日本古典文学総復習続編17『世阿弥芸術論集』

書籍表紙

はじめに

また随分間が空いてしまった。前回のアップが6月だったから、なんと4ヶ月を要したことになる。どうも他のことが忙しく古典に向き合うのが疎かになりがちだ。しかしようやく暑さも収まり秋の気配が濃厚になってきたので取り組むことにした。

今回は世阿弥である。能については古典の中で不得意な分野である。どうも近付き難いイメージが強い。なぜだかわからないが現在の能の位置というのが好きになれない。しかし、ここは能を取り上げるわけではなく、それの完成者たる世阿弥の著述である。そしてこの著述を読むと能が現在の古典芸能というものではなく、実に生き生きとした芸能であったことがわかる。また、これらの世阿弥の著述は芸道論を超えて一種の人生論として読む読まれ方が現在あるが、このこともやや違う気がする。古典をどう読もうが自由だが、これらの世阿弥の著述をもっと当時の本来の位置で読んでみたい気がする。

収録作品

前置きはこのぐらいにして、まずはこの書の内容を以下に示す。

「風姿花伝」「至花道」「花鏡」「九位」「世子六十以後申楽談儀」が収録されている。その梗概は以下の通りである。

「風姿花伝」
後述
「至花道」
世阿弥が58歳のときに著した能楽論書。応永27年(1420年)成立。真実の能に到達するための正しい稽古法をおしえたもの。
「花鏡」
嫡子元雅に相伝された一巻。応永31年(1424年)成立。著者40歳以降の自身の思索の成果を収めたもの。
「九位」
成立年不明。仏教の九品になぞらえて能の芸の段階(芸位)を9段階に分けて示したもの。
「世子六十以後申楽談儀」
世阿弥の芸談を次男の元能が筆録したもの。能の歴史や、名人の芸風・逸話、能作・演出の要点などが語られている。

「風姿花伝」の内容

さて、ここでは「風姿花伝」を詳しく取り上げたい。

この書は父の庭訓をその都度書き止めたもので、この家の秘伝書となっている。内容は以下だ。

(「序」)
能風雅な神楽
「風姿花伝第一 年來稽古条々」
七歳・十二、三より・十七、八より・二十四、五・三十四、五・四十四、五・五十有餘
「風姿花伝第二 物學条々」
物真似の本質と限界。女・老人・直面・物狂・法師・修羅・神・鬼・唐事
「風姿花伝第三 問答条々」
九個の問と答え)観客の動静・序破急・自作自演・花能の命・慢心の恐れ・位について・言葉について・花のしおれ・花を知る
「風姿花伝第四 神儀云」
歴史的考察
「風姿花伝第五 奥儀讃歎云」
風姿花伝とはなにか。その風を得て、心より心に傳はる花なれば、風姿花傳と名附く。
「花伝第六 花修云」
謡曲の書き方良き能とは
「花伝第七 別紙口伝」
花とは何か・秘伝と花

まさに能という芸能をいかに他に負けないように演ずるかという一点に内容が絞られている。父観阿弥が早世したために息子の世阿弥がいわば必死に父に追いつくために努力し、またそれを後世に伝えようとした情熱が感じられる内容だ。

このことをよく示す一節を引こう。

「風姿花伝」の本文

問。ここに大いなる不審あり。はや却入りたる爲手の、しかも名人なるに、ただ今の若為手の、立合に勝つことあり。これ不審なり。
答。これこそ、先に申しつる、三十以前の時分の花なれ。古き爲手は、はや花失せて古様なる時分に、珍しき花にて勝ことあり。真実の目利きは見分くべし。さあらば、目利き・目利かずの、批判の勝負になるべきか。
 さりながら、様あり。五十以来まで花の失せざらんほどの爲手には、いかなる若き花なりとも、勝つことはあるまじ。ただこれ、よきほどの上手の、花の失せたる故に、負くることあり。いかなる名木なりとも、花の咲かぬ時の木をや見ん、犬桜の一重なりとも、初花色々と咲けるをや見ん。かやうの譬を思ふ時は、一旦の花なりとも、立合に勝つは理なり。
 されば肝要、この道は、ただ花が能の命なるを、花の失するをも知らず、もとの名望ばかりを頼まんこと、古為手のかへすがへす誤りなり。物数をば似せたりとも、花のあるやうを知らざらんは、花咲かぬ時の草木を集めて見んがごとし。万木千草において、花の色もみなみな異なれども、面白しと見る心は、同じ花なり。物数は少くとも、一方の花を取り窮めたらん為手は、一体の名望は久しかるべし。されば主の心には、随分花ありと思へども、人の目に見ゆるる公案なからんは、田舎の花・藪梅などの、いたづらに咲き匂はんが如し。
 また、同じ上手なりとも、その内にて重々あるべし。たとひ、随分窮めたる上手・名人なりとも、この花の公案なからん為手は、上手にては通るとも、花は後まであるまじきなり。公案を極めたらん上手は、たとへ能は下がるとも、花は残るべし。花だに残らば、面白さは一期あるべし。さればまことの花の残りたる為手には、いかなる若き為手なりとも、勝つ事はあるまじきなり。

