変わらない。実はここに大きなポイントがあり、そこは一通り認識していたはずであったが、一点だけ見逃していたのだ。そこに気づかずNTTのサポートに電話することになり、やっと気づくという顛末だった。

インターネットの速度はボトルネックに注意

光回線を100Mbpsを1Gbpsに変更しても、どこかに1Gbpsに対応していない機器があると速度は出ないということは事前に学んでいた。例えばPCのイーサネットのアダプタが1Gbpsに対応していないとダメだし、コードも対応していないとだめだ。それはわかっていたのだが、実は肝心のONUとルーターの間のLANケーブルが対応していなかったのだ。ここはNTTからレンタルしている部分なので(機器は変えなくても大丈夫と言っていたが)見逃していたのだ。なんとそのケーブル、カテゴリー5のケーブルで、Eがついていなかった。壁を這っているケーブルはリフォームの時にカテゴリー6Aにしているし、古いケーブルもカテゴリー5Eである。まさに入り口にボトルネックがあったわけだ。(ちなみにボトムネックという人がいるが、これは間違い。瓶、ボトルの首が狭くなっていることを言う言葉だ。)

Wifi機器も入れ替える

今度は他の機器も変えなくてはいけない。2階から1階にLANコードを回しているが、ダイニングにおいてカミさんが使っているデスクトップPCは間にwifi機能付きのHUBをおいてLANコードで繋いでいて、と同時に一階でのwifi環境にしていた。しかしこの機器はLANのコネクタが1Gに対応していないし、wifi自体も遅い規格のものだ。そこで単純な1G対応のスイッチングハブを購入し、wifiルーターもNECのものを購入した(実はここはアクセスポイントモードでしか使わないから、いわゆるホテルで使うような簡易なもので良いのだが、これも1G対応のLANコネクタを持つものがいまだにないのだ。このNECの機器はアクセスポイントモードとは言わず、ブリッジモードというようだ)。これでこれまでより高速なインターネット環境が一応整ったと言える。速度テストして面白かったのは、一階のカミさんのデスクトップが一番速かったことだ。このPC決して新しくはなく、OSはWIN7だ。しかし、2階のWIN10のPCより速かったのだ。これにはいくつか理由がありそうだ。wifi環境ではMacBookAirやiPadやiPhoneなどを使っているが、いずれも有線ほどではないが速くなった。また、2階でもwifiを使うので2階にも新しいwifiルーターを購入した(これもアクセスポイントモードで使っている)。今回購入した新しくした機器は以下だ。

新規導入機器

  • エレコム ELECOM EHC-G05PA-B-K [Giga対応 1000BASE-T対応 スイッチングハブ 5ポート プラスチック筐体 電源外付モデル ブラック]
  • NEC エヌイーシー PA-WG1200CR [Aterm 無線ルーター IEEE802.11ac対応 867Mbps]
  • BUFFALO WiFi 無線LAN ルーター WSR-1166DHPL2/N 11ac ac1200 866+300Mbps IPv6対応 デュアルバンド 3LDK 2階建向け 簡易パッケージ テレワーク 日本メーカー 【iPhone12/11/iPhone SE(第二世代) メーカー動作確認済み】
  • エレコム ELECOM LD-GPAT/BU05 [LANケーブル CAT6A(カテゴリ6A) 爪折れ防止 ヨリ線 0.5m ブルー] および1m

価格は全部で10,000円弱

IPoE、IPv6の話

この話は結構難しい話。この間色々調べ、また実際に設定できるかどうかやってみて、また色々と問い合わせをやってみてようやく理解でき、実現できたところだ。その報告。

「IPv6使えばインターネットが速くなるよ」ってほんと?

