日本古典文学総復習続編12『古今著聞集』

はじめに

大分間が空いてしまった。前回書いたのが2月始めだったから丸4ヶ月を要したことになる。
こうした締め切りのない仕事はいいようで、いくらでもサボれるので良くない。自分でしっかり締め切りを作らなくてはいけないのかもしれない。

さて、今回は『古今著聞集』だ。説話集である。これまでもいくつか説話集を読んできたが、これは『今昔物語集』とならんで、まとまったやや大部の書である。こうした説話集は『日本霊異記』に始まったと言えるが、その展開は日本文学史の中でも大きな役割を占めていると言える。これまでも以下の説話集について書いてきた。

『日本古典文学総復習』30 『日本霊異記』
『日本古典文学総復習』31 『三宝絵』『注好選』
『日本古典文学総復習』32 『江談抄』『中外抄』『富家語』
『日本古典文学総復習』33〜37『今昔物語集』123
『日本古典文学総復習』40『宝物集』『閑居の友』『比良山古人霊託』
『日本古典文学総復習』41『古事談』『続古事談』
『日本古典文学総復習』42『宇治拾遺物語』『古本説話集』

概略

特にこの中では『今昔物語集』が一番大部なものである。そしてそれから約130年後に編まれたこの書がそれに次いで大部なものとなっている。今昔もそうだが、この書も説話を分類整理して編集している点に大きな特徴がある。この書には約700話の説話が収められているが、それを30編に分類整理し、それぞれの編には「序」をつけている。(この集成本は上下二巻で以下のようにまとめてある)
上巻
神祇、釈教、政道忠臣・公事、文学、和歌、管絃歌舞、能書・術道、孝行恩愛・好色、武勇・弓箭、馬芸・相撲強力、(巻第一から巻第十、第1編から第15編まで)
下巻
画図・蹴鞠、博奕・偸盗、祝言・哀傷、遊覧、宿執・闘諍、興言利口、恠異・変化、飲食、草木、魚虫禽獣(巻十一から巻第二十、第16編から第30編まで)

これを見てもわかるように実にさまざまな説話を収集していることがわかる。収集ということは当然以前の説話集にとられている話も多くある。(また、「抄入」という形で著者とは別な人物が『十訓抄』などから付け加えたと思われる話も少なからずそれぞれの巻末にある)

また、その分類も大きく上巻にある内容と下巻にある内容とでは傾向が違うのがわかる。上巻にはいわば公的な内容が多く、中世ではあるが貴族的な観点からの話が多いように思われる。しかし下巻はやや卑属な内容の話が多くなる。分類名を見ただけでもそれがわかるだろう。今回はそれぞれの巻(集成の上下)から一話づつ取り上げてみたい。

「馬芸・相撲強力」から第377話

まずは上巻でもやや卑俗な側面のある「馬芸・相撲強力」から第377話
「佐伯氏長、強力の女高島の大井子に遇ふ事並びに大井子、水論にて初めて大力を顕はす事」
を取り上げたい。

この話はこの時代の説話によく登場する美女でありながら男勝りの女性の話だ。

佐伯氏長という力自慢で京都に相撲節会にでかける男が、高島というところで水を汲んでいる美女に出会い声をかける、というより腕を掴んで親しくなろうとする。ところがこの美女、この男の腕を挟んだまま家まで引きずっていってしまう。あまりの力に驚いたが、近くで見るこの女は一層美しく、しかもこの男を家に置いてくれることになる。
そしてこの女、氏長に、「その程度の力自慢では方々からやってくる男たちにはかなうまい、一つ自分が鍛えてあげる」というのだ。時間に余裕があったので鍛えてもらうことになった。その鍛え方が変わっていた。噛めないような硬い握り飯を女が作り、この男に食わせるというものだった。はじめは全く歯が立たなかったが、3週間もすると食べられるようになり、すっかり強くなったという。そしてこの男を京に登らせたというのだ。(はじめこの男この女に「歯が立たない」。しかしやがて「歯が立つようになった」ということだろうか。)

実はこの力の強い美女、大井子といって田んぼを多く持っていた女であった。田に水を引くべき時、村人がこの女と争いになり、この女の田に水をやらないようにしたという。しかしこの大井子、夜陰に乗じて大きな石を運んで逆に村人の田に水が行かないようにしてしまった。これには村人たちもこまり、百人からの村人を動員して石を動かそうとしたけれど動かなかった。そこで仕方なく大井子に詫びを入れて、石を動かしてもらったという。まさに「百人力」というわけだ。文末に

