日本近代文学総復習明治文学編11『福地桜痴集』を読む

はじめに

今回取り上げる福地桜痴は当時福澤諭吉と並んで「天下の双福」と称されたようだ。しかし、今日福澤諭吉の名は多くの人に知られているが、福地桜痴についてはほとんど知られていない。かく言う小生もその名をこの明治文学総復習でチラチラ見てはいたが、本格的な理解はほとんど出来ていなかった。それだけ「忘れられた思想家」と言うわけだ。

さて、この福地桜痴、どんな人物だったか。実は福沢諭吉と実に多くの共通点を持っていた人物だったのだ。彼は福沢諭吉同様旧幕側の人物だった。これは何も彼に限ったことではなく、この明治初年の名を残した文化人というか思想家・文学者たちの多くは旧幕側の人間だったという事実を知っていれば驚くに値しないが、この福地桜痴は福沢やその仲間の啓蒙思想家たちよりも旧幕側の重要なポストにいた人物だったようだ。そして二人とも幕末に洋行している。しかも桜痴は早くから長崎で蘭学・英学を学んで、幕府の中枢に食い入っていたという。また、維新後も二人とも同様に私塾を開き、後進の教育に尽くそうとし、さらには新聞発行等言論界に寄与してきたという点も共通点だ。

しかしどうしてその後の名声に差が生じたのか。それはまず福沢になくて福地にあるものを見てみるといいかもしれない。それは「遊蕩」だ。江戸に出てから遊郭に出入りして、後年には吉原の事件に関わったりしていた。そしてそれに伴う「文芸」「芝居」「音楽」等への傾倒だと言える。これはけっしてそれ自体欠点とは言えない。後にこの面で多くの著作物を残しているし、こうした領域に貢献しているからだ。しかし、それが思想的に中途半端な面を見せることになったのは否めないようだ。

さらに維新後、渋沢栄一や伊藤博文に知己を得て明治政府に一時的に出仕したことが、ある意味決定的に福沢と違ってしまったと言える。先に福沢のところで見たように、福沢はこのことに批判的であった。あくまで独立の言論人として振る舞ってきたからだ。要するに福地桜痴は粋人であったが故に思想家的に中途半端であったと言える。この時代のもう一人の言論人、成島柳北のように粋人を徹底して明治に背をむけ続けたほうがもっと良い仕事ができたのかもしれない。ただ、この人物もまたこの時代の一つの知識人・言論人の典型だったのかもしれない。

収録作品

では、その著作を紹介していきたい。

「増訂もしや草紙」

「東京日々新聞」(明治二十一年九月から一一月)に連載された「政治小説」。登場人物は「清水潔」とその叔父の娘で後に夫人となる「乙女」、それに多分作者の分身の「夢野實」という新聞記者。この三人が中心で物語が進行する。面白いのが時代設定が明治三十六年になっていることだ。そうしたのは実際の明治二十年代を思いっきり批評するためだと思われる。主人公「清水潔」は官吏、銀行、政治、新聞というふうにそれぞれの社会に出入りして、その内幕を経験して、遂には文学の人となる。これはいわば作者福地桜痴が辿った道でもある。また、「清水潔」の夫人となる「乙女」も教養を身につけ、女教師として生活し、やがて演劇改良に寄与して自らも女優となるなど、これも作者福地桜痴の理想の具体化とも言えるようだ。

「買収政略大策士」

これも「政治小説」の一作。いわば「暴露的政治小説」。当時の政府内のいざこざとそれに絡んだ経済界との癒着など、今も変わらない政治社会が描かれている。特に議会の腐敗堕落の現状は例えば選挙干渉や松方内閣の買収政策など当時の議会初期の問題に対する作者の批評が「風刺」という形で展開されている。

「支那問罪義經仁義主汗」

これは一種の「歴史小説」と言えるが、一方で「政治小説」的要素が多分にある小説だ。しかも作者の得意とする「暴露・風刺」的政治小説とは違って、むしろ当時あった「国権伸長」的「政治小説」と言った趣だ。これは題名の通り「義経」が大陸に渡って「ジンギスカン」になったという伝説を利用している。そこに大陸の「夏」「金」の争いと絡めていて、これはもちろん当時の日本・朝鮮・支那との問題の反映だ。つまり日清戦争の話なのだ。ここで当時の多くの知識人同様、作者も支那の敗北と日本の大勝を予言している。これはこれでこの時期の日本の知識人の問題ではある。

「幕府衰亡論」

これは文字通り、江戸幕府が終焉する過程を作者自らの経験と意見によって振り返ったもの。作者は前に触れたように幕臣であった。しかもそれなりの中枢にいたようだ。江戸幕府は終焉するに至る過程で様々な意見の対立、倒幕派に対する戦術の対立があったようだ。それを客観的というより、作者の立場から述べている。従ってこの「幕府衰亡」を「歴史」として見るというより、自分の「悔恨」として描いたものと言えるようだ。この部分は小栗上野介をどうしても思い出し、実に興味深い。

「懐往事談」

これは福地桜痴の自伝と言える作品。ただ、よく比較される福沢諭吉の「福翁自伝」と違って、その一生を描いたものではない。むしろ自身の社会的立場、思想的立場の遍歴を描いたものだ。幕府の外交官、明治政府の官吏、新聞記者、小説家、戯曲作家という履歴だ。そしてそれはけっして順風満帆なものではなかったようだ。基本的に作者は明治政府寄りの立場に終始したが、けっしてその立場で優遇されてはいなかったようだ。この辺りはこの時期の知識人の一つの典型を示していると言えるが。

「新聞紙實歴」

ここには作者が「新聞」と関わった経歴が二十余の短文で綴られている。「新聞紙を知得て欣喜の情を起こしたる事」という文章に始まり、「新聞紙断念の事」で終わっている。これもいわば作者の歴史を物語っていて興味深いが、当時の新聞の歴史の一端が窺えて面白い。新聞がいかに政府と絡んでいたがよくわかる。

「時事論集」

これは「東京日日新聞」と「やまと新聞」に掲載された短文を集めたもの。以下である。

“日本文學の不振を嘆ず”/文論/“演劇自由論”/戰地採録(抄)/“西南ノ役終ル”/“歐洲文明ノ一本質”/人權ノ辯/小人窮斯濫矣/漸進主義/國約憲法會議ヲ開クノ議/健訟ノ弊風ヲ矯正スベシ/史論/文章論/日報社ノ組織ヲ明ニス/陸海軍人ハ政治ニ關渉スベカラズ/音樂ノ改良/文章ノ進化/薩長論/文章改良の目的/櫻痴一家言/言文一致/帝國社會主義/舊友福澤諭吉君を哭す/土地國有の精神/借地および借家/國民居住の安全

まずは福地桜痴の政治的な立場を明確に表す文章として、「漸進主義」「帝國社會主義」がある。彼は伊藤博文の知己を得て、政府にいたことがあるが、この時期の憲法発布や国会開設運動の最中にとった立場がまさに「漸進主義」であり、国家構想が「帝國社會主義」であったようだ。従って、この時期以降時代の流れに完全に埋もれてしまった。しかも政府内部にもいることはできなかった。確かにこの時期の一つの政治的立場を表してはいたが、歴史的にも中途半端な立場だったとしか言えない。

