日本古典文学総復習続編19『説経集』

はじめに

今回は『説経集』である。

こう言われてピンとくる人は少ないと思う。日本古典文学の中でもいわば忘れられた存在だ。

この「説経」、元は「説教」とも書いたらしいが、現在ではこの「説教」と「説経」ではニュアンスが異なる。現在「説教」は「先生に説教された」という風に使い、いわば人の道・道徳的なことを「教え、諭される」こと、という意味である。だが一方の「説経」は一般的にはあまり使われず、わずかに寺院に於いての僧侶の講和という形で使われるように思う。つまりは「お経」を「説く」という意味である。

したがって、この『説経集』はそうした仏教的な話を集めたものというふうに考えられるかもしれない。

しかし、それもやや違う。では「説経節」というのをご存じだらうか。実はこの『説経集』は「説経節」のいくつかの作品?を集めたものなのである。そしてこの「説経節」は仏教的な要素はもちろん含んでいるが、むしろ、ある傾向の物語を語る「芸能」であったのだ。

「歌舞伎」や「文楽」(人形浄瑠璃)はご存知の方も多いだろう。実はこの「説経節」もそうした芸能の一つだった。この書ではもちろん文字で書かれた物語が示されている。しかし、元は「説経節」はその名のように「語り」であった。この書はそれを文字化したもの(「正本」と言う)で、元はいわば「口唱文芸」であった。

口絵を見ていただきたい。これは北野天満宮の門前で「説経節」が行われている様子である。語り手が「ささら」を持ち(これが一種の楽器、後、浄瑠璃となると三味線に変わる)、大きな傘をさして(これが一種の目印)物語を語っている。これが「説経節」である。そして、その語り手は多く下層の僧侶であったようである。そして聴衆もまた下層の人々であったようだ。

つまりこの『説経集』、下層で漂白の僧侶たちが語り歩いた芸能たる「説経節」の代表的な「話」を集めたものということになる。

それぞれの梗概

ではそれはどんな傾向を持った話なのだろうか。この書では六篇の話が収められているが、まずはそれぞれの「話」の概要を見ていくことにする。

『かるかや』

「かるかや」とは「刈萱道心」という名の高野山の僧侶のこと。この僧侶、元は武将であったが、思うところあって妻子を捨てて出家した人物。この人物には子があってその名を石童丸と言った。その子は父の顔を知らずに育ったが、父会いたさに高野山に登る。いろいろ経緯があって結局は高野山で父の弟子となる。しかし父はそれと知りながらあくまで石童丸を子として認めない。しかも石童丸は最後までその「刈萱道心」が父だと知らずにいる。父は「棄恩入無為の誓い」(恩愛の情を捨て、世俗の執着を断ち切って、悟りの道にはいること。)を守り通したという話。しかしこの話はそれだけではなく、この父子が菩薩の化身で、常行念仏の偉大な尊者であるという点だ。そしてこの父子が刻んだというみ親子地蔵尊が信濃の善光寺本尊として祀られ、いまなお多くの人の信仰を集めているという点が「説経」たる所以である。

『さんせう太夫』

これは森鴎外の小説『山椒太夫』でよく知られていると思う。もちろんそれとは趣を事にするが話の大方は同じである。

讒言によって父が流罪となったその母子姉弟の苦難に満ちた物語。京に上る途中人買いに騙され母と 乳母は蝦夷に、姉弟は丹後国由良の山椒太夫のもとへ売られ、そこで酷い仕打ちを受ける。しかしなんとか弟のつし王は姉の手助けと犠牲で逃れことができ、その後、国分寺の僧や金焼地蔵の霊験、聖徳太子の計らい、梅津院の援助などによって奥州五十四郡の主に返り咲くことができる。しかし、つし王は元の領地よりも丹後国守を望み、そこで山椒太夫に対する復讐を遂げる。また、盲目となった母と再会し、金焼地蔵によってその眼を開眼させることができたというお話。これも初めに「金焼地蔵の御本地」とある点が注目される。

『しんとく丸』

河内国高安の長者が清水観音に願をかけ授かった子の話。この子「しんとく丸」、容姿よし、頭脳明晰であった。ということで四天王寺の稚児舞楽に選ばれて舞うこととなり、そこで隣村の蔭山長者の娘・乙姫に見染められ一緒になることを願うようになる。しかしこれが災いの端緒となった。継母が自分の子を世継ぎにしたいがために「しんとく丸」を虐待し、ついに失明までさせられてしまう。その後癩病にも侵され、ついに家から追い出されてしまう。その後何とか四天王寺で乞食となりはてて暮らすこととなる。しかし、乙姫が「しんとく丸」を見つけ出し、二人が涙ながらに観音菩薩に祈願したところ、病気が快癒して、その後乙姫のところで幸せに暮らしたという。一方継母は家が没落、物乞いとなった。というお話。

