『日本古典文学総復習』4『萬葉集』4

『萬葉集』を読む2の2

4冊目には以下の歌が収まっている。

巻十六
有由縁と雑歌3786から3889
巻十七
大伴家持中心3890から4031
巻十八
大伴家持中心4032から4138
巻十九
大伴家持中心4139から4292
巻二十
大伴家持中心4293から4320・4437から4516
防人の歌4321から4436

最後の4冊目だ。特に分類はない。ここは巻十七以降ほとんどが大伴家持の歌が中心となっている。家持は萬葉集の編者と見なされていて、ここは編者の私家集的な色合いが強い。
ただ、最後の巻二十には「防人」の歌が多く取られていて特徴を成している。
これは家持が防人を監督する立場にあったため、聞き書きしたものと思われる。
従ってここではまず巻十六について見て、さらに防人の歌について見、最後に家持の歌についてみることにする。
また、最後に萬葉集そのものの特質について触れる。

巻十六

巻十六は「有由縁と雑歌」となっている。これは歌そのものと言うより、歌にまつわる話が中心となる。すなわち歌物語の原型と考えてよいものが取られている。
平安朝になると多くの歌物語が現れるが、古来歌は話と共に伝承されていたのであって、それをある人物やあるストーリーにまとめ上げたのが歌物語だ。萬葉集に先行する古事記に於いても歌や歌謡がある話の中に収められている。また、歌には「詞書き」があって、それが歌の内容について補足する形があった。歌が歌として伝えられると言うより、あるエピソードと共に伝えられることの方が多かったのかもしれない。そんなことを考えさせられる巻だ。
ここでは後に「竹取物語」として結実する「竹取の翁」の有由緒歌を取り上げる。書き出しそのものがそっくりだ。萬葉集3791の「詞書き」はこう始まる。

昔、老翁ありき。号を竹取の翁と曰ふ。

竹取物語は

今はむかし、竹取の翁といふものありけり。

で始まっているからだ。ただ、話は違っていいる。萬葉集では単に翁が9人の仙女に出会うというだけの話である。これが長い長歌で歌われている。ここで引用はできないが返歌を引いておこう。
翁の歌

死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも

白髪し子らに生ひなばかくのごと若けむ子らに罵らえかねめや

娘たちが和した歌

はしきやし翁の歌におほほしき九の子らや感けて居らむ

その他色々な伝承があり、興味深い巻である。

「防人」の歌

巻二十に「防人」の歌が多く取られている。これまでにも幾つかは他の巻にもあったが、ここではまとまって紹介されている。この巻は大伴家持の私家集的な巻の最後なのだが、家持がある関心をもって収集したものと思われる。もともと家持は防人を監督する立場にあったのだろうが、そうだとしてもこれほどの歌を筆記したのには別の理由もあった気がする。それは歌人としての関心と謂わば不遇であった自分の境涯が関連しているのかもしれない。
さて、この防人は字の如く国家防衛を任務として主に東国から派遣された人々だ。となれば国家防衛の任務について気概を歌った歌があっても良さそうだが、それがほとんどない。ほとんどが故郷に残した恋人や妻、親に対する恋慕の情を歌ったものなのだ。これは新羅に派遣された人々の歌のも言えることだが、歌がいかにそうした感情の吐露を旨としていたがわかる。これはしっかり頭においていた方がいい。
例を幾つか引く。

