檜の本棚

師匠から頂いた檜の板で娘の所の本棚を製作。そのプロセスを。
倉橋氏が倒した檜の丸太、師匠が譲り受けて3年寝かせた後、松本で製材。大磯まで運んでくれた。
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それを秦野の木工実習室で自動鉋にかけて綺麗にし、片方だけ手押しにかけて直線を取る。
片側は耳付きにしておく。

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娘の要望で、極力奥行きを狭くし、しかも耳付きを生かすデザインを考えた。しかも分解できるようにとのことで、棚もダボ止めに。そこで側面の板に溝を掘る。トリマーは使わず、畦引きノコと鑿で加工。
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天板もダボで止める形に。このダボの穴あけが一苦労。なんとか合わせられる。

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これを小さいものと大きいものと合計三つ作る。こうすると木に無駄がなく、部屋で色々レイアウトできる。
完成!

読書はもっぱらKindle

ここのところ読書はほとんどkindleを使っている。8割ぐらいと思う。むしろkindleで読めないものは仕方なく本で読んでいると言った方がいいくらいだ。特に好きな古い作家の作品はほとんどただみたいな価格でkindleで読める。今、永井荷風を再読しているんだけれど、これもAmazonで出ている「永井荷風作品集」で読んでいる。

kindleがいいのは文字の大きさを自由に変えられる点ばかりではない。実際の本にはない機能があるからだ。最近はまっているのがhighlight機能だ。これはメモ機能とちょっと違った機能だが、Webサイトで自分がhighlightしたものが閲覧できるという点に魅力がある。閲覧できるということはテキストをコピペできるということだから、書評を書くときに便利だ。

一例を下に示す。

kindleでハイライトする

kindle

Amazonの自分のサイトでそれを見ることができる

kindlehighlight

成島柳北「柳橋新誌」初編を読む3

柳北は幕府の奥儒者です

前回の終わりに書いたが、この書の作者成島柳北は江戸時代の奥儒者だった。この書は安政六年一八五八年に書かれたと言われている。二十三才である。二十才で奥儒者となり、将軍に書を講じている。もちろん儒教の書である。

現代から考えると、その若さといい、その社会的立場といい、こんな書を書けるとは想像だにできないが、何が彼をしてこの書を書かしめたのか興味深い。

実は柳北、この四年後狂詩によって幕閣の因循を批判して、奥儒者の職を罷免させられている。この件は「柳橋新誌」二編の後序に触れられているが、柳北が実は血気盛んな面を持っていることをうかがわせる。

幕末という変動期にあって、体制側の中枢にいながら自らの体制を批判し、自らがよって立ってきた立場に疑いを持つ。容易にできることではないはずだ。その鬱屈を晴らすのが柳橋であったのだろう。

したがって、やや理想的にこの花街を描きたい所が散見するのは致し方ないが、どうしても柳北の批判精神がそこに止まらせないのも確かであるように思う。

明治期になって書かれた第二編は時代のさらなる変転を背景に違ったものとならざるを得なかった。

これについてはまた。

罰当たりな日々

宮城県志津川を訪れた。
ここは南三陸町といった方が通りがいいだろう。あの大震災で大きな被害を被った町だ。
実はこの奥にある登米市はうちのカミさんの両親が生まれた所。ずいぶん以前にも訪れたことがある。その時も今もリアス海岸の海は穏やかだ。多分定置網だろう、その浮き球も全く動かないほどのべた凪だ。あの日の朝もこんな海が眺められたにちがいない。
夜、この海を間近にホテルの食堂で鮑、雲丹、鱶鰭などなど海の幸をいただいた。実にうまかった。フローズン生ビールも良かった。ぐるっと海を眺められる温泉も良かった。極楽だ。あの日の前の晩もこんな気持ちで過ごした人も多く居たに違いない。

どこぞの大物政治家がこの震災を「天罰」と発言し、世間の顰蹙をかったことが思い出された。さすがにこの政治家も世間の非難に発言を撤回した。しかし、この発言は強ち的を射て居ないと言えない気がする。もちろん被災した人々のみに罪があったわけではない。ただ、「天」を「自然」のことだとすれば、今更のように「自然」の恐ろしさを思い知らされたはずだ。人間の営みをたった5分の間に物の見事に奪い去ってしまったわけだから。人間の営みがあたかも「罪」であったかのようにだ。

でも、鮑、雲丹、鱶鰭、そして生ビールはうまいのだ。またぞろ罰当たりな日々を過ごす。「自然」よ、許し給え。

成島柳北「柳橋新誌」初編を読む2

街ガイドに止まらない

さて、続きです。
柳橋は花街だけど、芸者がいたわけで女郎がいたわけではない。芸を売っていたわけで、色を売っていたわけではない。とはいうものの、やはり柳北の言に従えば「敢へて売らざるの色を売らしむ」のが人情だろう。「之を転ず(コロバス)と謂ふ」らしい。そのコロバシ方を説いているのだ。いわば芸者を我が物にするノウハウを説いている。