よく巷で「IPv6使えばインターネットが速くなるよ」などという言葉を聞く。しかしこれは字面だけだと間違っている。

そもそもIPv6は速さと直接関係がないようだ(このあと詳述するが、間接的には大いに関係ある)。これはIPアドレスを増やすための規格だ。
IPというのはIPアドレスと言われるようにインターネット上のデバイスのそれぞれの住所だ。IPv4のIPアドレスは、たとえば0〜255.0〜255.0〜255.0〜255という形で表される(具体的には192.168.1.1といった具合だ)。2の8乗(256)が4個ある形だ。すなわち32ビット(2の32乗)だ。約43億個あることになる。しかし、この数だけではもはや足りないほどインターネットが膨張した(もちろんもっと増える形、グローバルアドレスとプライベートアドレスを変換して使う方法などで使っているが)。

そこでそのIPアドレスを大幅に増やしたのがIPv6アドレスというわけだ(この6というのもあくまでバージョン6ということ)。では何個になったか?そうIPv6は、32ビットがさらに4個ある形32✖️4、すなわち128ビット(2の128乗)で340澗(かん)個のアドレスを持つことができるといわれている。「澗」とは今まで聞いたことがない単位だ。340澗は340兆の1兆倍の1兆倍と説明されている。これなら世界中の個々の機器に直接振っても足りる気がしてくる。

ではなぜアドレスを増やしただけのIPv6によってインターネットのアクセスが速くなる、なんて言うんだろうか。増やしたら遅くならないか?「IPv6使えばインターネットが速くなるよ」といったことは字面だけだと間違っている。しかしそう言うには理由もありそうだ。

まずそもそもIPv4とIPv6ではアクセスの方法が異なるということがある。

これまでのインターネット接続すなわちIPv4ではPPPoE方式という方式がとられている。PPPとはPoint-to-Point Protocolの略で電話回線を前提にした接続方法で、これをインターネット接続に応用したものだそうだ。ユーザー側でルーターやアダプターなど、専用の通信機器の設置することが必須となっているが、このユーザー側の機器がインターネットと通信するためにネットワーク終端装置(NTE)を利用することになる。この装置は、ISP(プロバイダー)ごとに用意され設置されているということだが、この装置にはセッション数(ほぼユーザー数)に限界があって、アクセスが増加するとどうしても遅くなるということだ。

これに対してIPv6では違った通信方式をとっている。これをIPoE方式と呼んでいる。 IPoEはIP over Ethernetの略でユーザー側がルーターやアダプターなど、専用の通信機器を設置する必要は基本的には無くなる。しかもボトルネックになっていたプロバイダーごとのネットワーク終端装置(NTE)を利用しない。もっと大容量のGWR(ゲートウェイルーター)というもを使ってインターネットにアクセスする。だから速いということになるようだ。
すなわち通信方法の違いによって速くなるわけだ。

だったらすべてIPoEを使えるIPv6にすればいいということになる。しかし、そうはいかない。実はIPv4とIPv6のネットワークは全く別のネットワークとして存在してる。IPv4のネットワークからIPv6に移行するには莫大な費用がかかるという。事実IPv6のネットワークを使っているのはYoutube、Google、Facebook、Netflixなど限られたサイトで、AmazonやYahooなどの多くのサイトはIPv4のネットワークのままだ。基本IPoEはIPv6のみに対応しているので、こうした多くのIPv4のネットワークには未だPPPoE方式が必要ということになる。

ちなみにPCのイーサネットの設定でIPv6のみ接続する設定にしてみると(IPv4の接続のチェックをはずす)とYoutube、Google、Facebook、Netflixなどは接続できるけれども、AmazonやYahooは接続できなくなってしまう。ここにも誤解がある。IPv6=IPoEという誤解だ。「IPv6使えばインターネットが速くなるよ」といったことは、正しくは「IPoE方式を使えばインターネットが速くなるよ」というべきだ。
ではIPv4のネットワークにIPoE方式を使うことはできないのかということになる。基本的にはできないが、やる方法を考え出したんだ。これがIPv6 IPoE方式と言うことになる。正確にいうとIPv4 over IPv6ということになる。