さて、これは編集上のことかもしれないが、時事的政治的な内容もさることながら、文化的な内容の短文が多いのが注目される。福地桜痴は政治的な発言を多くしていたのはもちろんだが、かなり文化的な事柄に興味を持っていたようだ。特に文学については最初の二文、それに「文章論」「文章ノ進化」「文章改良の目的」「言文一致」と、特に文章の改革に心を砕いていたようだ。この時期、文章の改革は「いかにわかりやすく、口語に近くするか」というところにあった。この後、坪内逍遥や二葉亭四迷によってある達成を得るが、それは主に「小説」を中心とする文学的な文章についてであった。しかし彼が目指したのはそうした文学的文章のみならず、自分が主に書いている新聞の文章も含んでのことだった。これは事実として必ずしも成功したとは言えないが、その後の多くの文筆家に影響を与えたように思う。さらには演劇や音楽の改良についても言及している。実際に戯曲を書いたりしているようだ。これも言語改革の一端だったのかもしれない。

桜痴はこのように様々なことに首を突っ込んでいる。これは彼が社会的には成功できなかったためだとしたり、これが桜痴の欠点であるとする向きもある。しかし、やはり彼はこの時期の啓蒙思想家の一人であったことには間違いない。

おわりに

これで福地桜痴について、多くを知り得たとは思っていない。しかし、ここにこの時代、幕末から明治を生きた有意の青年の紆余曲折ある人生を見た気がしている。そしてその時代はけっして遠い過去ではない。これからもこの「明治文学全集」読破を通じてこの時代を生きた青春の様々を見ていきたいと改めて思った。今回はここまでとする。

2026.02.09
この項 了

日本近代文学総復習明治文学編10『三遊亭圓朝集』を読む

はじめに

また随分と間が空いてしまった。前回の河竹黙阿弥を書いたのが前年の暮れの三日だったから、もうひと月以上だ。本当は年内に次を書きたかったけれど、そうはいかなかった。暮れから正月を経ているのだから仕方がないと言えばそれまでだ。このペースで行くと本当に生涯の締め切りが来てしまいそうだ。何とか歩を進めなくてはならない。

さて、そんな言い訳はこのくらいにして今回も個人選集、「三遊亭圓朝集」である。この人物、周知のように文学者でもなく、思想家でもない。まさに「落語家」である。「落語家」で文学全集に名を連ねるのはこの人物のみである。では落語家が小説を書いたのか、いやそうではない。まさに円朝は高座で落語を語っていた。それが筆記されて残っていたのだが、それがまさに当代きっての「小説」的な作品だったのである。しかも落語の筆記という点が小説史にもたらした影響が大きかったのである。

もちろん、当時は録音機器などなかった。ましてや音声認識ソフトなどありはしなかった。どうしたか?これは当時発明された「速記術」が齎した作品だったのだ。落語は高座で語られ、聞かれて終ってしまう。しかも芝居のように台本があるわけではない。落語は筋立てはあるものの、それは師匠から弟子に口述で伝えられ、それを演じる落語家によって内容も大きく異なったりする。そういうものなのだ。しかし「速記術」の発明と実践がこの落語を筆記し、活字化して読み物とすることを齎した。そして元々物語性の強い円朝の落語が選ばれたのだろう。

さて、その円朝の落語だが、まずその長さに驚く。これをどうやって高座で語り、聞かせたのか甚だ疑問である。しかしそれは「タイパ」などと言っている現代人の疑問ということになりそうだ。円朝は一つの話を何日もかけて語ったようだ。それを贔屓の客が何日もかけて聞きに来た。明治の時代になったとはいえ、未だゆっくりと時間が流れていたのだろう。今の落語の概念では想像できないものだったようだ。

そしてもう一つ、これはこれから見ていくことになるが、円朝の落語は何より創作性が高かったということだ。この後見ていく作品は皆円朝の創作落語である。この「創作落語」という語自体がいわゆる「古典落語」に対する語だからこれも現代的なのだが、円朝は今「古典落語」となっている落語を多く「創作」したのである。しかもこれから見ていくようにほとんどがいわゆる「人情噺」である。円朝といえば、「怪談」ということになるが、その実は「人情噺」なのである。落語は滑稽を旨とし、「笑い」がその最大の要素だと思われがちだが、円朝の話はそうではない。これはこの後個々の作品を見ていくことによってわかると思う。

収録作品

ここからはこの選集に収められた個々の作品を見ていくことにする。以下の作品だ。

「怪談牡丹燈籠」「鹽原多助一代記」「英國孝子之傳」「眞景累ヶ淵」「名人長二」

「怪談牡丹燈籠」

これは怪談として有名な作品。例の「カラン、コロン」という下駄音ともに牡丹の模様の入った灯籠を持って現れる美女の幽霊だ。しかしこの話、怪談部分は意外に少なく、後半は「仇討ち」の話となっている。

人物関係が実に錯綜していてわかりにくいのだが、怪談部分は旗本の飯島平左衛門という人物の娘、「お露」と浪人の「萩原新三郎」という「いい男」の話。お露が新三郎に恋焦がれながらなかなか結ばれず、亡くなってしまうが、その想いから亡霊となっても、侍女の「お米」とともに新三郎の下へ通い続ける。しかしその「お露」と「お米」が実は亡霊だと新三郎は知り、亡霊避けの札を貼ってその来訪を拒絶するが、下男の「伴蔵」という男が金に目が眩んで、そのお札を剥がしてしまう。するとその亡霊は新三郎との逢瀬を繰り返すが、そのことによって新三郎は衰弱死してしまう。これが前半部の怪談部分だ。

後半の中心人物は「考助」という人物。この人物、旗本の飯島平左衛門(「お露」の父親)の家来となった人物だが、実はその主人が若い頃切ってしまった男の忘れ形見だった。その彼の仇討ち話なのだが、実の父親の仇討ちではないところが「ミソ」。飯島平左衛門は自分が実は「考助」の仇の対象だと知っていてわざと「考助」の槍で刺される。しかし「考助」は飯島平左衛門に一方ならぬ「恩義」を感じていて、飯島平左衛門を騙して金を奪おうとしていた妾の「お国」と家来の「源次郎」という人物の悪巧みを知っていて、この二人が「仇討ち」の対象となっていた。そして最終的には二人を宇都宮の十郎が峰というところで討ってこの話が終わりとなる。ただ、ここに至るまで前半で登場した「伴蔵」やその連れ合い、また新三郎をお露に紹介した医者の「山本志丈」といった人物も登場し、それらの人物が何らかの関係を持っていて話を複雑にしている。ここを書くとキリがないのでやめておくが、これが円朝が演じた実に長い「怪談牡丹燈籠」の全容である。

「圓朝叢談鹽原多助一代記」

鹽原多助という名を聞いて、どこかで聞いた名だなと思った人も多いかもしれない。また「青との別れ」と聞いてこれも何となく聞いたことがあるという人もいるかもしれない。実はこの話、歌舞伎になったり、戦前の修身の教科書に載ったりして、かつてはかなり有名な話だったのだ。

これまでの怪談と違って、無一物の塩原多助が艱難辛苦、刻苦勉励の末、本所に名を残す炭屋となるという話が一種の立身出世の物語として当時の世相に受けたようだ。

しかし、この話、そんな単純な話ではないように思う。そこに登場する人物関係や事件の様相はかなり錯綜している。またその舞台も現在の栃木群馬にわたる北関東に広がり、作者円朝の並ならぬ現地調査の跡が見られる。また、初めはこの作品も怪談として構想された形跡があり、続編では立身出世の「めでたしめでたし」では終わらせたくない円朝の姿勢も窺える作品となっている。前の作品同様、この話にも殺人・強奪・誘拐といった事件が多く語られ、決して明るい話に終始はしていないのも、円朝の話の、というより当時の世相の繁栄なのかもしれない。

