日本古典文学総復習続編9『和漢朗詠集』

 随分間が空いてしまったが、久しぶりに古典文学総復習続編を報告できることになった。約2ヶ月を要してしまった。今回は時代が戻ってしまうが、『和漢朗詠集』という詩歌集。そんなに大部なものではない。
 この書はその名の通り朗詠すなわち歌うための漢詩・漢文・和歌のアンソロジーである。平安時代中期の人で公卿の藤原公任という人物が編集したと言われている。成立は1013年ごろと言われている。
 内容は上下二巻で上巻が四季に分類され、下巻がいわば「雑」の部で以下の分類になっている。
上巻 春 立春 早春 春興 春夜 子日付若菜 三月三日付桃花 暮春 三月尽 閏三月 鶯 霞 雨 梅付紅梅 柳 花 落花 躑躅 款冬 藤
   夏 更衣 首夏 夏夜 納涼 晩夏 橘花 蓮 郭公 蛍 蝉 扇
   秋 立秋 早秋 七夕 秋興 秋晩 秋夜 八月十五夜付月 九日付菊 九月尽 女郎花 萩 槿 前栽 紅葉附落葉 雁付帰雁 虫 鹿 露 霧 擣衣
   冬 初冬 冬夜 歳暮 炉火 霜 雪 氷付春氷 霰 仏名
下巻 雑 風 雲 晴 暁 松 竹 草 鶴 猿 管絃附舞妓 文詞附遺文 酒 山附山水 水附漁父 禁中 古京 故宮附故宅 仙家附道士隠倫 山家 田家 隣家 山寺 仏事 僧 閑居 眺望 餞別 行旅 庚申 帝王附法王 親王附王孫 丞相附執政 将軍 刺史 詠史 王昭君 妓女 遊女 老人 交友 懐旧 述懐 慶賀 祝 恋 無常 白
 当時漢詩文は貴族の必須の教養であった。また、和歌も私的な趣味としてようやく本格化していた。また、朗詠ということが盛んだったらしく、いわば簡便にそうしたものを知る書が必要であったのだいえる。この分類も貴族生活のその時々の場面に応じた詩や歌をまとめた虎の巻だったのかもしれない。

具体的に見ていこう。先ずは上巻の秋「七夕」から。(表記はこの古典集成本の表記。ただしカッコ内の読みは便宜上筆者が付けた。)

七⼣

212 憶ひ得たり少年に⻑く乞巧することを ⽵竿の頭上に願⽷多し 白
   憶得少年⻑乞巧 ⽵竿頭上願⽷多 白
(おもひえたりせうねんのながくきつかうすることを ちくかんのとうしやうにげんしおほし)

213 ⼆星たまたま逢うていまだ別緒依々の恨みを叙べざるに 五更まさに明けなむとして 頻に涼風颯々の声に驚く  美材
   ⼆星適逢 未叙別緒依々之恨  五更将明 頻驚涼⾵颯々之声  美材
(にせいたまたまあうて、いまだべつしよのいいたるうらみをのべず、 ごこうまさにあけなんとして、しきりにりやうふうのさつさつたるこゑにおどろく)

214 露は別涙なるべし珠空しく落つ 雲はこれ残粧鬟いまだ成らず 菅
   露応別涙珠空落 雲是残粧鬟未成 菅
(つゆはわかれのなみだなるべしたまむなしくおつ くもはこれざんしやうもとゞりいまだならず)

215 風は昨の夜より声いよいよ怨む 露は明朝に及んで涙禁ぜず、
   ⾵従昨夜声弥怨 露及明朝涙不禁
(かぜはきのうのよよりこゑいよいようらむ つゆはみやうてうにおよんでなみだきんぜず)

216 去⾐浪に曳いて霞湿ふべし ⾏燭流れに浸して⽉消えなんとす 菅三品
去⾐曳浪霞応湿 ⾏燭浸流⽉欲消 菅三品
(きよいなみにひいてかすみうるふべし かうしよくながれにひたしてつききえなんとす)

217 詞は微波に託けてかつかつ遣るといへども ⼼は⽚⽉を期して媒とせんとす  輔昭
   詞託微波雖且遣 ⼼期⽚⽉欲為媒  輔昭
(ことばはびはにつけてかつかつやるといへども こゝろはへんがつをきしてなかだちとせんとす)

218 天の川 とほき渡りに あらねども 君が舟出は 年にこそ待て  ⼈丸

219 ひと年に ひと夜と思へど たなばたの あひ見む秋の 限りなきかな   貫之

220 年ごとに 逢ふとはすれど たなばたの 寝る夜の数ぞ すくなかりける   躬恒

次は下巻の「⾏旅」から。

⾏旅

641 孤館宿る時⾵⾬を帯びたり 遠帆の帰る処に⽔雲に連なる   許渾
   孤館宿時⾵帯⾬。遠帆帰処⽔連雲。 送李樹別詩 許渾
(こくわんにやどるときかぜあめをおびたり ゑんはんのかへるところにみづくもにつらなる)

642 ⾏々として重ねて⾏々たり 明⽉峡の暁の⾊尽きず  眇々としてまた眇々たり ⻑⾵浦の暮の声なほ深し、
   ⾏々重⾏々 明⽉峡之暁⾊不尽  眇々復眇々 ⻑⾵浦之暮声猶深  順
(かうかうとしてかさねてかうかうたり めいげつかふのあかつきのいろつきず  べうべうとしてまたべうべうたり ちやうふほのくれのこゑなほふかし)

643 暁⻑松の洞に⼊れば 巌泉咽て嶺猿吟ず 夜極浦の波に宿すれば ⻘嵐吹いて皓⽉冷じ
   暁⼊⻑松之洞 巌泉咽嶺猿吟  夜宿極浦之波 ⻘嵐吹皓⽉冷   為雅
(あかつきちやうしようのほらにいれば がんせんむせてれいゑんぎんず  よるきよくほのなみにしゅくすれば せいらんふいてかうげつすさまじ)

644 渡⼝の郵船は⾵定まて出づ 波頭の謫処は⽇晴れて看ゆ  野
   渡⼝郵船⾵定出 波頭謫処⽇晴看  野
(とこうのいうせんはかぜさだまていづ はとうのてきしよはひはれてみゆ)

645 州蘆の夜の⾬の他郷の涙 岸柳の秋の⾵の遠塞の情  直幹
   州蘆夜⾬他郷涙 岸柳秋⾵遠塞情  直幹
(しうろのよるのあめたきやうのなみだ がんりうのあきのかぜゑんさいのこゝろ)

646 蒼波路遠し雲千⾥ ⽩霧⼭深し⿃⼀声 同
蒼波路遠雲千⾥ ⽩霧⼭深⿃⼀声 同
(さうはみちとほしくもせんり はくむやまふかしとりひとこゑ)

647 ほのぼのと 明石の浦の朝霧に 島がくれゆく 舟をしぞおもふ    ⼈丸

648 わたのはら 八十島かけて 漕ぎいでぬと ⼈には告げよ 海人の釣舟   野

649 たよりあらば 都へいかで 告げやらむ 今日白河の関は越えぬと    兼盛

こうしてみただけでも漢詩文が中心になっていることがわかる。ただ漢詩文といっても作品の一部である。また、漢詩文は必ずしも大陸の古典だけではない。日本人の作成したものもそれなりにあることもわかる。いまやこうした漢詩文の教養は失われてしまったが、幕末まで支配層や知識人層にはしっかり生きていたことはこの古典総復習でもみてきた通りである。

今回はここまで。

2021.09.22

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