「風姿花伝」の趣旨

これは「風姿花伝第三 問答条々」の一部だが、ここでも「花」という世阿弥にとっての重要な概念であることばが多用されている。「花」が能の命であることを述べている。ただ注目してほしいのは「立合に勝つ」という部分だ。質問は立合能でベテランに駆け出しの役者が勝つことがあるはどうしてかと言っている。

さて、立合能とは何か?能楽用語事典によれば

流派の異なる演者が同じ舞台に集い、芸を競い合って演じること。別々の曲で競演する場合と、同じ曲中で相舞する場合など様々な形がある。能が新しい芸能として興り、多くの座(芸能集団)が自らの名声を獲得すべく活動していたころ、立合は自らの命運を左右する真剣勝負の場であった。能の大成者といわれる世阿弥も、自身が著した能楽論書「風姿花伝」で、立合に勝つための心構えを述べ、後世に伝えている。

とある。

すなわち能は当時そういうものだったということだ。多くの座が競い合っていた勝負の場であったわけだ。その勝負の場でいかに勝つかというのがこの書の大きな目的だあったわけだ。そして肝心なのは「花」なのだといっている。しかしこの「花」には色々あり、若い為手が持っているのがいわば「時分の花」だ。これにはたとえ名望があっても「花」を失った古為手は敵わない。大事なのは「まことの花」なのだ。これが残っている為手はどんな若き為手にも勝つと言っている。そしてその「まことの花」には「人の目に見ゆる公案」が必要だと言っている。ここでいう「公案」とは元禅で謂う「課題」と謂うことだろうが、ここでは弛まぬ工夫と言ったらいいだろうか。しかもそれは「人の目に」見えなくてはならないとしている。これは観客ということだ。「目利き」という言葉を使っているがこれが「観客」だ。「花」とは目立つ良さといったらいいものだが、単にそれは「田舎の花・藪梅などの、いたづらに咲き匂はんが如し」としている。そうではなくて、観客にわかる工夫というものがなければ「まことの花」ではないというのだ。
ここでいかに世阿弥が観客というものを問題にしているかがわかる。実にビビットな論議である。

おわりに

この一文を読んだだけでもいかに当時の「能」が古典芸能と化した現在の「能」と違ったものかがわかる気がする。これは現在の「能」への言われなき小生の偏見かもしれないが。

今回はここまで。

2023.10.25

Youtubeのビデオの字幕の訂正

ここ数日Youtubeのビデオの訂正に時間をかなり費やしてきました。

実は小生がアップした「新WEB開発入門講座」のビデオの自動字幕が全く役に立たないものだったということで、この改善に努力していました。
Youtubeのビデオには自動字幕の機能があります。録音の音声から文字起こしをしてくれます。はっきり聞き取れない部分がかなりあってそれを補ううえで「字幕」は欠かせません。
それにある時気づいたのですが、どうも年のせいか、活舌がわるく、また録音も悪いためか、Youtubeの文字起こしのAIがうまく機能しませんでした。
これはYoutubeのAIの問題もあるかもしれませんが、特に最後のビデオは全くと言っていいほど読み取れないものでした。
そこで字幕ファイルを作成して、それをアップするということをやることにしました。
以下に示す手順でやるのですが、これがなかなか大変でした。

字幕を正確にするための手順

  1. Youtubeの編集画面から「字幕」を選択(この際言語が日本語になていること。動画の詳細の下部で「すべて表示」にして、設定する)
  2. 字幕(自動生成)を表示
  3. その右上の点々をクリック
  4. 「字幕をダウンロード」を選択
  5. ダウンロードに入ったファイル「captions.sbv」をエディタで開く(テキストエディタで開けます)
  6. そして大まかに訂正や文字の統一などを実施して上書き保存する
  7. 再び「字幕」からその右上の点々をクリック
  8. 「ファイルをアップロード」を選択
  9. 「タイムコードあり」を選択
  10. 「エラーがあっても無視して実行」にチェックをいれて実行
  11. 右側のビデオを実行しながらタイミング等を調整し訂正する
  12. 最後まで行ったら「完了」ボタンをクリック
  13. 下に「日本語字幕を公開しました」とでれば終了

なにしろ時間がかかりました。

これは多分原稿を用意して、きっちりと発声すればもっと簡単だったかもしれません。
ただ、このYoutubeの文字起こし機能と編集機能はすぐれていて、ほかにも利用できる気がしました。
よかったらもう一度「新WEB開発入門講座」を見てください。

その際、設定から倍速(ゆっくり過ぎるので)、字幕日本語を選んで再生してください。
ビデオのURLは
 https://www.youtube.com/playlist?list=PLH8RezOPNZUyZiYX-hREAS-Amj8PYrie7

なお、実践編で作成したギャラリーサイトもUPしてあります。よかったら見てください。
 作成したwebsite

日本古典文学総復習続編16『竹馬狂吟集・新撰犬筑波集』

新撰犬筑波集

はじめに

「月に柄をさしたらばよきうちはかな」

この句、予備知識なしでどう思われるだろうか。「実にいい句だ」「いや子供の句だ」「ふざけているんじゃない」などなどいろいろあるだろう。しかし、実はこの句、文学史上大事な句であることは間違い無いのだ。
この句は今回とりあげる「新撰犬筑波集」の巻末近く「発句夏」に掲載されている句なのだが、『芭蕉七部集』中の「あらの」員外の歌仙に山崎宗鑑の発句としてとりあげられ、蕉門の俳人たちが、この句を出発点として歌仙を巻いているという句なのだ。そこにこそこの句の文学史的意味があるように思う。
芭蕉たちの俳諧は連歌の流れを受けながら、時代に即した一つの芸術的な到達点に至ったわけだが、その中間に宗鑑らの連歌の俳諧化があり、その影響があったということだ。
先に連歌を見て来た(リンク)。その連歌は確かに中世的な要素を持っていたが、表現は未だに王朝的な和歌の伝統の中に止まっていたといえる。それを大胆に打ち破ったのが、ここで取り上げる「俳諧連歌」であり、その中心的な人物がこの句を詠んだと思われる山崎宗鑑なのである。
山崎宗鑑らの俳諧の連歌なしには、芭蕉の俳諧はなかったと言っていい。

