日本古典文学総復習続編34『本居宣長集』

はじめに

この古典文学総復習もこれで一応の最後となる。最後が本居宣長というのも、ある意味象徴的かもしれない。宣長は初めて近代的な意味で言うところの「文学」を発見した人物と言えるからだ。その初期の『源氏物語』論である「紫文要領」がそれをよく示している。この論は文学を儒教的価値観や仏教的価値観から解放した、いわばマニュフェストと言える。まずはその跋文から見てみたい。

「紫文要領」について

跋文(本文)

右『紫文要領』上下二巻は、年ごろ丸が心に思ひよりて、この物語をくり返し心を潜めて読みつつ考へ出だせるところにして、まつたく師伝の趣きにあらず。また諸抄の説と雲泥の相違なり。見む人あやしむことなかれ。よくよく心をつけて物語の本意を味ひ、この草子と引き合せ考へて、丸がいふところの是非を定むベし。必ず人をもて言を棄つることなかれ。かつまた文章・書きざまはなはだみだりなり。草稿なるゆゑにかへりみざるゆゑなり。重ねて繕写するを待つべし。これまた言をもて人を棄つることなからんことを仰ぐ。

時に宝暦十三年六月七日 舜 庵

              本居宣長 在判

   安永六年七月二日 誂人書写畢 門人

口語訳(拙訳)

右の『紫文要領』上下二巻は、数年来私が心に掛けていて、この物語を繰り返し、心静かに読みつつ考え出したところを書いたもので、決して先生から教わったということではない。またいろいろある源氏物語の解釈とは雲泥の差がある。これを読む人はそのことを変に思わないでほしい。ようく心からこの物語の本意を味わって、私のこの冊子と引き比べ、私の説が正しいか否かを判断してほしい。私が無名の若輩というだけでその説を否定しないでほしい。ただ、文章や書き方はとても乱雑ではある。それはこの書が草稿であるため、十分に気をつけなかったためだ。今後清書するまで待ってほしい。こうした文章の乱雑さを理由に私の説を否定しないことをお願いする。

時に宝暦十三年(1763年)六月七日 舜 庵(しゅんあん・宣長の号)

              本居宣長 在判(ざいはん・ここに本人の花押がある)

   安永六年七月二日 誂人書写畢(ひとにあつらへてしょしゃをはんぬ・人に頼んで写してもらったの意)  門人(誰であるかは未詳)

ここには若き宣長の高揚した、自信に満ちた宣言がある。物語を物語として、あらゆる既存の価値観から裁断せずに、没入して読み、そこに新しいものを見出した感動が語られている。そしてそこに新たな価値観を付与できるはずだという自負心に溢れている様が読み取れる。

「紫文要領」の梗概

さて、跋文からみてしまったが、それを前提にその内容を頭注にある編者の小見出しを使って追っておく。

巻上
作者の事
 紫式部作という説以外は信じがたい
述作由来の事
 執筆の動機・事情は不明
述作時代の事
 1000年頃成立・ほどなく流布した
作者系譜の事
 父・夫・自身の履歴・紫式部と称する事・なぜ「紫」と呼ばれるのか・ゆかりの者ゆえに「紫」と呼ばれる
準拠(なずらへ)の事
 モデルのせんさくは無用
題号の事
 「源氏」の意味・「物語」の意味
雑々(くさぐさ)の論
 無用の論いろいろ・系図と年表は必要・河内本と青表紙本
注釈の事
 河海抄と花鳥余情は必読すべし・湖月抄は便利・紫家七論・契沖の源註拾遺・秘説などは信用するに足りない
大意の事 上
 物語は儒仏の書と本質を異にする・源氏物語に見える「物語」という語・源氏物語中の物語論は源氏物語にも当てはまる・蛍の巻の物語論こそ紫式部自身の物語論・源氏、物語をわざと否定する・物語中の二種類のテーマ・紫式部の慎重な配慮・源氏、物語肯定論を述べる・物のあはれを知る心から物語を書く・「よきこと」と「珍しきこと」・漢文の書物と物語との違い・物語は仏典の方便と同じ・物語を卑下して締めくくる・仏教に付会する従来の解釈への批判・歌・物語における善悪と儒仏の書における善悪・物のあはれを知るのが物語における善・人生万般にわたり物のあはれはある・儒仏で悪とすることの中にも物のあはれはある・不道徳な源氏こそ「よき人」の代表・不義を犯した柏木もまた「よき人」・女で「よき人」は藤壺・紫の上・「あだ」でもだめ・貞淑一方でもだめ・「よきほど」に身を処することのむつかしさ・「雨夜の品定め」の解釈・家事専一で情趣を解さない妻では不満足・「物のあはれを知る」ことと「あだ」との違い・「まめ」であるだけでは不十分・藤壺は物のあはれを知る人・物のあはれを知らぬ人・物のあはれによって善悪を分つ・事の心・物の心を知らねばならない・物のあはれにも種類がある・物のあはれの有無は知る人の心による・物のあはれを知らぬ人は虎狼にも劣る・仏道にも物のあはれに関わる面がある・物のあはれ知り顔するのはよくない

巻下
大意の事 下
 物のあはれは恋においてもっとも深い・桐壺院の恋・源氏の恋・夕霧の恋・柏木の恋・空蝉の恋・物のあはれを知る人は恋に理解が深い・玉鬘に対する源氏の配慮・源氏に対する桐壺院の配慮・夕霧に対する源氏の配慮・源氏に対する朱雀院の配慮・柏木に対する源氏の配慮・再び「物のあはれを知る」ことと「あだ」と・源氏物語は好色の戒めにならない・物語は好色の心をつのらせる・古来の道徳的解釈はすべて牽強付会・紫式部の謙虚な人柄・荘子・史記・資治通鑑に学ぶというのも牽強付会・「物のまぎれ」は問題にするほどのことではない・作書の意図は、深い物のあはれを描くため・もう一つの意図は源氏の栄華を尽くすため・天の咎めを受けたのは源氏ではなく冷泉院・源氏を皇位につけなかった理由・「物のまぎれ」に教訓の意図はない・尊貴栄華は物のあはれに関係がある・仏道には物のあはれの深い面がある・人情の真実は未練で愚かな物である・作中の迷信は当時の風儀人情である・加持祈祷も風儀人情・風俗は時代によって異なる・描かれているのは中以上の人の有様・歌人、この物語を見る心ばへの事・歌と物語の本質は同一・ともに物のあはれを知ることから出る・古えの中以上の風儀人情を知るべし・歌の根本は物のあはれを知ること・古えの歌はみな中以上の人のもの・古人は物のあはれを知ることが深い・源氏物語を読んで古人に同化すべし・再び中以上の風儀人情について・下賤の者も中以上の人を学ぶべし・今の公家は昔の公家と違う・三代集が歌の手本・三代集と源氏物語と風儀情趣は同じ・源氏物語は物のあはれを尽くす・源氏物語は儒仏の書とは異なる 

その内容

長くなってしまったが、こうして見出しを見ただけでも、宣長が源氏物語をどう読んだかがよくわかると思う。一言で言ってしまえば、それは「物のあはれを知る」と言うことに尽きるのだが、そこには宣長の人間観が色こくあらわれている。「不道徳な源氏こそ『よき人』の代表」と言い、「不義を犯した柏木もまた『よき人』」と言い切るためには以下のような人間観がなくてはならない。これは「下」で「人情の真実は未練で愚かな物である」と言っている場面だ。こうした「よき人」たちはみな女子供のようで男らしくないのに、それを「よし」とするのはどうしてか、という問いに答える形で言っている。引用する。

答へて云はく、大方人の実の情といふものは、女童のごとく未練に愚かなるものなり。男らしくきつとして賢きは、実の情にはあらず。それはうはべをつくろひ飾りたるものなり。実の心の底をさぐりてみれば、いかほど賢き人もみな女童に変ることなし。それを恥ぢてつつむとつつまぬとの違ひめばかりなり。唐の書籍はそのうはべのつくろひ飾りて努めたるところをもはら書きて、実の情を書けることはいとおろそかなり。ゆゑにうち見るには賢く聞ゆれども、それはみなうはべのつくろひにて実のことにあらず。そのうはべのつくろひたるところばかり書ける書を見なれて、その眼をもて見るゆゑに、さやうに思はるるなり。

ここは小生の口語訳などいらないだろう。実に宣長の文は平易でわかりやすい。ここで宣長は「人情の真実は未練で愚かな物である」と言っている。表面を取り繕っている人も、一皮剥けばみな弱き「女童」と変わりはしない。それが人間というものだと言っている。ここで言っていることがその当時いかに思い切った言挙げかを想像してみると良い。現代ならまだしも、こうした発言は当時の武家社会の倫理観や人間観からすればとんでもない妄言と受け取られかねない。しかし宣長は思い切って言っている。そしてこの人間観こそが「物のあはれを知る」ことから導き出された物なのである。もっと言えば文学とはこうした人間の未練で愚かな面を描くものだと言っている。それを如実に描いているのが『源氏物語』だと。それを読むことが「物のあはれを知る」こと、すなわち「人間の真実」を知ることだと言っている。

「石上私淑言」について

さて、も一つの著作「石上私淑言」を見ていこう。
この書は実は書かれた時には刊行されず、没後に刊行されている。書かれた時期は前書と同じ宝暦十三年だという。最後を見ればわかるが、当時未完のままで保存されていたという。まずはその内容を校註者日野龍夫氏の頭注の小見出しによってみていきたい。全3巻あるが、通して百二項目に区切っている。ほとんどが問いに答える形で述べられている。小見出しは以下だ。

