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はじめに
今回も個人集。これからはこれが多くなるようだ。今回は河竹黙阿弥。歌舞伎台本作者だ。しかも実は前回の「古典文学総復習続編」で取り上げ済みだ。ただ、その時は一作品のみだった。『三人吉三廓初買』という作品だ。言わずと知れた「白浪もの」の幕末の代表作だった。さて、今回は明治期に入って書かれ、上演された作品群である。そこにはどんな変化があるか、またどう時代を反映しているか興味深い。収録作品を見ていくことにする。
収録作品
「天衣紛上野初花(河内山と直侍)」
「くもにまがふうへののはつはな」と読む。これはやはり江戸時代と同様な「白浪もの」と言える作品だ。主人公は「河内山宗俊」という悪者。幕府の奥に勤める茶坊主でありながら、何かと悪を働く人物。それともう一人その弟分の直侍という人物が織りなす物語である。以下の展開。
- 序幕 湯島天神の場・長者町上州屋の場
- 二幕目 吉原大口入口の場・同三千歳部屋の場・日本堤金杉路の場
- 三幕目 松江家上屋敷の場
- 四幕目 橋場寺田閑居の場
- 五幕目 隆慶橋茶屋の場・水道端比企邸の場・小石川御堀端の場
- 六幕目 入谷村蕎麦屋の場・同大口屋別荘の場
- 大切 上野屏風坂外の場・池端宗俊妾宅の場・入谷浄心寺裏の場・廣小路見世開の場
前半は茶坊主「河内山宗俊」が大名を相手取って町家の娘を助ける物語、当然金絡み。この人物の造形は元は講釈の「天保六花撰」による。この人物、いわば詐欺師なのだが、大店と大名を相手にしているところや娘を大名の手から救い出すという点が江戸の庶民に受けたようだ。
後半は直侍の話。これはどちらかというと人情噺的。遊女とお尋ね者となった直次郎という侍の男女の話。現代ではこの二つは別々に演じられているという。
ここもやはり『三人吉三廓初買』に見たダークヒーローの話である。
「水天宮利生深川(筆賣幸兵衛)」
「すいてんぐうめぐみのふかがは」と読む。これはいわゆる「散切り」もので、明治の新時代を舞台にした芝居。以下三幕八場の世話物。実際にあった事件というか、事象を題材にしているという。
- 序幕 吉原千歳楼の場 油堀荻原宅の場 萬年橋川端の場
- 二幕目 浄心寺裏貧家の場 海辺川岸身投げの場
- 三幕目 佐賀町質店の場 同裏手庭口の場 同座敷前の場
これも話は二種類あるが、前半の士族船津幸兵衛の話がもっぱら上演されたようだ。世は明治になって士族は多く没落する。大体が士族の商法と言われるように、禄を失った士族が慣れない商売をして貧乏になるというパターン。この主人公はもっと酷い目に遭う設定だ。女房は産後の肥立が悪く死亡、娘の一人も失明するといった有様。ただ、長屋の人々や有徳の人物に助けられて何とか生活している。しかし、悪徳高利貸しに身ぐるみ剥がされて、絶望のあまり一家心中を試みる。ただ、ここでも多くの人たちによって助けられ、しかも水天宮の御加護によって娘の失明も回復するというハッピーエンド。後半は盗賊小天狗要二郎の筋だが、これもハッピーエンドを迎える筋。ともかくこの世話物は当時多くいたであろう没落士族を描いた点でまさに明治新時代の風俗を舞台化したものだった。
「島鵆月白浪(明石の島藏、松島千太)」
「しまちどりつきのしらなみ」と読む。これも「散切物」。以下五幕九場。作者六十六歳の作品。
「白浪」という語があるようにここに登場する人物たちは皆かつて「白浪」=「盗賊」だった者たちだ。明石の島蔵と松島千太という人物が、質屋福島屋から金を盗んだあと改心して自首しようとするまでの筋だ。そこにもと士族で書家・金貸しの望月輝、芸者のお照などが絡んで話が展開する。展開は以下。
- 序幕 白河宿旅籠屋の場 同明神峠山越の場
- 二幕目 明石浦漁師町の場 同播磨灘風の場
- 三幕目 神楽坂弁天湯の場 望月輝町住居の場
- 四幕目 神楽坂明石屋の場 宮比町裏長屋の場
- 五幕目 招魂社鳥居前の場
話に新みはないように思うが、ここに登場する風俗が何とも明治の新時代を彷彿とさせるように描かれている。
「人間萬事金世中(金の世の中)」
これは翻訳物というか翻案劇というもの。つまり原作がある。原作はリットン卿の「マネー」という作品。リットン卿はこれまでも度々登場したイギリスの作家思想家。この頃日本で多く紹介され、翻訳された作家だ。ここは福地桜痴による紹介とある。以下の展開。
- 序幕 横濱境町邊見店の場 同仙元下裏借家の場 同邊見宅遺言状開の場