「件の石、おほゐ子が水口石とて、かの郡にいまだ侍り」

とあり、この百人力の美女の伝説の記念となっているようだ。この話は『日本霊異記』にもあるようだが、相撲の節会の話と結びつけて語られたのはこの書の発想のようだ。実に中世にはこういうたくましく、しかも美しい女性がいたということだ。

「興言利口」から第551話

次に下巻からは「興言利口」から第551話
「ある僧一生不犯の尼に恋着し、女と偽りてその尼に仕へて思ひを遂ぐる事」
を取り上げてみたい。

この話、ややエロティックで長いのだが、ここは本文にそって口訳してみたい。

いまだ男性と通じたことない尼がいた(一生不犯の尼)。しかも女盛りで、容貌もよく、暮らし向きも不如意ではなかった。その尼が外出した際、ある僧が見初めて、後をつけ、居処を見届けた。この僧、その後もこの尼のことが忘れられず、この尼のところを尋ねた。この僧は男ながら尼僧に似ていたので、尼僧のふりをして尋ねたのだ。そして「自分は夫に先立たれて尼になった、宮仕えも叶わないので、もし良ければ置いてくれないか、なんでもするから。」と言い、この尼のもとに置いてもらうこととなった。それから数年の間、甲斐甲斐しく尼に仕えて信用を得ることができた。ついにはこの尼の近くに寝ることさえ許されるようになった。
さて、二回の年の暮れを過ぎ、正月の七日間、この尼が「別事念仏」といって持仏堂にこもって念仏修行に勤めた。それが開けた八日目の夜、尼はすっかりつかれてぐっすり寝てしまった。そこでこの僧、「ついに思いを遂げる時が来た、よくぞ三年も我慢してきた、もういいだろう。」ということで、

よく寝入りたる尼のまたをひろげてはさまりぬ。かねてよりしかりまうけたるおびたたし物をやうもなく根もとまで突きいれけり

ということとなった。(ここはリアルに口語訳はあえてしませんよ。)尼は

おほきにおびえまどひて、何といふ事なくひきはづして、持仏堂のかたへ走り行きぬ。(何を引き外したがはわかりますよね。)

といことになってしまったので、この僧は「どうしよう、よせばよかったと」思い、持仏堂の角の柱のもとでかがまっていると、持仏堂からかねを打ち鳴らす音がして、尼は戻ってきた。これはいよいよ「とが」はまぬがれないと僧は思ったが、何やら尼の機嫌は悪そうでなく、「どこにいますか」と聞くではないか。そこで「ここにおります」とこたえると、

やがてまたをひろげて、おほはりかかりてければ、返す返す思ひの外におぼえて、やがておし伏せて年比の本意、思ひのごとくに責め伏せてけり。」ここも口語訳しませんがわかりますよね。)

ということになった。そこで僧は尼に「最初の時はなんで引き抜いて持仏堂に入ったのですか。」と尋ねると、なんと尼が答えるには

『これほどによき事をいかがはわればかりにてあるべき。上分、仏に参らせんとて、かねうちならしにまいりたりつるぞ』と

「これほどによき事」とは、なんて素晴らしい物言いでしょう。そしてその「うあまえ」を仏に捧げるとは。そして

この後は、うちたえて隙なくしければ、女男になりてぞ侍りける。(何をひまなくしたのか、わかりますよね。)

ということで、めでたしめでたし。

この話、実にいいではないか。尼僧に化けてまんまと思いを遂げた僧は気弱で実に我慢強い男だし、この尼僧も実に正直でいい。中世でも(だからこそか)明るさを感じる話だと思うけど、どうでしょう。こういうの好きなですよ。明るいエロティックコメディー、見ないよなこういうの最近!

ところで、この「興言利口」とはなんでしょう。小序によれば、

興言利口(きょうげんりこう)は、放遊境を得るの時、談話に虚言を成し、当座殊に笑ひを取り、耳を驚かすこと有るものなり。

ということ。すなわち笑い話ということのようだ。そしてこの項目70話という多さで、全体の10分の1を占めている(全体は30項目700話)ことから編者の橘成季も笑い話の好きな人物だったのだろう。

まだ、まだ紹介したい話はあるのだけれど、この辺で終わりにしておく。

2021.06.07

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