その梗概

巻一
(一)ほどよくととのい、文(あや)のある言葉を歌という・有情のものの声には歌がある・非情のものの声は歌ではない
(二)ほどよくととのうとは五言か七音の句をいう
(三)語り物も歌の一種である
(四)イザナギ・イザナミ神の昌和が歌の始まり・二神の歌の解釈
(五)日本書紀より古事記の方が古語を伝えている
(六)八雲の神詠が歌の始まり・八雲の神詠の解釈
(七)下照姫の歌の位置づけ
(八)上古には歌体の区別の意識はなかった
(九)三十一字の歌体が自然と定着した
(一〇)連歌の起源・五七五・七七の連歌
(一一)(歌の出現)
(一二)物のあはれを知るということ・事の心をわきまえ知る・物に感ずる・「あはれ」という語の原義・感動詞「あはれ」の用例・「あはれといふ言」の用例・「あはれといふ」の用例・「あはれと見る」の用例・「あはれと聞く」の用例・「あはれと思ふ」の用例・「あはれなり」の用例・名詞「あはれ」の用例・深く感じた気持ちを「あはれ」と表現する・「をかし』も「あはれ」の中に含まれる・再び、事の心をわきまえ知る・深くあはれに感じた時、歌が生まれる
(一三)物のあはれに感じたら歌をよまずにはいられない
(一四)感動の表現には自然と文(あや)がある・外物に託した感情の表現・人は感動した時、他者の共感を求める・人の共感を得るためにも表現に文が必要
(一五)・「歌」という漢字と「うた」という和語・体の言葉と用の言葉・「うた」と「うたふ」・「うたふ」と「訴ふ」
(一六)(「歌」の字義)(一七)「歌」という字と「詩」という字
(一八)『釈名』の「歌」の字の解釈
(一九)「謡」という字
(二一)「歌をよむ」といういい方について・「よむ」の原義は「口に出していう」・歌を作ることを「よむ」という理由・歌を作るの意で「詠」字を用いるのは不可・「作歌」は「歌をよむ」と訓ずるのがよい
(二二)「古歌をよむ」といういい方について
(二三)「詠」という漢字について
(二四)「ながむ」と「うたふ」
(二五)「ながむ」が「物思いする」の意になる理由
(二六)「ながむ」が「見る」の意になる理由

巻二
(二七)「やまとうた」と「倭歌」
(二八)「倭歌」という表記について
(二九)「やまとうた」といういい方
(三〇)「やまと」という語
(三一)「やまと」の語は神代からある
(三二)「やまと」はもと大和の国のみを指す名称である
(三三)『書紀』に見える「日本(やまと)」は大和の国 
(三四)「大八洲」は日本全体の名称
(三五)「大やまと豊秋津洲」は本州を指すようになった
(三六)「やまと」が日本の総名になった時期
(三七)「やまと」が日本の総名になった理由
(三八)「やまと」の語源ー「山処(やまと)」
(三九)「山跡(やまと)」「山止(やまと)」という説
(四〇)「山外」「山戸」という説
(四一)「八洲元」の略という説
(四二)嘉号の論は無用の事
(四三)「倭」字を用いる理由
(四四)「倭」を「やまと」と読む理由
(四五)「和」字用いる理由
(四六)「和」字に改められた時期
(四七)天平勝宝四年以前の「和」の用例
(四八)「日本」という国号を用い始めた時期
(四九)「日本」という国号の由来
(五〇)「ひのもと」という語について
(五一)「やまと」を「日本」と表記し始めた時期
(五二)「やまと」を「日本」と書く理由
(五三)「大日本」「大和」の「大」の字について
(五四)「やまとみこと歌」という語
(五五)「敷島のやまと歌」という語
(五六)崇神紀の磯城と欽明紀の磯城島宮
(五七)「敷島の道」という語
(五八)歌道を「敷島の道」という理由
(五九)「しきしま」の正字
(六〇)磯城島の所在地
(六一)「歌の道」という語
(六二)詩と歌は本来同じもの
(六三)詩と歌の違い
(六四)詩と経学との違い
(六五)詩は女々しい情を詠ずるのが本来
(六六)人情は本来女々しくはかないもの
(六七)女々しい人情を詠ずるのが詩歌の役割
(六八)和歌にのみ神代の素直さが保存されている
(六九)漢詩にも和歌と同趣のものはある
(七〇)歌の道は神代の心ばえのまま
(七一)恋の歌の多い理由
(七二)恋以外の欲求はなぜ歌に詠まれないのか
(七三)欲から生まれる歌もないではない
(七四)不倫の恋が好んで詠まれる理由
(七五)わが国の古典に恋の話が多い理由
(七六)僧侶が恋の歌をよむのはなぜか・僧侶の方が俗人より恋の思いは深いはず

巻三
(七七)仮名序等の歌論は中国の詩論の模倣
(七八)真名序等の歌論を信用してはいけない・わが国では歌を政治の具に用いてことはない
(七九)歌の効用について・歌は神の御心を慰める・歌によって治者は被治者の心情を知る・歌によって人は思いやりの心を持つ
(八〇)歌の本質と効用を区別しなければならない・先達の説といえども誤りは正すべし
(八一)詩は人の心を感動させない・比喩による経書・詩・歌の違いの説明・詩ー理論による説得・歌ー感動による説得
(八二)歌の実作の必要について
(八三)歌を詠むのは人として当然のわざ
(八四)歌には偽りが必要
(八五)中国風の賢しらで神意を推測してはいけない
(八六)古の情・詞を学ばねばならない
(八七)古人の心を学ぶ必要性
(八八)歌の制禁について
(八九)心・詞ともに俗を避けなければならない・意より詞の方が重要
(九〇)古い心詞を珍しく詠みなす
(九一)「花」と「実」
(九二)「六義」の論は無用のこと
(九三)古来の説であっても誤りは正す
(九四)後代の歌も心は古代の歌に同じ
(九五)歌に上下のけじめはない
(九六)五句三十一字の道理を論ずるのは無用のこと
(九七)五句三十一字の道理は不明
(九八)五言七言について
(九九)句の続き方について
(一〇〇)長歌について
(一〇一)短歌について
(一〇二)反歌について(この以後著述なし。未完)

以上

その内容

こう見てくるとこの書は「和歌」について論じている書ということになる。前半は「歌」が、やはり「物のあはれを知る」ことにおいて成り立っていることを論ずる。ここは前書と同じである。しかし、その後「あはれ」という語についていくつか用例を挙げてその語釈を語っている。この点は国語学者としての宣長の片鱗を示す。また、「歌」という語やさらに「やまと」という語について論じる姿勢はやはり学者的である。これはあまり前書には見られなかった。ここらあたりから国学者への傾斜が読み取れる。相変わらずいわゆる漢詩との比較は見られるが、前書ほど批判的すぎていない気がする。また、「恋」や「女々しさ」を今度は「歌」を通して論ずるが、むしろ「古人の心」とか「神代の心ばえ」と言った言葉が見え、ここにも国学への傾斜が読み取れる気がする。

後に宣長は多くの国語学的業績を残す。また、その大著『古事記伝』を完成させる。もちろんこの書にもその業績に向かう片鱗は見られるが、むしろ「物のあはれ」論それ自体の徹底が欲しかった気がする。

ここで二つ本文を引用する。今回は本書のコピーを載せる。クリックして拡大できるはずだ。

本文コピー1

本文コピー2

初めは「物のあはれを知る」論の核心だ。これは前著にもある論だ。そして最後にそれを「歌」と結びつけている。

次はその「歌」を神道と結びつけている部分だ。もちろん当時の儒教の影響を受けた神道を批判はしている。しかし、「歌」を「神の御国の心ばえ」に結びつけている。

『源氏物語』ー「物のあはれを知る」ー「歌」ー「歌道」ー「神の御国の心ばえ」ー『古事記伝』ー神道という通路だろうか。

おわりに

ない物ねだりだろうか。「物のあはれを知る」論が「神の御国の心ばえ」論に行ってしまう通路が小生としては我慢できない。ましてや宣長ではなく、その追随者がそちらばかりを喧伝したついこの間(「もう」というか「まだ」というか、八十年前のこと)の思想的状況が、またそれをそっくりひっくり返したそれへの批判的思想的状況が嫌いだ。宣長の優れた「物のあはれを知る」論をもっと徹底する別の地平があったはずなのだ。

小林秀雄の『本居宣長』の「序」で折口信夫の言葉が引かれている。「小林さん、宣長は「源氏」ですよ」と。さすが、折口だ。私もそう言いたい。

2025.03.05

この項 了

追記

初めに書いたようにここでこの「古典文学総復習正続」を一応終了する。この仕事は小生が現役時代に「老後の楽しみ」として買い集めた岩波書店の「新古典文学体系」100冊と新潮社の「日本古典集成」82冊を重複は別にして全て読破するという試みだった。2017年の一月に始めた。実に7年を要したことになる。

実は小生の書斎にはまだ取り上げていない古典作品がある。それは前の岩波の「古典文学体系」に「日本書紀」と「風土記」、それに朝日古典全書の「古本説話集・本朝神仙伝」である。ただここは類似の作品で触れているということで取り上げないことにする。次に行かなければならないからだ。

次はもう一つ書斎に鎮座している全集、筑摩書房「明治文学全集」100冊だ。本年2025年4月から取り組む予定だ。では楽しみに?

新WEB開発入門講座4 個別編2 グリッドデザインの完全理解

WEB開発講座 個別編2 「gridレイアウト」徹底理解

使用するファイルです。すべてを適当なフォルダに以下のように納めるといいです。

webstudy_grid
(*.html)
css
(*.css)

1.flexboxレイアウトとgridレイアウトの相違点

2グリッドデザインの基礎

3.グリッドレイアウト

4.グリッドの中にもグリッド

5レイアウトテンプレート

以上

日本古典文学総復習続編33『誹風柳多留』

はじめに

この古典文学総復習続編も残り二冊となった。いずれも時代がやや遡るが、『誹風柳多留』と『本居宣長集』である。これまで取りこぼしてきた二冊ということになる。

さて今回はまず『誹風柳多留』を取り上げる。この『誹風柳多留』はいわゆる古川柳のアンソロジーだ。川柳についてはご存知の向きも多いとは思うが、この古川柳については若干の説明が必要かと思う。そこから始めたいと思う。

古川柳について

川柳は現在でも多く作られ、読まれている。新聞でも毎週のように時事川柳が掲載されている。また、サラリーマン川柳なるものが人気があり、面白い作品も多くある。そしてその特徴はいずれもいわば「素人」が作っている点にあると思う。もちろん短歌や俳句も多くの「素人」が作っている。しかし短歌や俳句にはそれ以上に「専門家」が多くいて歌人や俳人を名乗っている。だが、専門の川柳人?といいうのは寡聞にして聞いたことがない。もちろん専門家を名乗る人もいるかも知れないが、多分俳人の余儀程度だと思う。

実は古川柳もやはり「素人」が作者である点は現在と変わらないのだ。この『誹風柳多留』に収められている多くの句に一つとして作者の署名などない。ここに川柳の第一の特徴があると言える。

ただ、古川柳には現在の川柳と大きな違いが存在する。それは古川柳が「前句付け」だということだ。元々この川柳は俳諧から発生したのだが、この俳諧が連歌から発生したことでもわかるようにいわゆる「発句」以外は全て「前句」があって、それに「付ける」ことで句を作るという性質があるのだ。「前句」をどう読んで、それにどう「付ける」か、そこに俳諧の妙味があることはこれまで取り上げた江戸の俳諧について復習したときに語ってきた。そしてこの古川柳はその「前句付け」自体を独立させて、その妙味自体を問題にした表現だということだ。