「英國孝子之傳」

題名に騙されてはいけない。「英国」とあるが、まるっきり舞台は明治初期の日本。「孝子」とあるが決していい人物とはいえない。これは翻案ものという。元本は不明という。話は金を巡る殺人事件。没落士族が維新後宿屋を経営して失敗。町人を殺して金を奪い、さらには死体を隠す過程でその処理を任せた人物が車夫まで殺してしまう。しかしその金が元手でこの没落士族は後の商売は成功する。ただ、ここからは例によって仇討ちの話に。金を奪われた町人の子息が最終的に金を取り返し、その没落士族は割腹するというお話。これも因果応報、江戸時代的な話であった。

「眞景累ヶ淵」

これも怪談ということになっているが、どちらかというと陰惨な因果応報話という内容だ。実に多くの殺人が描かれている。最後は仇討ち達成の物語となってはいるが、実に多くの関わりある人物が殺し合うといった話になっていて、ちょっと陰惨さに辟易してしまう。以下その殺人を中心に見ていくことにする。

  • 借金の取り立てに激昂した「新左衛門」、金貸しの「宗悦」を斬り殺す。これが発端。
  • 「新左衛門」が呼んだ流しの按摩が「宗悦」の姿に変わり、思わず斬りつけると「宗悦」ではなく妻で、それを斬り殺してしまう。
  • 「新左衛門」隣家の騒動で突き殺され、家は改易となる。
  • 「新五郎」(「新左衛門」の子息)、「お園」(「宗悦」の娘)を犯そうと押し倒すと、背中の下に押切があり、その刃でざくざくと切り殺してしまう。
  • 「豊志賀」(「宗悦」のもう一人の娘)、「新吉」(「新左衛門」のもう一人の子息)と深い仲になっているが、関係がこじれて(弟子の「お久」に嫉妬し、顔に障害が生じたため)結局自害。「新吉」の妻を7人まで取り殺すという遺書を残す。
  • 実家に向かう途中怪我をした「お久」を介抱しながらその顔を見ると「豊志賀」の顔。「新吉」思わず鎌で「お久」を惨殺。
  • 金に困った「新吉」、新たに関係を持った「お累」を蚊帳を生爪ごと引きはがし、赤子(「新左衛門」の生写し)には煮え湯をかけて殺す。「お累」は鎌で自害。
  • 新たに関係を持った「お賤」(実は異母妹)の頼みで「新吉」は名主の「惣右衛門」を扼殺。
  • 「甚蔵」(「新左衛門」の門番、訳知り男)を崖から突き落とす。が、手負いの「甚蔵」が襲いかかる。これを「お賤」が鉄砲で射殺する。
  • 「惣吉」(後半の主要人物。「惣右衛門」の子息)が薬を買いに行く隙に母が扼殺される。
  • 「新吉」は待ち伏せて三蔵を殺し、金を奪う。
  • 「新吉」「お賤」を鎌で殺害。自分は自害。「お熊」(「お賤」の母)も鎌で自害。
  • ついに「惣吉」は兄の敵の「安田一角」を討つ。

果たしてこれでこの話の内容はお分かりでしょうか。実に複雑な人間関係、と言っても何らかの係累がある関係、それが殺し合うという実に陰惨な話でした。円朝はよくこんな話を語ったものだと感心する。

「名人長二」

真面目な指物職人の「長二」という人物が、ふとしたことから自分の出生の秘密を知り、生みの親だと思われた夫婦を、これまた偶然から殺害してしまう。それを本人は自首するのだが、当時の権力者がそれを許し、無罪放免にするという至って「おかしな」話だ。

この話、モーパッサンの「親殺し」とういう小説の翻案だというが、元の話がどんな内容か分からないので何ともいえないが、事実として実の母親を殺害していて無罪放免というのはどうも納得がいかない気がする。しかも当時の奉行所が何とか無罪にするために林大学頭まで動員しているのがおかしい。それほどこの名人長二を大事にしたということらしい。

大筋はそういうことになるが、この話、例によって様々な要素があり、結構長い。古今亭志ん生が五回にわたって演じているらしいが(実は録音があるようだ)、話の最初にある「仏壇叩き」は有名で、今でも演じられているようだ。また、湯河原温泉が舞台の一つになっていて、これまた円朝の取材が生きている。

さらには裁判で無罪放免になるというところに一種のトリックがあり、これも円朝の発想力と知識の深さの証左かもしれない。

それにしても、どうして無罪になったかというと、この殺人は実は親の「仇討ち」だったからだ。まずは殺害した父親は実の父親ではなく、実の父親を殺した人物であり、母親は実の母親なのだが、離縁が成立しているから、もはや親ではないということらしい。

この辺は現在の常識からは「おかしな」話となるのだが、当時では成り立った話のようだ。それにしてもやはり「殺人」と「仇討ち」がテーマの話が多い気がする。

さて、最後に一つ、この話はこれまでの口述筆記ではなく、円朝自らが「書いた」ものだということを付け加えておく。こうなると小説家ということになりそうだ。

おわりに

こうして円朝の話を「読んで」いくと、内容はやはり江戸時代的というか、幕末的な要素が多分にある話である印象が拭い得ない。そこに近代的な要素は見当たらない気がする。ではなぜ円朝がこの時期の文学史に名を残したのか。それはやはりその文体にあったといえそうだ。これは「落語」の口述筆記というところに負うところが大きいのだが、いわゆる「言文一致」体の一つの実現だったためだと言える。落語は登場人物の「会話」が中心となる。そこも近代的な小説の一つの形を示したとも言えるようだ。

小生は実はこの間、ドフトエフスキーの『罪と罰』を米川正男氏の翻訳で読了したところなのだが、この『罪と罰』が実は明治の初年に書かれた事実を知って愕然とした。この円朝の作品と同時代なのだ。そしてこの差はいったい何なんだろうと考えた。ロシヤもけっして近代的な国ではなかったはずだ。しかしこの時代、ドフトエフスキーの『罪と罰』を産んでいる。日本はまだ円朝に止まっていた。今後この差はどう埋まっていくのか、この仕事(明治文学全集の通読)を通じて見ていくしかない。今回はここまで。

2026.01.27

この項 了

日本近代文学総復習明治文学編9『河竹黙阿弥』を読む

はじめに

今回も個人集。これからはこれが多くなるようだ。今回は河竹黙阿弥。歌舞伎台本作者だ。しかも実は前回の「古典文学総復習続編」で取り上げ済みだ。ただ、その時は一作品のみだった。『三人吉三廓初買』という作品だ。言わずと知れた「白浪もの」の幕末の代表作だった。さて、今回は明治期に入って書かれ、上演された作品群である。そこにはどんな変化があるか、またどう時代を反映しているか興味深い。収録作品を見ていくことにする。

収録作品

「天衣紛上野初花(河内山と直侍)」

「くもにまがふうへののはつはな」と読む。これはやはり江戸時代と同様な「白浪もの」と言える作品だ。主人公は「河内山宗俊」という悪者。幕府の奥に勤める茶坊主でありながら、何かと悪を働く人物。それともう一人その弟分の直侍という人物が織りなす物語である。以下の展開。

