『日本古典文学総復習』12〜16『続日本紀』

『続日本紀』を繙く

まず、けっして「読む」などと言っていないことに注目してほしい。とても「読む」とは言えない分量なのだ。しかも、総復習とはいえ、この書を繙くのは初めてである。
万葉集と八大集を見てきた後、この『新日本古典文学大系』はこの『続日本紀』全5巻が鎮座している。この2週間、この5巻を座右の置いて謂わば途方に暮れていたというのが実情だ。
大体がこの書が果たして文学と言えるかどうかだ。『日本書紀』や『古事記』はかつて一通り読んだことがあるが、そこには伝説やそこに歌謡も書かれていて文学資料として十分読めた。
しかし、この書はまさに正史という体裁をとっていて、その記述は謂わば事実の羅列である。これを「読む」のは古代史研究者しかいないだろう。ただ、この時代の歴史を知るには第一級の資料とは言える。
この『新日本古典文学大系』がこの書を取り上げたのはここまでの研究成果を残すためだったのだろう。実はこの書の本文部分はそれほどの大部ではない。5巻どころか1巻に収まってしまう分量だ。
本文が漢文で書かれているために、すべて書き下し文を添えている。しかし補注の分量が並でない。第1巻など補注の方がページ数が多いくらいだ。

そこで、ここではその内容と記述例を紹介しておくに止める。

全5巻の内容は以下である。

『続日本紀』1
卷第一 文武紀一 丁酉年八月より庚子年十二月まで
卷第二 文武紀二 大宝元年正月より大宝二年十二月まで
卷第三 文武紀三 大宝三年正月より慶雲四年六月まで
卷第四 元明紀一 慶雲四年七月より和銅二年十二月まで
卷第五 元明紀二 和銅三年正月より和銅五年十二月まで
卷第六 元明紀三 和銅六年正月より霊亀元年八月まで
『続日本紀』2
卷第七 元正紀一 霊亀元年九月より養老元年十二月まで
卷第八 元正紀二 養老二年正月より養老五年十二月まで
卷第九 元正紀三 聖武紀一 養老六年正月より神亀三年十二月まで
卷第十 聖武紀二 神亀四年正月より天平二年十二月まで
卷十一 聖武紀三 天平三年正月より天平六年十二月まで
卷十二 聖武紀四 天平七年正月より天平九年十二月まで
卷十三 聖武紀五 天平十年正月より天平十二年十二月まで
卷十四 聖武紀六 天平十三年正月より天平十四年十二月まで
卷十五 聖武紀七 天平十五年正月より天平十六年十二月まで
『続日本紀』3
卷十六 聖武紀八 天平十七年正月より天平十八年十二月まで
卷十七 聖武紀九 孝謙紀一 天平十九年正月より天平勝宝元年十二月まで
巻十八 孝謙紀二 天平勝宝二年正月より天平勝宝四年十二月まで
卷十九 孝謙紀三 天平勝宝五年正月より天平勝宝八年十二月まで
卷二十 孝謙紀四 天平宝字元年正月より天平宝字二年七月まで
卷二十一 淳仁紀一 天平宝字二年八月より天平宝字二年十二月まで
卷二十二 淳仁紀二 天平宝字三年正月より天平宝字四年六月まで
卷二十三 淳仁紀三 天平宝字四年七月より天平宝字五年十二月まで
卷二十四 淳仁紀四 天平宝字六年正月より天平宝字七年十二月まで
『続日本紀』4
卷二十五 淳仁紀五 天平宝字八年正月より十二月まで
卷二十六 称徳紀一 天平神護元年正月より十二月まで
卷二十七 称徳紀二 天平神護二年正月より十二月まで
卷二十八 称徳紀三 神護景雲元年正月より十二月まで
卷二十九 称徳紀四 神護景雲二年正月より神護景雲三年六月まで
卷三十 称徳紀五 神護景雲三年七月より宝亀元年九月まで
卷三十一 光仁紀一 宝亀元年十月より宝亀二年十二月まで
卷三十二 光仁紀二 宝亀三年正月より宝亀四年十二月まで
卷三十三 光仁紀三 宝亀五年正月より宝亀六年十二月まで
『続日本紀』5
卷三十四 光仁紀四 宝亀七年正月より宝亀八年十二月まで
卷三十五 光仁紀五 宝亀九年正月より宝亀十年十二月まで
卷三十六 光仁紀六 桓武紀一 宝亀十年正月より天応元年十二月まで
卷三十七 桓武紀二 延暦元年正月より延暦二年十二月まで
卷三十八 桓武紀三 延暦三年正月より延暦四年十二月まで
卷三十九 桓武紀四 延暦五年正月より延暦七年十二月まで
卷四十 桓武紀五 延暦八年正月より延暦十年十二月まで

西暦でいうと697年から791までの約100年の歴史を記述したものとなる。

本文は以下のような漢文である。これは歴史的に有名な長屋王の事件を記述した部分である。

二月辛未。左京人從七位下漆部造君足。無位中臣宮處連東人等告密。
稱左大臣正二位長屋王私學左道。欲傾國家。
其夜。遣使固守三關。
因遣式部卿從三位藤原朝臣宇合。衛門佐從五位下佐味朝臣虫麻呂。
左衛士佐外從五位下津嶋朝臣家道。右衛士佐外從五位下紀朝臣佐比物等。
將六衛兵。圍長屋王宅。

書き下し文は以下

二月辛未。左京の人從七位下漆部造君足、無位中臣宮處連東人ら密を告げて称さく、
「左大臣正二位長屋王私かに左道を学びて國家を傾けむと欲」とまうす。
その夜、使を遣して固く三關を守らしむ。
因て式部卿從三位藤原朝臣宇合、衛門佐從五位下佐味朝臣虫麻呂、
左衛士佐外從五位下津嶋朝臣家道、右衛士佐外從五位下紀朝臣佐比物らを遣して
六衛の兵を將て。長屋王の宅を圍ましむ。

これは長屋王が左道すなわち道教的な呪術を信奉して、国家を転覆しようとしているという密告があって、兵を挙げてその屋敷を取り囲んだと言う記述だ。

この事件については他で調べてほしいが、要するにこんな記述なのである。
長屋王は万葉集にその歌が取られているが、そんな記述はこの書にはない。

ただ、萬葉を読む際にはこの書が逆に役に立つかもしれない。

さて、このレポートを書く過程で役に立った情報をここに記しておく。この『続日本紀』の電子テキストを探していたら、以下のサイトに出会った。
http://ifs.nog.cc/kodaishi-db.hp.infoseek.co.jp/
これは「日本古代資料本文データ」と題されていて、もともとはinfoseekにあったものらしいが、それを篤志家がバックアップしたものらしい。
早速ダウンロードしてみると、lzh形式のデータであった。今や昔懐かしい形式だ。これをMacで解凍するにはアプリを入れなくたはいけないがちゃんとあります。
この辺りも電子情報の篤志家に感謝です。

この項了

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