川柳という名は元「柄井川柳」という人の名から来ているのだが、この「柄井川柳」が大流行させたのが、いわば「前句付け」コンクールである。「前句」を提示して、その「前句」にどううまく付けるかを競いあい、それに点数をつけ、優秀な作品は刷物にして配り、賞金も出したようだ。それが大流行したのだ。それを判定するのが柄井川柳という人物であったというわけだ。もちろんこうしたコンクールは川柳以前にも京や大阪で行われていたが、これほどの大流行を見たのは江戸が経済的に発展した田沼時代だった。

もっと具体的に言おう。今月の前句はこれこれだと提示して、その前句につけた句を募集する。投句するには一句につき当時の蕎麦代ぐらいの料金がかかったという。投句できる場所は江戸市中のあらゆるところにあったようだ。料金を払いさえすれば、誰でも投句できた。それを集める人物がいて、そこから手数料を取って、柄井川柳のもとへ届ける。そして柄井川柳が点をつけ、優秀作を刷物にして人が多く集まる場所に貼り出す。しかも優秀作には賞品や賞金を出したという。初めは投句もそれほど多くはなかったようだが、この川柳の点つけが、他の俳諧の宗匠より甘かったというか、より庶民的であったということがあって爆発的に流行したというわけだ。

この「前句付け」は元元連歌や俳諧の修練として行われていた。またそれを指導し、点をつける習慣もあった。室町時代にもこの古川柳と同様なものが見られたようだ。しかしこれほどの大流行を見たのは江戸時代の柄井川柳の時代であった。これは経済的な発展と文化的な教養の庶民化なしでは考えられない。

『誹風柳多留』について

古川柳について多くを語りすぎたかも知れない。しかし、この古川柳についての知識なしではこの書を語れない。実はこの書、先ほど紹介した投句優秀作の刷物を集め、さらに編集した書だからだ。編者は呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)という人物。この古典集成本はその初編である。実はこの書なんと明和2年から天保11年(1765–1840)にかけて167編が刊行されたという。いわば川柳年報って感じのものなのだ。

ここではその初編を見ていくことになるが、それはどのように編集されているだろうか。
その序で

一句にて、句意のわかり安きを挙て一帖となしぬ。なかんづく、当世誹風の余情をむすべる秀吟等あれば、いもせ川柳樽と題す。

と書いていることから、元々は前句抜きで独立した句を川柳が編集した「勝ち句刷」から抜き出し並べたようだ。しかし、その並べ方に特徴があって、全く違った句意の句を雑然と並べてはいない。この書を読むものが何か繋がりがあるように読める仕掛けになっている。これはまさに俳諧的である。俳諧はそれぞれの句が独立しながら、全体として独特な展開と情趣があるのだが、それを狙ったようだ。そこが「誹風」という題名の所以だ。

さて、この集成本では理解のためにわかるものは前句も並べてか書かれているし、その頭注にはその流れもわかるように解説されている。

実際の句

では実際の句を見ていくことにする。まずは有名どころでいこう。ただ、その前後も挙げておく。

77 伊勢縞のうちは閻魔を尊がり
    長い事かな長い事かな

78 役人の子はにぎにぎをよく覚え
    運の良い事運の良い事

79 女房があるで魔をさす肥立ぎは
    長い事かな長い事かな
   女房が得手は魔をさす肥立ぎは

80 鑓持は胸のあたりをさし通し
    長い事かな長い事かな

81 白魚の子にまよふ頃角田川
    やさしかりけりやさしかりけり
   白魚も子にまよふ時角田川

句の後に描かれているのが前句である。79はその後にあるのが元の句だ。ということは編者の改作となる。有名なのは78の句だ。これは「風刺」句として読まれているはずだ。しかし、前句を見る限りそんなことはなさそうだ。当時「は振り」を効かせていた「役人」(武士)の家に生まれたラッキーを詠んでいるのである。これが前句付けとして読むか独立句として読むかの違いだ。さて77の句との繋がりだが、これは解説なしではわからない。伊勢縞は当時もっぱら商家の丁稚のお仕着せに用いられた着物のことでここはその丁稚のこと。閻魔堂に参詣した丁稚たちが長く時間を潰している様子をいう。ここで丁稚から役人の子へ運ばれる。79の句は今度は子を産む夫婦の機微。「肥立ぎは」病気の治り際、これまでが長かったので、ついつい不摂生してしまう。元の句の「得手」は女陰の隠語だという。これではあからさますぎるので編者が変更。80の句は長さを時間的でなく物理的な長さとして捉え、79の句のまさに「魔がさした」ことを今度は本当の鑓がさすと。そして81の句は前句を母の子を思う情と見て、謡曲「隅田川」を踏まえ、梅若忌を思い起こす。元の句ははっきり踏まえを表しているという。

どうであろうか。これは川柳そのものというよりは『誹風柳多留』の世界なのだ。

あとは通読して気になり付箋をつけた句を列挙する。みなさん自由に解釈してください。

104 指のない尼を笑へば笑うのみ
    こまりこそすれこまりこそすれ

165 これ小判たった一晩居てくれろ
    あかぬ事かなあかぬ事かな

172 江の島を見て来たむすめ自慢をし
    今が盛りぢや今が盛りぢや

316 小便に起きて夜鍋をねめ廻し
    無理な事かな無理な事かな

344 大門を出る病人は百一ツ
    愛しかりけり愛あしかりけり

377 大は小兼ねると笑ふ長局
    欲張りにけり欲張りにけり

380 母の手を握って炬燵しまはれる
    とんだ事かなとんだ事かな

422 大磯は欠落するにわるい所
    くたびれにけりくたびれにけり

537 大磯の落馬はすぐに煙草にし
    座りこそすれ座りこそすれ

597 本降りになつて出て行く雨宿り
    (前句不明)

640 黒犬を提灯にする雪の道
    山のごとくに山のごとくに

681 粉のふいた子を抱いて出る夕涼み
    よい気色なりよい気色なり

753 姑の屁をひつたので気がほどけ
    しをらしい事しをらしい事

おわりに

こうした句を江戸の住人たちが競って作ったというのは、まさに江戸の街の文化的程度の高さを証明していると言える。そこにはほのぼのとした親子の情があったり、日常を斜めから穿つ面白さや古典的な教養に基づいた見立てがあったりする。それは自分の生活や感情を対照化する教養がなければできることではない。それを批評精神と言ってもいいはずだ。ただ、このこの街の文化的程度の高さや批評精神は為政者に取っては決して手放しで喜べるものではなかった。川柳興隆も寛政の改革などの反動的幕府政策によって萎んだ時期もあったのはそのためだ。柄井川柳は晩年そうした衰退も経験した。辞世句として

 木枯や跡で芽を吹け川柳

との句を残したという。さて、現在「川柳」は柄井川柳が望んだような「芽」を吹いたでしょうか。

今回はここまで。

2025.01.20
この項 了

久しぶりの木工の話題

ここのところ木工を続けて行った。fbで紹介しているがティッシュケースはそれなりに難しかった。要するに箱を作るのは難しい。
ここはそれより難度が低いトレーについて作成過程を記録する。
材料は例によって杉の大木の端の柔らかい板。実に木目が美しい。もう一つは枠に使う檜の細板。これは外に置いてあったので表面が焼けているもの。

杉板の加工は単に長方形にカットするだけだから簡単。ただ「うづくり」仕上げにする。
問題は外枠の加工。カンナがけした薄板を杉板を貼るための溝を作る。本当はトリマーで完全な溝にすればいいが、どうもトリマーは使いたくない。(電動工具は怖いし、セッティング面倒なので)そこで畦引きノコと薄い縦びきノコを使って簡易なものにする。

さらに手を入れる部分を作る。ドリルで穴を開け、欄間用ノコでくり抜く。

これで材料の加工は終了。

あとは組み立てだが、コーナーの部分が相変わらず難しい。溝の切り方も関係して、かなりの補填が必要となる。結局ここが肝心か。要するに誤魔化しを行う。これで一応完成。あとは塗装。今回は透明なウレタン塗料を使った。抗菌で安全性が高いものを選んだ。

以上。2024.12.25

日本古典文学総復習続編32『三人吉三廓初買』

はじめに

また歌舞伎台本。今度は幕末期の河竹黙阿弥の有名作「三人吉三廓初買」。ただし最近上演の「三人吉三巴白浪」のフルバージョン。最も初期の形の台本。内容は以下に場面ごとに追っていくことにして、白浪物ということで、いわば「ダークヒーロー」が主人公の話だが、このフルバージョンは如何にも「世話物」らしい人情噺的要素も色濃くある。実はこの部分は最近では割愛されて上演されている。なぜかその理由はいろいろあるだろうが、以下見ていくように話が長いのだ。全八幕もあるからだろう。しかしここはしっかりこのフルバージョンで読んでいくことにする。

その内容

第一番目 序幕

荏柄天神社内の場

話の発端に関わりある人物の登場。

同 松金屋座敷の場

安森家で盗まれた庚申丸の短刀を売る人物と買う人物のやりとり。

笹目が谷柳原の場

夜鷹小屋でのやりとり。十三郎とおとせ中心。

同 新井橋の場

安森家の家来弥作、海老名軍蔵一味を討つ

失われた名刀とその代価百両を廻ることの発端

例によって時代は鎌倉時代になっているが、鎌倉殿から預かった伝家の宝刀「庚申丸」という名刀を盗まれてお家断絶になった安森家とそれを探し出して出世の種にしようとする海老名軍蔵との争いが縦軸となって話が展開する。横軸にはその名刀を川底から拾ったのを二束三文で買い、売って金儲けをした研ぎ師、その代価を軍蔵に貸して儲けを企む金貸、それを買ってさらに売って百両を預かった小道具屋木屋の手代、それに惚れた夜鷹おとせらが絡む。一旦名刀は軍蔵のものとなる(実際は研ぎ師の元にあり、研いだ上での納めることになっている)が、軍蔵は安森家の家来弥作に討たれ、十三郎は預かったはずの金百両を夜鷹小屋で落としてしまう。なおこの幕では三人吉三はまだ登場しない。

第一番目 二幕目

花水橋材木河岸の場

軍蔵が討たれて、貸した金を失った金貸と思わず名刀を手に入れた研ぎ師がであう。預かった金を失った十三郎が身投げしかけるが、夜鷹小屋の主人伝蔵に助けられる。金は娘が預かっているという。

稲瀬川庚申塚の場

娘おとせが金を持ったままお嬢吉三に出会い、奪われてしまう。おとせは川に落される。そこをお坊吉三に見咎められ、よこせとお嬢吉三と争いになる。が、もう一人和尚吉三が現れ仲裁し、結局は三人の吉三が義兄弟の契りを結ぶことになる。

ここで初めて三人吉三が登場となる。お嬢吉三は八百屋のお七、実は旅役者で男。お坊吉三は実は安森の子息、吉三郎。和尚吉三は吉祥院の所化、弁長で巾着切り。という悪者。この幕で有名なセリフが披露される。以下である。お嬢吉三の台詞。

月も朧に 白魚の、篝もかすむ春の空。冷たい風もほろ酔ひに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏の ただ一羽。ねぐらへ帰る川端で、竿の雫か濡れ手で泡。思いがけなく手に入る百両。
厄払  御厄払ひませう、厄落とし(繰り返し記号)
ほんに今夜は節分か。西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落とし。豆沢山に一文の、銭と違つた金包み。こいつぁ春から、縁起がいいわへ。

第一番目 三幕目

化粧坂丁字屋の場

丁字屋二階、吉野の部屋の場

お坊吉三、馴染みの遊女吉野の部屋にいる。そこへ巾着切りが三人分け前を取りに来る。喧嘩となるが、そこに木屋の文里が現れて仲裁。文里はお坊吉三の妹の遊女一重に通っている。

一重の部屋の場

文里は他の遊女や周りの人間にはすこぶる人望があるが、どういうわけか一重だけは嫌っている。?