置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも

我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず

父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで

忘らむて野行き山行き我れ来れど我が父母は忘れせのかも

我が面の忘れもしだは筑波嶺を振り放け見つつ妹は偲はね

家持も同情を寄せている。

海原を遠く渡りて年経とも子らが結べる紐解くなゆめ

家持の歌

さてここまで来て家持の歌を見なければならない。家持の歌は合計473首あり、萬葉集の約一割を占めている。ここでは外せない以下の歌を取り上げる。

春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも

我が宿のい笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば

巻十九の末尾にある三首だ。
やはり萬葉集の中では完成度の高い歌と言わねばなるまい。特に3首目の歌は「うららかな」春の日にむしろ「心悲し」とする点で独自性のある歌である。和歌はともするとその時代の定型的な情緒にとらわれてしまうが、そんな定型的な情緒から抜き出ている。具体的個人的に「悲しい」と思わざるを得ない契機があるわけではないのに「心悲しい」としている。こういった情緒心情は萬葉集にあって大勢を占めるものではない。また、2首目の歌では1首目にある「うら悲し」や3首目にある「心悲し」といった直接に心情を表す語はないが、「かそけき」と言うことばが何か心寂しい心情をよく表している。竹を揺るすわずかな音になんとなくの「寂しさ」を感じるというのだ。こうした感情のあり方とその表現はもう少しで古今集へつながる面を思わせる。家持がどのようなところからこうした発想を得たかはわからない。大陸からの文化の影響も既にあったかもしれないが、土着的な感情生活が色濃く残っていたに違いない時代にあって、家持のこの達成はこの時代の貴族の一つの到達点だったに違いないと言える。
萬葉集最後の歌も家持の歌である。

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事

萬葉集について

これで一応萬葉集を読了ということにする。読了といってもすべて詳細に読んだわけではない。どだいこの膨大な歌を一つ残らず短期間で精読するのは無理である。
ただ、久しぶりにざっと読んでみてこれまで気づかなかった点も多々あった。例えば巻一七のような部分があること、また多くの先行する歌集の存在があって成り立っていること。さらには、いかに古来から日本人の感情生活が男女の関係に執着していたか、などである。
もちろんこの萬葉集が日本文学で最も古いものではないが、この新しい古典文学全集がこの萬葉集から始まっているにはそれなりの理由があることも改めて知らされた思いがする。何と言っても日本古典文学は「和歌」にまず本質があるからだ。そしてこの萬葉集が時代の進展とともに何度も復活してきた経緯にも理由があることがわかった気がしている。この膨大な「和歌」群を眺める時、様々なアプローチがあってよく、今後とも何度も開くことになると思う。

この項了

『日本古典文学総復習』3『萬葉集』3

『萬葉集』を読む2の1

3冊めには以下の歌が収まっている。

巻11
旋頭歌2351から2367
正述心緒2368から2414・2517から2618
寄物陳思2308から2414・2619から2807
問答歌2508から2516・2808から2827
譬喩歌2828から2840
巻12
正述心緒2848から2850・2864から2963
寄物陳思2851から2863・2964から3100
問答歌3101から3126・3211から3220
羈旅発思3127から3179
悲別歌3180から3210
巻13
雑歌3221から3247
相聞3248から3304
問答歌3305から3322
譬喩歌3323
挽歌3324から3347
巻14
東歌3348から3577
巻15
新羅国に派遣された使人の歌3578から3722
中臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌3723から3785

巻十一

ここはちょっと変わった配列になっている。歌体や表現法で分類している。ここからはほとんどが読み人知らずの歌だ。
最初に現れる旋頭歌はその後ほとんど姿を消す歌の形式で五七七を2回繰り返した6句からなる形式。上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多く、頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれる。五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられている。

玉垂の小簾のすけきに入り通ひ来ねたらちねの母が問はさば風と申さむ

と言った歌がある。
正述心緒には当時信じられていた衣の紐に関する迷信の歌がある。

君に恋ひうらぶれ居れば悔しくも我が下紐の結ふ手いたづらに

故もなく我が下紐を解けしめて人にな知らせ直に逢ふまでに

衣の紐が解けるのは思い人が思っているからだとする伝説というか迷信、なかなか面白い。
寄物陳思からは

水底に生ふる玉藻のうち靡き心は寄りて恋ふるこのころ

問答歌からは

鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ

鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば

を引いておこう。

巻十二

この巻の初めに「古今相聞往来歌類之下」とあり、前の巻十一と同じような構成になっていることから巻十一はその「上」となるのかもしれない。
ここでは上にない羈旅発思の歌と悲別歌から引く。

我妹子し我を偲ふらし草枕旅のまろ寝に下紐解けぬ

草枕旅の衣の紐解けて思ほゆるかもこの年ころは

草枕旅の紐解く家の妹し我を待ちかねて嘆かふらしも

ここも「紐」の歌。

息の緒に我が思ふ君は鶏が鳴く東の坂を今日か越ゆらむ

巻十三

この巻は従来の分類に戻っている。しかし、収められている歌が長歌と返歌のセットがほとんどだ。ここも読み人知らずの歌がほとんどだが、古い歌が多いように思う。

蜻蛉島大和の国は神からと言挙げせぬ国…….(長歌)