柳北曰く「夫れ妓を転ずるや、易きに似て難く、難きに似て易し。」と。どういうことかというと「三難三易」があって、まずはそこを理解しろと。

まず難点は
難点の一、「公禁を犯して私姦を為す」という点
難点の二、女郎と違って、「男子の才貌を択ぶ」という点
難点の三、「強ひて事を成すを得ず」という点
要するに選択権が芸者の方にあるという事だろう。

では易し点は
易し点の一、「彼も亦人なり。豈に情なからんや」という点
易し点の二、「風月煙花の遊びに慣る。人家の嬢子、深厳自ら守る者と同じからず」という点
易し点の三、お金に弱いという点
ここは芸者にも人情があり、普通の娘と違って遊びに慣れているし、何よりお金に弱いという事だろう。

さらに面白いのはこの「三難三易」を理解したからといってうまくいくわけではなく、男の方に「転妓の具、三あり。曰く才、曰く貌、曰く金。」特に「金」がなくてはならないと説いていて、しかもこれを事細かに論じているところだ。
なかなか「財力・教養・美貌」三拍子揃う事はむずかしい。まずこの中で「財力」は必須であるとする。教養がなくても、顔が悪くてもどちらかが「金」にプラスしてあればうまくいく。「美貌」だけ、「教養」だけは無理だろうとしている。しかし、ここからが柳北らしいのだが、「美貌」は天性のものだからどうにもならないが、「教養」は努力で身につくものだしそれによって突破できる可能性はあるとしている点だ。

これは柳北の願望かもしれない。「金」が基本の世界と知りつつ、「才子佳人」の風景を柳橋に求めていたのだろう。

柳北は幕府の奥儒者です

ここで改めて作者成島柳北が幕府の将軍侍講の奥儒者だったことを書いておきたい。当時の一番の権力者の近くにいて学問を講ずる立場の人間だったんです。

これはまた後で。

 

成島柳北「柳橋新誌」初編を読む

東京遊び場ガイドです

永井荷風は「柳橋新誌につきて」の冒頭で以下のように書いている。

明治時代の書生にして成嶋柳北の柳橋新誌を知らぬものは殆無かつたであろう。柳橋新誌は其の名の示すが如く柳橋烟花の地の繁栄を記述したものである。

今や国文学徒と雖もほとんど顧みない書となってしまっているようだけど、明治初期にはよく読まれたのには理由がある。この書、文学書というより、今で言う「街ガイド」なのだ。初編が書かれたのは幕末期だけど、明治初期の書生にとっては当時東京の最大の繁華街であったらしい柳橋を知る東京遊び場ガイドといった趣で迎えられたのではないかと想像する。

遊び場と言ったが、もちろん柳橋は花街である。花街と言うと吉原を思い浮かべるだろうが、この柳橋は吉原とは異なる。この辺はもう今ではわからなくなっているが、吉原は公認の悪所であり性を売る場所だ。他に非公認の岡場所と言われるこうした場所がいくつかあったが、これとも趣を異にしていたようだ。しかも、幕末期新興の遊び場だった。飲食店も多くあって盛んだったようだが、なんといってもこの街の肝は芸者であった。

柳北は言っている。

而してこの地の繁華、往日に超えたる者は、即ち此にあらずして彼に在り。彼とは何ぞ。曰く、歌妓なり。江都、歌妓の多くして佳なる者、斯の地を以て冠と為す。(中略)蓋し柳橋の妓、其の粧飾淡にして趣きあり。其の意気爽にして媚びず。、、、、

いかにも江戸っ子が好みそうな芸者が多くいた場所だったようだ。しかもこの地は水運の要所で船遊びにはもってこいの立地だった。もちろん金持ちの遊びだけど、芸者を連れてする船遊びは特に柳北が好んだ遊びである。この辺の事情もこの書で詳しく書かれている。
また、どれぐらいのお金がかかるか、どんな店があるか、美味いものはどこの店にあるか、どんな芸者がいるかなどなど、実名を挙げて記述している。

街ガイドに止まらない

これについてはまた後で。

 