九重の部屋の場

九重が一重を説得。文里に対して、謝るようにと。

再び、一重の部屋の場

一重指を切って文理に誓いを立てようとするが、文里は拒否。一重が今度は短刀で自害しよとする。その短刀から一重が安森の娘であることを知る。

葛西が谷夜鷹宿の場

川に落ちた「おとせ」を八百屋の久兵衛が助け夜鷹宿に連れてくる。そこには十三郎が助けられ匿われている。おとせと十三郎は再会を喜ぶ。ただ、久兵衛から話を聞いて、おとせと十三郎は実は双子の兄妹で夜鷹宿の主人伝吉の実の子だとわかる。また、ここで和尚吉三が伝吉の息子であることがわかり、その和尚吉三が例の百両を持ってくるが伝吉はどうしても受け取らない。たまたま訪れた、おとせに惚れる武兵衛の手に入ることになる。

ここの伝吉の回想の台詞は重要。以下に本文の画像で示す。これまでの因果がわかる。読んでいただきたい。

第一番目 大詰

地獄正月斎日の場

ここでどういう訳か、地獄が舞台。閻魔大王、紫式部、地蔵、朝比奈という本編とは無関係な人物が登場。地獄とはいえ斎日で宴会騒ぎ。後の場でこれは和尚吉三の夢とわかる。ここは当時の歌舞伎のあり方か。

小磯宿化地蔵の場

和尚吉三、研師の与九兵衛に出会う。親父が件の百両を受け取らなかったことを知る。最後に丁子屋の長兵衛と一重が登場する。小磯宿は大磯にあるが、ここは焼場の小塚原のこと。

ここで第一番目が終わる訳だが、なんとなく中途半端な気がする。あの地獄の宴会騒ぎは何のためにあるかわからない。

第二番目 序幕

化粧坂八丁堤の場

研師与九兵衛と貸し物屋の利助、文蔵の女房おしづから着物を無理矢理取り返そうとする。文蔵は今や廓通いが祟って貧乏に。しかも一重を孕ませていた。それを気遣うおしづが廓へ向かう途中だった。運よく紅屋の息子与吉に出会い、金をもらって難を免れる。一方伝吉は武兵衛に出会い、娘を百両で買ってくれと頼むが断られる。

同丁字屋二階の場

一重の部屋の場

一重としづの会話。心を通わせる。一重の子を育てたいと申し入れる。

回し部屋の場

一重が遅ればせながら顔を出す。武兵衛は持参の百両と引き換えに刺青を自分の名に変えろとせまる。しかし、一重はそれを断り金を突っ返す。

隣座敷の場

この話を聞いていたのはお坊吉三と花魁吉野、一重に同情し、武兵衛の金を奪うべく追いかける。

元の回し部屋の場

一重の心中。吉野に慰められる。

平塚高麗寺前の場

お坊吉三、武兵衛からあっさり百両を奪う。それを伝蔵が見ていて、お坊吉三から奪おうとする。しかし、お坊吉三に切られてしまう。またそこに十三郎とおとせが現れ、お坊吉三が落とした刀の目貫を拾う。

ここで話が展開する。文里と一重の話がお坊吉三と絡んで、元の庚申丸と百両の話へと繋がっていく。

第二番目 二幕目

丁字屋別荘の場

座敷の場

産後の肥立が悪く、一重は明日も知れぬ病。丁子屋の主人長兵衛は年季証文を一重に与え、自由の身にした上で、文里を招いて、最後の対面をさせる。

表の場

やってきたおしづ親子は一旦は追い返えされそうになるが、おしづは文里を一重の元にいかせようとする。しかし戻ってきた主人長兵衛の計らいでおしづたちも座敷に招かれる。

元の座敷の場

一時の小康状態を保った一重は、我が子梅吉を抱いて別れを告げ、おしづに書置きを渡す。梅吉に残したその書き置きには、養父母への報恩孝養を説き、長じて決して廓遊びなどせぬようにと書かれていた。その場の人々は胸を打たれる。

ここはまさに人情話。白浪ものとは思えないエピソードとなる。ここは観客を泣かせる場面か。それにしてもここに登場する人々はいい人ばかり。

第二番目 三幕目

御輿が嶽吉祥院の場

本堂の場

お坊吉三とお嬢吉三は和尚吉三の住む吉祥院に隠れている。おとせと十三郎が和尚を訪ね、伝吉の殺害と百両を奪われた経緯を語り、仇討ちの助力と金の調達を依頼。だが、和尚は義兄弟の契りを重視、逆に二人を身代わりにして、お坊、お嬢を救おうと決意。お坊お嬢は我が身の罪の償いに、自害しようとする。

本堂裏手、墓地の場

和尚はおとせ十三郎を手にかける。和尚二人が双子の兄妹であることを告げる。二人は納得して手にかけられる。

元の本堂の場

お坊とお嬢は書き置きを残して自害しようとする。そこに妹たちの首を持って和尚が現れ、二人に逃げるように諭す。二人の首の代わりに妹たちの首を差し出す算段だ。ここでお坊は百両を、お嬢は庚申丸を差し出す。お坊には庚申丸を実家に、百両を久兵衛の元へ戻すように諭す。そこに追手が来る。

ここで話が終局を迎える。庚申丸と百両が揃ったことでこれまでの経緯が全て明らかになり三人吉三が最後の博打に出ることとなる。

第二番目 大切

南郷火の見櫓の場

南郷二丁目火の見櫓の場

和尚の苦心にもかかわらず、武兵衛の訴えで、届けた首は偽首と知れ、三人の吉三は窮地の追い込まれる。三人に対する包囲網が敷かれる。

火の見櫓の上の場

太鼓が打たれれば包囲網が解かれるということを知ったお嬢がお坊の助けで櫓に登り太鼓を打つ。木戸が開かれ、和尚が駆けつける。

元の火の見櫓の場

和尚は妹夫婦の死を犬死に終わらせた武兵衛を斬り殺す。そこへ八百屋久兵衛が登場。お嬢から百両を、お坊からは庚申丸を受け取り、道を急ぐ。逃れられないと悟った三人の吉三は、三つ巴になって差し違える。これでおしまい。

ここは最後の部分を本文でご覧ください。クリックで大きくなります。

黙阿弥が描きたかったもの

 

こう読んでくると、この話がやはり「因果」の物語であることがよくわかる。実に多くの人物が登場するが、それらがいずれも「因果」の糸で結ばれている。血縁的な結びつきはもちろん、この物語で重要な要素、失われた名刀「庚申丸」とその代価の「百両」という金銭が、登場する人物たちを翻弄する。これらもここに登場する人物たちを結びつけてやまない「因果」なのだ。

この舞台は「白浪物」ということでいわば「ダークヒーロー」三人を主人公にした活劇的な内容だと思われるが、初期のフルバージョンではかなり「人情噺」要素が色濃いと思われた。というのは「因果」に絡め取られた人物たちの人生がどうにもならない悲哀に満ちているからだ。

私はこの話を読んできて、ここに登場する人物で重要なのは「三人吉三」よりむしろまずは「伝蔵」であると思われる。そして知らずに夫婦となる「伝蔵」の双子の兄妹である。そもそもことの発端は「伝蔵」が「庚申丸」を盗み、逃げる際に孕んだ犬を斬り殺したことにはじまる。しかもその「庚申丸」を失ったことがこの話を膨らませていく。一方、盗まれた方はお家断絶・切腹となるが、その一族もこのことによって辛い人生を歩むことになる。最後に三人差し違えて死ぬことになる「三人吉三」もまたこの「因果」によって絡め取られた人生を歩んだということなのかも知れない。

実に未来のない陰鬱な話ということになる。前回見てきた『四谷怪談』のような陰惨さはないが、「俺たちに明日はない」的な世界が描かれているような気がしてならない。

おわりに

この作品が上演されたのは安政七年正月だったという。安政といえば、幕末期の大変な時代だったはずだ。江戸で安政の大地震があり、海外から責め立てられた時代であり、安政の大獄、桜田門外ノ変とまさにその名と裏腹に江戸時代が終わりを告げる時代だった。そんな中庶民たちは歌舞伎に何を求めていたのだろうか?やはり「ダークヒーロー」だろうか。いや、やはり「因果」によって絡め取られた人生を生きるしかなかった悲哀に満ちた「人情噺」だった気がする。そんなふうにこの台本を読んだ。

この古典総復習続編も残すところあと二冊となった。今年はここまでか。

2024.12.03
この項 了

日本古典文学総復習続編31『東海道四谷怪談』

当時のビラ

今回は四世鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』を取り上げる。

はじめに

この話、「お岩さん」の怪談話だといえば、なんとなく知っているような話かと思われる。しかし、実は詳しい内容はわかっているようでわかっていなかった。「お岩さん」というのは、かつては日本の幽霊の代名詞みたいなもので、今なら差し詰め「貞子」みたいなものだ。つまり、「お岩さん」とは、ただ単に顔に醜い傷跡のある女の幽霊だ、と知っているだけだった。しかし今回、この四世鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』を読んで、改めてこの「お岩さん」の話が実に複雑な、しかも極めて陰惨な話であることを知ったというわけだ。