大船の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし

歌は恋い焦がれる思いを直接に高らかに歌っている。ここに萬葉集の大きな特色があると言える。これは次の東歌にも言えることなので次の巻でもふれる。

巻十四

東歌は文字通り東国の歌だが、東国の範囲は信濃すなわち長野県や遠江すなわち現在の静岡県を西の端にしてそれより東の国ということになっている。国別及び歌の内容ごとに歌を並べて、最後に「未だ国を勘へざる」とした歌を収めている。
東歌はどのように収集したのだろうか、興味深いところだが、歌われている場所が限られている傾向があって、後の歌枕的な場所がこのころから定まっていたようにも思える。また、萬葉集編纂時にはすでに風土記ほか地方の国々の様子を報告する文書があったように思われ、都人によって選択された歌であったには違いない。ただ、東歌独特の語彙や語法も見られる点は興味深く、内容も身近な恋愛感情を歌った歌が多いのも特徴だ。
まずは相模の国から引く。足柄山の歌が多いので。

足柄のをてもこのもにさすわなのかなるましづみ子ろ我れ紐解く

ちょっとスリリングな男女の密会を歌っている。
有名な東歌

稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ

これも男女の歌。
前にも触れたが、東歌にもこうした男女の恋愛感情、というより恋愛そのものを歌った歌が多く、ここがやはり日本古代の歌の特徴であり伝統と言える。要するに平和主義者が昔から多い国なんです。

巻十五

この巻は少し変わっていることは初めに触れた。すなわち「新羅国に派遣された使人の歌」と中臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌が収められている。主に九州の防衛にあたった防人の歌は有名だが、こうした歌もあるのが面白い。
幾つか引いてみる。
遣新羅使(けんしらぎし)の壬生宇太麻呂(みぶのうだまろ)の歌。妻(恋人)を思う歌

旅にあれど夜は火灯し居る我れを闇にや妹が恋ひつつあるらむ

新羅に遣わされた人たちの内のひとり、雪宅麻呂が壱岐の島で病気のために亡くなり、葛井子老(ふじゐのむらじおゆ)が彼の死を悼んで詠んだ歌。

黄葉の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも

中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌には中臣宅守が罪を犯して配流された事件が背景にあるようで、事情は詳らかではないが、ここにその時の贈答歌が収められているのが面白い。こうした歌に注目する編者の目が面白いと思うのだ。
二人の歌を引く
狭野弟上娘子の歌

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも

強烈な歌である。
それに対し中臣宅守の歌のなんと穏当なこと。

あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり

この項了

『日本古典文学総復習』2『萬葉集』2

『萬葉集』を読む1の2

2冊めには以下の歌が収まっている。
巻6
雑歌907から1067
巻7
雑歌1068から1295
譬喩歌1296から1403
挽歌1404から1417
巻8
春の雑歌1418から1447
春の相聞1448から1464
夏の雑歌1465から1497
夏の相聞1498から1510
秋の雑歌1511から1605
秋の相聞1606から1635
冬の雑歌1636から1654
冬の相聞1655から1663
巻9
雑歌1664から1765
相聞1766から1794
挽歌1795から1811
巻10
春の雑歌1812から1889
春の相聞1890から1936
夏の雑歌1937から1978
夏の相聞1979から1995
秋の雑歌1996から2238
秋の相聞2239から2311
冬の雑歌2312から2332
冬の相聞2334から2350

巻六

この巻ではやはり山部赤人の歌が目立つ。数もそうだが歌の良さもそうである。宮廷歌人たる内容の長歌の反歌2首を引いておこう。

み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも

ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く

また、この赤人の叔母にあたるという坂上郎女の歌にもいいものがある。

我が背子に恋ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘貝

赤人はいわゆる宮廷歌人の一人で柿本人麿と並び称される。宮廷歌人だけに謂わば皇室賛歌的な歌も多いが、叙景歌的な歌もあって後の歌集にも多く登場する。

巻七

この巻はこれまでにない分類で歌を集めている。
分類自体はこれまでにあった、雑歌・譬喩歌・挽歌という分類だが、その中身が異なっている。雑歌の中に「天を詠みし一首」「月を詠みし一八首」等々として歌を紹介している。天文・自然・場所等での分類だ。譬喩歌も同様に物で分類するという形をとっている。挽歌はわずかしかない。天文ではやはり「月」自然では「河」が多い。ここにも日本の詩の題材の特徴が伺える。