『をぐり』

「説経節」の代表的な話。後、歌舞伎等でも演じられ続けている。

話は一種の「貴種流離譚」。大納言兼家の嫡子小栗判官が故あって常陸の国に流され、そこで美貌の娘である照手姫を知り、無理矢理婿入りをする。しかしそれに怒った照手姫の兄郡代横山は小栗たちを毒殺し、照手姫を相模川に流してしまう。照手姫は一旦は救われるが、人買いに売り飛ばされ、美濃国でこき使われることとなる。一方死んだはずの小栗は、閻魔大王の裁きにより「熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができる」との藤沢の遊行上人宛の手紙とともに現世に送り返される。遊行上人は餓鬼阿弥と化した小栗を車に乗せ、「この車を引くものは供養になるべし」として、多くの人々に車を引かせて、照手姫のいる美濃国を通り、熊野に至らしめる。照手姫はその餓鬼阿弥が小栗であることも知らずに車を引いていた。そして熊野到着後、湯の峰温泉で49日の湯治の末、小栗は復活する。復活後元の地位を回復し、照手姫とも再会し、横山を滅ぼこととなるというお話。死後は美濃墨俣の正八幡に祀られ、照手姫も結びの神として祀られた、という。

『あいごの若』

これも一種の「貴種流離譚」と言えるが、結末が酷い。これまでの話はいわばハッピーエンドだったが、これは登場人物ほとんど全てが死んでしまうという結末。主人公の「あいごの若」が15歳で投身自殺してしまうのだが、それを追って百八人もの人物が投身自殺するという惨たらしい結末だ。

さて、この「あいごの若」という人物、左大臣の子だが、やっとの思いで神仏に祈願して生まれた人物。ただ、母が神仏によって死んでしまうという運命にあり、しかも父の後添えに惚れられて、その後添えの策略で父にも疎まれ、叔父を訪ねて比叡山に行くが、盗賊と間違われて結局は投身自殺するというお話。大筋で言うとこうなるが、この話には途中、この「あいごの若」を助ける人々も登場し、これがいわゆる地下の者たちで、職人や農民なのだ。これが「説経節」たる所以といえる。またこの人物は山王権現に結び付けられている。

『まつら長者』

これまた、神仏に祈願して生まれた子の話。ここは娘で「さよ姫」と言った。しかし、この父はしばらくしてなくなってしまう。すると母子二人では家運は傾き、父の供養もできない身の上となる。そこで「さよ姫」は自ら身を売って父の供養をする事になる。ただ、その身売り先がなんと大蛇の生け贄だった。池中に構えられた贄棚に上った姫は一心に法華経を読誦する。すると大蛇は改悛し、その甲斐あってさよ姫は奈良に帰され、松浦長者として栄えたと言うお話。後に竹生島の弁財天として現れたと言う。

共通する要素

こう読でくると、いずれも話のパターンは同じようだ。まず主人公は本来は貴種とういか、社会的立場の上位にいる人物だということ。そしてその主人公があるきっかけで酷い仕打ちを受け、真っ逆さまに社会の下層に落ちぶれてしまう(もしくはむなしくなってしまう)こと。だが、最後は元の位置に戻るか、神か仏として祀られるというパターンだ。これは「説経」が神仏の「本地」を語るという形になっているからだ。ほとんどの話の冒頭に以下ような言葉がある。

ただ今、説きたて広め申し候本地は、国を申さば信濃の国、善光寺如来堂の弓手のわきに、親子地蔵菩薩といははれておはします御本地を…(『かるかや』冒頭)

ただ今語り申す御物語、国を申さば丹後の国、金焼地蔵の御本地を、…(『さんせう太夫』冒頭)

ただ今語り申す御本地、国を申さば近江の国、竹生島の弁財天の由来を…(『まつら長者』冒頭)

では「本地」とは何か。本来、神として現れた(これを「垂迹」という)本の仏をいう言葉だ。この「説経」においては話の主人公が垂迹した人物という事になり、本来は仏であったということを語っているという事になる。

こうした話に共通する、主人公たちの艱難辛苦に満ちた生涯が実は多くの下層民の実際の生活実態であり、それゆえに下層民の聴衆がこうした話に同調し、それが実は神仏であったという事で安心をもたらしていたと言えるのかもしれない。

最後に

こうした「説経」はもはやほとんど存在しない。わずかに浄瑠璃や歌舞伎の中にその片鱗を残しているのみだ。だが、実は我々日本人の中に未だに、こうした物語のパターンに心が揺るぐものが残っているような気がする。そういう意味でもっと研究していい分野だと思う。

2024.01.24
この項了

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