『續日本紀』を読む補遺

『續日本紀』を繙いていて言いたいことがあったので付け加えておく。

昨今天皇制についての議論がその退位を巡ってなされているが、その際よく「伝統」という言葉を使う御仁がいる。
すなわち「一世一元」を伝統の如く言い、万世一系は男子によるのが伝統の如くいうお方たちだ。
是非その方達『續日本紀』を繙いていただきたい。

「伝統」をたかだか100年あまりのことを言うのなら別だが、日本の歴史において「伝統」をそんな短いスパンで言ってもらっては困る。
要するにその方々がいう「伝統」とは明治時代以降に作り上げられたものに過ぎないのだ。
『續日本紀』は西暦でいうと697年から791年の歴史を記しているが今から約1300年前のことである。
これを大昔のことととるか、一続きのことととるかは自由だが、人類の歴史からすればそんなに大昔のこととは言えない。
100年前から始められたことを伝統と言って憚らないのは極めて意図的な言い方に過ぎないということだ。

さて、その『續日本紀』が扱っている約100年の歴史において在位した天皇は何人いるか。二人?三人?いやいや九人いる。
42代文武天皇から50代桓武天皇までである(大体がこの42代という系統も大正時代に策定されたものである)。
しかし一人重祚があるから正確には八人といことになる。(重祚というのは同じ人物がもう一度天皇のくらいに着くことを言う。こんなことも行われていた。)
しかも女性天皇がうち四人である。(重祚も女帝だから実際は三人)
元号もその間14ある。

また、47代淳仁天皇というのは実は明治になってから贈られた名の天皇だ。

天平宝字二年に以下の記述がある。

天平寳字二年八月庚子朔。高野天皇禪位於皇太子。

高野天皇とは孝謙天皇(女帝)のことだが、皇太子に位を譲ったというのだ。

これら事実・歴史をいかに考えるか?
まあ、思想信条は自由であるから、天皇制についてどう考えようが、どう言おうが自由であることに間違いはない。
ただ、明治に始められたことをあたかも1000年前からあったの如くいうのは如何なものか。
そう思ったので記しておく。

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