玉垂の小簾の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも

ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しもあらしかも疾き

初めの歌には作者の記述はないが、後の歌は柿本人麿歌集にあるとする。
譬喩歌では「玉に寄せし」が多い。以下に引く。

海神の持てる白玉見まく欲り千たびぞ告りし潜きする海人

ここでの「白玉」は「真珠」のことで、それを深窓の美しい娘に譬えているとする。

巻八

ここで初めて季節による分類が登場する。これまでの分類をさらに季節によって分ける試みだ。これまでの分類は謂わば大陸の影響下に行われた物と考えられるが、
この季節による分類はその後「古今集」以後しっかりと定着する。いわば日本的な分類と言えるかもしれない。しかもここは作者をはっきり明記した上で歌を収めている。幾つか引く。

水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも

笠郎女が家持に贈った歌とされる。春の相聞。

卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る

ここは家持の歌が多い。これもその一つ。霍公鳥はホトトギスのこと。夏の雑歌。

神さぶといなにはあらず秋草の結びし紐を解くは悲しも

加茂女王の歌とされる。秋の相聞。

沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも

大伴旅人を忘れてはいけない。太宰府での歌。冬の雑歌。

巻九

この巻はまた以前の分類に戻っている。
雑歌に珍しく「星」を詠んだ歌がある。月を詠んだ歌はたくさんあるが、太陽や星を詠んだ歌があまりないのが日本の古典の特徴と言えるが、
これは七夕伝説はすでに伝わっていたことを示している。因みに後の巻10には七夕を詠んだ歌が130首以上ある。

彦星のかざしの玉は妻恋ひに乱れにけらしこの川の瀬に

ここで東国の地名を含んだ歌。

埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし

勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ

いずれも高橋虫麻呂歌集にあるという。後者は真間の手児奈の伝説を歌った長歌の反歌だ。

巻十

この巻はまた巻8と同様な構成をとっている。
春の雑歌には「鳥を詠みし二十四首」とあり、「鳥」を読んだ歌が多く見られる。

春されば妻を求むと鴬の木末を伝ひ鳴きつつもとな

春の相聞には

春さればもずの草ぐき見えずとも我れは見やらむ君があたりをば

夏の雑歌にもやはり「鳥」の歌二十七首ある。霍公鳥は「ホトトギス」

木の暗の夕闇なるに霍公鳥いづくを家と鳴き渡るらむ

夏の相聞には

霍公鳥来鳴く五月の短夜もひとりし寝れば明かしかねつも

秋の雑歌には

秋の野の尾花が末に鳴くもずの声聞きけむか片聞け我妹

秋の相聞には「鳥」とはしていないが、

出でて去なば天飛ぶ雁の泣きぬべみ今日今日と言ふに年ぞ経にける

さすがに冬にはない。
後に「花鳥風月」とか「花鳥諷詠」と言った言葉があるように、「鳥」はこのころから和歌の主要な題材であったことがわかる。
また、四季による分類が登場したことは萬葉集編纂者の意識が古今集に繋がるものを持っていたことをうかがわせる。

『日本古典文学総復習』1『萬葉集』1

さて、何から始めるか? 幸い書斎に鎮座している「新日本古典文学大系」という全集がある。 こいつを一つ読破してみようと思った。実に100巻である。 これまでも幾つかは拾い読みをしているし、読破といっても精細に読むわけではないからなんとかできるだろう。 1週間で2冊のペースで行けば1年間で読み終わる算段だ。

『萬葉集』を読む1の1

先ずは萬葉集から始める。これは大部なので4冊あるが、2冊を早速紐解いてみた。 巻1から巻5が1冊目、巻6から巻10までが2冊目だ。全部で2350首の歌を収める。4500首以上ある萬葉集の半分ぐらいである。 かつてもざっと読んだことはあるが今回まさにざっと読んで考えたことを記す。 1冊目には以下の歌が収まっている。 巻1 雑歌1から84 巻2 相聞85から140 挽歌141から234 巻3 雑歌235から389 譬喩歌390から414 挽歌415から483 巻4 相聞484から792 巻5 雑歌793から906 さて、この分類は雑歌・相聞・挽歌が大きな分類であることはわかるが、それがいわばそれぞれの巻にあることが特徴だ。 そして一番多い雑歌だが、これは相聞・挽歌以外の歌といった意味だろう。 なんか雑という言葉がよくないイメージを与えるが、ここに多く天皇や皇族の歌が収められていることを考えればいわゆる「雑」ではない。 「ぞうか」と読む。

