自作炬燵にヒーター取り付け

自作炬燵にヒーター

自作炬燵についてはかつて報告したけど、そろそろ寒くなってきたのでアマゾンで炬燵用のヒーターを注文。例によって朝頼んで夜には届いた。

始めは簡単につけられると思っていたが、これがなかなか大変。
一つは最近のヒーターが極めて薄くなっていて、かつて使っていたものを基準に作ったものだから新たな加工が生じてしまったのと、取り付けようの螺子が短かったために、ここでも加工が必要になったことだ。

そこで、一旦分解してその加工をやることになった。
ファイル 2015-10-17 11 42 22ヒーターに差し込むコンセントの形状にあわせて、やぐらの桟に溝をつける。

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ヒーターをとめる螺子を入れるため大きな穴を開けてそのねじ山が入るようにし、スペーサーとしてして木を桟につける。

ファイル 2015-10-17 11 43 34これで何とかぴったりにつけることができた。

ファイル 2015-10-17 11 50 08下から覗くとこんな感じ。しかし横から見るとまったくヒーターは見えない。これはなかなかいい。

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郵便受けを制作

郵便受けの作成過程

ファイル 2015-10-13 15 13 55先ずは本棚型に躯体を組み立て。前に頂いた長い板を利用。横木は欅の角材、裏板は杉の板。ある材料で組み立てる。

ファイル 2015-10-13 15 13 33屋根の部分は後で取り付ける形に。傾斜をかけているので、斜めに削る。これがなかなか難しい。蝶番をつけておく。

ファイル 2015-10-13 15 13 10もちろん外で使うので、外用にキシラデコールを塗装。ちょっと高いけど材料費がいわばただだからいいかということで。

ファイル 2015-10-13 15 12 47前面は欅の板と神代杉の板を組み合わせて作る。POSTという文字盤は銀杏の薄板を繰り小刀、回し引き鋸で作る。電動糸のこ盤があればいいんだろうけど、手道具でやるのは大変。
ファイル 2015-10-13 15 12 09玄関に設置。片側を花壇に埋め込んで、下に鉢植えを置いて安定させる。たぶん倒れないでしょう。

displayプロパティについて

cssのdisplayプロパティにはさまざまな値がある。

ただこれまでそんなに気にすることなく、2、3の代表的な値しか使ってこなかった。
今回、レスポンシブでfloatを使おうとして、うまくいかなかったために怪我の功名でこのdisplayプロパティのtableという値を使うことになった。

具体的には1段のレイアウトを2段化する時に、メディアクエリの中でfloatがうまく機能しなかったために、

を使ったというわけ。これがなかなか便利だった。ソースは以下。

親要素に

を書いて、

子要素に

を書けばいい。

実際はこれだけの話だが、実はこのdisplay: table;にはさまざまな用途があっていろいろと使えると思う。

段組についてはいろいろと方法があるが、
これについてよく知らなかったのは「不徳の致す所」?でした。

スマホ用メニューslicknavについて

スマホは幅が狭いので横型のメニューは向かない。そこで基本的にはメニューを表示せずクリックした時にメニューがプルダウンすると言うものだ。
しかも、既存のメニューを置き換える形を取ってくれる。レシポンシブには便利だ。

slicknavで検索し、jquery.slicknav.min.js と slicknav.css を入手。

htmlのヘッダに

を記述。(もちろんjsやcssの場所は任意だし、既存のメニューの場所も任意)

これだけでOKだ。

ただ、cssにこのメニューを表示する場合は以下を

表示せず既存のメニューを表示する場合は以下を書いてやる。

(ここではnavに#navigationがある形。もちろんここは任意)

レスポンシブWEBデザインについて

世の中、パソコンからスマホやタブレットに移行している。
従って、WEBサイトもそれに対応しなければならない。
そこで、登場したのがレスポンシブWEBデザインだ。

では、「レスポンシブwebデザイン」とはどういう手法かというと、ブラウザの横幅サイズをwebサイト表示の判断基準にし、ページのレイアウトデザインを柔軟に調整できる手法だと、とりあえずは言える。
デバイス毎のレイアウトが違うHTMLファイルを複数用意するのではなく、1つのHTMLファイルを、CSS3(Media Queries)で制御し、ブラウザの横幅サイズに応じてページのレイアウトデザインを調整できるようにする技法だ。

いわゆる「リキッドデザイン」と似たような感じだが、違いは、
リキッドデザインはブラウザ横幅サイズに応じて長さは可変するが、レイアウトは同一で要素の表示・非表示ができない。
それに対しレスポンシブwebデザインではブラウザ横幅サイズに応じて、要素の表示・非表示も含めてレイアウトが可変できると言うわけだ。