  • 序幕 湯島天神の場・長者町上州屋の場
  • 二幕目 吉原大口入口の場・同三千歳部屋の場・日本堤金杉路の場
  • 三幕目 松江家上屋敷の場
  • 四幕目 橋場寺田閑居の場
  • 五幕目 隆慶橋茶屋の場・水道端比企邸の場・小石川御堀端の場
  • 六幕目 入谷村蕎麦屋の場・同大口屋別荘の場
  • 大切 上野屏風坂外の場・池端宗俊妾宅の場・入谷浄心寺裏の場・廣小路見世開の場

前半は茶坊主「河内山宗俊」が大名を相手取って町家の娘を助ける物語、当然金絡み。この人物の造形は元は講釈の「天保六花撰」による。この人物、いわば詐欺師なのだが、大店と大名を相手にしているところや娘を大名の手から救い出すという点が江戸の庶民に受けたようだ。

後半は直侍の話。これはどちらかというと人情噺的。遊女とお尋ね者となった直次郎という侍の男女の話。現代ではこの二つは別々に演じられているという。

ここもやはり『三人吉三廓初買』に見たダークヒーローの話である。

「水天宮利生深川(筆賣幸兵衛)」

「すいてんぐうめぐみのふかがは」と読む。これはいわゆる「散切り」もので、明治の新時代を舞台にした芝居。以下三幕八場の世話物。実際にあった事件というか、事象を題材にしているという。

  • 序幕 吉原千歳楼の場 油堀荻原宅の場 萬年橋川端の場
  • 二幕目 浄心寺裏貧家の場 海辺川岸身投げの場
  • 三幕目 佐賀町質店の場 同裏手庭口の場 同座敷前の場

これも話は二種類あるが、前半の士族船津幸兵衛の話がもっぱら上演されたようだ。世は明治になって士族は多く没落する。大体が士族の商法と言われるように、禄を失った士族が慣れない商売をして貧乏になるというパターン。この主人公はもっと酷い目に遭う設定だ。女房は産後の肥立が悪く死亡、娘の一人も失明するといった有様。ただ、長屋の人々や有徳の人物に助けられて何とか生活している。しかし、悪徳高利貸しに身ぐるみ剥がされて、絶望のあまり一家心中を試みる。ただ、ここでも多くの人たちによって助けられ、しかも水天宮の御加護によって娘の失明も回復するというハッピーエンド。後半は盗賊小天狗要二郎の筋だが、これもハッピーエンドを迎える筋。ともかくこの世話物は当時多くいたであろう没落士族を描いた点でまさに明治新時代の風俗を舞台化したものだった。

「島鵆月白浪(明石の島藏、松島千太)」

「しまちどりつきのしらなみ」と読む。これも「散切物」。以下五幕九場。作者六十六歳の作品。

「白浪」という語があるようにここに登場する人物たちは皆かつて「白浪」=「盗賊」だった者たちだ。明石の島蔵と松島千太という人物が、質屋福島屋から金を盗んだあと改心して自首しようとするまでの筋だ。そこにもと士族で書家・金貸しの望月輝、芸者のお照などが絡んで話が展開する。展開は以下。

  • 序幕 白河宿旅籠屋の場 同明神峠山越の場
  • 二幕目 明石浦漁師町の場 同播磨灘風の場
  • 三幕目 神楽坂弁天湯の場 望月輝町住居の場
  • 四幕目 神楽坂明石屋の場 宮比町裏長屋の場
  • 五幕目 招魂社鳥居前の場

話に新みはないように思うが、ここに登場する風俗が何とも明治の新時代を彷彿とさせるように描かれている。

「人間萬事金世中(金の世の中)」

これは翻訳物というか翻案劇というもの。つまり原作がある。原作はリットン卿の「マネー」という作品。リットン卿はこれまでも度々登場したイギリスの作家思想家。この頃日本で多く紹介され、翻訳された作家だ。ここは福地桜痴による紹介とある。以下の展開。

  • 序幕 横濱境町邊見店の場 同仙元下裏借家の場 同邊見宅遺言状開の場
  • 二幕目大切 横濱本町惠府新宅の場 同境町邊見宅の場 同波止場脇海岸の場 同境町邊見見世の場
  • 同惠府林宅婚禮の場

題名の通り、お金をめぐる商売人たちの醜い争いがテーマ。商売人だけでなく親戚関係の遺産をめぐる争いなどいつの時代にもある話だ。しかし、これが開花当時の横浜を舞台にしている点や翻案物という新しさが相まってこれまでの「散切り物」とは違った新味があったようだ。この話の主人公の恵府林之助と結婚相手の「おくら」との関係も旧時代にある世話物の男女関係とはやや違った感がある。また別人物だが商家のお嬢様の以下のセリフが当時大ウケだったようだ。今でもいうお方はいますがね。

「いえいえわたしゃ厭ひませぬ、業平さんでもひょっとこでも灯りを消したその時は、別に変りはござんせぬ…わたしゃ男にゃ惚れませぬ、お金のあるのに惚れますわいな」

「北條九代名家功(高時、本間山城、義貞太刀流し)」

「ほうでうくだいめいかのいさをし」と読む。いわゆる「時代物」。しかしここは明治版「時代物」である。明治になってからも市川團十郎はいわば忠臣列女を主人公とする史実第一主義の芝居にこだわっていたようだ。しかも「求古会」という団体を組織して、「時代物」の近代化ともいうべき「活歴劇」の上演を目指していたという。その要請で黙阿弥が「書かされた」ものだそうだ。以下の展開だが、初めの高時が多く演じられ、現代でもそうだという。

  • 高時(中幕の上) 北條家門外の場 同奥殿田楽の場
  • 本間山城(中幕の中) 本間山城邸宅の場 極楽寺口合戦の場 大仏陣所實検の場
  • 義貞太刀流し(中幕の下) 稲村ヶ崎太刀流の場

『太平記』の世界に取材した話。高時は時の権力者だが、鴉天狗に翻弄されるという話でここには権力者の高時の無能な面が描かれているという。しかしこの舞台は話の内容よりも天狗の舞が目新しく面白かったのが受けたようだ。ある意味これはまさに歌舞伎の特徴かもしれないのだ。

所作事作品

「土蜘」

これは「松羽目物」と呼ばれる能舞台を模した背景で演じられる舞踊劇の一つ。話は源頼光による土蜘蛛退治の伝説に基づいたもの。見所は、和紙で作られた大量の蜘蛛の糸を、土蜘蛛の精が客席に向かって投げかける豪快な演出と土蜘蛛の精が僧侶から妖怪へと姿を変える「変化(へんげ)」の演出だそうだ。

「紅葉狩」

これも能の謡曲『紅葉狩』に取材したもの。信濃の戸隠山を舞台とする鬼退治の伝説に基づいた話。豪華絢爛な紅葉の風景、更科姫の優美な舞、後半での姫が鬼女へと豹変する場面立ち回り等が大きな見どころのようだ。特に、姫が面(おもて)をすばやく変えて鬼女になる演出は評判を呼んだという。

「風船乘評判高閣」

これは常磐津、清元による一幕二場の所作事。「ふうせんのり ひょうばんのたかどの」と読む。イギリスの興行師スペンサー夫妻による日本初の風船乗り(熱気球の公開飛行)が当時大きな話題となっており、それを題材にしたもの。 五代目尾上菊五郎がスペンサーに扮して演じたという。菊五郎は実際に横浜まで風船乗りを見学に行き、服装をそっくりに再現したほか、台詞の一部(口上)を英語で述べるという凝った演出が話題を呼び、大評判となったという。