巻一

第一の歌は雄略天皇の歌とされる歌謡だ。これは古代歌謡の要素を色濃く持つ歌だ。 その他、ここは天皇始め皇族の歌が多いが、萬葉集で異色の山上憶良の歌もある。 この中で出色の歌はやはり額田王の以下の歌だろう。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

巻二

ここは相聞と挽歌だ。
相聞はいわゆる恋の歌と言えるが、ここは広く親子の情愛の歌も含む。
挽歌はいわゆる死を悼む歌である。
ここの相聞では宮廷歌人と言われる柿本人麿の妻を歌う歌がいい。人麿のいわば個人的な歌である。
長歌に反歌2首だ。反歌の一つを引く。

石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか

ところで反歌とはなにか。これは長歌の内容をいわば反芻した歌という意味での「反」つまり繰り返しの歌だ。長歌の内容を要約したものと考えればいい。
挽歌としては有馬皇子の有名な歌3首がやはりいい。

磐白の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

磐代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも

有馬皇子については歴史上の人物で悲運の皇子としてのイメージが色濃いためにそう思うのかもしれない。

巻三

雑歌には高市黒人や山部赤人の歌がいくつかあって、なかなかいいが、やはりここは萬葉集で謂わば特異な詩人と言える山上憶良の以下の歌だろう。

憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ

こんな内容の歌が古代にあること自体が面白い。というよりこの後も決して現れない内容の歌だ。歌としてはどうかだが、宴会の途中で「子供が泣いているだろうし、妻も待っているから帰るよ」とは!
譬喩歌というのがここで登場する。内容によるのではなく、謂わば修辞による分類。「喩え」がポイントの歌。
早くも萬葉集の編者とされる大伴家持が登場する。

なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ

挽歌にも家持の「なでしこ」の歌がある。

秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも

巻四

ここは多く取られている大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)を取り上げるべきだろう。ここに既に平安朝の女流歌人の片鱗がある。
「怨恨の歌」と題された長歌。その反歌だけを引く。

初めより長く言ひつつ頼めずはかかる思ひに逢はましものか

さて、女流歌人といったが、「益荒男ぶり」と称されるこの萬葉集にも実に女性の歌が多く取られている事実をここで改めて認識しておく必要がありそうだ。

巻五

ここも相聞だが、相聞が男女の恋歌とは限らないことをよく示している。それはこの巻で有名な憶良の「貧窮問答歌」が収められていることでもわかる。
またこの巻には憶良の「沈阿自哀文」という長文(勿論漢文)も載っている。これは歌集としては特異だ。この憶良については別途論じる必要があろうが(確か40年以上前に論文を書いた記憶があるが)、こうした謂わば哲学的と言うか、社会的な内容の歌や文章を収めている点にこの歌集の凄さがある。
短歌のみを引く。

世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

1冊目ここまで。

歌の表記について。

萬葉集の歌はいわゆる万葉仮名で書かれている。例えば最初に引いた額田王の歌は以下のようだ。

茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

すべて漢字である。漢字を訓と音で表記するという発明がなされて、これが以後の日本語の表記につながる。詳細に論じることはできないが、この万葉仮名を現代の仮名遣いに改める際は色々と問題がある場合がある。また、萬葉集は伝わっている本によっても表記が異なる場合がある。したがって、ここは本来『新日本古典文学体系』による表記にすべきだが、便宜上以下のサイトの電子テキストを利用した。
このサイトは面白いサイトで以前から利用させてもらっている。xmlのプログラムについてもここで多くを学んだことを述べておく。

http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/

こぞことし

誰ぞの俳句に

去年今年貫く棒のごときもの(こぞことしつらぬくぼうのごときもの)

