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『太平記』を読むその3
ようやく読了したので、報告。第三部だ。
この第三部は、観応の擾乱、直義の死に代表される足利幕府中枢部の内訌から細川頼之の将軍補佐による太平の世の到来までを描く。
例によって各巻の内容を見ていく。
巻22
四国・中国方面の南朝方の衰退を語る。足利軍は鷹巣にたてこもる畑らを攻め、激戦の末、これを討つ。美濃の根尾にあった脇屋義助は、尾張・伊勢・伊賀を経て吉野へ参り、これまでの労に対し恩賞を賜る。伊予からの要請により、備前、佐々木信胤の援護をもえて義助は四国の今治に下り、四国全土を従えるが、突然病をえて急死。足利方の細川頼春は、この宮方の弱みにつけこんで金谷経氏らの軍を備後の鞆などに破り、さらに世田城に大館氏明を攻めて討ちとる。宮方にとって、重ねて転機を迎えたわけである。
巻23
楠正成・後醍醐天皇らの怨霊のなせるわざか、京都に種々異変があり、足利直義が発病する。光厳院は直義の快癒を石清水八幡宮へ祈願、そのしるしがあってか直義は忽ち回復する。光厳院が故伏見院供養のため、その旧跡へおもむいた還幸の途中、土岐頼遠の一行に行きあい、かれらの狼藉にあう。事件を聞いた直義は激怒し、頼遠の討伐を土岐一門に命じたので、頼遠は夢窓国師にとりなしを頼む。結果として、一門の所領安堵はかなえられるが、頼遠は処刑される。以後、貴族も武家も、この頼遠事件の顛末に怖れをなして極端に神経質になり、京の人々の笑いをかった。
巻24
夢窓国師の天龍寺の建立をめぐる延暦寺の山門大衆とそれに与した興福寺と幕府の対立が描かれる。結局天龍寺は建立され、幕府側は盛大に祝するが、天皇側が遠慮する形で納めた。その頃、備前の三宅高徳が、丹波の荻野朝忠としめし合せて、討幕の兵を挙げるが、事成らず、この間、謀叛にくみした香勾高遠は、壬生
地蔵の身代りにより追及の手を免れたなどの話が展開する。
巻25
京都の持明院殿では崇光天皇が即位、直仁が皇太子に立つ。かつて父正成より朝敵追討の遺訓を受けていた正行が、亡父の遠忌を契機に、天王寺・住吉方面に挙兵、幕府ではその追討に細川らを派遣する。楠正行の追討に向った幕府軍は、住吉で楠軍の逆襲にあい、山名らは敗走する。そのころ寿永の昔、平家とともに壇浦に水没した宝剣を発見したとの進奏が伊勢からもたらさた。平野社の卜部兼員がこれを真の宝剣であると卜定するが、坊城経顕が否定したので、剣は平野社へ移される。
巻26
安部野の合戦に楠軍は勝利する。幕府側の捕虜となった人たちは、かえって正行の恩情に浴して感動し、これに帰服したことが語られる。しかし、正行軍は四条畷に幕府軍を攻めるが苦戦し、討死をとげる。ついで師直らが吉野の攻略に向ったので、南朝は賀名生に退く。しかし、勝利した幕府內に亀裂が生じる。仁和寺に集まった先帝側近の怨霊たちのことが語られる。幕府は、西国平定のため、直冬を西国探題に任じ、備前へ下す。
巻27
貞和五年の年始から天下に異変が続くことが語られる。天狗の所為か、四条河原での田楽興行に桟敷が倒壊し、多くの死者が出た事件が語られる。足利直義と高師直兄弟の対立が表面化し、直義は師直の暗殺を企てるが露顕、挫折に終る。師直は逆に将軍兄弟を攻め、直義の隠退を条件に包囲を解き、関東より義詮を後任として上洛させるといった具合に幕府側の内紛が語られる。事が一応落着すると、北朝では延引していた崇光天皇の即位の大礼を行う。
巻28
この巻は、その大半が北畠親房の語る漢楚の故事で占められる。このころ高師直が実質的に幕府の実権を握っているためか、慧源(直義)が難を避けて大和へ下り、持明院殿から鎮守府将軍の院宣を得るが、窮するあまり南朝へ降服を願い出るといったことになり、この件について南朝ではせん議の末、漢楚の故事を引いて説く北畠親房の意見を容れて慧源の願いを許すこととしたという。
巻29
慧源(直義)との合体成った南朝が動き始めたため、尊氏・師直は九州下向を断念、帰洛を急ぐことになる。しかし、形勢は尊氏側にまずく、一時は尊氏が自害を考えることになるほどだった。しかし、饗庭の交渉により直義との和睦がなって自害を思いとどまることができた。一方これまで権勢を誇っていた師直兄弟も望みを断たれ出家するが、帰洛の道中、武庫川で斬られてしまう。
巻30
将軍足利尊氏の弟で幕府の実権を握る足利直義の派閥と、幕府執事高師直・将軍尊氏の派閥が争い、そこに対立する南朝と北朝、それを支持する武家や、公家と武家同士の確執なども絡んで、ここまで語られてきたのが観応の擾乱だ。その観応の擾乱の終結が描かれる。最終的には師直も直義も死亡したことから、生き残った尊氏が擾乱に勝利したことになる。しかし、南北朝の確執は続き、世は平和にならないことが語られる。
巻31
いまだに南北朝の争いが各地で燻っている様が描かれる。関東の小手差原・鎌倉の戦い、それに京の周辺、八幡山の合戦にも、両軍ともにこれといった決め手のないまま世の中は混乱状態が続くのである。