さて前置きが長くなったが、今回取り上げるのはその山崎宗鑑が編んだと言われる「新撰犬筑波集」とそれに先行したと思われる「竹馬狂吟集」である。

「竹馬狂吟集」について

この書は実は近年発見された物だ。撰者はよくわかってはいない。内容は全十巻全452句を収める。構成は以下の通りである。

  • 第一巻から第四巻 発句 春・夏・秋・冬 全20句
  • 第五巻から第八巻 付け合い 春・夏・秋・冬 全114句(付け合いとしては57種) 
  • 第九巻 付け合い 恋 全32句(付け合いとしては16種)
  • 第十巻 付け合い 雑 全286句(付け合いとしては143種)

「竹馬狂吟集」収録の発句および付け合いの例

A かへるなよ我がびんぼふの神無月(16・巻第四冬部)

B 見えすくや帷雪のまつふぐり(19・巻第四冬部)

C 瓜をも冷やす猿沢の池(63・巻第六 夏部)
あおによし奈良酒のみてすずむ日に(64)

D とめ所なき人の恋しさ(137・巻第九 恋部)
玉づさにあなかしこをも書かずして(138)

E あなおそろしや夜の盗人(141・巻第九 恋部)
若俗に昼寝のものをまづみせて(142)

F 口を吸ひつつ離れやられず(149・巻第九 恋部)
ねぶと持つかうやく売りに契りして(150)

G 槍をにぎりて法師かけけり(179・巻第十 雑部)
稚児の射る引目の音におどろきて(180)

H 出家のそばに寝たる女房(227・巻第十 雑部)
遍昭にかくす小町が歌枕(228)

I 暗き夜に小便所をたづぬらん(311・巻第十 雑部)
そこと教へばやがてしとせよ(312)

J へへのはたこそ濡れわたりけれ(333・巻第十 雑部)
荒いそに舟と舟とを漕ぎ寄せて(334)

K 今ぞ知りぬる山吹の花(359・巻第十 雑部)
あやまつて漆の桶に腰かけて(360)

L 握り細めてぐつと入れけり(371・巻第十 雑部)
葉茶壺の口の細きに大ぶくろ(372)

「竹馬狂吟集」収録の発句および付け合いに対する若干の注釈

語注 帷(薄い単の着物)・まつふぐり(松笠、睾丸の隠語)・玉づさ(手紙のこと、玉門の隠語)・ねぶと(おでき、腫れ物のこと)・引目の音(放屁の音の比喩)・しと(尿)・へへ(女性器)・漆の桶(肥桶)

こう語注を並べただけでいかに卑俗な内容かがわかる。しかし、つけ合いとして読むことが大事である。つまり卑俗な前句をべつな物で「はぐらかす」というところに真骨頂があるのだ。また、まともな前句を卑俗な付句で「落とし込む」という場合も同様である。JやLのつけ合いはまさに上記の「はぐらかす」いい例だ。またKなどはその反対の「落とし込む」例だ。これはある意味連歌からの伝統だが、それを「笑い」に結びつけている点が「俳諧」たる所以だろう。もう一度振り返って鑑賞してほしい。その面白さがわかると思う。

「新撰犬筑波集」について

山崎宗鑑の手になる俳諧集。元は「俳諧連歌抄」と言ったようだ。後に宗祇らの『新撰菟玖波集』に対してそう呼ばれたものと思われる。「犬」という語は「似非」すなわち似て非なるものと言う意があり、よく植物名などにも使われている語だ。一見卑下しているようだが、むしろ連歌に対するはっきりとした対抗心がうかがえる書名ということになる。全416句(長短)が収められている。内容は以下だ。

  • 春 付け合い 全67句(付け合いとしては33種)
  • 夏 付け合い 全30句(付け合いとしては15種)
  • 秋 付け合い 全44句(付け合いとしては22種)
  • 冬 付け合い 全23句(付け合いとしては11種)
  • 恋 付け合い 全54句(付け合いとしては27種)
  • 発句 春夏秋冬 全94句

「新撰犬筑波集」収録の発句および付け合いの例

A 霞の衣すそはぬれけり(1・春)
佐保姫の春立ちながら尿をして(2)

B はなちがしらのうちも寝られす(54・春)
風わたるよるの枕に花散りて(55)

C 五条あたりに立てる尼ごぜ(76・夏)
夕顔の花の帽子を引きかづき(77)

D おそれながら入れてこそみれ(140・秋)
足洗ふたらひの水に夜はの月(141)

E 寒き夜はこそ人丸になれ(150・冬)
うす衾引きかぶりたるかきのもと(151)

