『日本古典文学総復習』30 『日本霊異記』

『日本霊異記』を読む

再び和歌文学から離れ、変体漢文でかかれた説話集が現れる。この『日本霊異記』は説話集としては最も古いものと言っていい。正式書名は『日本国現報善悪霊異記』である。
内容は仏教説話なので、題名にあるように仏教的な霊異すなわち仏教的な超常現象を語り、仏教の有用性を説くといったものだ。
全3巻の構成になっている。上巻は雷神と天皇と仏教が絡み合う話が中心で聖徳太子の説話もあり、日本仏教の黎明期の様々な出来事が展開される。中巻は聖武天皇の時代の多くの霊異と霊験談が語られる。いわゆる「因果応報」説話である。しかしそうした仏教的な教義を説くというより、その霊異談に面白さがある。下巻は中巻と同様な説話が展開されるが、末尾近くに独特な「表相説話」と呼ばれる説話が現れる。この「表相」という語はものごとの前兆の意味として用いている。(多田一臣氏によるとそういう意味で用いられているのは『日本霊異記』のみであり、『日本霊異記』独自の用語と考えられるとされている)これまでの「あやしき表(しるし)を示(あらわ)す」説話とは趣を異にしているとされる。
いったいこの書は誰に向かって書かれたのだろうか?著者が奈良の薬師寺の僧景戒という人物であるところから考えると、寺院内の僧たちのために書かれたのだろうか。この書が変体漢文で書かれているのもその証左になるかもしれない。当時変体漢文を読める層は多くはなかったはずだ。また仏教を広めるための道具として説話という側面もあるように思える。
ただ、現代においてのこの書の意味はその説話の面白さばかりでなく、古代においての仏教の受容の様相や土着的な思想との融合がどのようにして行われたかを考える上で重要だというところにある。また、それは天皇と仏教との関係がどのように作られて行ったかを考える上でも参考にもなると思える。
しかしここでは話として面白い一話だけを紹介しておこう。これは後に『今昔物語集』にも取られた話である。
本文

生愛欲恋吉祥天女像感応示奇表縁第十三
 和泉国泉郡、血渟上山寺、有吉祥天女(土へんに聶)像、聖武天皇御世、信濃国優婆塞、来住於其山寺、睇之天女像、而生愛欲、繋心恋之、毎六時願、々如天女容好女賜我、優婆塞夢見、婚天女像、明日瞻之、彼像裙腰、不浄染汚、行者視之、而慚愧言、我願似女、何忝天女専自交之、媿不語他人、弟子偸聞之、後其弟子、於師無礼、故嘖擯去、所擯出里、訕師程事、里人聞之、往問虚実、並瞻彼像、淫精染穢、優婆塞不得隠事、而具陳語、諒委、深信之者、無感不応也、是奇異之事矣、如涅槃経云、多婬之人、画女生欲者、其斯謂之矣、

書き下し文

愛欲を生し吉祥天女の像に恋ひて感応して奇しき表を示す縁第十三
 和泉国泉郡の血渟上山寺に、吉祥天女の(土へんに聶)像有す。聖武天皇の御世に、信濃国の優婆塞来りて其の山寺に住む。天女の像に睇ちて愛欲を生し、心を繋けて恋ひ、六時ごとに願ふ。「願はくは天女の如き容好き女を我に賜へ」とねがふ。優婆塞夢に見て、天女の像に婚ふ。明日に瞻れば、彼の像の裙の腰に不浄染み汚れたり。行者視て慚愧ぢて言さく、「我似たる女を願ふ。何すれぞ忝く天女専自づから交りたまふ」とまうす。媿ぢて他人に語らざれども弟子偸に聞く。後に其の弟子師に礼無し。故に嘖め擯ひ去らる。里を擯出され、師を訕り事を程す。里人聞き、往きて虚実を問ひ、並に彼の像を瞻れば淫精染み穢れたり。優婆塞事を隠すこと得ずして、具に陳べ語る。諒に委る、深く信はば感きて応へずといふこと無し、と。是れ奇異しき事なり。涅槃経に云ふ如し「多婬の人は画ける女にすら欲を生す」とのたまふは、其れ斯れを謂ふなり。

いやいや本文を電子化するのに時間がかかりました。それはともかくこの話どうです。実はこの話すでに以前『今昔物語集』で読んだことがあったんですが、大分違っています。このあたりも面白い題材ですが、ここでは多淫を戒めるというより、吉祥天女が感じてくれたと言う所が面白い所です。

この項了

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