巻32
関東では小手差原・鎌倉での足利尊氏と新田義興らとの合戦、畿内では八幡での足利義詮軍と和田・楠ら吉野朝軍との合戦、いずれもこれといった決め手がないまま世は混乱状態にあった。そうした中に持明院統の後光厳が即位、文和と改元するが、おりから京には大火があり、世はますます衰微する。その上、足利政権内部の紛争が、吉野殿を利用しつつとどまることなく続く経過を語る。
巻33
尊氏の死をはさんで、とどまることのない諸国の乱れを語るのがこの巻である。
洛中の荒廃、貴族たちの疲労は大きいが、逆に佐々木道誉ら武将たちの奢りには目に余るものがある。世の不安を静めようとする願いを込めてのことであろう、故直義に従二位を贈るが、尊氏が発病し、あわただしく死去する。さらに新待賢門院・梶井二品親王が相次ぎ薨去。おりから九州南朝方の菊池が畠山治部大輔を攻めて動き始め、関東でも新田義興らが挙兵するなどいまだ戦乱は続く。
巻34
義詮の将軍就任を機に畠山らが南朝攻めを企てるが、決定的な成果をあげられないというのが、この巻の内容である。
尊氏の亡き後、足利義詮が将軍の宣旨を受けたので、兄弟間の仲が懸念された鎌倉の基氏と義詮との和解をはかろうと、畠山道誉が南朝攻めを志し大軍を率いて上洛する。南朝では楠・和田がこれを迎え撃つべく後村上天皇は観心寺へ遷る。しかし、一進一退が続き結局は南朝攻めを中断して帰洛するといった具合だ。
巻35
将軍側の内乱と、この隙をねらって事を起す南朝側の動きが、この巻の内容である。
畠山道誉が細川らと仁木討伐を企て、事を知った仁木はその旨を将軍に訴え、将軍を自分の保護下におくが、佐々木道誉がひそかに将軍を逃がしたので仁木は狼狽し都を落ちる といった将軍側の内紛が語られる。そこに南朝側がからんでまた戦いがはじまる。
巻36
前巻にひき続き将軍側近の内乱を描く。
道誉の介入により細川清氏が不本意にも将軍から離反、追及された清氏は若狭へ脱出するが、結局これも南朝につくことになり、この清氏に呼応する動きが将軍方に相つぎ、将軍義詮は狼狽するといった具合だ。また、関東では、畠山道誓兄弟が関東管領基氏に追放されるといったことが起きる・
巻37
南朝側の攻勢がまた始まるが、それほどの勢いにはならない。また関東でも内紛があり、世の中は落ち着かない。これらの情勢に対し語り手は、宮方が大将を立てるすべを知らないと批判のことばをさしはさむ。
巻38
前年から怪異がうち続き、各地で宮方の蜂起が続いた。山名時氏が伯耆に、細川清氏が讃岐に兵を挙げる。越中の桃井直常が加賀の富樫を攻めるなどだ。
将軍方では、九州の宮方菊池に手を焼く少弐・大友を助けるため斯波氏経を探題に任命して送るが、士気が上がらず長者原の合戦に敗れ、少勢の菊池軍に包囲される。伊豆にこもっていた畠山道誓・義深兄弟は、足利基氏の策にはまりおびき出されて敗れ、時衆を頼って落ち行く。いずれにしても宮方も勢いを取り戻せないようだ。例によって語り手は、細川清氏の敗北を、宋を滅ぼした元の老皇帝の故事を引き、一門の頼之の策に敗れたと評する。
巻39
かつて宮方だった山名時氏や仁木義長が将軍に帰順したり、将軍方でも関東の芳賀入道禅可が鎌倉公方足利基氏に背いて挙兵したりと、宮方の離反が相次ぎ、将軍方でも内乱が続く。また、この頃、元・高麗の浦々に倭寇が跋扈、元帝の抗議を受ける。語り手は文永・弘安の元軍来襲を回想し、神功皇后の新羅攻めをも回想するが、それらとは性格が異なり、日本滅亡の兆しかと危ぶむ。持明院統の光厳院が高野へ御幸、吉野の後村上天皇と会い、来し方を語る。還御後、丹波へ隠棲、その地に崩御、葬儀が営まれる。
巻40
後光厳天皇は、後白河法皇遠忌供養のために長講堂へ行幸、併せて中殿御会の儀の開催を関白良基らに命じ準備を始める。当日、御会は盛儀をきわめるが、内々世に不相応とするささやきがあり、はたせるかな天龍寺火災の怪が起きる。ついで鎌倉の足利基氏が死去、園城寺の衆徒が南禅寺を破却すべしとして強訴、大内裏での最勝講の法会に南都・北嶺の衆徒が闘諍に及ぶ。異変が続く中に将軍義詮が死去し、細川頼之が執事に就き、新将軍義満を補佐することで、ようやく世は鎮まる。
ということで、長かったけれどようやくこの「太平記」は終わりを迎える。なんとも冗長というか、同様な話の繰り返しというか、はっきり言って古典作品としては二流の謗りを免れない気がする。
それにしてもこの南北朝の時代はなんともこまった時代だった気がする。足利尊氏にしても決して英雄的ではないし、他に登場する武将たちもなんとも節操のない人たちだ。現実はこんなもので、それをよくも悪くも第三者的立場で書いているとは言えそうだ。
また、ここに登場する怪異現象による事件の描写や中国古典に典拠した批評は僅かにこの作品の特徴と言えるのかもしれない。
あらすじを追うだけに終わったが、これも大変であった。
『太平記』はここまで。
次は『和漢朗詠集』です。
2021.07.20