成島柳北に「柳北奇文」という著作がある。これは明治11年に西山喜内という人物によって編集され、出版されたものだが、中身はすべて「朝野新聞」の「雑録」である。
「雑録」は当時の社会の様々な現象を取り上げ、それを柳北ならではの文章で料理する。するとたちまちそれは当時の新政府批判へと転じる。この雑録にこそ柳北の真骨頂を見ることができるのだ。
これから一つ一つの雑録を紹介したい。漢文崩しの独特な文章は今や多くの人にとっては読みやすいものとは言えないが、なるべく本文を引きつつ紹介する。(引用は「明治文学全集」による。ただし一部漢字を変更する場合があることをご容赦ください。)
麦湯の説(明治9年7月29日)
今で言えば喫茶店、麦湯を売る店が開かれたが、それを官が禁じた。それを取り上げた文章だ。
その論法を追ってみる。
まず、官がそれを禁じたのは麦湯そのものではなく、それを売る「白面女郎ノ醜行有ルヲ以テナリ」である。すなわち
「官家ハ汝ノ麦湯安ヲ妨害スルニ非ズ汝ガ白面安ヲ妨害スルノミ白面安ヲ妨害セザレバ則チ全府ノ風俗乱ルヲ以テナリト」
これは官の言い分だ。
それに対し柳北はこう言う。まず
「我輩ハ市上ニ大呼シテ言ハン(巡査ニ叱ラレルナラ小音デ)」と言っているのもおかしいが、
この問題を新政府の問題として取り上げる。
「其(官が)行フ所ロノ事務ハ固ヨリ行フ可キコト猶麦湯ノ利有テ害無キが如シト雖ドモ其ノ姦猾苛刻等ノ事有ルニ至テハ則チ其主旨ヲ失フ者ニシテ之ヲ排撃セズンバ有ラザルコト猶彼ノ白面的ノ醜行ヲ禁えつスルト一般ノ道理ナレバナリ」
すなわち、政府の人間に不正があれば、それを妨害するのは麦湯店の禁と同様、ことの当然だというのだ。
「我輩ハ亦将ニ大呼セントス我輩論者ハ決シテ国安ヲ妨害ス可カラズ唯姦猾安ト苛刻安トノ如キハ宜シク之ヲ妨害ス可シ此ノ二安を妨害セザレバ人民の権利ヲ失ヒ却テ国安ヲ保ツ能ハザルヲ以テナリト」
政府の非を非難するのは当然の権利であり、それなくして国安は保てないと言っている。
さて、こうした柳北の論法は見事だが、その背景に実は柳北が麦湯店の側に立っているということは見逃してならないと思う。市井に視点があるといってもいいが、ようするに実は柳北は麦湯店が好きなのだ。
では、当時の麦湯店とはどんなものだったか。ちょっと調べてみた。今でいう喫茶店のようなものだが、江戸時代からあったようで、屋台で麦湯を売っていたのだが、それを売っているのがすべからく少女であったらしい。それを目当てに若い衆が集まったと言う。今でいうメイドカフェ?いや違うか。何れにしても市井の風俗の一つであったようだ。庶民のささやかな楽しみの場であったに違い無い。
柳北はいつもこう言う場所に立っている。女好きだしね。