グーグルでもレスポンシブ化を推奨している。
そこで既存のサイトをレスポンシブ化するにはどうしたらよいか。

これがなかなか大変だ。(簡単に移行できるサイトもある。これは既存のサイトのレイアウトによる。)

実際にやってみたので以下報告する。

1.現在のサイトの修正

まず、スマホ用に作り変える(ここが第一のポイント)。始めから作成するならスマホベースでサイトを作ることだ。

ただ、これは意外と簡単。要するに全て全画面で表示できるようにすればいい。
複雑なレイアウトを避けて、コンテンツが順番に並んでいるサイトを作ればいいのだ。
既存のサイトを修正する場合もすべて全画面で展開する形にする。
これをPCのブラウザで見るとまったくおかしな形に思えるが、ブラウザの横幅を狭めてみればわかりやすくなっていることがわかる。

具体的には2段組や画像の配置との工夫を一切やめる。
もちろん幅は%指定にする。100%指定でかまわない。
メニューはPC用に作っておくが、スマホ用に切り替えることのできる

slicknav

というJqueryのプラグインを使う。(これについては別項で)

2.レスポンシブ化1

次に考えなくてはいけないのは、いわゆるブレイクポイントだ。
これはどの幅で表示を変えるかだ。あまり細かくする必要はない。
ここではいわゆるパッド用とパソコン用を用意する。

いずれにしても先ずはhtmlのヘッダに以下の記述を挿入する。

このviewportについてはいろいろと議論があるようだが、こう書いておけば無難なようだ。

width=device-width

はサイトのサイズをデバイスの横幅にフィットさせて表示すると言う設定で、横スクロールが表示されない程度にフィットしてくれる。

initial-scale=1.0

は拡大率のことでデフォルトの要素の拡大率が100%であることを意味している。

その上でcssに以下の記述を追加する。

ここの表示設定では追加や変更のみを書けばいい。

3.レスポンシブ化2

ただ、こう書くと簡単なようだが、実際はサイトの表示を確認しながら進めるほかはない。

パッド用の設定では、パッドはある程度幅があるので、画像の配置を変更できる。今回実際に行ったのも、画像の配置と文章の幅の設定変更のみだった。

PC用はかなりの変更をすることになる。実はこれはもともとある形に戻せばいいので、しっかりcssが書かれていれば問題はない。

ただ、ここで面白い現象があった。メディアクエリ内でfloatがうまく動作しないという点だ。一方向的なfloatはいいのだが、左右のfloatが効かないという現象だ。

これについても別項で。

とりあえず。

木工ではないけれど

木工ではないけれど、製本を久しぶりにやったので報告

ある学校の司書の方から製本についての話題があったことと、iPadのカバーが老朽化したこと、
かみさんがKindleを使うようになって、カバーを欲しがったことなどがあって、久しぶりに製本をやることになった。製本は以前随分取り組んでいろいろ作品?もあるんだけど、ここのところご無沙汰だった。中身は本ではないが、その技術をつかってKindleのカバーを作った。

ファイル 2015-09-20 8 08 14先ずは布を裏打ちする。ガラス板に湿らせた布を裏を上にして皺なく貼り、その上に薄いのりをつけた和紙を貼り付けて乾燥させる。乾くと布が紙のようになって加工がしやすくなる。

 

ファイル 2015-09-20 8 07 56ボール紙を表裏の2枚と背の部分を用意し(もちろん厚さ等は正確に測って)、折れる部分に溝を開け、補強にカンレイシャを貼り付けておく。

 

 

ファイル 2015-09-20 8 07 38それを乾燥した裏打ちした布の貼り付ける。ここはボール紙のほうにのりをつけて置き、折り返す部分を取ってカットする。

 

 

 

ファイル 2015-09-20 8 07 19

しっかり折り返して、(折り返す前に背の裏には裏打ちした別の布を張っておく)貼り、ラシャ紙をしっかり貼り付ける。これで完成。

 

 

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ファイル 2015-09-20 8 06 05ファイル 2015-09-20 8 05 43

再び「俳諧」の世界に遊びたくなる

敗戦日冷やしケツネをずるずると 閒村 俊一

マネキンの皺なき肌や沖縄忌 浜なつ子

原爆忌泡立つてゐるコカ・コーラ 小田中雄子

どうです。これらの句。いいじゃないですか。
これらの句は「魂の一行詩」という文で角川春樹氏が紹介されていた。(読売新聞9月14日夕刊)