「浪底親睦會」

「なみのそこ しんぼくかい」と読む。これは海の底を舞台とした滑稽な所作事。海の底の魚たちが集まって親睦会を開くという趣向で、菊五郎の潜水夫の奇抜な扮装が評判を呼んだという。音曲は常磐津、清元、竹本。

「初霞空住吉(かつぽれ)」

「かっぽれ」という通称で広く知られているもの。「はつがすみそらもすみよし」と読む。もともと「住吉踊り」を源流とする大道芸であった「かっぽれ」を、明治時代に九代目市川團十郎が新富座の大舞台で踊ったことで、全国的に知られるようになったという。

おわりに

ざっと黙阿弥の明治期の歌舞伎台本等を見てきたが、基本は幕末期のものとさして変わりはないように思える。ただ、明治期の新風俗を巧みに取り入れているところはまだ歌舞伎がその時代を生きていたと言えるのかもしれない。また、ここでも歌舞伎の台本を文字で読むというのはどうも違和感があるのは拭えない。後半の所作事などはまさに音楽がなければその様子はわからないからだ。歌舞伎は芝居であるから舞台の空間もわからなければ本当は「読めた」ことにはならないとも言える。ただ、この後歌舞伎がいわゆる「伝統芸能」化していってしまうのが残念に思える。まだ、この黙阿弥の時代はかろうじてビビットであったようには思えるが。

2025.12.03

この項 了

パソコン改造第3弾

パソコン改造第3弾

この話題の最終投稿です。前回の投稿でなんとか泥沼化から脱したことは語りました。しかし、当初の目的のWIN11へのアップグレイトについては報告していませんでした。

実は先日無事アップできたので報告です。そしてここに泥沼化は全くありませんでした。ただただ時間が掛かっただけです。

実は先日久しぶりにシステムを終了して、時間をおいて起動したところWIN11へのアップグレイトの案内が出ました。

そこでいわれる通り進めていっただけでした。

条件を満たしたPCは実に面倒なくできることがわかりました。ただ、まずダウンロードに時間が掛かりました。我が家のネットは決して遅くないのですが、これは相手が混んでいたせいでしょう。

つぎにPCをWIN11化するのに時間が掛かりました。これは多分HDDの容量のなさに原因していました。外付けのUSBドライブを使う旨のメッセージがでてましたから。これはOSの変更でしたから多くの展開領域が必要だったのでしょう。しかし、ほっとけばいいので他の事をして、昼過ぎに始めて夕刻遅くに終わりました。

その後はHDD内の整理をして、終了しました。

この間のポイントを以下整理しておきます。

  1. ハードウエアの大幅な変更は別のPC扱いになってしまうことを認識すべし。
  2. ハードウエアの変更はよくマニュアルを読んで行うべし。(しったか禁物)
  3. 電源の扱いには特に注意すべし。(帯電に注意)
  4. WIN11のポイントはBOOTにあると認識すべし。(従来のMBRからGTPへの変更)
  5. マイクロソフトの認証はデジタル認証になっていることを思い出すべし。

とまあいろいろ苦労したので、教訓です。もうこんなことはやらないだろうけどね。

2025.11.27

パソコン改造泥沼化第2弾

パソコン改造泥沼化第2弾

苦労の末、何とか新しいマザー・CPU・メモリーで従来からのWIN10は無事起動した。この顛末は先に書いたとおりだが、その後のWIN11へのUPの過程で再び大変なことを経験することになる。今度はその顛末を。

1.「WIN10の認証をしろ」とな?

実はマザーボードとCPUの変更など重大な変更を行ったパソコンは別のパソコンとみなされるらしいことがわかっていなかった。

さて「プロダクトID」ってあったけ?確かWIN7は持っている。それから8も持っている。

なにせパソコン歴は古い。MS-DOSの時代から使っているのだ。(いやいや懐かしいな。思い出にふけっている場合ではない。)

Windowsは先ずは95。これは正に画期的で1995年だった。その前は1.0、3.0、3.1と続いていたはず。1.0は1985年、95の10年前だ。

そしてXP。2001年だった。(NTというのもあったし、確か2000というのもあってこれは業務用だったと思う)そしてこれを長く使った。インターネットが一般化した時代だった。その後のVistaはほとんど使わず、7を使い続けた。そして8はMacBook上で使う。そして10だ。

あれ?思わず「僕のパソ道」になってしまった!(いずれ書きます。)

さて、ここで思い出したのは、7から10へのバージョンアップはマイクロソフトのサイトから行ったことだ。この10は2015年に発表でいわゆる最後のバージョンと言われ、継続的アップデートモデルということだった。(まだ10年ジャン!)

そこで7のIDを入力してみた。ダメだった。

ここでもわかっていなかったのは認証がデジタル認証になっていたことだ。

10のプロダクトIDはマイクロサイトのアカウントにいわゆる「紐づけ」されているわけだ。「設定」の「ライセンス認証」のページでアクティブ化をすればよかった。

ただ、当初マイクロソフトのサーバーが混んでいたのかうまくいかず、これも混乱に拍車を駆けたわけだが、翌日の朝につながって、一気にこの問題は解決した!あ~あ。

この別なPCとなってしまうということは実は他にも影響する。一つはウイルスバスターの使用台数の問題にひっかかってしまう。またofficeの認証もしなくてはならなくなった。これは面倒なだけでどうということなくできはするが。

こうしたこともはじめからわかっていないとほんとに混乱するのものだ。

2.「11にはアップできません」とよ。どうして?

マザーとCPU、メモリーを変えたのは何のため?どうして?ということでマイクロソフトのサイトから「PC正常性チェック」というプログラムを導入して調べてみた。すると最初の項目「セキュアブートをサポートしていません」と出て、その他の項目はクリアしているが、ここだけがダメだとなっていた。

さてここからがまたぞろ泥沼化するきっかけだった。これは、てっきりBIOSだ!と考えた。確かBIOSにbootの項目もあるしそこでの設定かと、そこでいろいろとBIOSをいじってしまった。

そうしたらある時全くPCが動かなくなってしまったのだ。BIOSの初期画面は出るのだが、キーボードが効かない。初期画面からBIOSにゆくF2キーやDelキーが入力できないのだ。

これは困った。ここでも色々調べてはみた。MacBookを持っているのでこういう時は役に立つ。BIOSのマニュアルもDLして、ここで見られるようにしてある。

最終的にはBIOSの初期化しかないということになって、これを試みた。つまりジャンパーピンのショートや電池をはずすというやつだ。ただこれも一回でうまくいったわけではない。これを行う場合もちろん電源は外すわけだが、どうもこれがうまくいっていなかったようだ。電源を外して「すぐに」やってもうまくいかないのだ。つまり「帯電」ということだ。

これも電源を抜き、電池も外して、一日おいて翌日行ってなんとかなった。しかしこのBIOSの設定はあまり関係がなかった。実はデフォルトでよかったのだ。(BIOSが新しいから)

こんな時ネットの情報は役に立つものだ。ただ、そこを発見できるかが問題なのだ。実はセキュアブートはブートするHDDの設定なのだ。

従来のHDDにはMBRという(マスターブートレコーダー)という起動のためのパーティションが書かれていた。しかしこれではUEFI(Unified Extensible Firmware Interface)では効かない。そこでMBRをGPT(GUIDパーティションテーブル)に変える必要があったのだ。

ホント技術がどんどん変っていくので困る!