しかし、この『東海道四谷怪談』、決して読みやすいものではなかった。これは、この『東海道四谷怪談』が歌舞伎の台本という形で提供されている点にも関係していると思う。これがいわゆる戯作、今で言えば小説のような形で提供されていればもっと読みやすかったと思っている。

文学のジャンルには「戯曲」というものがある。しかし、この歌舞伎台本はそれとは全くと言っていいほど異なるものだ。もっと言えば本来は「読む」べきものではないと言っていい。それはあくまで芝居のためのものなのだ。現在映画やテレビの台本をそれ自体として「読む」という行為はありうるだろうか。そう考えてみるとこの「台本」を「読む」より、歌舞伎の舞台を「観る」方がよっぽど「まし」ということになる。しかもこの「台本」を通読してもこの「話」の内容がスムーズに伝わりにくく苦労した。

しかし、そんな事ばかり言っていても仕方がない。あくまでもこの「台本」に沿った形で『東海道四谷怪談』を読んできたので、それを紹介したい。

この『東海道四谷怪談』の内容

この「台本」は以下の形で展開されている。

  • 初日二番目序幕
  • 初日二番目中幕
  • 初日二番目三幕目
  • 後日二番目序幕
  • 後日二番目中幕

これは舞台展開だ。この「二番目」というのはこの舞台が「世話物」であることを意味するようだ。「一番目」が「時代物」「二番目」が「世話物」という一日の上演順序があってのことだ。そしてこの『東海道四谷怪談』は実は「一番目」の「時代物」たる「忠臣蔵」のいわば「スピンオフ」的位置付けだった。つまりこの「舞台」は「忠臣蔵」とともに二日間にわたって上演されたということになる。

さて、そしてそれぞれの「幕」に「場」が設定されていてそれが紹介され、その後に「役人替名」と言って登場人物と配役が示されている。(ここで画像を見てもらいたい。この本の最初の3ページを画像化したものだ。以下他の「幕」も同様だ。クリックすると拡大するはずだ。)

本文1

では、それぞれの「場」を見ながらこの「話」を追っていくとにしよう。

初日二番目序幕

浅草境内の場

幕開きの仕出しの会話・お梅の恋煩い・藤八五文の薬売り・お袖の意地・直助の仲裁・直助の横恋慕・お袖の肘鉄・新参の乞食・下心ある伊右衛門の仲裁・親の許さ夫婦仲・御用金の盗賊・伊右衛門の殺意・見送る喜兵衛とお梅・乞食に身をやつして・危うし廻文状・喜兵衛一行の帰宅・色男のうかれた会話

薮の内地獄宿の場

めかしこんで私娼窟へ・夜の顔・あの手この手の口説・与茂七の登場・美人売女・お梅の述懐・思いもよらぬ再会・お袖の恨みごと・仲直り・夫婦の酒事・お袖のしゃべり・だし抜かれた直助・直助の啖呵・愛想づかし・藤八の追打ち・裸にされる直助

同裏田圃の場

(一)乞食らの太平楽・秋山長兵衛の出・義士の本心・衣服を取り替えて・待ちぶせ

(二)二つの惨劇・行き合った姉妹・夜鷹と地獄・姉妹の嘆き・仕組まれた罠・悪人の甘言・下心ある諫言・血祭りの祝言

ここで登場人物、それぞれの関係、最初の事件がわかる筋書きになっている。筋書きといっても舞台だから、ほとんど会話が中心なのでそこから理解するしかない。人物関係をざっと観ると以下だ。

伊右衛門 お岩 夫婦。与茂七 お袖 夫婦。お岩 お袖 姉妹。その父 四谷左門。伊右衛門の不正を知る 伊右衛門を拒否。全て 塩谷側 つまり没落側。

伊藤喜兵衛とお梅 祖父と孫娘。高野側 つまり勝者側。お梅 伊右衛門に恋慕。祖父孫娘に大甘。

そして事件は、薬売り 直助 お袖に横恋慕。伊右衛門 義父四谷左門に殺意。直助 お袖の夫与茂七に殺意。それぞれ実行 ただし与茂七は同志正三郎だった。(与茂七は死んでいない)
姉妹 死体を発見。伊右衛門・直助 騙して 敵討ちを約束。それぞれ夫婦生活を始める。

これが序幕の内容

初日二番目中幕

雑司ヶ谷四谷町の場

伊右衛門浪宅の場

小平の逐電・家伝の唐薬・浪人者の内証・小平捕わる・小平哀訴・忠義の盗み・指を折る・伊藤家からの産婦見舞・もう一つの妙薬・質屋の強催促・唐薬の質物・恩を売られる・産褥中のお岩・隣家を礼訪・お岩の独白・感謝で飲む毒薬

伊藤屋敷の場

伊藤家の豪奢・小判の御馳走・狂言自殺・懺悔の述壊・窮地に立つ伊右衛門・伊右衛門の変心   

元の伊右衛門浪宅の場

お岩の変貌・伊右衛門の帰宅・伊右衛門の愛想づかし・形見の櫛・蚊帳を質草に・血染めの生爪・伊右衛門の奸計・奇怪な求愛・鏡の中の顔・宅悦の白状・髪梳・お岩絶命・伊右衛門の帰宅・菊五郎早替り・小平を惨殺・葬式と婚礼の隣合せ・お梅の輿入・新床の怪

ここのお話は。伊右衛門とお岩、貧しい生活。お岩、妊娠、出産、病気がち。伊藤喜兵衛の対照的な豪華な生活。孫娘お梅を溺愛。喜兵衛、お岩に薬を届ける。実は毒薬、お岩毛が抜け、絶命。伊右衛門、中間の小仏小平を殺害、お岩の間男に仕立て 二人を戸板にくくりつけ流す。お梅、念願かなって伊右衛門に輿入れ。その新婚初夜、お岩の亡霊現れて、錯乱の伊右衛門、喜兵衛とお梅を殺害。となる。ここでは有名な「戸板流し」が語られ、お岩の梳る櫛も小道具として、その後重要な役割を果たすことになる。

これが二幕目の内容

初日二番目三幕目

十万坪隠亡堀の場

伊藤一家の零落・小平の卒塔婆・死の淵への誘引・鰻掻きに変身・お熊の前身・悪人同士の再会・卒塔婆のゆくえ・長兵衛の強請・戸板返し・世話だんまり

ここは短い幕。人物としてはお弓というお梅の母が登場、伊右衛門を打とうとする。また伊右衛門の母お熊が登場。これが息子にもまして相当な悪女。伊右衛門を死んだことにして、お弓を騙す。また悪役長兵衛も登場。また、鰻掻きに変身した直助と再会。伊右衛門 お弓を殺害。悪役長兵衛に強請られ、その後 お岩と小平をくくりつけた戸板に出くわす。これが有名な「戸板返し」。

(この幕の最後の部分は本文を画像化したので、これをご覧ください。クリックすると大きく表示されます)

本文2

これが三幕目の内容

後日二番目序幕

深川三角屋敷の場

洗濯物の伏線・蜆売りの次郎吉・水死体の風貌・見覚えのある着物・小平の倅・老人と孫・孫兵衛の一家・お袖の述懐・日暮れて直助帰る・櫛の因縁・盥の中から手が・着物の怪と鼠の怪と・宅悦との再会・惨劇を告げる櫛・お袖半狂乱・逃げ出す宅悦・お袖の決意・生きていた与茂七・幽霊にされた与茂七・夫婦の再会・だんまりほどき・直助正体を明かす・回文状を挟んで睨み合い・悲愴な計略

小塩田隠れ家の場

強悪婆・嫁や孫の出商・居候の旧主・謎の衣類・重なる怪事・赤垣伝蔵の来訪・討入りの密談・分配金・質屋の嫌疑・お熊の奸計・お熊の悪態・深まる疑惑・お熊の悪態・窮地の立つ又之丞・借財責め・打擲場・辛い宣告・義士の資格・小平の亡霊・幽霊の意見事・卒塔婆と位牌・お花の嘆き・亡魂、息子に憑依・難病本復

元の深川三角屋敷の場

お袖の述懐・畜生道・直助の述懐

ここのお話。ここはお岩の妹 お袖の話が中心。姉お岩の死の真相を知る。元の夫の与茂七と今の夫直助両方を騙して殺そうとするが、結果はお袖が死ぬことに。その際に実はお袖と直助は兄妹だったことが判明。直助自害。またここでこの話が忠臣蔵のスピンオフであることを示す話や、盥・鼠・櫛を使った見せ物的要素がある。

これが四幕目の内容

後日二番目中幕

夢の場

牽牛と織女・色悪の美男・うちわもめ・仲直りの酒盛・差し向い・お岩に生き写し・蛍火のゆらめく中で・簾の向うの顔・場面は一変

蛇山庵室の場

百万遍念仏・もう一つの塩谷浪人・父子の対面・母子の邪な悲願・高野家からの使者・逢魔が時・戻ってきた属託・頼みの綱も・勘当場・法力に縋って・すさまじき執念・悪友の裏切り・伊右衛門の最期

ここでのお話。伊右衛門、夢の中で美しいお岩(実は亡霊)と出会う。その亡霊に散々苦しめられる。実の父や塩谷浪人たちと出会うが、伊右衛門は母とともに敵方高野家へ寝返ろうとしている。しかし、お岩の亡霊が燃える盆提灯の中から現れて、伊右衛門の母を首くくりにして殺し、悪に加担した秋山長兵衛を仏壇の中に引き込んで殺す。この辺りはまさにこの舞台の見どころか。最後には与茂七がお岩の亡霊の力を借りてみごと伊右衛門を討ち果たす。

(この幕の「すさまじき執念」の部分は本文を画像化したので、これをご覧ください。クリックすると大きく表示されます)

本文3

これが五幕目(終幕)の内容

この部分は大団円に相応しく、さまざまな小道具、大道具を駆使して、見せ物たる歌舞伎の、また怪談ものの真骨頂が見物できる仕掛けがある部分。これらの仕掛けについては「江戸東京博物館」の展示でみるとよくわかる。(ここではyoutubeで見ていただきたい。江戸東京博物館youtube