さて、翌日の朝の読売俳壇に宇多喜代子氏選ということで次の句があった。

新聞をていねいに読む敗戦日 千葉市 かとう祥子

いつもは俳壇など読まないのだが、昨夜の角川氏の文に触れて眺めてみたら、同様な季語を使った句が最初に載っていた。
でも、前三句に比べるといいとは思わない。

いずれも敗戦日(終戦と言っていない)や沖縄忌、原爆忌というちょっと重たい季語を使っているが、前三句には「俳諧」があるが、後の句にはそれがない。

これはもう「好みの世界」だから、その好みに従って句を作ったり、選んだり、いいと思ったりすればいいのだけれど、

俳句の肝は「俳諧」にあることを改めて考えてもいいのではないかと思える。

では、「俳諧」とはなに?
語義としてはいろいろあるだろうし、文学史的にもいろいろあるだろうけど
言葉をかえればそれは「断点」だ。「切れ」と言う言葉を使ってもいい。

そこに俳句的「喩」が生じるはずだ。俳句も一つの「詩」だとすれば、「詩」の本質である「喩」がなければ「詩」にならない。

「敗戦日」に配するに「冷やしケツネ」、「沖縄忌」に「マネキン」、「原爆忌」に「泡立つコカコーラ」、そこに「俳諧」すなわち「断点」があり、その「断点」が「喩」を生んでいる。

角川氏は「古俳諧」の復活を望んでいるらしい。
江戸末期の「俳諧」を「月並み」として否定し、「俳句」を革新した正岡子規の末流が、まさにまた「月並み」に陥っているからだろう。

小生かつてずいぶん「俳諧」(現代風に言えば「連句」)を試みていた。
久しぶりに当時を思い出した。その連衆の一人の句に

小動(こゆるぎ)もせずに球児の終戦日 仙木

と言うのがあった。(記憶で書いているので正しいかどうか)
いい句だとは思うが、もう一つ満足しない。

安保論夕餉はおでんにシシャモのみ 小生

結局は自己満足の世界ではある。

また、「俳諧」に遊んでみたい気になった。

檜の本棚

師匠から頂いた檜の板で娘の所の本棚を製作。そのプロセスを。
倉橋氏が倒した檜の丸太、師匠が譲り受けて3年寝かせた後、松本で製材。大磯まで運んでくれた。
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それを秦野の木工実習室で自動鉋にかけて綺麗にし、片方だけ手押しにかけて直線を取る。
片側は耳付きにしておく。

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娘の要望で、極力奥行きを狭くし、しかも耳付きを生かすデザインを考えた。しかも分解できるようにとのことで、棚もダボ止めに。そこで側面の板に溝を掘る。トリマーは使わず、畦引きノコと鑿で加工。
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天板もダボで止める形に。このダボの穴あけが一苦労。なんとか合わせられる。

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これを小さいものと大きいものと合計三つ作る。こうすると木に無駄がなく、部屋で色々レイアウトできる。
完成!

読書はもっぱらKindle

ここのところ読書はほとんどkindleを使っている。8割ぐらいと思う。むしろkindleで読めないものは仕方なく本で読んでいると言った方がいいくらいだ。特に好きな古い作家の作品はほとんどただみたいな価格でkindleで読める。今、永井荷風を再読しているんだけれど、これもAmazonで出ている「永井荷風作品集」で読んでいる。

kindleがいいのは文字の大きさを自由に変えられる点ばかりではない。実際の本にはない機能があるからだ。最近はまっているのがhighlight機能だ。これはメモ機能とちょっと違った機能だが、Webサイトで自分がhighlightしたものが閲覧できるという点に魅力がある。閲覧できるということはテキストをコピペできるということだから、書評を書くときに便利だ。

一例を下に示す。

kindleでハイライトする

kindle

Amazonの自分のサイトでそれを見ることができる

kindlehighlight

成島柳北「柳橋新誌」初編を読む3

柳北は幕府の奥儒者です

前回の終わりに書いたが、この書の作者成島柳北は江戸時代の奥儒者だった。この書は安政六年一八五八年に書かれたと言われている。二十三才である。二十才で奥儒者となり、将軍に書を講じている。もちろん儒教の書である。

現代から考えると、その若さといい、その社会的立場といい、こんな書を書けるとは想像だにできないが、何が彼をしてこの書を書かしめたのか興味深い。

実は柳北、この四年後狂詩によって幕閣の因循を批判して、奥儒者の職を罷免させられている。この件は「柳橋新誌」二編の後序に触れられているが、柳北が実は血気盛んな面を持っていることをうかがわせる。

幕末という変動期にあって、体制側の中枢にいながら自らの体制を批判し、自らがよって立ってきた立場に疑いを持つ。容易にできることではないはずだ。その鬱屈を晴らすのが柳橋であったのだろう。

したがって、やや理想的にこの花街を描きたい所が散見するのは致し方ないが、どうしても柳北の批判精神がそこに止まらせないのも確かであるように思う。

明治期になって書かれた第二編は時代のさらなる変転を背景に違ったものとならざるを得なかった。

これについてはまた。