さてさてどうする。これも親切、ネットにあった。いわく『データを消去せずに「MBR」を「GPT」に変換』。ありがとうございます。指示に従って行い。BIOSはデフォルトのままにしてやっとWIN11にアップできるPCになりました。(冒頭の画像)

やれやれ。大変でした。あたらしいPCを購入した方がよっぽど楽なんだが、このスンナリうまくいかないのが楽しいのだ。

この間の小生のジタバタを横で眺めていたカミさん曰く、「楽しそうだね」。

さて、まだ11にはアップしていません。またなにかあるかも。来週にします。楽しみは取っておきます。それと焦ってやると碌なことはないのでね。

また報告します。

2025.11.20

日本近代文学総復習明治文学編8『福沢諭吉集』を読む

はじめに

また少し間が空いてしまった。今回は半月で行けると思っていたが、途中にパソコンの改造の作業を入れてしまい、これが結構手こずってしまったので、やはり一月は要してしまいそうだ。

さて今回は個人集である。誰もが知っている福沢諭吉である。お札になったぐらいだから知らぬ人はほとんどいないと思うし、「学問のすすめ」の文言はどこかで必ず聞いたはずである。

ただ、福沢諭吉は文学者ではない。批評家というのともちょっと違う。しかし、日本近代を代表する「思想家」であることに間違いはない。これまでも文学者というより思想家をこの明治文学全集は取り上げてきているから不思議ではないが、その中でもこの人物は明治時代にあって外せない人物だから当然ということになろう。

ともかく改めてこの思想家の思想を読み解いていきたい。

福沢諭吉の思想

先ずは福沢諭吉の一般的な理解を紹介しておこう。ネットで検索すると以下のように書かれている。

AI による概要
福沢諭吉は、『慶應義塾の創設者』であり、明治時代の『啓蒙思想家』、**『教育家』**です。幕末に欧米の文化を『西洋事情』で紹介し、明治維新後は「学問のすすめ」などの著作を通じて、個人の自立と平等、そして学問の重要性を説きました。
慶應義塾の創設:1858年に蘭学塾を開き、これが現在の慶應義塾の源流となりました。
西洋文化の紹介:幕府の使節として欧米を訪れ、帰国後に『西洋事情』を著して、日本に西洋の知識を広く伝えました。
啓蒙思想の普及:「学問のすゝめ」を書き、人々に学問を勧めて個人の自立を促し、近代社会のあり方を示しました。
新しい言葉の創出:「自由」「演説」「社会」など、現代で当たり前に使われている多くの言葉を英語から訳して広めました。
明治政府に仕えず:明治維新後、政府からの要請を断り、教育活動と著作に専念しました。

間違いはありませんね。しかし、これだけでは福沢諭吉がいかに優れた思想家だったかは伝わりませんね。そこでこれからその著作を読んでいくことによってより深い理解をしていきます。そうするとこの福沢諭吉がいかに日本の近代において大きな人物だったかがわかるはずです。

収録作品の内容

「素本世界國盡」

冒頭で

「世界は廣し萬國は多しといへど大凡そ、五に分けし名目は亜細亜、阿弗利加、欧羅巴、北と南の亜米利加に、堺かぎりて五大洲、太洋洲は別に又、南の島の名稱なり。」

と述べて世界を州別に、そして各州では属する国々を挙げている。しかも七五調で分かりやすく覚えやすいように述べている。世界地理の教科書といったところ。

「通俗民權論」

緒言にある通り、これは上等社会の学者など知識人に対してではなく、俗世間の一般の人々に対して当時盛んに言われていた「民権」とは何かを福沢なりの考えで説いたものである。内容は八章にわたって述べられているが、基本は「一身独立」した「民」の力こそ重要であるという点に眼目があるとする。

「通俗國權論」「通俗國權論二編」

上記の通俗民權論脱稿後すぐに書かれたもの。ここでも基本は「一身独立」した「民」の力であり、それ無くして国の独立を維持・強化することはできないとするもの。一般的に「民権」と「国権」は対立し、相反する物のように考えられるが、福沢は「民権」あっての「国権」という考え方だ。その考えに基づいて自由民権運動、国会開設運動、条約改正問題等具体的政治課題を論じている。

「民情一新」

主に近代科学や産業革命によってもたらされた文明の力がその社会や人間を変えることを述べたもの。保守的な考え方ではなく、「進取の主義」によって国家のあり方や人間のあり方を変えていくことの重要性を説いたもので、それを理論的というより、具体的な制度や技術に沿って論じている。

「帝室論」

皇室は政治の枠外にあるべきことを説き。立場に関係なく全国民は同等に皇民であるとし、皇室は特定の政党に関与すべきではないことを主張したもの。現在の象徴天皇制に近い考え方が述べられている。「官権党」の結成を聞いた福澤が、その不適切なことを論じたもの。皇室の政治利用は危険であり、むしろ学問・芸術面での寄与こそ大事であるとする。

「尊王論」

基本的には前記の『帝室論』と変わらない趣旨。ただここで注意したいのは、同趣旨の論を改めて出版した経緯である。これは欽定憲法の起草、国会開設という点に絡んでいるようだ。福沢は繰り返し、帝室を政治外に置いておきたい考えが強くあったようだ。

「日本婦人論」

これは、女性の解放と自立を説いた先進的な論説。日本社会の長きに亘った男尊女卑の風習を打ち破るべく論じた婦人解放論と言える。その内容は、福沢が説く「一身独立」は女性にも応用されるべきものとし、女性に責任と財産を持たせること、そして封建的な男性の意識改革を促し、男女が独立した家族関係を築くべきであると主張している点が注目される。ここでも日本の民族が「人種改良」すべきことが述べられている。ここで面白いのは、結婚後に夫や妻の姓ではなく、新しい姓を創設すべきだと提言している点だ。これなどいわゆる「家制度」を根本から覆す論で、今話題の夫婦別姓どころではない気がする。

「實業論」

これは福沢諭吉の経済論集。ここでも国民の「一身独立」を説き、その経済活動こそ重要であること強調する。これは政府主導の経済からの脱皮を強調。背景には西南戦争後のインフレと松方デフレがあったと思われる。また、福沢は科学技術を背景にした「実業」の必要性を説く。これは実業界に未だ残っている封建的体質に対する批判である。しかもその批判は思想的な面からばかりでなく、変動するこの時代の経済状況を輸出入の数字や職工の賃金の世界比較をあげての分析からしている点も見逃せない。

ただ現実的には資本家が育っていないこの時代の日本の資本主義はどうしても国家主導にしかなり得ず福沢の理想は実現が難しかったのは歴史が示している。

「福翁百話」

これは、福沢諭吉が友人や来客との談話をまとめた100の随筆集。ここにはこれまで見てきた福沢の思想がさまざまな話題を通して述べられている。

注目すべき話題は「情欲は到底制止す可らず(四十五)」あたりだろうか。これは結局いい方策はないのだが、ここで福沢が人間の欲望を基本的に認めている点が重要だ。決して道徳的な方向に持っていこうとしていない点である。この考えは彼の「女性論」にも生きている。ぜひ読んで貰いたい一章である。以下の文言を引いておく。