この技術はOCNの説明をかりると

「ユーザーがIPv6でインターネットに接続しながら、IPv4にしか対応していないWebサイトの閲覧やWebサービスの利用をする場合、自動的にIPv4接続へと変換される技術です。IPv4 over IPv6では、ブロードバンドルーターでIPv4のパケットデータをIPv6に変換して通信を行うしくみになっています。「IPv6に見せかけたIPv4」のパケットは、IPv6通信網を抜け、通信先のWebサイトやWebサービスに到達する直前でIPv4へと再変換されます。IPv6の仮想のトンネルを抜けていくため、この技術は「トンネリング」と呼ばれています。このようにトンネリングをすることで、IPv6に対応していないIPv4のWebサイトやWebサービスでもIPoE方式で扱うことができるわけです。」

と言うことになる。一種のマジックだ。

「IPv6使えばインターネットが速くなるよ」という言葉は、正確に言うと「IPv6の通信技術のIPoEをIPv4にも使えるようにすればインターネットが速くなるよ」ということになる。ではこれをどう実現するのか?

具体的手順

先ずは自分のプロバイダでのIPoEの提供状況を調べる。

すると
IPoEとIPoE(ホームゲートウェイ・無線LANルーター*¹対応)という欄があり

IPoEの欄は 提供中となっていて
IPoE(ホームゲートウェイ・無線LANルーター*¹対応) 未提供

となっていた。

次にプロバイダの接続確認というのをやってみる。

すると
確認結果  接続環境   IPアドレス
IPv4             PPPoE方式     省略32ビットアドレス
IPv6             IPoE方式         省略128ビットアドレス

となっている。

つまりはIPv4 over IPv6はできていないということになる。
(これがわかるまで随分時間を要した。)

ではどうするのか?
提供状況のIPoEの欄に※で以下の文言がある。

※対応ルーターを接続することでIPoE(IPv4 over IPv6)通信が可能となります。
但し、NTT東日本・西日本のフレッツ・v6オプション工事が完了している場合に限ります。
※対応ルーターのレンタル提供(OCN v6アルファ)をご希望の方は こちら

問題はルーターとオプション工事ということになりそうだ。
「対応ルーター」にリンクがかかっていてそれをみると、自分が使っているNTTからレンタルしているルーターが載っていた。対応はしているようだ。
ただここにも但し書きがあり、これまたわからないことだらけだった。

こうなったら電話で聞くしかないと思い、NTTの機器設定についてのサポートに電話してみた。
ところがこの電話サポートが酷かった!「わからない。私が答えることではない。プロバイダに聞いてくれ。」の繰り返し。
虫の居所が悪かったのか(日曜日出勤だから?)若い女性の最も悪い物言いだった。あとでわかったがNTT東日本はエンドユーザーへのサポートは全くやる気がなく、他の子会社に任せ切るつもりのようで、回線も提供するだけにしたいみたいだ。

仕方がない。こうなったらプロバイダに聞くしかない。日曜日に通じる電話にかけたが、案の定「月曜にかけてくれ」と違う番号を教わった。時間は9時からとの話だった。翌朝9時ぴったりにかけると、10時からになったと言う。コロナ禍のせいだと言う。違う電話があったので、11時近くになってかけた。するとこの電話も違うと言う。そこでいい加減あたまにくるところだが、この電話対応した女性が実いい対応だった。NTTとはえらい違いだ。たぶんベテランの女性のようで物言いが柔らかく丁寧であった。そこで教わった電話番号に電話をかけ、なんとか話ができた。しかし、ここでもまたNTTに電話をする羽目になった。

NTTレンタルの対応ルーターの光電話のタイプを確認し、プロバイダに設定を依頼する

光電話のタイプの確認が必要だった。これは契約書ではわからず、聞く羽目になったわけだ。タイプによって対応できるできないがあるらしい。結果はOKだった。するとなんとすんなり手続きが済んだ。30分後に確認してくれとのことだった。これが申し込みと言うことになるらしい。
申し込みがなくても待っていれば、順次メールが来てできるようになるといっていた。

さてもう一度

自分のプロバイダでのIPoEの提供状況を調べる。

すると

IPoE 提供中
IPoE(ホームゲートウェイ・無線LANルーター*¹対応) 提供中

となっていた。

次にプロバイダの接続確認をする。

すると
確認結果  接続環境   IPアドレス
IPv4             IPoE方式         省略32ビットアドレス
IPv6             IPoE方式         省略128ビットアドレス

となっている。

IPv4も接続環境がIPoE方式になっていればOKということだ。これでめでたしめでたしということだ。

(ああ疲れた!)

