成島柳北「柳北奇文」を読む2

華謡新聞題言(明治9年8月2日)

「華謡新聞」は明治9年8月1日に風香月影社と言う所から発行された。(早稲田大学図書館のDBによればその4号が現存している。宮本千万樹 編輯とある。)
「今ヤ我社友中扼腕切歯シテ慷慨悲歌シタル諸子ガ。往日ノ失策ヲ懺悔シ。幡然(ヒラリ)ト旧套ヲ脱シテ。はな謡新聞ノ一社ヲ開ク。豈之ヲ奇〃妙〃ト称賛セザルヲ得ンヤ。」
とあるようにこの新聞は「朝野新聞」によって発行されたもので、その内容はまさに政治とは無縁に見える「はな謡」を採録したもののようだ。

やはりこの文にも柳北の真骨頂が伺える。
古詩を引いて「花ニ声無シ」というものの、古歌を引いて「曙に花の雫の音をきく」とし、ましてや花街の花たるものの声(これを「はな謡」という)を聴けば、「誰カ垂涎三尺ナラザルヲ得ンヤ」ということになるはずだとする。

しかしそれに対し「仮道学先生(ニセガクシャ)」は「頑〃タル鑼声(ドラゴエ)ヲ発シ余ガ此ノ説ヲ破毀シテ」言う。鄭の国の音楽をあげそれを「淫」とし、麗人は「危」いとし、「淫褻俗ヲ乱ルハ固ヨリ君子ノ悪ム所ロナラズヤ」とする。

(いつの時代もいますね、こう言う輩。道徳を説く人です。ほんと「銅鑼声」がうるさいのだ。)
もちろん柳北はこんなことは言いません。まず自分もこうした道徳説教を家業としていたとして、(何たって柳北は幕末期の奥儒者です。「ゑへん」と言ったりしていて、これがまたいい。)

「宣尼(コウシ)ハ何故ニ詩経(別字だが)ヲ剛正スルニ当テ。しんい桑中ノ如キはな謡を尽クかわノ流レニ擲棄シ去ラザリシヤ。蓋シ之ヲ存スルハ亦為メニスル所ロ有レバナリ。」とし、

孔子だって、鄭の国の音楽をすべて捨ててはいないし、それはそこに意義を認めているからなんだという。
しかし、「はな謡」を採録するのは難しい。いっそ「寝言」を集めてみたらと提案する。
「若シ寝タ時ニ寝言ヲ採リ。覚ムル時ニはなうたヲ録セバ。」これは無尽蔵で本社の繁盛間違いなしだと言っている。

ふざけているようにように聞こえて、決してそんなことはない。「扼腕切歯」して「慷慨悲歌」するより「はな謡」や「寝言」にこそ人間の真実があるんだ。もっと言えばこっちにこそ「痛み」があるんだと聞こえる。

やはり柳北はいい。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です