F 命知らずとよし言はば言へ(191・恋)
君故に腎虚せんこそ望みなれ(192)

G 内は赤くて外はまつ黒(199・恋)
知らねども女の持てる物に似て(200)

H たとひつくとも人なとがめそ(288・雑)
わが持つは翁さびたる槍ぞかし(289)

I 花よりも団子とたれか岩つづじ(350・発句)

J 月に柄をさしたらばよきうちはかな(373・発句 夏)

K 山の端に月はいで栗むく夜かな(386・発句 秋)

L 帰るなよわが貧乏の神な月(394・発句 冬)

「新撰犬筑波集」収録の発句および付け合いに対する若干の注釈

語注 はなちがしら(放ち髪のこと)・尼ごぜ(ここは遊女、立君のこと)・腎虚(過度の性交による身体の衰弱、男性に言う)

さて、今度はどうだろう。基本はほとんど前著と同様である。それどころか同じ句も少なからず採られている(AとL)。しかし、通読してみてこの書の方がやや表現が穏当のように思われた。冒頭のAの句にしてもこともあろうに「姫」の「立ちながら」の「尿(しと)」を詠んでいるが、句柄はそんなに「いやらしい」感じはしない。Dの句にしろ、前句がなければJの句と同様、なんともほのぼのとした句柄といえる。そう感じるのは筆者だけだろうか。しかし俳諧連歌は連歌であることに間違いはない。すなわち「付け合い」の妙味こそその特徴だからだ。これは一つは後に「前句付け」として大流行した「川柳」に受け継がれる。FやG、Hの付け合いは正にその例と言えるだろう。ただ、一方は談林俳諧の流行を経て、芭蕉たちの蕉風俳諧にしっかりと受け継がれていることにも注目していいと思う。

おわりに

こうした俳諧連歌などの古典を読んでいると、いかに現代の文学が「笑い」「滑稽」といった要素を失ってしまったかを考えさせられる。

最後に先に紹介した『芭蕉七部集』「あらの」員外の歌仙の発句・脇・第三を引いて置く。

月に柄をさしたらばよき団哉 宗鑑
 蚊のをるばかり夏の夜の疵 越人
とつくりを誰が置かへてころぶらん 傘下

ここからは「俳諧」の質が変化していくが。

2023/06/22
この項了

日本古典文学総復習続編15『御伽草子集』

はじめに

いよいよ書かなくてはいけなくなった。
ずいぶんとサボったものだ。前回が確か2月だったからもう3ヶ月を要してしまった。
何も取り組んでいないなかったわけではない。実際に読んではいたし、周辺も調査しメモをとっていた。しかし書くとなると勢いが必要なのだ。
さまざまなことが重なり積読状態がつづいてしまった。
言い訳はこのぐらいにしよう。

御伽草子について

さて、今回は「御伽草子集」だ。
この「御伽草子」は実に書籍によって採られている作品が異なる。
一般に「御伽草子」というと「浦島太郎」や「猿蟹合戦」「一寸法師」などを思い浮かべるのではないだろうか。
しかしこの新潮社の古典集成の「御伽草子集」に納められているのは以下の話である。

浄瑠璃十二段草紙・天稚彦草子・俵藤太物語・岩屋・明石物語・諏訪の本地 甲賀三郎物語・小男の草子・小敦盛絵巻・弥兵衛鼠絵巻

ちなみに岩波書店旧古典文学大系の「御伽草子」には以下の作品が収められている。

文正さうし・鉢かづき・小町草紙・御曹子島渡・唐糸さうし・木幡狐・七草草紙・猿源氏草紙・物くさ太郎・さゞれいし・蛤の草紙・小敦盛・二十四孝・梵天国・のせ猿さうし・猫のさうし・浜出草紙・和泉式部・一寸法師・さいき・浦嶋太郎・横笛草紙・酒呑童子・福冨長者物語・あきみち・熊野の御本地のさうし・三人法師・秋夜長物語

すなわち「御伽草子」と言っても極めて多数の多岐にわたる物語を指しているということになり、編集者によってどれを採るは異なるということだ。

では古来「御伽草子」というまとまった書籍はなかったのだろうか。調べてみると江戸時代に「御伽文庫」なる書籍があったようだ。これは絵入りの冊子で23編が39冊に収められているようだ。実際を見てみよう。

これは、京都府立京都学・歴彩館のデジタルアーカイブで公開公開されている物だ。
『一すんほうし』の部分である。

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さて、岩波の「御伽草子」はこの江戸時代の「御伽文庫」の内容とほぼ重なる。これが今までの一般的な「御伽草子集」ということだろう。しかし、ここで取り上げる新潮社古典集成はこれに異を唱えている。この書の凡例に

御伽草子を室町時代の物語の汎称として用いるのであれば、その二十三篇(「御伽文庫」のということ 筆者注)は、テキストとしても、内容の面からも、御伽草子を代表させるに必ずしも適切とは言えない。

としている。
となると実は以前、岩波の新古典文学大系で『室町物語集』上下を取り上げているので、この書と重なることになる。確かにその中で「岩屋の草子」「小男の草子」「俵藤太物語」は取り上げた記憶がある。『日本古典文学総復習』54 55『室町物語集上・下』