と言うのがあったが、年が変わったからとて何が変わるものではないが、なんとなく今年はこれをやってやろうなんて気がするから不思議だ。もっとも小生の句だが、

今年こそ今年こそはで去年今年(ことしこそことしこそはでこぞことし)

ということもあって、新年に期したことも年末になってみればすっかり忘れていたりする。ただ、性懲りもなく、今年も考えた。

それは題して

『日本古典文学総復習』

さてさてどうなるか?次回の投稿で。

蘭の鉢置き台作成

かみさんの要望で部屋に置く蘭の鉢置き台を作成した。大分寒くなってきたんで庭から部屋に移動するため。
材料は濡れ縁に放置してあった欅の端の板にやはり欅の2年前に製材してもらった端の太い板。
放置してあった板はかなり反っていて、シラタが腐食。しかも表面が汚くなっている。
家具とは言えないものだからかまわないのでざっくり作ってみた。

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材料の汚い板。しかし表面をしっかり洗って、腐食部分を取り除き、半分にして鉋をかける。師匠の紹介で購入した鉋、さすがによく切れます。

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こんなにきれいに。これが材木のいいところ。削れば美しくなります。大型機械でやれば反りも取れんでしょうが、ここはそこまでやらなくても。

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脚になる部分の材を切る。結構太いので大変かと思いきや、この替え刃鋸がよく切れる。新しい替え刃で切った。切り口もきれい。

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本当はこれも鉋がけすべきだけど、洗っただけにした。オイルでも塗ればこんな感じになるだろうが、まいいか。(ぬれている状態です)

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あとはこの脚二つに板を載せるだけで完成

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日当たりの良い2階に設置。(これが一つ一つが結構重いので運ぶのが大変)

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蘭の鉢はかみさんが運んで載せました。

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さて、花を咲かせるか。

木製スプーンの作成過程

蓼科から何年か前に持ち帰った栗の木を庭に放置してあったのを見つけて、これでスプーンを作ってみようと思った。以前にもやったことはあるが、今回はちょと丁寧にやってみようと。

そこでそのプロセスを報告する。

spoon0001

まず鉈で整形する。これがなかなか便利。
ノコギリを使うより簡単に割れるし、皮など不要部分も削ぎ落とせる。

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次に一応の墨付けをして

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ノコギリで切れ目を入れ

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やはり鉈を使って整形する。

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スプーンの肝心な部分は平鑿で平にしてから大体の形を墨付けし

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まずは丸鑿で彫っていく。栗材は堅いイメージだけど、意外とスムーズに彫れる。しかし決して慌ててはいけない。

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今度はいわばスプーン作成専用の彫刻刀?で彫る。これが実は秘密兵器。アメリカ製らしいが、「flexcut」といってオフコーポレーションで買ったものだ。とてもうまく彫れる。

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ここまできたらノコギリをつかってさらに整形する。

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そしてあとはひたすら小刀で削っていく。スプーンを作るのにこの小刀での削りが一番時間がかかるが、これが楽しいのだ。(ようするによっぽどの暇人じゃないとこんな作り方はできない。というよりこれを楽しみにできない人はこんなことはしませんよね。)

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ここまで削れば上出来でしょうか。

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ここでいよいよ電動工具登場!と言っても単にドリルを固定して、その先に紙ヤスリを付けたビットを付けたもの。これもなかなか便利。これを使って彫りあとを綺麗にしていく。これもちょっとづつです。

spoon0004

こんな感じ。

spoon0005

でも内側はこれではうまく綺麗になりません。

spoon0006

あとはひたすら紙ヤスリの世界です。250番ぐらいから始めて1000番ぐらいまでやりましょう。

最後は実際に使えるように木型め塗料を塗ることになるかと。完成はもうちょっと。

iPadで撮った写真のWeb上での扱い

日頃写真をもっぱらiPadで撮っている。
木工をやっている最中も途中過程をブログに載せるためにiPadを傍らに置いている。
ところがこの写真をいざブログに載せるにあたっていろいろ面倒がある。
facebookなどのSNSに載せるのはそのまま簡単にできるのだが、自前のWordpressのブログに編集した上で載せるにはそれなりの手続きが必要だ。
それをまとめてみた。