おわりに

こう読んでくると、この『東海道四谷怪談』が「忠臣蔵」を背景に、その話の裏で忠臣とは程遠い欲望に満ちた侍(浪人)や男たちの残忍に満ちた物語であることがわかる。またそうした男たちに翻弄される女たちの執念に満ちた姿も描かれている。そして、それを描くに歌舞伎という「見せ物」の、しかも「怪談」という設が功を奏しているように思う。歌舞伎の演出上の工夫や舞台の設についてはここで触れることはできなかったが、そこにこそ作者南北は心血を注いでいたのかもしれない。そこに触れないでは本当はこの歌舞伎台本を読んだことにならないかもしれないが、今回はここまでにしておく。

2024.11.09
この項 了

日本古典文学総復習続編30『浮世床・四十八癖』

はじめに

今回は式亭三馬だ。

実は過去にすでに三馬については触れている。正編の86だ。三馬の代表作『浮世風呂』と『戯場粋言幕の外』『大手世界楽屋探』を読んでいる(リンク)。しかし、今回は別作品が収められているので触れることにした。『浮世床』と『四十八癖』だ。

『浮世床』の梗概

この作品は『浮世風呂』の姉妹編といったところだ。まさに風呂の隣にある床屋を舞台にした話。しかし、話といっても話らしい話はない。ここにやってくる人々が語る「話」の記録といった趣だ。ここにこの作品が後世に残る最大の魅力がある。すなわち当時の話し言葉が記録されているからだ。具体例はのちに紹介するが、まずはその「話」を羅列しておく。なお全3篇あるのだが、三篇目は別人物の作なのでここには入れない。

初編巻之上

浮世床の近所合壁
 早朝の景・隠居登場
 勇肌の男の話題
 孔糞先生登場し、学識をひけらかす
 先生、寄席ビラに悩む
 湯上がりの隠居再登場
 読まぬ大学・今川論議
 二十四孝は王祥の説話
 先立った婆どのの話
 氏子論と宗旨の論
 すてき亀の登場
 ここに旦那出現とは
 常磐津師匠・仇文字の噂
 湯上がりの仇文字を見る目
 美人の年増とその妹の品さだめ
 菓子売り登場して呼び売りの口上披露

初編巻之中

馴染みの女のふみ自慢
 美人の月旦、転じて女房論となる
 商人作兵衛の上方者気質
 貰ってきた猫の名付
 道楽息子をさがす爺さまの愚痴
 三十過ぎての放蕩者

初編巻之下

かくあるべしの道楽訓
 悪戯者の丁稚にお手上げ
 奉公人・居候について
 居候飛助登場
 居候と銭右衛門のうそまこと
 霜枯れ時の巫女登場
 富家の娘御とその乳母登場

二篇 巻之上

口寄せに浮んだ霊は人ならず
 死霊の恨みから嫉妬論へ
 天狗になった爺さまの口寄せ
 互いに小咄を披露する

二篇 巻之下

色恋と酔いの終りは溝の中
 二字の戒名が話の発端
 髪結渡世の話
 鳥屋の口上一部始終
 瞽女のうたう正調越後節を披露する
 読めるか、通俗三国志を
 櫛屋、吉原の文使い登場ちゃぼ八と蛸助の拳勝負

こう並べてみるとよくもまあいろんな「話」を拾ったものだと感心する。この時代の江戸の庶民の関心事や言葉がよくわかる。落語のパターンである御隠居、与太郎、八さん、熊さんといったところの人物たちが勝手な「話題」を繰り広げているといったところだ。

その本文

さて、その本文だが、ここは一例をあげてみる。「すてき亀の登場」の場面だ。
ここは図表で示した方がいいだろう。クリックすると拡大します。

本文から言えること

どうだろうか。読めるだろうか。本文は全てこんな調子だ。所々にト書きがある。これは特に場面転換の時に現れる。また時々注が書かれる。これはこの本の注ではない。三馬が書き込んだ注だ。そして何よりも全て会話文ということだ。したがって当時の庶民の江戸弁がよくわかるわけだ。

さて、注の六が興味深い。今でも使う「だらしもねへくせに」という言葉は実は「しだらがない」の「下俗の方言」だと言っている点だ。これは「キセル」を「セルキ」という類だという。現代一部業界人が「おんな」を「なおん」、灰皿を「ザラハイ」という類だったという。

また、亀と熊のやりとりが面白い。こうした会話をそのまま記録したような本文は他にそう見られなかったはずだ。これがのちの「言文一致」へ影響していることは否めないだろう。

それとこの江戸弁のやりとりが最近ほとんど聞かれなくなったのが寂しく思われる。江戸落語に残っているだけで、粋のいい江戸弁が聞かれないのが残念だ。しかも最近関西系の発音が席巻しているような気がしてならない。こうした発音は流石にこの三馬もしっかり書き残すことは出来ていないが、現代のおいては録音という方法があるが、それを文学作品で文字で残すのは現代でも難しい。ここでもそれを書くのは難しいが、例えばテレビなどでアナウンサーすら平気で関西系アクセントで話すことが多いように思われる。「二月」を発音してみてください。どう発話しますか。グーグルでは正しく発声されているので、試してみてください。ちょっとこだわり過ぎでしょうか。必ずしも関西系が悪いとは言えないが、どうしても東京生まれ東京育ちのものにとっては違和感があるのは否めない。

ともかく、三馬が苦労して当時の会話を残そうとしたのがこの作品の最大の価値であることに間違いはない。

『四十八癖』の梗概

自序に「世の人の無くて七癖、或は有て四十八癖、異類異形を図にあらはして、癖といふ癖物語と目す」というのがこの題名の由来だが、以下に示すようにここで言う「癖」は、ちょっとした仕草の「癖」ではなく、いわゆる「癖のある人物」と言うふうな使い方の「癖」で一種の人物類型を示している。以下は「標目」として初めに記されているものだ。

初編

女房をこはがる亭主の癖
 物事を気にかける人の癖
 通りものになりたがる人の癖
 つまらぬ事を苦にする人の癖
 詞数の多き人の癖
 人の非をかぞふる人の癖

二篇

幇間めかす素人の癖
 大言を吐いて諸道を訕る人の癖
  并に克く応答をする人の癖
 陰で舌を出だす人の癖
 金を溜むる人の癖
 金を無くす人の癖
 浮虚なる人の癖
 并に不実者の癖

三篇

他の疝気を頭痛に病む人の癖
 他の奴婢を会めて世間話する人の癖
 他に遊ばれさうなる人の癖
 世話を為過ぎて悪く言はるゝ人の癖
 面白くない話する唯の老爺の癖
 物に譬へて悪言を衝く人の癖
 話の度毎に悪地口をいう人の癖
 亭主に負けぬ下卑女房の癖

四篇

拙将棋の癖
  並勝ちたる人の癖 負けたる人の癖
 我面白の他姦しと云はるゝ人の癖
 言語の可咲を含みて教諭する人の癖
 極楽蜻蛉と呼ばるゝ人の癖

こう見ただけで、「いるいる今でもこんな人」と思える。ここには三馬の人物観察がよく表れている。しかし、本文は例によって会話文が中心だ。これも図で示す。

その本文

どうです。読めますか。いるでしょう。こんな老人。小生もこの類かもしれない。気をつけなくちゃね。

おわりに

こうした類型的人物をそれぞれ会話文で描くところはなかなかの腕前というか、その観察眼が何より光っている。三馬は国語学的に評価されて、文学的にはもう一つ評価が上がらないが、いやいやどうして一つの画期的な仕事をしていると思う。

今回はここまで。

この項 了
2024.10.16

新WEB開発入門講座4個別編1「flexboxの完全理解」

はじめに

*これはYouTubeのビデオの参考資料です。以下に従ってご利用ください。*

適当なdirectoryにフォルダーを作成してください。
そこにさらにCSSというフォルダーとimgというフォルダーを作成してください。
そこにそれぞれ以下のファイルをおいてください。

といった具合にです。
ファイルは以下です。コピーしてエディタに張り付けて保存して下さい。

使用するファイル

課題1

fexbox01.html

fexbox01.css

画像1(flex-task1.png)

課題2

fexbox02.html

flexbox2.css

画像2(flex-task2.png)

課題3

fexbox03.html

flexbox3.css

画像3(flex-task3.png)

課題4

fexbox04.html

flexbox4.css

画像4(flex-task4.png)

flexboxの各プロパティの詳細

flex-direction

flex-direction は CSS のプロパティで、主軸の方向や向き(通常または逆方向)を定義することにより、フレックスコンテナー内でフレックスアイテムを配置する方法を設定します。
なお、 row および row-reverse の値は、フレックスコンテナーの書字方向に影響されます。 dir 属性が ltr である場合は、 row は左から右へ向かう水平軸を表し、また row-reverse は右から左へ向かう水平軸を表します。一方、 dir 属性が rtl である場合は、 row は右から左へ向かう水平軸を表し、また row-reverse は左から右へ向かう水平軸を表します。

/* 行のテキストの方向に配置 */
flex-direction: row;
/* と同様だが、逆向き */
flex-direction: row-reverse;
/* 積み重なるように配置する */
flex-direction: column;
/* と同様だが、逆向き */
flex-direction: column-reverse;

flex-flow

flex-flow は CSS の一括指定プロパティで、フレックスコンテナーの向きと折り返しの動作を同時に指定します。
/* flex-flow: <'flex-direction'> */
flex-flow: row;
flex-flow: row-reverse;
flex-flow: column;
flex-flow: column-reverse;
/* flex-flow: <'flex-wrap'> */
flex-flow: nowrap;
flex-flow: wrap;
flex-flow: wrap-reverse;
/* flex-flow: <'flex-direction'> および <'flex-wrap'> */
flex-flow: row nowrap;
flex-flow: column wrap;
flex-flow: column-reverse wrap-reverse;

justify-content

/* 位置による配置 */
justify-content: center; /* アイテムを中央に寄せる */
justify-content: start; /* アイテムを先頭に寄せる */
justify-content: end; /* アイテムを末尾に寄せる */
justify-content: flex-start; /* フレックスアイテムを先頭に寄せる */
justify-content: flex-end; /* フレックスアイテムを末尾に寄せる */
justify-content: left; /* アイテムを左端に寄せる */
justify-content: right; /* アイテムを右端に寄せる */
/* ベースラインによる配置 */
/* justify-content はベースラインの値を取りません */
/* 通常の配置 */
justify-content: normal;
/* 均等配置 */
justify-content: space-between; /* 各アイテムを均等に配置し
最初のアイテムは先頭に寄せ、
最後のアイテムは末尾に寄せる */
justify-content: space-around; /* 各アイテムを均等に配置し
先頭と末尾の間隔は、各アイテムの間隔の
半分の大きさになる */
justify-content: space-evenly; /* 各アイテムを均等に配置し
先頭と末尾と各アイテムの周りには、
同じ大きさの間隔を置く */
justify-content: stretch; /* 各アイテムを均等に配置し
サイズが ‘auto’ であるアイテムは、
コンテナーに合わせて引き伸ばす */
/* あふれた場合の配置 */
justify-content: safe center;
justify-content: unsafe center;

