『日本古典文学総復習』76『好色二代男・西鶴諸国ばなし・本朝二十不孝』77『武道伝来記・西鶴置土産・万の文反古・西鶴名残の友』

だいぶ間が空いてしまった。ここのところ他の趣味で忙しかったと言い訳しておく。
さて、今回は井原西鶴。これまで西鶴は『好色一代男』『日本永代蔵』を読んできた。また、俳諧集を見ていく中でも登場してきた。しかし、改めてここに収められた作品を読んで、その魅力に感じ入った。まず西鶴の咄はこれまでの説話と違って、余計な外側からの思想がない。儒教的な倫理、仏教的な説教、そうした物が一切なく、ただ現実を生きている人間達のあくなき興味のみが窺えるのがいい。「金」や「色」といった欲望に翻弄される現世を生きる人間達を面白がって見つめる作家の目だ。いかに江戸時代の元禄期が成熟した社会になりつつあったが窺えるといってもいい。
では、ここに納められた西鶴作品を一通り紹介する。

『好色二代男』

正しくは『諸艶大鑑』。1684年(貞享1)に刊行される。西鶴の処女作『好色一代男』の好評から、一代男世之介の遺児世伝(よでん)が登場することもあり、当時から世間一般にこの題名が流布していた。ただ、形式は巻一から巻八までそれぞれ独立した話題を展開する五つの短編があつめられている全40話の短編集ということになる。内容は題名にあるように、諸国の遊里における遊興の諸相や遊女の生き方や心情が描かれている。また遊里に通う男の生態も描かれている。
「人間は欲に手足の付たる物ぞかし」という言葉があるように、西鶴はいわば生身の人間の欲がはっきり現れる遊里を舞台に当時の人間の実相を描いたと言える。

『西鶴諸国ばなし』

題名にある通り、西鶴による全世界的な説話集。1685年(貞享2)1月、大坂・池田屋三郎右衛門により刊行された。5巻5冊。自序に、「世間の広き事国々を見めぐりてはなしの種を求め」たとあるように、諸国の珍しい話、変わった話を集めている。ここでいう諸国とは日本各地という意味を超えて、中国の話も含まれる。前にみた『牡丹燈記』を翻案した浅井了意の『伽婢子』を受ける怪異譚があったりする。また、各巻の題名の下には「知恵・不思議・義理・慈悲・音曲・長生・恨・因果・遊興・報・仙人」などの見出語があって、その内容を簡潔に示している。各巻にはそれぞれ7つの「はなし」があり、全35話
の短編集ということになる。
このいわば説話集は中世期の説話集とちがって、仏教的な価値観や儒教的な価値観に収斂させることはない。「人はばけもの世にない物はなし」とあるように、そこにはあくまでも当世を生きる生身の人間の面白さ、意外さに対する西鶴の生き生きとした興味のみがうかがえる。

『本朝二十不孝』

1686年(貞享3)刊。5巻20話。改題本に『新因果物語』とある。中国の『二十四孝』を逆手にとって20の不孝譚を集めたもの。江戸時代は儒教道徳が公式な道徳規範だったが、その中で「孝」はもっとも庶民が守るべき規範であった。具体的には1683年(天和3)5代将軍徳川綱吉により発令された忠孝令があり、その後もその高札が掲げられ続けた。これに対するに西鶴は「孝にすすむる一助」とはいっているものの、真逆を行く「不孝」者を描くこと自体に面白さを求めたといっていい。不孝者を戒めるとか、孝行を薦めるとかそんなつもりは全くなかったと言える。現世の人間の姿を「不孝」者の中に求め、儒教道徳とは遠いところで生きる人間にたいする生き生きとした興味がうかがえる。

『武道伝来記』

1687年(貞享4)4月、江戸・万屋(よろずや)清兵衛、大坂・岡田三郎右衛門より刊行された。八巻八冊。副題に「諸国敵討」とあるように、北は奥州福島、南は薩摩に及ぶ復讐譚32話を集めたものである。ここは武士がモデルで、これまでの町人とは違った倫理の中で生きる人間を「仇討ち」という武士社会の最もシンボリックな事件を通して描いている。幾つかは実際の仇討ち事件をモデルにしているようで、西鶴のルポルタージュ作家としての面目がうかがえる。もちろん西鶴は町人に属する人間だが、その町人から当時の支配階級たる武士がどう見えたかも知ることができ興味深い。ただ、ここにも西鶴の現世の人間に対する飽くなき興味があり、町人も不孝者も仇討ちする武士もされる武士も西鶴にとっては現世を生きる同じ人間だという認識がうかがえる。

『西鶴置土産』

1693年(元禄6)8月に西鶴が52歳で没したあと、同年の冬に北条団水の編集により遺稿集として刊行されたという。ここには西鶴が書いてきた「金」と「色」の世界の「負」の面の物語が集められている。遊里はまさに「金」が物言う世界だ。「金」がなければ「粋」も「洒落」もできはしない。ここに登場する人物達はかつてはお大尽だったが、やがて遊里に搾り取られ、零落してしまった人物達だ。
何もかも底をついてしまった身でありながら遊び仲間に見栄を張り続け男たち、息子から勘当されてもなお悪所狂いはやめられず、遺産目当てに息子の死ぬを待つ親仁といった人物達が5巻15章で語られている。
「世界の偽かたまってひとつの美遊となれり」
とあるように、遊里は「嘘」で支えられた世界。しかし、一旦その世界にはまると
「昔より女郎買のよいほどをしらば、此躰迄は成果じ」
と言うようにとことん身を滅ぼすまで「わかちゃいるけどやめられない」世界なのだ。西鶴はここに人間の浅はかさを見ているようだが、決して達観した姿勢は見せてはいない。ここにも現世の人間の諸相を興味ぶかく、いわば「おもしろがって」見ている西鶴がいる気がする。

『万の文反古』

1696年(元禄9)1月、西鶴の第四遺稿集として門人北条団水が5巻5冊に編集し、京都・上村平左衛門、大坂・雁金屋庄兵衛、江戸・万屋清兵衛より刊行された。張貫の女人形をつくる職人が、材料の紙くずのなかからみつけだしたという趣向で、20編の手紙を紹介し、それに短いコメントを付けるという趣向のいわば書簡体小説集。他人の私信を読むという興味が、その私信を書く人物と受け取る人物の人生を想像させる。もちろんそこにある私信は西鶴の創造だろうが、ここにも様々な人生への飽くなき興味が伺える。「万の」とあるようにそこには町人・武士・遊女といった様々な人物が登場する。そしてその人物達の心の奥底を想像させることによって、現世を生きる人間の姿を描こうとした西鶴の新しい試みを見ることができる。

『西鶴名残の友』

これも門人北条団水による遺稿集。最後の遺稿集だ。これまで見てきた物とちがって、ここでは俳諧師西鶴が登場している。西鶴はまさに俳諧師であった。いやあり続けた。しかも芭蕉らの蕉風俳諧とは異なる談林派に俳諧師だった。俳諧は当時連歌風に傾いていったようだ。本当は連歌を笑いや俗でパロディー化するところに俳諧の妙味があったはずだ。それが談林派だが、西鶴は晩年までそれにこだわったようだ。この書はそうした思いから、古今の俳人・俳諧師達を登場させ、それらの人々の逸話・奇談を中心に自身の俳談・漫談・手記を交え、笑いの中で語っている。西鶴はこれまで見てきたように咄を多く書くようになったが、その本質は「笑い」をキーにする談林派の俳諧師であったことを改めて思い起こさせる。

2018.03.05
この項了

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です