まず、iPadで撮った写真(スクエア)は次のようなものだ。

サイズ:1936×1986 72dpi 1.54MB
ファイル名:ファイル 2016-04-12 14 26 29.jpeg
位置情報他:あり

これだけでも自前のブログに載せるにはさまざまな問題があることがわかる。

サイズが大きすぎる。
ファイルの拡張子がjpgではない。
ファイル名が日付になっている。
余計な情報がいろいろ入っている。

などだ。

以前にブログに載せる適当な画像ファイルのサイズについて書いたことがある。
それによればせいぜい横幅が600ピクセルあればいいと言う結論だった。
そこでこの画像ファイルを変更することなる。一枚なら画像処理ソフトを使うのもいいが複数枚になると面倒だ。そこで以下の方法を取っている。

1.一括リネームする。
2.一括サイズ変更をする。

1は「RenameKn.exe」を使う。
2は「リサイズ超簡単!Pro」を使う。
いずれもフリーソフトだ。ベクターからダウンロードできる。
(実は拡張子がjpgなら1は必要ない。2でもリネームができるからだ。)

1.
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2.

blog001
フォルダを選択して、全てのファイルを指定
この場合の設定

横サイズ優先で
480を入力
JPG保存品質で
100を選択
Exif情報の継承のチェックをはずす
あとはそのまま

 

特に「Exif情報の継承のチェックをはずす」は重要
ここで余計な情報が削除される。

変換開始をクリック

変換後の画像は同じフォルダ内にResizeフォルダ画でその中におさまる。

できた画像は

サイズ:480×480 96dpi 185KB
ファイル名:spoon0001.jpg ~ spoon0004.jpg(連番)
位置情報等:なし

かなり小さくなりました。実際の画像はこれを使ったブログ記事「木製スプーンの作成」で見てください。

ネット上の画像ツールを使って横長なバナー画像を作成

ブログやホームページを作っている人にとって画像処理は避けて通れない関門です。
photoshopなどを使いこなせる人はそれほど多くはないはずです。
また、こうした本格ツールは価格等敷居が高ですね。フリーのいいツールもありますが、これまた習熟するのが大変です。
そこで、webアプリケーションを使って横長なバナー画像を作成するノウハウを紹介したい。
まずhttps://pixlr.com/editor/にアクセスする。以下の画面(かつて紹介したことのあるwebアプリケーション)
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一番上の+の「新しい画像を作成」をクリック

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現れた「新しい画像」窓で
名前
幅高さ
を入力
透明にチェックを入れる。
プリセットはそのまま
チェックを入れる時反応が悪い場合があるので注意

OKボタンを押す。

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これで透明な新しい画像ができました。
ここにレイヤーで画像を載せて位置を調整します。この画像は透明な画像よりやや大きめの画像でなければなりません。もし使いたい画像が小さい場合は拡大が必要です。これについては後でやりましょう。

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メニューバーの「レイヤー」をクリックして、
プルダウンから「画像をレイヤーとして開く」を選択します。

ローカルから画像を選択します。

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そうすると画像の上の部分が張り付きます。
これを移動させます。
移動ツールは左側の二列に並んでいるアイコンの右側の一番上の矢印と移動マークのアイコンです。

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これをクリックして、画像の中に入れて移動させると画像のレイヤーが動きます。適当なところで止めます。図のように。

「ファイル」から保存を選択します。以下の窓が開いたらOKします。
ローカルフォルダが出ますので、フォルダを選択して保存します。

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以下ができた画像です。

test01

今度は作ろうとする画像より小さな画像を使う場合をやってみます。ただし、画像を拡大するのであまり小さな画像だと品質が劣化します。それを承知の上でやってみます。基本的には同じ操作をすれば良いのですが、貼り付ける画像をあらかじめ大きくしておくだけです。その方法だけ示します。
以下の画像を使ってみます。

flower11a

四角の代表的な画像です。912✖️684の大きさです。横を1140にしたいので、1200ぐらいに拡大します。これもこのツールを使ってみます。

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「ファイル」から「画像を開く」を選択します。初期画面でしたら、二段目の「コンピューター から画像を選ぶ」を選択します。上は開いたところです。

 

そして、メニューから「画像」「画像サイズ」 を選んで、幅を1200にします。 その際、縦横比を固定にチェックがかかってい ることを確認してください。

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そしてこれを一旦保存します。名前を変えます。「ファイル」「保存」です。