flex-grow

flex-grow は CSS のプロパティで、フレックスコンテナー内の残りの空間が、どれだけフレックスアイテムの主軸方向の寸法に割り当てられるべきかを指定するフレックス伸長係数を設定します。
フレックスコンテナーの主軸方向の寸法が、フレックスアイテムの主軸方向の寸法の合計よりも大きい場合、余った空間はフレックスアイテムに分配され、各アイテムが伸びる大きさは、コンテナーのすべてのアイテムのフレックス伸長係数の合計の割合で按分した値になります。

flex-shrink

flex-shrink は CSS のプロパティで、フレックスアイテムの縮小係数を設定します。すべてのフレックスアイテムの寸法がフレックスコンテナーよりも大きい場合、アイテムは flex-shrink の数値に従って縮小して収まります。

flex-basis

flex-basis は CSS のプロパティで、フレックスアイテムの主要部分の初期の寸法を設定します。 box-sizing で設定していない限り、このプロパティはコンテンツボックスの寸法を定義します。

align-items

CSS の align-items プロパティは、すべての直接の子要素に集合として align-self の値を設定します。フレックスボックスでは交差軸方向のアイテムの配置を制御します。グリッドレイアウトでは、グリッド領域におけるアイテムのブロック軸方向の配置を制御します。
/* 基本キーワード */
align-items: normal;
align-items: stretch;
/* 位置による配置 */
/* align-items は左と右の値を取らない */
align-items: center; /* アイテムを中央付近にまとめる */
align-items: start; /* アイテムを先頭にまとめる */
align-items: end; /* アイテムを末尾にまとめる */
align-items: flex-start; /* フレックスアイテムを先頭にまとめる */
align-items: flex-end; /* フレックスアイテムを末尾にまとめる */
/* ベースラインに配置する */
align-items: baseline;
align-items: first baseline;
align-items: last baseline; /* オーバーフロー配置 (位置指定要素のみ) */
align-items: safe center;
align-items: unsafe center;

flex-wrap

flex-wrap は CSS のプロパティで、フレックスアイテムを単一行に押し込むか、あるいは複数行に折り返してもよいかを指定します。折り返しを許可する場合は、行を積み重ねる方向の制御も可能です。
flex-wrap: nowrap; /* 既定値 */
flex-wrap: wrap;
flex-wrap: wrap-reverse;

gap

gap は CSS のプロパティで、行や列の間のすき間 (溝) を定義します。これは row-gap および column-gap の一括指定です。gap は CSS のプロパティで、行や列の間のすき間 (溝) を定義します。これは row-gap および column-gap の一括指定です。
/* 単一の 値 */
gap: 20px;
gap: 1em;
gap: 3vmin;
gap: 0.5cm;
/* 単一の 値 */
gap: 16%;
gap: 100%;
/* 2 つの 値 */
gap: 20px 10px;
gap: 1em 0.5em;
gap: 3vmin 2vmax;
gap: 0.5cm 2mm;
/* 1 つまたは 2 つの 値 */
gap: 16% 100%;
gap: 21px 82%;
/* calc() 値 */
gap: calc(10% + 20px);
gap: calc(20px + 10%) calc(10% – 5px);

グローバル値(すべてに値として設定できます)

nitial
その要素のすべてのプロパティを初期値に変更するべきであることを指定します。
inherit
その要素のすべてのプロパティを継承値に変更するべきであることを指定します。
unset
その要素のすべてのプロパティを、既定値が inherit のものは継承値に、そうでなければ初期値に変更するべきであることを指定します。
revert
宣言が所属するスタイルシートの出所に応じて動作を指定します。
作者オリジンに所属するルールの場合、 revert の値でカスケードをユーザーのレベルまでロールバックし、その要素の指定値は、作者レベルのルールが指定されていないかのように計算されます。 revert の用途では、作者オリジンはオーバーライドおよびアニメーションのオリジンも含まれます。
ユーザーオリジンに所属するルールの場合、 revert の値でカスケードをユーザーエージェントレベルまでロールバックし、その要素の指定値は、作者レベルまたはユーザーレベルのルールが指定されていないかのように計算されます。
ユーザーエージェントオリジンでは、 revert の値は unset と同様に動作します。
revert-layer
その要素のすべてのプロパティを、直前のカスケードレイヤーが存在すれば、そこまでカスケードをロールバックすることを指定します。 他にカスケードレイヤーが存在しない場合、要素のプロパティは、現在のレイヤーに一致するルールが存在する場合はそのルール、または直前のスタイルオリジンにロールバックします。

以上

日本古典文学総復習続編29『與謝蕪村集』

はじめに

上田秋成に続いて今回は与謝蕪村を取り上げる。蕪村は実は秋成と同時代の人物。しかも何やら交流もあったそうで、お互いに気に入っていたようだ。その辺りはまた後に触れるとして、この蕪村、実はこの総復習でも正編で既に触れている。『天明俳諧集』の項(リンク)だ。その時は天明期の俳諧集の蕪村ということで触れていた。それはとても大事なことだが、しかしここは蕪村一人だけを取り上げての復習となる。

さて、蕪村は俳句作者として(本当は俳諧師なのだが)芭蕉とともに現代でも親しまれている。例えば

209 菜の花や月は東に日は西に(番号は本書の発句集の句番号。後同)

117 春の海終日(ひめもす)のたりのたり哉(括弧内は本書のルビ、「ひねもす」ではない)

という句は人口に膾炙した句だ。

しかも近代になってからは正岡子規の「写生」句としての評価、またそれとは対蹠的な「郷愁の浪漫主義的」句としての詩人萩原朔太郎の絶賛など本格的な蕪村評価が行われてきた。

しかし今回は、改めてこの『與謝蕪村集』を通読して、自分なりの読みを示したいと思う。

収録作品

この『與謝蕪村集』には以下の作品が収録されている。以下だ。

「蕪村句集」几董篇
上巻 春の部1−224(224句) 夏の部225-457(233句)
下巻 秋の部458-674(217句) 冬の部675-868(194句)
「俳詩」
北寿老仙をいたむ
春風馬堤ノ曲
澱河ノ歌
「新花つみ」
発句137句
文章
「文章篇」
短文13篇

発句について

お気に入りの句1

803 葱(ねぶか)買て枯木の中を帰りけり

先ずはこの句。これまで知らなかったというか、見過ごしてきた句だ。如何でしょう。ネギの束を持って冬枯れの道を急ぐ。「帰りけり」というように帰宅の途についているんでしょう。その宅には何が待っているんでしょうか。何か温かいものを感じませんか。蕪村には芭蕉にはない、いわば「小市民」的な温かみがある。

10 うぐひすや家内揃ふて飯時分

という句にもそれは表れています。

448 端居して妻子を避る暑かな

590 小鳥来る音うれしさよ板びさし

231 痩脛の毛に微風あり更衣

という句なども実に微笑ましいし、日常の一コマを愛情をもって詠んでいる。多分自宅は狭い「小家」なんでしょう。そういえば蕪村の句には「小家」が多く表れる。

4 うぐひすのあちこちとするや小家がち

159 さくらより桃にしたしき小家哉

この「句集」にはない句でも以下もある。(岩波文庫版句集から)

菜の花や油乏しき小家がち

飛蟻(はあり)とぶや富士の裾野の小家より

五月雨や美豆(みづ)の寐覚の小家がち

飛蟻とぶや富士の裾野の小家より

お気に入りの句2

346 さみだれや大河を前に家二軒

次はこの句。また「家」で申し訳ないが、この句は一見「写生」句の様に見える。しかしこの「家」もやはり「小家」であり、あたかも五月雨で増水した大河にまさに飲み込まれそうにやっと立っている。この「家」にはどんな人がどんな暮らしをしているのか。そんな蕪村の同情が伺える。それは次の句でははっきり詠われている。

761 こがらしや何に世わたる家五軒

ここは「家二軒」ではなく、「家五軒」だ。これは最低の集落の単位らしい。まさに寒村の風景だ。ここにも庶民の生業に対する同情がある。

ところで蕪村は芭蕉を崇拝していたと言われている。ここで芭蕉の有名な句、

五月雨をあつめて早し最上川

を引いておこう。全くの違いがわかる。

五月雨の空吹き落とせ大井川

五月雨は滝降り埋む水嵩哉

こうした「五月雨と川」の句をみてもよくわかる。

またこがらしの句も

狂句木がらしの身は竹斎に似たる哉

京に飽きてこの木枯や冬住ひ

木枯に岩吹きとがる杉間かな

木枯しや竹に隠れてしづまりぬ

木枯しや頬腫痛む人の顔

凩に匂ひやつけし返り花

など、これだけあるが、やはり関心の向かい方が全く異なっているように思う。

実は蕪村が芭蕉に親炙し、その復活を夢見たのは「発句」そのものではく、「俳諧」についてだと言える。蕪村と芭蕉では全く個性が異なる。その嗜好や思考そして置かれた時代も異なる。ここは近代の識者が間違えやすいところだ。蕪村が夢見たのは蕉風の「俳諧」の復活だった。これまで蕪村の句を多くの近代の識者と同様「俳句」として詠んできた。これを「俳諧」として読めば自ずから変わってくるはずだ。

お気に入りの句3

ここからは多言を要さない。句だけ列挙しておく。

57 さしぬきを足でぬぐ夜や朧月

70 春雨や小磯の小貝ぬるゝほど

76 柴漬(ふしづけ)の沈みもやらで春の雨

116 遅き日のつもりて遠きむかしかな

194 さくら狩美人の腹や減却す

290 絶頂の城たのもしき若葉かな

327 愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら

332 夕風や水青鷺の脛をうつ

476 いな妻や八丈かけてきくた摺

529 月天心貧しき町を通りけり

732 飛騨山の質屋とざしぬ夜半の冬

742 蕭条として石に日の入枯野かな

805 易水になぶか流るゝ寒さかな

そして最後の句

868 芭蕉去(さり)てそのゝちいまだ年くれず

俳詩について

「北寿老仙をいたむ」「春風馬堤ノ曲」「澱河ノ歌」の三作品がある。「俳詩」とは、誰だか研究者がつけた蕪村独特の表現に対する命名だ。それだけ独特の表現ということになるのだが、当時「詩」といえば漢詩を意味し、「俳」は俳諧を意味していたから、漢詩と俳諧が混じり合った表現ということになる。