無用の用は無用

最近文科省が大学改革で文学部など世の中に役にたたない学部はいらないと言っているらしい。
それに対し大学側は反発。一見無用に見える学問にも有用性はあると主張しているようだ。
さて、私は無用の人物が好きだ。できたら自分も無用の人物たりたいと思っている。
しかし、そうは世の中が許してくれない。どうしても役に立ってしまうのだ?
日本には伝統的に「無用」を尊ぶ傾向がある。多くの文学者や思想家は「無用の人」である事をポーズだとしても尊ぶ。また、そうした人物を尊ぶ風習が根強くあるといっていい。それは自分が事実有用な人物であったとしても、本来は無用でありたいと思う気持ちがどこかにあるからだ。
時の政府や権力者、財界人などが「有用」を説くのは当たり前だ。でもそうした人たちだって何人かはどこかで「無用」でありたいなんて思っているかもしれないのだ。
日本の文学や思想は基本的に「無用」を旨としいて、ずっと長らえてきた。小生は特にそうした傾向のある文学者や思想家が好きだし、もっといえば滅びた側にいる人物が好きなのだが、「無用」が長らえてきたのは、その憧れが多くの人にあるからだ。
だからと言って、「無用の用」を説いたらつまらない。「無用」はあくまで「無用」でなくてはならないからだ。
大学に文学部が必要か否かはどうでもいいが、ただ、もし世の中が「有用」一辺倒に傾いているとしたら、これはヤバイ!
「無用」を飼っておいて、「いいね、気楽で君たちは。羨ましいよ。」ぐらいの余裕がない社会は滅びる前兆です。

国文学科出身IT技術者

平家ハ、アカルイ

何ですかこれ?
これは太宰治「右大臣実朝」中の文言。このあと「アカルサハホロビノスガタデアロウカ」とある。
「明るさ」は「滅亡」の姿
なかなか言えない言。
肝に銘じましょう。この言葉。
太宰はこの作品を戦時中に書いています。素晴らしい作品。何度読んでもいい。
今回はKindleで読みました。

Kindleは青空文庫のおかげで、著作権の切れた多くの作家や思想家の全集(完璧ではないけど)を出しています。
老眼の人はいいよ。

これをきっかけに小林秀雄「無常といふ事」、吉本隆明「源実朝」も再読。
「新古今和歌集」も枕元に。

wordpress画像と文字の関係

ワードプレスで画像を挿入し、文字列をつけた時、それが複数あると思ったようにレイアウトできないということがあります。メディアを挿入する時に配置の設定ができますが、この配置の設定は実はfloatを使っているということが重要です。

  • 左:float:left;
  • 右:float:right;
  • 中央:display:block ,margin:auto;
  • なし:指定スタイルなし

実際に以下のようにかつて書いた記事があります。
ファイル 2015-07-13 17 45 15
先ずは柱の部分にトリマーで溝を掘っておく。このトリマー加工はうるさいので晴れ間に庭での作業。
ファイル 2015-07-13 17 46 23
天板と底板には柱になる部分をダボではめるのでダボ穴を掘りますが、柱のダボと合わせるのが大変です。ここはちょっとしたツールを使います。Boschから出ている一種の治具です。

 

画像は二つとも左置きです。しかし、最初の画像の横の文章が少ないので次の画像がその下に入ってしまいます。これを避けるにはfloatをclearします。

これをテーマのcssに登録します。(登録方法は以前の記事をご覧ください)その上で次に来る段落にスタイルを適用します。

ファイル 2015-07-13 17 45 15
先ずは柱の部分にトリマーで溝を掘っておく。このトリマー加工はうるさいので晴れ間に庭での作業。

ファイル 2015-07-13 17 46 23
天板と底板には柱になる部分をダボではめるのでダボ穴を掘りますが、柱のダボと合わせるのが大変です。ここはちょっとしたツールを使います。Boschから出ている一種の治具です。

もし、回り込みを継続する必要がある場合は

を作って適応させてやればいいようです。ただし、この以後はやはりclearしなければなりません。

ただ、エディタにスタイル登録して適用するという方法は上手くいかなかった。

いまさらパーマリンクの設定

wpを使っているとパーマリンクという言葉が気にかかりますね。これはwpの場合投稿記事がいちいちページに成っていてそこにアドレスが付与されていることを考えればわかります。つまり投稿記事のページのアドレスのことです。何も設定しなくても自動的に付与されています。今書いている表題の下を見れば出ていますね。しかし、このアドレスでは何かと不便です。これを変えてみましょう。

タグをアドレスに

設定→パーマリンクの設定を開きます。オプション構造のところに
/%category%/%postname% を入力し変更を保存します。変わりましたね。ただ、カテゴリー名が日本語の場合もあるでしょうから、ここも変えましょう。

スクリーンショット 2015-07-20 15.37.43

カテゴリーにスラッグを

投稿欄のカテゴリーから新規の場合は新規、既存の場合はカテゴリー名を選んで編集します。
スラッグ欄に英文字を入力します。

スクリーンショット 2015-07-20 15.43.25

最後は記事名を編集

最後は記事のタイトルになるので、ここを編集ボタンを押して、記事内容がわかる語彙やキーワードにします。

スクリーンショット 2015-07-20 15.53.17

こうすると、この記事のアドレスは以下になります
 https://ogu-tec.net/wp/it/parmalink
これなら、普通のページと同様に使えますね。