- 二幕目大切 横濱本町惠府新宅の場 同境町邊見宅の場 同波止場脇海岸の場 同境町邊見見世の場
- 同惠府林宅婚禮の場
題名の通り、お金をめぐる商売人たちの醜い争いがテーマ。商売人だけでなく親戚関係の遺産をめぐる争いなどいつの時代にもある話だ。しかし、これが開花当時の横浜を舞台にしている点や翻案物という新しさが相まってこれまでの「散切り物」とは違った新味があったようだ。この話の主人公の恵府林之助と結婚相手の「おくら」との関係も旧時代にある世話物の男女関係とはやや違った感がある。また別人物だが商家のお嬢様の以下のセリフが当時大ウケだったようだ。今でもいうお方はいますがね。
「いえいえわたしゃ厭ひませぬ、業平さんでもひょっとこでも灯りを消したその時は、別に変りはござんせぬ…わたしゃ男にゃ惚れませぬ、お金のあるのに惚れますわいな」
「北條九代名家功(高時、本間山城、義貞太刀流し)」
「ほうでうくだいめいかのいさをし」と読む。いわゆる「時代物」。しかしここは明治版「時代物」である。明治になってからも市川團十郎はいわば忠臣列女を主人公とする史実第一主義の芝居にこだわっていたようだ。しかも「求古会」という団体を組織して、「時代物」の近代化ともいうべき「活歴劇」の上演を目指していたという。その要請で黙阿弥が「書かされた」ものだそうだ。以下の展開だが、初めの高時が多く演じられ、現代でもそうだという。
- 高時(中幕の上) 北條家門外の場 同奥殿田楽の場
- 本間山城(中幕の中) 本間山城邸宅の場 極楽寺口合戦の場 大仏陣所實検の場
- 義貞太刀流し(中幕の下) 稲村ヶ崎太刀流の場
『太平記』の世界に取材した話。高時は時の権力者だが、鴉天狗に翻弄されるという話でここには権力者の高時の無能な面が描かれているという。しかしこの舞台は話の内容よりも天狗の舞が目新しく面白かったのが受けたようだ。ある意味これはまさに歌舞伎の特徴かもしれないのだ。
所作事作品
「土蜘」
これは「松羽目物」と呼ばれる能舞台を模した背景で演じられる舞踊劇の一つ。話は源頼光による土蜘蛛退治の伝説に基づいたもの。見所は、和紙で作られた大量の蜘蛛の糸を、土蜘蛛の精が客席に向かって投げかける豪快な演出と土蜘蛛の精が僧侶から妖怪へと姿を変える「変化(へんげ)」の演出だそうだ。
「紅葉狩」
これも能の謡曲『紅葉狩』に取材したもの。信濃の戸隠山を舞台とする鬼退治の伝説に基づいた話。豪華絢爛な紅葉の風景、更科姫の優美な舞、後半での姫が鬼女へと豹変する場面立ち回り等が大きな見どころのようだ。特に、姫が面(おもて)をすばやく変えて鬼女になる演出は評判を呼んだという。
「風船乘評判高閣」
これは常磐津、清元による一幕二場の所作事。「ふうせんのり ひょうばんのたかどの」と読む。イギリスの興行師スペンサー夫妻による日本初の風船乗り(熱気球の公開飛行)が当時大きな話題となっており、それを題材にしたもの。 五代目尾上菊五郎がスペンサーに扮して演じたという。菊五郎は実際に横浜まで風船乗りを見学に行き、服装をそっくりに再現したほか、台詞の一部(口上)を英語で述べるという凝った演出が話題を呼び、大評判となったという。
「浪底親睦會」
「なみのそこ しんぼくかい」と読む。これは海の底を舞台とした滑稽な所作事。海の底の魚たちが集まって親睦会を開くという趣向で、菊五郎の潜水夫の奇抜な扮装が評判を呼んだという。音曲は常磐津、清元、竹本。
「初霞空住吉(かつぽれ)」
「かっぽれ」という通称で広く知られているもの。「はつがすみそらもすみよし」と読む。もともと「住吉踊り」を源流とする大道芸であった「かっぽれ」を、明治時代に九代目市川團十郎が新富座の大舞台で踊ったことで、全国的に知られるようになったという。
おわりに
ざっと黙阿弥の明治期の歌舞伎台本等を見てきたが、基本は幕末期のものとさして変わりはないように思える。ただ、明治期の新風俗を巧みに取り入れているところはまだ歌舞伎がその時代を生きていたと言えるのかもしれない。また、ここでも歌舞伎の台本を文字で読むというのはどうも違和感があるのは拭えない。後半の所作事などはまさに音楽がなければその様子はわからないからだ。歌舞伎は芝居であるから舞台の空間もわからなければ本当は「読めた」ことにはならないとも言える。ただ、この後歌舞伎がいわゆる「伝統芸能」化していってしまうのが残念に思える。まだ、この黙阿弥の時代はかろうじてビビットであったようには思えるが。
2025.12.03
この項 了
