『日本古典文学総復習』33〜37『今昔物語集』1

『今昔物語集』を読む1

『今昔物語集』は源氏物語ほどではないが、それなりに人口に膾炙した古典と言える。ただ、それは後半の日本の説話についてだ。近代の作家、特に芥川龍之介の作品、およびそれに基づいた黒澤明の映画作品の題材になったところから有名になった。しかし、この『今昔物語集』はかなり大部の作品だ。この古典大系でも『源氏物語』『続日本紀』と同じ五巻構成になっている。先ずはその構成を以下に示す。数字は話の数だ。

『今昔物語集』一

天竺部
仏教の本家インドの仏教説話が収まっている。
巻第一 天竺(釈迦降誕と神話化された生涯)38
巻第二 天竺(釈迦を説いた説法)41
巻第三 天竺(釈迦の衆生教化と入滅)35
巻第四 天竺付仏後(釈迦入滅後の仏弟子の活動)41
巻第五 天竺付仏前(釈迦の本生譚・過去世に関わる説話)32

『今昔物語集』二

震旦部
中国に渡った仏教の説話が収まっているが、中国独自の話もあり、孔子、荘子も登場する。
巻第六 震旦付仏法(中国への仏教渡来、流布史)48
巻第七 震旦付仏法(大般若経、法華経の功徳、霊験譚)48
巻第八 欠巻
巻第九 震旦付孝養(孝子譚)46
巻第十 震旦付国史(中国の史書、小説に見られる奇異譚)40

『今昔物語集』三

本朝部
ここからは本朝すなわち日本に渡った仏教説話が収まる。
巻第十一 本朝付仏法(日本への仏教渡来、流布史)38
巻第十二 本朝付仏法(法会の縁起と功徳)40
巻第十三 本朝付仏法(法華経読誦の功徳)44
巻第十四 本朝付仏法(法華経の霊験譚)45
巻第十五 本朝付仏法(僧侶の往生譚)54
巻第十六 本朝付仏法(観世音菩薩の霊験譚)40

『今昔物語集』四

前巻からの続きと本朝世俗部が収まる。
巻第十七 本朝付仏法(地蔵菩薩の霊験譚)50
巻第十八 欠巻
巻第十九 本朝付仏法(俗人の出家往生、奇異譚)44
巻第二十 本朝付仏法(天狗、冥界の往還、因果応報)46
(ここから本朝世俗部)
巻第二十一 欠巻
巻第二十二 本朝(藤原氏の列伝)8
巻第二十三 本朝(強力譚)26
巻第二十四 本朝付世俗(芸能譚)57
巻第二十五 本朝付世俗(合戦、武勇譚)14

『今昔物語集』五

前巻からの続きの本朝世俗部が収まる。ここが一番面白いところか。
巻第二十六 本朝付宿報(宿報譚)24
巻第二十七 本朝付霊鬼(変化、怪異譚)45
巻第二十八 本朝付世俗(滑稽譚)44
巻第二十九 本朝付悪行(盗賊譚、動物譚)40
巻第三十 本朝付雑事(歌物語、恋愛譚)14
巻第三十一 本朝付雑事(奇異、怪異譚の追加拾遺)37

こうみると、いかにこの『今昔物語集』が仏教的な話を集めた書であるかがわかる。(人口に膾炙したのは最後の「本朝世俗部」の部分のみだと言っていい。)つまりこの『今昔物語集』は、仏教が天竺すなわちインドで発生し、震旦すなわち中国に渡り、本朝すなわち日本に渡ってきて定着したプロセスを跡付ける形で書かれているのだ。
では、一体誰が何のために誰に向かってこの書を編纂したのだろうか?
編者については不明なので、なんとも言えないがやはり仏教徒には違いないだろう。何のためにということだが、この書以前にもこれまで見てきた『日本霊異記』や『三宝絵』などの多くの仏教説話があり、布教を行う資料としてそれらを集大成したいという意思からとしか考えられない。では誰のためにということだが、こうした変体漢文の書を読める層は限られているからやはり寺院の僧たちに向かってということになると思う。(もちろん僧だけでなく、当時の知識層も含まれるだろうが。)
ただ、そうした仏教的な布教の道具という意図に反してその内容と筆致が極めて特徴的である。つまり、すべての話が仏教の霊験や「ご利益」に結びつけられているとは限らず、その筆致も極めて客観的である点だ。これは日本の説話を集める中で元々は仏教とはそれほど関係のない話が当然混ざってきたことによるのだろう。この書の筆者の客観的な姿勢が、それをそのまま伝える形になったとも言える。特に「本朝世俗部」の部分にそれが見られ、ここが日本の土着的な思想を伝えることになっている。
つまり、この『今昔物語集』はあくまで仏教説話集だが、そこに日本的なというか土着的な思想も読み取れる書と成っていると言うことだと思う。
この後、実際の幾つかの説話を見ていくことにする。

この項了

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