成島柳北「柳北奇文」を読む2
華謡新聞題言(明治9年8月2日) 「華謡新聞」は明治9年8月1日に風香月影社と言う所から発行された。(早稲田大学図書館のDBによればその4号が現存している。宮本千万樹 編輯とある。) 「今ヤ我社友中扼腕切歯シテ慷慨悲歌シ...
華謡新聞題言(明治9年8月2日) 「華謡新聞」は明治9年8月1日に風香月影社と言う所から発行された。(早稲田大学図書館のDBによればその4号が現存している。宮本千万樹 編輯とある。) 「今ヤ我社友中扼腕切歯シテ慷慨悲歌シ...
成島柳北に「柳北奇文」という著作がある。これは明治11年に西山喜内という人物によって編集され、出版されたものだが、中身はすべて「朝野新聞」の「雑録」である。 「雑録」は当時の社会の様々な現象を取り上げ、それを柳北ならでは...
敗戦日冷やしケツネをずるずると 閒村 俊一 マネキンの皺なき肌や沖縄忌 浜なつ子 原爆忌泡立つてゐるコカ・コーラ 小田中雄子 どうです。これらの句。いいじゃないですか。 これらの句は「魂の一行詩」という文で角川春樹氏が紹...
柳北は幕府の奥儒者です 前回の終わりに書いたが、この書の作者成島柳北は江戸時代の奥儒者だった。この書は安政六年一八五八年に書かれたと言われている。二十三才である。二十才で奥儒者となり、将軍に書を講じている。もちろん儒教の...
街ガイドに止まらない さて、続きです。 柳橋は花街だけど、芸者がいたわけで女郎がいたわけではない。芸を売っていたわけで、色を売っていたわけではない。とはいうものの、やはり柳北の言に従えば「敢へて売らざるの色を売らしむ」の...
東京遊び場ガイドです 永井荷風は「柳橋新誌につきて」の冒頭で以下のように書いている。 明治時代の書生にして成嶋柳北の柳橋新誌を知らぬものは殆無かつたであろう。柳橋新誌は其の名の示すが如く柳橋烟花の地の繁栄を記述したもの...