はたして「御伽草子」を「室町時代の物語の汎称」と言っていいかは甚だ疑問だ。むしろ柳田國男がいうようにその源流が「昔語り」にあり、またそれを「御伽衆(おとぎず)」とよばれる人々が全国に広め、後の世で文字化されていった物という理解の方がいいのではないかと思われる。「室町時代の物語の汎称」という括りではそこに入らない物語もあると思われるのだが。

さて、前置きはこれぐらいにして、それぞれの作品?について触れていきたい。なお以前総復習の岩波書店の新古典文学体系の『室町物語集上下』で触れたものはここでは省略する。

収録物語

「浄瑠璃十二段草紙」

義経ものと言っていい話。義経が奥州への下向の途中に出会って、契りを結んだ長者の娘があった。その娘は才色兼備で浄瑠璃御前と呼ばれていた。義経はその娘と別れを告げ、再び奥州へ向かうが、その途次、病に倒れ死してしまう。それを八幡大菩薩のお告げで知った浄瑠璃御前が駆けつけ、神々に祈り蘇生させる、というお話。蘇生話はいろいろあるが、その典型か。絵本・絵巻物としても流布し、操り芝居にもなり、その際12段に編成されたという。

「天稚彦草子」

短いお話。七夕の由来ともいうべき話。長者の娘に大蛇が求婚し、父母を救うために三人娘の末娘だけが承諾する。この大蛇、娘に自分の頭を斬るように頼み、娘がそうするとなんと立派な若者となり、天稚彦と名乗り、二人は幸せに暮らす。ある時天に登った夫の留守中、末娘の幸福を妬んだ姉二人によって禁戒が破られたために夫は天から戻れなくなる。そこで娘は自ら天に登るが、夫の父の鬼にいろいろ試される。結果二人は許されるが、七夕・彦星として、年に一度あうことになった、というお話。古い絵巻が元になった話という。

「俵藤太物語」

以前触れているので略

「岩屋」

以前触れているので略

「明石物語」

俵藤太物語と同様、武家物の一つ。播磨国の豪族、明石の三郎とその北の方の別れと再会の物語。時の関白の息子がこの北の方に横恋慕したのがきっかけ。明石は騙されて奥州に流されてしまう。それを追って奥州に向かった北の方は途次、小夜の中山で男子を出産、絶命寸前に。しかし、山神に助けられ手厚く保護される。一方明石の三郎も脱走に成功し、愛でたく二人は再会をはたす。そして都に上り無実の罪をはらし、その後末長く栄えたというお話。ハッピーエンドです。
愛する男女が外部の迫害によって苦難を受けるが、やがて克服して幸せに暮らすという典型的なお話でした。

「諏訪の本地 甲賀三郎物語」

「本地物」と呼ばれる神の縁起を語った物の一つ。ここは諏訪神社の上社と下社の縁起を語っている。甲賀三郎と春日姫の二人の本地は普賢菩薩と千手観音という。本地垂迹思想の現れ。つまり日本の神々は仏が姿を変えて現れた物だとする考え方。そしてこの物語も愛する男女が外部の迫害で苦難を受けるというパターンだ。主人公の甲賀三郎は愛する春日姫を魔物に奪われる。一旦は姫を取り戻すが、兄の奸計で地底に残される。しかしそこで認められ日本に帰ることができ、二人は再開する。そして神明の法を授かり、神として諏訪神社の上社と下社に現れたというお話。

「小男の草子」

以前触れているので略

「小敦盛絵巻」

『平家物語』の悲劇の主人公のひとり平敦盛の遺児の話。一ノ谷の合戦で平家の公達敦盛を心ならずも討った熊谷直実という人物、その後出家して法然上人の門に入っていた。一方敦盛の北の方は出産した敦盛の遺児を源氏の追手から逃すために下松に捨てる。法然上人がそれを拾い育て、やがて母子が再開を果たす。賀茂の明神によって亡霊ながら父敦盛との対面も果たすことになる。そして母子共々出家し、この遺児は西山の善慧上人と言われる人物となる。いわば『平家物語』の後日談として創作された絵巻である。

「弥兵衛鼠絵巻」

異類物と呼ばれる鼠を主人公とする話。東寺の塔に住んでいた弥兵衛という鼠が、北の方が妊娠して雁の羽交の身を欲しがるので雁に飛びついたところ,そのまま東の奥の常盤の里まで連れて行かれてしまう。しかし弥兵衛は放浪の末、里の長者左衛門という人物に大黒天の使者として大事にされる。やがて都に上る左衛門の荷駄に乗せてもらい、京都に帰って妻子と再会を果たす。その礼に弥兵衛は金銀と共に娘の鼠を左衛門に贈る。子鼠を迎えた左衛門は大黒天の加護で益々栄え三国一の大福長者となった、というお話。鼠となっているものの完全に人間のように描かれているから不思議だ。これも苦難に会うが最後はめでたしめでたしで終わる夫婦の話である。