最後に一つ。この接続確認だが、いろいろなデバイスでやってみるとよい。

自宅には2台のデスクトップPC(Win10とWin7)、2台のノートPC(MacBookAirとUbuntu)、それに2台のiPad(旧型とmini)、それにiPhoneがあるのだが、それらでこの接続確認をやってみると面白い。それぞれのIPアドレスを見てみると、IPv4は皆同じだ。これは要するにルーターのアドレスということになる。実際のそれぞれのアドレスはここからNATでローカルアドレスが振られるわけだ。しかし、IPv6のアドレスは最初から別々だ。ここにIPv6の最大の特色があると言える。要するに全ての機器に独自の直接的なアドレスが与えられるということだ。

この記事長すぎた。ここまで。

2021.06.04

日本古典文学総復習続編6『太平記』1

『太平記』を読むその1

はじめに

『太平記』は大部な作品である。この古典集成でも五冊あり。物語としては八冊ある『源氏物語』に次いで長い。『源氏物語』はかなり以前から部分的に読んできたので通読に時間はかからなかった。以前の新古典文学体系の総復習で確か4回に分けて書いている。(このブログで検索していただければ幸いです。)しかしこの『太平記』はほとんど初見である。したがってかなりの時間を要したし、その内容を追うだけでも大変であった。

全体の構成

さてその内容だが、全体を三部に区分けできるようだ。全40巻あるが、解説によれば以下に区分けできるという。これにそってとりあえずは内容を追ってみたい。
第一部、巻1から巻11まで。
後醍醐天皇による北条幕府討伐の計画から、その成就、そして建武政権の確立までを楠正成らの動きを軸として描く。
第二部、巻12から巻21まで。
建武政権の乱脈を批判しつつ、諸国の武士の、新政に対する不満を背景に足利・新田の対立、足利の過去の善因による勝利、後醍醐天皇の吉野での崩御までを描く。
第三部は、巻22から巻21まで。
観応の擾乱、直義の死に代表される足利幕府中枢部の内訌から細川頼之の将軍補佐による太平の世の到来までを描く。

第一部を読む

そしてこのブログでは各部の詳細を追っていきたい。まず今回は第一部。(なお、集成本は5冊構成だが、この三部構成とは一致してはいない。1冊目は巻1から巻8まで。2冊目は巻9から巻15。3冊目は巻16から巻22。4冊目は巻23から巻31。5冊目が巻32から巻40までである。)

巻1

序を含んでいる。
後醍醐天皇即位から正中の変までを描く。北条高時の暴虐、後醍醐天皇の善政。しかしその後宮の乱れも指摘している。そして倒幕を企てた正中の変の挫折を描いている。その首謀者日野資朝・日野俊基に対しても批判的であることが注目される。

巻2

正中の変から6年経過。元弘の乱へと展開。後醍醐天皇の挙兵の準備とその発覚。幕府に皇位継承を提起。比叡山との戦いを描く。
語り物・中国の故事・合戦談を集めて元弘の乱への核心を描いているところに特徴が見られる。山門内の勢力争い、打算的な衆徒の動きも描き、一方漢楚の故事の引用、君臣の忠節も描く。

巻3

元弘の乱の緒戦から乱が一応の頓挫を見るまで。後醍醐天皇の夢に現れた楠木正成の登場。諸国の挙兵と東国の援軍鎌倉を出発。
後醍醐天皇、笠置を落ちる。六波羅へ遷幸。光厳天皇即位。正成の機略の数々。ここから楠木正成が中心的な人物として描かれるようになる。