「北寿老仙をいたむ」

蕪村の良き理解者であった、年長の俳友の死を悼む挽歌である。漢詩的表現の読み下し文を8連連ねた詩になっている。例えばこんな表現だ。

君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ

をかのべ何ぞかくかなしき

まさに新体詩の先駆けと言える。

「春風馬堤ノ曲」

漢文の序を持つ、一つのテーマの合計18の発句・短文・漢詩とで構成されている。一部を紹介する。

5 一軒の茶見世の柳老にけり

6 茶店の老婆子儂を見て慇懃に

  無恙を賀し且儂が春衣を美ム

7 店中有二客 能解江南語

  酒銭擲三緡 迎我譲榻去

といった具合だ。序文によれば「蕪村が故郷の毛馬の堤で見た薮入りの娘を主人公にして、彼女が大阪から毛馬に帰る途中の情景をつなげ俳詩にしている」ということになる。「と同時に蕪村のやるかたない旧懐の実情をも表している。」ということになる。この詩にも蕪村の優しさが表れている。

「澱河ノ歌」

五言絶句二首と漢詩書き下し文一首の合計三首の短いもの。淀川と宇治川を喩えに恋情と郷愁を歌ったもの。

この「俳詩」には蕪村の挑戦的な表現者の意欲が窺える。

「新花つみ」について

蕪村の遠い師にあたる其角に『華摘』という亡母追善のための一夏百句の冊子があるそうだ。それに倣って一夏千句のやはり亡母追善を意図したが、途中家庭の事情により中断したという。しかし137の発句とそれなりの長さを持つ一連の文章によって構成されている。

ここで注目するのはその文章である。実に面白いのだ。狸や狐が現れる一種の怪異談が多いのだが、それが実に滑稽で面白い。各地の人物のエピソードも今風に言えば「愛」のある文章だ。芭蕉の俳文とは全くテーストが異なる。怪異談といえば同時代の上田秋成を思い浮かべるが、秋成とも全くテーストが異なる。秋成とは交流があったらしいが、秋成にある「性、狷介」というところは全く蕪村にはない気がする。どんな体つきだったかはわからないが、芭蕉や秋成は痩せぎすのイメージだが、蕪村は丸いイメージだ。ここの文章を読むとそれがわかる。

文章篇について

ここには13篇の短文を納める。これまで触れなかったが、蕪村は周知のように画家であったが、その画讃の短文が3篇ある。他には小冊子の序文が7篇、独立した短文が3篇という構成だ。

最後の「歳末ノ弁」は、蕪村最晩年の作と言われていて、

蕉翁去りて蕉翁なし。とし又去るや又来たるや。

との文言がある。最後まで芭蕉を慕った生涯であったことがここでも窺える。

さて、蕪村の文章にはそれほど見るべきものはないと言われているようだが、上田秋成は評価していたようだ。この書の最後の頭注にある秋成の文章を引用する。

うちよめて唯から歌を女文字してかいつけたるさましたるは、むかし蕉窓にゐぐゞまりて杜律をうまく読、笠着てわらぢはきながら、山家を懐にしたる人一すぢの教なるべし

と言っている。蕪村の「はいかい文」は「洒落」でその発句の「麗藻」と相似ないとして評価している。秋成とは全く個性が違っていただけに、却って蕪村の丸い?性格を慕っていたのかもしれない。

おわりに

蕪村は稀有な個性であったような気がするが、今後その「俳諧」についてもっと読み込んでみたい思いを残しつつ、ここらで擱筆する。ちょっと長くなったので。

2024.09.19
この項 了

日本古典文学総復習続編28『春雨物語・書初機嫌海』

上田秋成の2回目

はじめに

だいぶ間が空いてしまった。その間約1ヶ月あまり。実に暑い日が続いた。そればかりか孫たちが夏休みということもあって、孫たちの所へ行ったり、我が家に来ていたり、一緒にちょっとした旅に出たり、それはそれは大変な1ヶ月あまりだったわけだ。もちろん大変なだけではなく、それはそれで楽しい日々なのだけれど、落ち着いて古典文学研究とはいかなかった。

実は今回取り上げる上田秋成の『春雨物語』と『書初機嫌海』は既に読了していたのだけれど、ブログ化するのが夏休み突入に間に合わなかったわけだ。

しかし、9月に入ってやっと落ち着いた日が戻ってきた。しかも今日(9月3日)はクーラーがいらないほど涼しいこともあってやる気になった。

前置きが長くなったら早速始めよう。

『春雨物語』

『春雨物語』の梗概

この作品は『雨月物語』と違って、その成立やまとまりに難がある作品だ。それは当初出版されたわけでなく、なんと戦後(第二次世界大戦後)にまとまったものが発見されるという運命を持った作品だからだ。収録されている物語も伝本によって異なるが、この古典集成では以下の作品が収められている。

序・血かたびら・天津をとめ・海賊・二世の縁・目ひとつの神・死首のゑがほ・捨石丸・宮木が塚・歌のほまれ・樊噲、以上10作品だ。

それぞれ内容をざっと見ておこう。

「血かたびら」
奈良時代が舞台の歴史物語。藤原薬子の乱を描く。
「天津をとめ」
平安時代が舞台の物語。僧正遍昭の話。
「海賊」
紀貫之に議論をふっかける謂わば秋成の歌論・歴史論。文屋秋津という人物に仮託。
「二世の縁」
謂わば仏教批判の物語。即身仏と思われた僧が実は生き返ると粗野な男に過ぎなかったという話。
「目ひとつの神」
謂わば京の歌道批判の物語。芸道化した和歌についての批判ということになる。
「歌のほまれ」
歌論。秋成の真骨頂か。
「死首のゑがほ」
やや残酷な話。兄が妹の首を切るというのだから。しかし妹には笑顔があったという。
「捨石丸」
仇討ちの話。青の洞門の逸話にちなむ。
「宮木が塚」
遊女の悲運に散る儚い一生を描いた話。
「樊噲」
怪力の盗賊の話。本格的な物語。最後は僧となる。

『春雨物語』を貫くもの

さて、この物語群、一見バラバラな話の集合という感を否めないが、何か貫くものはあるのだろうか?その成立から言って一見バラバラなのはある意味仕方がないが、しかし一貫しているのは取りも直さず上田秋成の批評精神だといえる。物語という形は取っているが、いずれも批評だという気がする。最も物語的な形を持っている「死首のゑがほ」や「樊噲」にしても、そこに秋成の時代に対する批評が読み取れる。秋成は歴史や時代について独特な考えを持っていたようだ。またその時代の儒教や仏教についても批判的であったのは間違いない。また、「和歌」についてや「言語」についても独特な考えを持っていたようだ。

こうした形でこの物語群を整理すれば、最初の三編は秋成の歴史認識を示し、仏教批判を挟んで、次の二編で歌論を展開し、次の続く四編の物語でいわば時代批判を込めたと言えるのでないだろうか。

上田秋成はその時代において決して優遇された学者ではなかったようだ。例えば同じ国学者の本居宣長に比べてみればわかる気がする。つまり学者的に語ることが難しい立場だったからこそこうした物語にその学問的内容を込めるしか無かったのかもしれない。西鶴のように根っからの小説家でもなく宣長のように学者でもなかった上田秋成の微妙な立場がこの物語に表れていると言える気がする。

『書初機嫌海』

この古典集成にはもう一つ、この作品が収められている。極めて短いものだが、本来は物語として書かれたようだ。しかし、どうも秋成の思いで物語の枠をはみ出して、決して成功した物語とはなっていない。当初は西鶴の『世間胸算用』の向こうを張って、三都の正月の様子を物語風に描こうとしたようだが、これも成功しているとは言えない。

ま、それは後述するとして先ずはその内容を抑えておこう。

『書初機嫌海』の梗概

この書は上中下三巻でそれぞれ副題が与えられている。

  • 上「むかしににほふ築地の梅」
  • 中「富士はうへなき東の初日影」
  • 下「見せばやな難波の春たつ空」

上は京都、中は江戸、下は大阪が舞台だ。もう少し内容をこの書の小見出しで見ていこう。

上「むかしににほふ築地の梅」

太平の世の饒舌・正月風景も有為転変・門松のむかし今・食えぬ飾りは買わぬが当世・千年一日はお築地の内・竹の園生の頼みは城持・君に忠義は金の工面・後楯なき公卿の姫たち・犬も通わぬ勝手口・玉だれのかしこきあたりは、ご空腹・金に無縁が高貴のあかし

中「富士はうへなき東の初日影

神のお告げも和様唐様・所変れば品変る・裏には裏の魂胆・卓文君流は時代遅れ・花のお江戸はお膝元の賑わい・今業平は食いつめ者・あり金はたいて江戸の風呂・湯づけの味は命の親・一攫千金は昔の夢・行きつく先は品川の海・何はなくとも故郷・こけて拾ったふんどしに金・江戸は一夜の鹿島立ち・加賀屋の元手は拾い物

下「見せばやな難波の春たつ空」

京阪の歳末昔のままならず・十国十色の新春風景・瓜なすびは三、四月・新奇好みも欲がもと・欲世界にも百家争鳴・思い込んだが身の定め・うか助の頼りは飲み友達・飲み友達は豪邸の主・福の神と貧乏神の相性・天下の台所には分限者あまた・長者にもそれなりの苦労・鶴が舞う難波の初春

上田秋成の悪癖

こうした小見出しを見ただけでも、何やら否定的な内容が読み取れるのではないだろうか。京は昔の建前だけで生きている街という印象だし、景気が良いはずの江戸も昔ほどではないし、大阪も昔の様ではないと。それとどうしても秋成の批評癖が出てしまい、所々に漢学批判、仏教批判、されには国学批判まで表れて、どうにも新春の清々しい物語とは行っていない。ここらあたりは上田秋成という人のどうにもできない癖で、これが物語作家としての不味さということになるかと思う。

ただ、その批評眼や博学をもっと別な形で発揮できていれば当代一流の文人ということになるのだろうが、どうもそうさせない何かがこの人物自体にあって、そこがまた物語作家から離れられない因になっているのだと思う。

終わりに(上田秋成の晩年)

さて、この辺で筆を置くことにするが、上田秋成の晩年について、岡本かの子の優れた小説があるので紹介しておきたい。青空文庫で読めるので、ぜひ読んでもらいたい。題して「上田秋成の晩年」。零落した秋成を描いているが、ここに秋成という文学者の姿がよく捉えられていると思う。今回はここまで。

2024.09.05

この項 了