今回は以上
次回は『竹馬狂吟集・新撰犬筑波集』です。早めに取り組まないとね。

2023.05.25

新WEB開発入門講座3実践編1の4完成コード

ビデオ4の完成コード

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新WEB開発入門講座3実践編1の3完成コード

ビデオ3の完成コード

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新WEB開発入門講座3実践編1の2完成コード

ビデオ2の完成コード

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新WEB開発入門講座3実践編1の1完成コード

ビデオ1の完成コード

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MacPCでKindle書籍の保存

MacPCでKindle書籍(unlimited,primereading)の保存

はじめに

最近読書はもっぱら電子書籍だ。そのなかでもKindleを使って読むことがほとんどだ。
Amazonで購入した書籍は(0円であっても)サーバー上に保存されるので、無期限に読むことができる。
しかし、unlimited,prime readingの書籍は期限があって、長く使うことはできない。
自分はアマゾンのプレミアム会員を長い間続けていて、prime readingも無料なので、よく使っている。
しかし、プログラムの勉強のための書籍など、長い間読むことになったり、メモを書き込んで読みたいということがある。
そこで保存したいということになる。

そこで、Kindle書籍(unlimited,primereading)の保存の方法をここで記録することにする。(もちろん個人使用が前提だ)
保存にはスクショを使う。(スクショとはスクリーンショットすなわち画面録画のことだ)
スクショはスマホやパッドでもできるが、数ページを行うには骨が折れる。そこでパソコンを使って自動スクショを行うことにする。
パソコンで自動スクショのスクリプトを書いて実行するわけだ。それ(画像)をトリミングした上でPDF化して別のアプリで読むというわけだ。
 

準備

必要な物 MacPC

  • スクリプトエディター (標準で入っている)
  • Kindele for Mac (無料アプリ)
  • Xn Convert (無料アプリ)
  • Kindle書籍(unlimited,primereading)
  • スクリプトコード (公開されている物。プログラム大学による)

アプリの設定等

  1. Kindele for Mac (アプリ)をAmazonに登録
    • アプリを実行すれば、登録画面になる。アマゾンのアカウントを記述する。パスの記述と第二認証がある。
  2. 保存フォルダの作成
    • ピクチャー(~/Pictures)の中に作成する。
    • Macのフォルダを探すのは結構面倒臭いので検索を使うといい。
    • 名前はなんでも良いが、書籍名にするといい。
  3. 保存すべきKindle書籍のページ数、開き方向の調査(画像1)


    Kindle書籍をKindele for Macで全画面で表示し、ページ数、開き方を確認する。

  4. スクリプトコードの保存(画像2)

                       

    • スクリプトエディタ(Launchpadの「その他」に入っている)を起動し、以下のコードをコピペする。
    •                  

    • スクリプトエディタセキュリティ設定を解除する。
    •                

スクリプトの設定

  • ページ数を設定する。書籍の表示で調べたページ数の8割増しにする。(表示によってページ数がかわるため)
    テストで使った書籍は106ページだったが180ページ設定にした。
    set pages to 180
  • フォルダの指定をする。ここはkindletest1とした。
    set savepath to “~/Pictures/kindletest1/”
  • めくり方向(1=左 2=右)を指定する。
    set pagedir to 2
  • スクリプトを名前をつけて保存する。

実行

  1. Kindele for Mac で書籍を表示する。全画面表示にする。
  2. スクリプトエディタを起動し、スクリプトを実行する。(しばらくかかる)
  3. 保存フォルダを開き、一枚目をプレビューしてみる。(画像3)

    そこで余白部分(上下左右の余分な部分)のピクセル数を調査する
  4. XnConvertを起動し、画像を作成する。(画像41)

    • 下部にある「フォルダーの追加」をタップし、スクショしたフォルダーを開く
    • 上部にある「動作」をタップし、左上の「動作の追加」から「画像」「トリミング」を選択する。(画像42)
    • 調査した上下左右の余分な部分のピクセル数を記入する。(画像43)
    • 右下の「変換」ボタンをタップし、
    • 新たな画面で「New Folder」をタップ、トリミングした画像を保存するフォルダを作り、
    • 「open」ボタンをタップし実行する。
  5. できた画像ファイルの最後を確認する。(ページ数が曖昧なため)
  6. その上で、できた画像ファイルを全て選択(command+A)し、ダブルタップしてプルダウンメニューから
    「クイックアクション」「PDFの作成」をタップ(画像5)
  7. できたPDFファイルをクラウド等を利用して、pad等にコピーし、書き込みのできる「ブック」や「GoodNote」などで開く。
  8. ここまでできたら、画像ファイルやトリミング後の画像ファイルは削除してかまわない

以上

日本古典文学総復習続編14『連歌集』

連歌初折の表

今回は連歌集。

はじめに

さて、俳句といえば知らぬ者はいないはず。昨今もテレビ等でも取り上げられ、またまたブームのようだ。
しかし、その祖父に当たる連歌は全くと言っていいほど陽があたらない。一般だけでなく、文学史においてもだ。
小生はそれを嘆いているのだが、ここで連歌集が回ってきたのは実に幸いである。ここでは色々語りたいことがある。
先ほど連歌は俳句の祖父だといった。これは俳句が芭蕉の子だというとわかりやすいかもしれない。俳句という語はもともと俳諧連歌の発句から出た語なのである。そして芭蕉こそ、その俳諧連歌の完成者ということになる。そして俳諧連歌は連歌の子ということになる。
俳諧連歌はそれまでの堂上連歌を俳諧化したもので、連歌であることに基本的に変わりはない。
図式化すると、和歌ー短歌ー単連歌ー鎖連歌(百韻形式)ー俳諧連歌(歌仙式)ー俳句(発句独立)という展開ということになる。
短歌形式の上の句(五七五)と下の句(七七)を別の人間が詠むのが単連歌。それを続けていくのが鎖連歌というわけだが、この鎖連歌が中世において実に大流行したのである。やがて形式が整えられ、百韻形式が定着した。百韻すなわち百句を複数人が詠み続け一巻の作品に仕上げるのである。
今回取り上げるこの書には十篇の連歌作品、すなわち十篇の百韻が収められている。そしてそれらに登場する人物は連歌師と言われる専門の文学者ということになる。一部そうした連歌師たちの作品ではなく、いわば一般人が詠んだ作品が収められているが、そこでもそうした連歌師たちがそれらを指導しものと思われる。そしてまた芭蕉も時代が下った後のそうした連歌師の一人であったわけだ。
有名な芭蕉の『奥の細道』の冒頭部の最後にこんなくだりがある。