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その上で前にやった作業をします。できた画像はこのようになります。

test04

以上

漱石大全読了

最近読書はもっぱらkindleでやっている。字の大きさを変えることができるし、明るく軽いので実に重宝だ。
今日、そのkindleで夏目漱石大全を読了した。
漱石は嘗ての国文学徒の習いとして学生時代主要な小説類は読了していたし、卒業後も時に応じて幾つかの作品は再読してきた。
そして今回漱石生誕100年とかで世間でとりあげたこともあってもう一度読む気になった。
しかもAmazonがKindle版で122作品を「漱石大全」として出版して、手軽ということもあって取り組んだわけである。
取り組んだとはちとオーバーだけれど、ほとんど昼寝や就寝まえに寝転がって読んだに過ぎないが実に半年を要してしまった。
Kindleによれば平均的に読了まで107時間を要するらしい。一日1時間としても3ヶ月以上は要する計算になる。ということは一日30分しか読んでなかったことになる。
こんな計算はいかにもIT読書ならではである。しかも漱石は著作権が切れているので、青空文庫を基にしたこのKindle版は200円という価格である。実に安い暇つぶしである。

さて、そんなことはさておき、今回漱石を読み直して思ったのは嘗て漱石作品で一番だと思っていた「こころ」が意外につまらなく感じたこと、また「明暗」が嘗てはそれほどとは思っていなかったのに、これまた意外に面白く読めたことだ。
さらには漱石は小説より談話や講演が実に面白いということ。批評家として優れているということ。などなど改めて感じたことだ。
これは読む方の年齢と言うのが関係していると思う。ここら辺りをしっかり考えるとなにかまとまったことが言えるかもしれない。

もう一つ。執筆年不詳ということでこのKindle版で最後の方に載っていた「自転車日記」というのが実に秀一だった。これはロンドンで自転車に乗る練習をした時のことを書いたものだが、この文章こそ漱石の真骨頂のような気がした。
成島柳北にも通ずる達意の文章だ。読んでみてちょ。

収録作品を以下五十音順に示す。(Kindleでは年代順に載っている。)

イズムの功過
一夜
永日小品
岡本一平著並画『探訪画趣』序
思い出す事など
カーライル博物館
薤露行
学者と名誉
硝子戸の中
元日
木下杢太郎著『唐草表紙』序
教育と文芸
京に着ける夕
虚子君へ
草枕
虞美人草
ケーベル先生
ケーベル先生の告別
現代日本の開化
行人
坑夫
『心』広告文
『心』自序
『心』予告
こころ
琴のそら音
コンラッドの描きたる自然について
作物の批評
三山居士
『三四郎』予告
三四郎
子規の画
子規の畫(旧仮名)
「自然を寫す文章」
自転車日記
写生文
趣味の遺伝
初秋の一日
処女作追懐談
人生
鈴木三重吉宛書簡―明治三十九年
西洋にはない
戦争からきた行き違い
創作家の態度
『それから』予告
それから
それから(旧仮名)
高浜虚子著『鶏頭』序
田山花袋君に答う
『土』に就て
艇長の遺書と中佐の詩
手紙
『傳説の時代』序
点頭録
『東洋美術図譜』
道楽と職業
「土」に就て
長塚節氏の小説「土」
中味と形式
二百十日
入社の辞
猫の広告文
野分
『煤煙』の序
博士問題とマードック先生と余
博士問題の成行
長谷川君と余
彼岸過迄
「額の男」を讀む
文芸委員は何をするか
文芸と道徳
文芸とヒロイツク
文芸の哲学的基礎
文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎
文士の生活
文壇の趨勢
文鳥
変な音
變な音(旧仮名)
僕の昔
坊っちゃん
マードック先生の『日本歴史』
正岡子規
幻影の盾
満韓ところどころ
道草
無題
明暗
明治座の所感を虚子君に問れて
模倣と独立

夢十夜
余と万年筆
予の描かんと欲する作品
落第
倫敦消息
倫敦塔
私の経過した学生時代
私の個人主義
吾輩は猫である
『吾輩は猫である』上篇自序
『吾輩は猫である』中篇自序
『吾輩は猫である』下篇自序
吾輩ハ猫デアル 旧仮名(序文・第一のみ)