「畢竟人生の情欲は制止す可きものにあらざれば、要は唯その方向を転じてこれを緩和するか、又は此れと彼れとを比較して害の少なき方に導くに在るのみ。(一部漢字変更)」

「福翁百餘話」

「福翁百話」と同じような趣旨で、随時に思いついた所感を書きとめたもので全十九編。

「明治十年丁丑公論」

これは、西南戦争の首魁である西郷隆盛を弁護し、明治新政府を批判した著書。著者は、西郷の行動を「横暴に対する抵抗」と捉え、明治新政府の統治に痛烈な批判を加えている。ここに福沢の明治新政府に対する根っからの抵抗感が窺える。ただ、この書は明治10年の西南戦争直後に執筆されというが、当時の取締法規に抵触する恐れがあったため、すぐには公刊されず福沢諭吉の死の直前である明治34年に『時事新報』紙上で発表されたという。

「瘠我慢の説」

この書は福沢の為人を知る上で重要であると思われる。また、これは明治維新に対する彼の立場を明確にする書でもあると言える。内容は明治維新前幕府側にあって重要な役割を示したが維新後明治政府に出仕した勝海舟と榎本武揚への批判で私信という形で書かれている。当初は発表の予定がなかったようだが、あるところから漏れてしまい地方の新聞に掲載されてしまったために前記の「明治十年丁丑公論」の一部として発表されものだ。

ここに福沢諭吉がやはり幕府側の人間であったこととそれ以上に明治新政府に対する反感が強かったことを示している。実は明治政府は政権を取ったものの全く人材不足であった。それまで官僚機構を高度に築きあげていた幕府には有用な人物が多数いた。これは「啓蒙思想集」でも見たように近代化にいち早く取り組んでいたのは実に幕府側の有意な若者たちだった、ということもあった。つまり明治政府にとって幕府側の人間は必要だったわけだ。「啓蒙思想集」に登場した多くの幕府側の若者たちも明治政府に何らの形で参加しているし、勝海舟はともかく、最後まで抵抗した榎本武揚までも受け入れたのだ。したがって福沢も政府への出仕を誘われている。前に取り上げた栗本鋤雲も然りである。しかし、福沢や栗本はそれを断っている。それを「瘠我慢」だとしている。そして彼らにはそれが足りないとしているのだ。ここにむしろ福沢の旧武士的な気概を見るのは私だけだろうか。好きだなこういう人物。ここに小栗上野介の無念や成島柳北の反社会的な姿勢を思わないいわけにはいかない。

「舊藩情」

これは、福沢諭吉が江戸時代における武士の厳格な身分制度と、家柄や血筋に縛られた「格差社会」の問題点を鋭く批判した著作だ。こうした論は自身がいわば下級の身分のしかも末っ子であった経験から論じられている。具体的に福沢が属した九州の小藩である中津藩の幕末から維新期にかけての実情を紹介している。そんな中、福沢は混乱期に自らの才能と努力によって確固とした地位を築いた(もちろんそれは政府の中ではないが)。そしてそれは何よりも「学ぶ」ことの重要性、その場である平等な学校の必要性を説いている。

「書翰集」

実に様々な人物に当てた書簡が収められている。書簡といっても一種論文のようなものもある。それぞれの内容についてはここで紹介はできない。

「諸文集」

福沢は本当に多くの文章を書いたものだ。ここには未発表のものや完本にならなかった短文が集められている。その中で小生が注目したのが「農に告るの文」という短いエッセイだ。これまで福沢の文章を色々読んできて感じたことの一つは農業や農民についてあまり語っていない点だ。福沢は近代主義者で殖産興業論者だから当然と言えば当然だが、実は日本の近代史において農業の問題は極めて大きいのだが、そこを福沢がどう見ていたかというのが興味深かった。さてこの短文でまず小作人の江戸時代から変わらぬ貧しい現実を描いて同情を寄せている。しかし結語では貧しさから抜け出すには「一日も早く無学文盲の閂を破る可き」だとして、全くどうして構造的に農民が貧しいかなど疑問すら提示していない。ここに福沢の考え方の特徴が見えている。今でも見え隠れするが、貧しさは「自己責任」だという自己責任論みたいである。ここは今後福沢の思想を考える上での一つの問題である。ここではこれ以上触れることはできない。

おわりに

ここまで福沢諭吉の文章を読んできたが、ここには代表作の『学問のすゝめ』と『文明論之概略』が掲載されていない。それは他でも読めるし、有名だからということらしい。実際小生も別の全集(中央公論社「日本の名著」33)で読んでいる。また青空文庫でも多くの著作が電子化され、また作業中ということだ。福沢諭吉は日本の近代が生んだ大きな思想家であることに疑いはない。今後も多くの人に読んで貰いたい。この小生の拙い文章がそのきっかけになってくれればいいと思っている。

2025.11.20
この項 了

久々にPC更新の話題

部品

久しぶりにPCをいじった。これまでもHDDをSSDに変えたり、メモリーを増設したり、OSを変えたりしてきた。そうだ電源も変えたっけ。

しかし今回は根本的な改造だ。マザーボードとcpuを変えようというわけだ。これはマイクロソフトの陰謀に負けたということによる。つまり今使っているデスクトップのPCは実に根本は二十年前のものだから、Win11にはバージョンアップできないからだ。

ま、新しいPCを購入する手もあるのだけど、そこは昔とった杵柄ということで思いっきりcpuを変えてしまおうと思ったわけだ。しかもcpuをIntelからAMDに変えるという、ちょとした冒険だ。ということでこれが結構大変だった。

かなり腕が鈍っていたというか、歳をとってしまったからというか、結構単純なミスが重なって実に三日間を要してしまった。その顛末をここに記録しておこうと思う。PCを改造する初心者さんにはこの小生の失敗談が参考になるのかもしれない。

用意したのは写真の3点。マザーボード、cpu、メモリー8G2枚(すでに装着)しめて約26,000円アマゾンで購入。安いよね。
部品

まずは使っているPCを分解。電源とSSDは使う。
旧PCの中身旧PCの部品

新しいマザーボードにcpuとcpuファンを装着その他も全てつなぐ。
新PC内部

これで動けば、なんでもないのだが。ここからが大変なことに。順を追って振り返る。

  1. なんと電源が入らない。どうして?
    • 実はこのPCの電源の扱いは慎重にしなくてはいけない。もちろん分解は電源を切り、ケーブルも抜いて行うのは常識だからそうした。
      しかし、どうも放電し切れていなかったようだ。そこで前に電源を変えたときに購入した電源テスターを引っ張り出し、チェックをした。
      すると数回のチェックで通電した。
  2. しかし、モニターには何も表示されない。どうして?
    • そこでなんとPCを元に戻すということやった。そこで元のPCは動いたので電源は生きているのがわかった。
      そしてそこでわかったのがcpu補助電源を刺していなかったということだ。旧PCのマザーボードでは4個口、新PCは8個口なのだ。
      再び全てセットをし直すことに。これが全てを刺し直すのだから大変だ。
  3. やっと動き、bios画面が登場した。しかし、cpu fan エラーの表示が。どうして?
    • これが大変。cpu fanはcpu付属のものを使ったが、これが中々の代物で、バネ付きのネジがうまく止まらないのだ。これが原因と思い、悪戦苦闘した。ネット上の記事でもはめにくいことが書かれていた。それを参考にファン部分とヒートシンク部分を外し、マザーボードの裏にあるパネルを抑えてなんとかネジ留めした。ワンタッチでつけられるタイプのものもあるのでそれを購入して使うのがいいと思う。やっとしっかり装着できたようだ。それとこの過程で判明したのが、cpu fanのコードの差し込み口が違っていたことだ。なんということだ!
  4. それでもwindows10は起動しない。どうして?
    • これができないと本当に面倒なことになる。やはりマザーとcpuを変えると無理なのか?しかしBIOS画面で古いSSDは認識している。しかしBOOTできるデバイスはないと言われている。これは設定があった。認識されたSSDをBOOT可能としなければならなかったわけだ。やれやれこれでやっと見慣れた画面が現れた。