「股引の破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、
  草の戸も住み替る代ぞ雛の家
表八句を庵の柱に掛けおく。」

(本文は新潮日本古典集成『芭蕉文集』)
ここで取り上げたいのは「表八句」という語だ。これは実は連歌の百韻形式の1ページ目を意味する「初折りの表」に書かれた八つの句という意味だが、ここではその「初折りの表」そのものを柱に掛けておいたと言っている。すなわち芭蕉はここでも百韻連歌をやっていたということなのである。

連歌について

そこで連歌についてもう少し形式的なことを説明する必要があるようだ。
連歌はある形式で書き記すことになっている。まず四枚の懐紙をそれぞれ横長に半折し、上下(表裏)に句を記していくのだが、一枚目を初折り、2枚目を二折り、3枚目を三折り、4枚目を名残の折りといい、それぞれに表裏があり、記す句数が決まっている。百韻は百句あるので「初折りの表」と「名残の折りの裏」が八句、他がそれぞれ十四句づつ書くことになっていて合計百句ということになる。(8+14*6(84)+8=100)
そしてそれぞれの「折り」にいろいろな決まり事があり、百句つないで一巻の作品とするのである。(しかし後の芭蕉はこれを簡略化し「歌仙式」という三六句形式の連歌を多く作った)

十の連歌百韻

では、この書に収められた十の連歌百韻を紹介しよう。以下である。
『文和千句第一百韻』
『至徳二年石山百韻』
『応永三十年熱田法楽百韻』
『享徳二年宗砌等何路百韻』
『寛正七年心敬等何人百韻』
『宗伊宗祇湯山両吟』
『水無瀬三吟』
『湯山三吟』
『新撰菟玖波祈念百韻』
『天正十年愛宕百韻』
編者によれば「それぞれに特色のあるものを揃えて,約二百三十年にわたる連歌史の展開がうかがえるよう配慮した」とある。
では、それぞれの概要と題およびはじめの四句(発句・脇・第三・平句)と最後の挙句とその前の句をみていきたい。

『文和千句第一百韻』

文芸としての連歌を確立した二条良基の初期を代表する作品

題 賦何人連歌

発句  名は高く声はうへなし郭公  侍
脇    しげる木ながら皆松の風  御
第三  山陰は涼しき水の流れきて  文
初表4  月は峰こそはじめなりけれ 坂

名裏7 佐保山の陰より深し石清水  御
挙句   ときはなる木は榊橘    侍

侍=救済、御=二条良基、文=救済門の水運、坂=救済門の周阿

『至徳二年石山百韻』

今度は二条良基の晩年を代表する作品

題 賦何船連歌

発句  月は山風ぞしぐれににほの海  良基公
脇    さざ波さむき夜こそふけぬれ 石山座主坊
第三  松一木あらぬ落葉に色かへで  周阿
初表4  花のすぎてものこる秋草   通郷

名裏7 横雲をそのまま花に明けなして 良基公         
挙句   又とちぎれば此の山のはる  右大弁

『応永三十年熱田法楽百韻』

良基・救済以後の連歌史の谷間と言われる応永期の熱田における祠官・寺僧らによる作品

題 賦山何連歌

発句  雪はけふ歌は神代を始め哉   満範
脇    はや冬木にも梅の八重垣   仲稲
第三  待つ春の花を御山の月出でて  李泰
初表4  ゆうべのみねか雲しづかなる 宮寿丸

名裏7 あら玉の年又としのゆたかにて 宥任         
挙句   大宮司すゑぞひさしき    仲昌

『享徳二年宗砌等何路百韻』

連歌中興期のうちから前期の宗砌中心のもの

題 賦何路連歌

発句  咲く藤の裏葉は浪の玉藻哉   砌
脇    春に色かる松の一しほ    忍
第三  嶺の雪今朝ふる雨に消え初めて 行
初表4  霞にうすく残る月影     順

名裏7 御幸する桜が本の今日の春   砌        
挙句   花に相あふ日こそ稀なれ   光長

『寛正七年心敬等何人百韻』

連歌中興期のうちから後期の心敬・専順・行助らが中心のもの

題 賦何人連歌

発句  比やとき花にあづまの種も哉  心敬
脇    春にまかする風の長閑さ   行助
第三  雲遅く行く月の夜は朧にて   専順
初表4  帰るや雁の友したふらん   英仲