巻4

笠置の合戦の後日談。幕府の事後処理をめぐる流刑等を多様に描く。もう一つは先帝の隠岐遷幸を描く。呉越説話がほぼ半分を占める。これは後日の先帝復活の伏線とおもわれるが、この長文の故事の引用は『太平記』ならではである。

巻5

持明院系の栄華からはじまり、やがて北条一門が滅亡の道を辿る前兆を描く。高時が田楽を愛好し、闘犬をあそぶことを記し、天下の乱れの予兆とする。
関東の命令に従う熊野別当や吉野在地武士の動きに関わらず、次第に先帝や大塔宮の側に有利に局面が展開し始める。ここでも漢籍の世界をかりて描いている。

巻6

先帝復帰の予告。楠木正成の活躍。関東の大群上洛するが、北条一門の滅亡が近いことを描く。楠木正成の奇略の数々が描かれる。

巻7

大塔宮と二階堂道蘊との吉野で戦い。千早城の楠。新田義貞の先帝側への意を通じ関東へ帰る。情勢の変化に基づいて先帝、隠岐を脱出、船上山に立て篭もる。攻める佐々木らは敗走。諸国の勢力、船上山へ馳せ参じる。新田義貞に綸旨を賜う。倒幕を企てる。

巻8

いよいよ京へ攻め入るが膠着状態が続く。赤松兄弟の奮闘がえがかれる。

巻9

足利高氏の裏切り。はじめ北条の大将であったが、高時への私憤から先帝に意を通じる。丹羽篠村で討幕の兵をあげることとなる。六波羅敗退。これによって機内の大勢決することとなることを描く。

巻10

前半は新田の軍記物語。後半は追い詰められた鎌倉勢の滅亡までを描く。

巻11

三部にわかれる。第一部は鎌倉幕府滅亡後の北条一門とその子女の悲劇。第二部は後醍醐天皇の二条内裏への遷幸と赤松と楠の供奉。第三部はこの間の地方各地の情勢変化を描く。

第一部の評価

というのが第一部だ。つまり戦乱を描いているからこれは軍記物語といっていいが、これまで軍記物語の一つの達成である『平家物語』と比べると、どうも文章が硬い気がする。確かに『平家物語』にあるような以下のような表現もある。

『この矢一つをば冥途の旅の用心に持つべし』と言ひて腰にさし、『日本一の剛の者、謀反に与し自害する有様、身置いて人に語れ』と高声に呼ばはつて、太刀の鋒を口に啣へて、櫓よりさかさまに飛び落ちて、貫かれてこそ死ににけれ。

しかし一方で漢籍の引用も多い。有名な「呉越合戦」「漢楚合戦」などは巻一つの何分の一をしめていたりする。これは『平家物語』にはないことだ。
また序文にある以下の考え方はこの書の政治的な考え方を如実に表していて、後醍醐天皇評価にもある治世論がおおく漢籍の儒教的な考え方に寄っていることがわかる。

もしそれその徳欠くるときは、位有りといへども持たず。いわゆる夏の桀は南巣に走り、殷の紂は牧野に敗らる。その道違ふときは威有りといへども久しからず。

「もし君子がその徳に欠けている場合は、帝位にあっても位を維持できない。周知のように夏という国の桀という暴君は殷の国の王によって南巣という所に追われて滅びたし、その殷の紂という暴君も周の武王に追われて牧野という所で打たれて滅んだ。また、その臣下も臣下の道を誤ればたとえ威勢を奮っていてもそれは長続きしない。」(筆者口語訳)

周知のようにこの鎌倉幕府滅亡から南北朝へ展開する歴史は天皇制の問題と絡んでいわば微妙な時代である。天皇制が一時的とは言え分裂した時代だからである。後世この時代、特に後醍醐天皇をどう評価するか、南朝をどう見るか、ということが歴史的にも揺れてきた。それは幕末から明治初期、そして太平洋戦争期まで尾を引いてきた。ただ、『太平記』をここまで読んできて、そんな後世の後醍醐天皇や南朝に対する過剰な評価も過小な評価も見当たらなかった。むしろ比較的客観的に歴史を描いていいるように見えた。

今回はここまで。

2021.04.27