今回は式亭三馬だ。式亭三馬はと言えば『浮世風呂』だが、この作品に触れるといろいろと思い出だされることがある。
大学のころ、この作品に接している。確か国語学の演習でテキストとして取り上げられていて、仕方なく読まされた。ここでこの作品が日本語史上の貴重な資料であることを知った。すなわち当時の江戸言葉がある意味そのまま筆写されているからだ。この演習では特にガ行鼻濁音の話が中心だった記憶がある。しかし、こうした読み方はあまり面白いものではない。
もう一つは銭湯についての思い出だ。小生は中学初年まで東京の下町的なところで暮らしていた。その辺りの住宅で内風呂を持っていた家はほとんどなかったように思う。歩いてすぐのところに確か「不動湯」という銭湯があり、そこに毎日のように通っていた。小学生になると夕方の早い時間に友達と連れ立って出かけるようになった。この時間の客は子供達や年寄り、夜の出勤前のお姉さんたちだ。もちろん男湯だが、いわゆる「おねえ」がすね毛を剃ったりしていた。また、いつも来ている年寄りが子供に声をかける。きまって「ぼう、おおきいね。何年生だ」という。正直に答えると、これも決まって「ちょっと背中を流してくれないか」というのだ。また、中学生ぐらいになると湯船の縁に並んで座って、とりとめもない話をする。きまってこれは怒られた。要するに銭湯は子供達の社交場だったのだ。現在コンビニの店先でたむろしている中坊たちとかわらない。前編巻之下の冒頭「午後の光景」として、寺子屋帰りの子供達が大勢で風呂に入ってきて、おしゃべりを始めるシーンがある。江戸時代からの続いていた風景であることがわかる。
今もたまに近所のスーパー銭湯に行くことはある。もちろん郊外に転居してからはずっと内風呂なのだが、たまには大きな風呂に浸かりたくなる。だが、そこには子供の頃の情緒はない。黙々と湯船に浸かり、黙々と体を洗っているものばかりだ。声をかける年寄りもいなければ、子供をしかる大人もいない。
さて、こんなとりとめもない話を書いてきたが、遠く江戸時代の銭湯風景を活写した「浮世風呂」は実に大部な作品である。この大系本でも三百ページ余を要している。たかが銭湯風景を描くのにこれだけの大部に及ぶとは驚きだ。中身は4編9冊に分けられ、初編・四編が男湯、二編・三編が女湯となっている。序文的な大意に次のようにある。
熟監るに、銭湯ほど捷径の教諭なるはなし。其故如何となれば、賢愚邪正貧福貴賤、湯を浴あびんとて裸形になるは、天地自然の道理。釈迦も孔子も於三も権助も、産れたまゝの容にて、惜い欲いも西の海、さらりと無欲の形なり。欲垢と梵悩と洗清めて浄湯を浴れば、旦那さまも折助も、孰が孰やら一般裸体。是乃ち生れた時の産湯から死だ時の葬潅にて、暮に紅顔の酔客も、朝湯に醒的となるが如く、生死一重が嗚呼まゝならぬ哉。されば仏嫌の老人も風呂へ入れば吾しらず念仏をまうし、色好の壮夫も裸になれば前をおさへて己から恥を知り、猛き武士の頸から湯をかけられても、人込じやと堪忍をまもり、目に見えぬ鬼神を隻腕に雕たる侠客も、御免なさいと石榴口に屈むは銭湯の徳ならずや。心ある人に私あれども、心なき湯に私なし。譬へば、人密に湯の中にて撒屁をすれば、湯はぶくぶくと鳴なりて、忽ち泡を浮み出いだす。嘗聞、薮の中の矢二郎はしらず、湯の中の人として、湯のおもはくをも恥ざらめや。惣て銭湯に五常の道あり。湯を以て身を温め垢を落し病を治し、草臥を休むるたぐひ則すなはち仁なり。
「銭湯の哲学的考察」といったところか。当時銭湯が一時的平等な世界であったことが想像される。実は遊里もまた金銭さえあれば一時的平等な世界なのだが、いわば銭湯は安上がりな遊里的要素があった場所だったようだ。この時代の洒落本作者がおおく遊里を舞台に本を書いたことはこれまで見てきた。式亭三馬はそれを銭湯に置き変えたといえる。洒落本は寛政の改革のあおりで衰退していくが、これに変わって登場したのが滑稽本だが、滑稽本の舞台として銭湯がうってつけだったといえる。この大意にはその平等的世界が謳われている。
しかし、実際は湯がかかったどうのと喧嘩もあったようだ。すべての人が「人込じやと堪忍をまもり」というわけにはいかなかった。ただこんなシーンで注目すべきはその描写だ。描写というより、人物のセリフなのだが、これが実に小気味いい啖呵の筆写となっている。「喧嘩は江戸の花」というが、この喧嘩単なる暴力沙汰というのではない。要するに口喧嘩である。江戸言葉で捲くし立てる。これを三馬は筆写するという形で描いている。ここに日本語史上の資料という側面をみることになるのだが、こうした当時の口語の筆写は文学史上あまり現れない「子供の言葉」の記録ともなっていて興味深い。これについては月報で土屋信一という人が触れている。意外にも現在とあまり変わらない幼児語が使われていることが分かる。さらに子供だけではなく、多くの立場の違う人物たちが登場し、その言動を活写している。そういう意味でも三馬の観察眼と記録魔的な作家魂といったものが感じられる。
現代には様々な文明の利器があり、記録も簡単にできると誰もが思っている。だが、どうだろう百年以上経った未来に、この『浮世風呂』のように現在のあらゆる階層の人物たちの言動を読むことができるだろうか?もちろん三馬はそんなことを考えてこの作品を書いたわけではあるまいが、現代にそんな作家がひとり現れてもいい気がする。
最後に同梱されている以下の作品にも簡単に触れておく。
「戯場粋言幕の外」
江戸三番町で催された顔見世興行に集まる様々な階層の人物たちの風俗や言動を活写した三馬の処女作の一つ。ここに『浮世風呂』に通じる三馬のスタンスが十分にうかがえる。三馬はかなりな歌舞伎通だったこともわかる。
「大手世界楽屋探」
仏教でいう全宇宙を表す三千世界をすべて劇場に見立てて、その舞台裏すなわち楽屋から描くという発想で構想された作品。しかし、初編のみで終わっている。ここには人口に膾炙された歴史的な事件を「実は舞台裏はこうでした」という形で描くことで滑稽味をだそうという発想が見られる。
なお、末尾に『浮世風呂』の先行作品といえる山東京伝の『賢愚湊銭湯新話』と当時の銭湯営業に関する規定がわかる「店法度書之事」(『銭湯手引草』より)が付されている。
2018.09.11
この項了