名裏7 神垣や絶えず手向けの茂き世に 永  
挙句   いのりし事のたれか諸人   英

『宗伊宗祇湯山両吟』

先輩宗伊を向こうにまわして宗祇が縦横に力量を発揮した作品

題 賦何路連歌

発句  鶯は霧にむせびて山もなし    宗伊
脇    梅かをるのの霜寒き比     宗祇
第三  もえそむる草のかきほは色付きて 伊
初表4  いり日の庭の風のしづけさ   祇

名裏7 閑なる浜路のしらす霧晴れて   祇
挙句   島のほかまでなびく君が代   伊

『水無瀬三吟』

宗祇・肖柏・宗長の三吟で、古来もっとも著名な作品のひとつ

題 賦何人連歌

発句  雪ながら山もとかすむ夕かな     宗祇
脇    行く水とほく梅にほふ里      肖柏
第三  川かぜに一むら柳春みえて      宗長
初表4  舟さすおとはしるき明がた     祇

名裏7 いやしきも身ををさむるは有りつべし 祇
挙句   人をおしなべみちぞただしき    長

『湯山三吟』

宗祇・肖柏・宗長の三吟で、古来もっとも著名な作品のもうひとつ

題 賦何人連歌

発句  薄雪に木の葉色こき山路かな   肖柏
脇    岩もとすすき冬やなほみん   宗長
第三  松むしにさそはれそめし宿出でて 宗祇
初表4  さ夜ふけけりな袖のあき風   柏

名裏7 露のまをうきふる里とおもふなよ 祇
挙句   一むらさめに月ぞいさよふ   柏

『新撰菟玖波祈念百韻』

宗祇・兼載らによる『新撰菟玖波集』の撰進を祈念しての重要な意義をになった作品

題 賦何人連歌

発句  あさ霞おほふやめぐみ菟玖波山 宗祇
脇    新桑まゆをひらく青柳    西
第三  春の雨のどけき空に糸はへて  兼載
初表4  しろきは露の夕暮の庭    玄宣

名裏7 天津星梅咲く窓に匂ひ来て   友興
挙句   鶯なきぬあかつきの宿    玄清

『天正十年愛宕百韻』

紹巴時代のものとして、明智光秀の伝説をともなって有名な作品

発句  ときは今天が下しる五月哉   光秀
脇    水上まさる庭の夏山     行祐
第三  花落つる池の流れをせきとめて 紹巴
初表4  風に霞を吹き送るくれ    宥源

名裏7 色も香も酔をすすむる花の本  前
挙句   国々は猶のどかなるころ   光慶

連歌の特質

どうでしょう。これだけ読んでもよくわかりませんね。百句の内のはじめと終わりの一部分だけですから。ただ連歌は、俳諧もそうですが、「付け合い」が肝です。それぞれの句自体というより、前句にどう付けてどう展開を呼ぶかという点に力量が表れますが、この部分を見ただけでもそれはある程度はわかるはずです。その中でも第三は重要ですね。発句は独立性があって、場に対する挨拶の意味があり、しかも題(賦し物といって何何の何)を読み込まなくてはなりません。そして脇はその発句によりそって二句で一つの世界をつくるわけです。しかし、第三はその世界をうけつつ展開を担います。そこでほとんどが「何々て」という形をとっています。どう展開したのか、ここを見てみるといいかと思います。まあ、付かず離れずといったところがいいんでしょうが、此の時代の連歌の連想は割と定式化しているような気がします。また言葉も情緒も基本的に王朝文化風な気がします。これは以前に読んだ芭蕉の俳諧に比べるとよくわかります。(これについては以下参照)
『日本古典文学総復習』69『初期俳諧集』70『芭蕉七部集』
もう少し具体的に見ていきましょう。
発句をAとします。脇がB、第三がC、その次をDとします。するとABで一つの短歌の形式になります。そしてCBでも短歌形式になりますね。いわば下の句が同一の短歌という事です。そしてさらにはCDも短歌形式です。これは上の句が同一の短歌ということになるわけです。
『水無瀬三吟』の例で示すと
1 雪ながら山もとかすむ夕かな 行く水とほく梅にほふ里
2 川かぜに一むら柳春みえて 行く水とほく梅にほふ里
3 川かぜに一むら柳春みえて 舟さすおとはしるき明がた
いわばこんな形です。もちろん短歌を作ろうとはしていないのですが、この三つの短歌で1とに2、2と3が、そして何よりも1と3が、どれくらい違っているかがポイントになります。それは言葉の上だけでなくその情景やこめられたこころが違っていなくてはならないわけです。
ただ、この頃の連歌は大きく異なることを嫌ったようで、似たような情景、雰囲気で少しづつ展開しているようにみえます。「かすむ」に「梅にほふ」、「梅にほふ」に「柳春みえて」、「川」に「舟」、そして「夕べ」に「明け方」です。他の例でも見てみるといいとおもいます。実はこの連想、すなわち「付け方」には当時の連歌にはうるさい規則がありました。そのためにそんなに飛躍的な展開がなかったとも言えます。
そしてもう一つ大事なのはこうした連想ゲームを一つの場で複数の人間がやっているという点です(独吟といって一人で行う場合もあるが)。そしてその進行を制御する人物も必要だったわけです。それが連歌師といわれるプロということになります。当時のその代表が「宗祇」と言われる人物です。そして後の時代の代表的連歌師が「芭蕉」ということになるわけです。

今回はここまで。

2023.01.26