見慣れた元の画面!実はマザー・cpu・メモリーはすっかり代わっているのだけどね。これで「目論見」通りになりました。

 

いやいや大変でした。ここで反省点。わかったつもりでやるのではなく、一つひとつ慎重にマニュアルをしっかり読んでやることですね。歳を食ったなって感じが否めませんでした。今後は新しいBIOSについてしっかり学んで、その上でウィン11にUPします。間に合うかな?では。

日本近代文学総復習明治文学編7『明治翻訳文学集』を読む

はじめに(翻訳文学について)

翻訳文学は日本の文学界に大きなジャンルとして今も存在している。小生の書棚にもいくつかの翻訳小説が並んでいる。中でもこれは私的な趣味だが、レイモンド・チャンドラーの探偵小説、しかも村上春樹訳が好きだ。実は以前にも別の翻訳者のものも読んではいた。しかし村上春樹の訳が出てからはもっぱらそちらを好んで読んできた。いわば同じ原作者の作品でも訳者によって違った印象になるのが翻訳文学の特徴だと言える。

さて、ここはその翻訳文学の嚆矢、明治時代の翻訳文学のいくつかの作品が取り上げられている。明治時代は海外、それも西洋の文物が多く入ってきた時代である。小説だけではなく多くの哲学書などが入ってきて、それを翻訳したり、内容を紹介してきたことはこれまでもみてきた通りだ。今回はその中で小説が取り上げられているわけだ。これはほんの一端に過ぎないだろうが、その時代の翻訳文学の姿を見ることとなる。

『歐洲奇事花柳春話』丹羽純一郎譯

ロウド・リットン(正確にはEdward Bulwer-Lyton)というイギリスの作家の小説「Ernest Maltravers」と「Alice」の抄訳、というか翻案・創作に近いようだ。この原作については全く知らないので、どこまで翻訳でどこまでが創作はわからない。

内容は一人の才子と数人の女性をめぐる話で、立身出世を望む青年が長い遍歴の中で様々な立場の女性と触れ合うが、結局は最初に恋に落ちた女性に再びたどり着く、といったいわば典型的な恋愛譚である。訳者の丹羽純一郎はイギリスから帰朝した法学士だが、帰朝の途次これを手遊びで翻訳したという。ただ、そこには明治初期にいわば「青雲の志」を持っていたであろう訳者の思想が反映していたに違いない。そしてそれが話の中心たる西欧的な男女関係への関心とともに当時の多くの教養ある青年たちの心を掴んだのかもしれない。

しかも題名にあるごとく旧時代的な文体で書かれていたこともそうした青年たちに受けたのかもしれない。この題名「花柳春話」とはいかにも江戸時代の人情本を思い浮かべさせるが、その文体は漢文訓読体である。この当時のこうした書の読者の多くは皆漢文の教育を受けた者たちだからだ。

さてこの書、「題言」をかの成島柳北が書いている。その趣旨は「情史(恋愛譚)など不要だと考える」学士に対しての反駁である。これまた柳北一流の反語的漢文で書かれている。これを読むとこの書の当時の意味合いというのが分かる気がする。

また、翻訳として面白いのは「one kiss」を「朱唇を一甞する」と訳しているところだ。訳には相当苦労したに違いない。

さらにこのリットンという人物が一面新進気鋭の政治家であったということもこの時期の日本において訳を出すに適していたのかもしれない。前回見た東海散士もこの書に影響されたということだ。

『開卷驚奇龍動鬼談』井上勤譯

これも同じくリットンの作品の翻訳。原題は「The Haunted and the Haunters : or The House and the Brain」というらしい(一柳廣孝氏「西洋魔術の到来」による)。直訳すれば、「幽霊と幽霊屋敷:あるいは家と脳」ということになる。つまりは怪異譚なのだが、その前半の幽霊屋敷の部分を訳したものだ。

内容は以下だ。

主人公である語り手(余)は友人からロンドンの市中で幽霊屋敷を見つけた話を聞いて好奇心に駆られ、従僕Fと愛犬を伴って探訪する。J氏が所有し老婆が管理する不気味な屋敷は長く借り手が付かなくなっている。そこでさまざまな怪異現象に見舞われ独り取り残されながらも、迷信や恐怖心を退け超自然を科学的に解釈しようとする主人公。最後に二階の空き部屋の床下に秘められた細密肖像画と呪術の装置を突き止め、その部屋を取り壊すことで屋敷の憑き物は落とされる。 (野口哲也氏「井上勤の初期翻訳への一視角ー『龍動鬼談』論」による)

ここで興味深いのはこうした怪異をあるものとして描き、それをいわば科学的に解明するという姿勢だ。日本にもこうした怪異譚は古くからあるが、この姿勢はない。序文で、この訳者の父親がかつてシーボルトに天狗の怪異を話したところ嘲られたことをあげ、「西洋にだってあるじゃないか」といっているのが面白い。しかし、日本の古来からの怪異譚とこの怪異譚は様相が全く違うといっていいい。西洋のそれはもっと心理的だし、分析する姿勢が違うのだ。ただ、この翻訳が後に明治期の「こっくりさん」の流行や催眠術や魔術の流行とも関係したようで、その点は注目するに値するとは言える。

さて、役者の井上勤はその後も精力的に翻訳を行なったようだ。トマス・モアの「ユートピア」、「アラビアンナイト」、シェークスピアの「ヴェニスの商人」、「ロビンソンクルーソー」などである。

『西洋怪談黒猫・ルーモルグの人殺し』饗庭篁村譯

これはエドガー・アラン・ポーの「黒猫」(「The Black Cat」)と「モルグ街の殺人」(「The Murders in the Rue Morgue」)の古い翻訳だ。この二作はいずれも短編だが、今でも多く読まれているいわば推理小説の部類に入る翻訳本だ。内容はことさら言うまでもないが、「黒猫」は一種の怪奇小説と言ってよく、「モルグ街の殺人」は謎解きのある密室事件の推理小説だ。

ただこの翻訳、実はあまり英語ができない饗庭篁村と言う人物が行なっているというのが味噌だ。実はこの饗庭篁村と言う人物は旧時代の文学者といっていい人物である。では、話を聞いて適当に翻案したのかというと、実はかなり原文と合っている。これはこの翻訳と現在の翻訳を比較してみても分かることだが、此処には当時英語のできる坪内逍遥や小野梓、そして早稲田のその教え子たちの協力があったと言うことだ。それにしても大作家でもなく、どちらかというとマイナーな詩人といった印象のポーをこの時代に見出したのは後の推理小説翻訳ブームの先駆けであったことに間違いはない。

『小説罪と罰』内田魯庵譯

これは言わずと知れたドストエフスキーの長編小説の日本での初めての翻訳。ただし英語翻訳の二重訳で前半の第三篇までの部分訳ということだ(全篇は六篇とエピローグの全七篇)。

その後、この小説はさまざまな訳者によって翻訳され、知的青年のいわば必読書のように言われてきた。しかしその大半の青年読者は途中で放棄することでも有名な小説だ。かく言う小生もその一人だったが、何しろ長いのと登場人物名のわかりにくさ、そしてその人物たちの長口舌にうんざりするところがあって、茶漬けを好む日本人には辛い小説である。(その後なんとか米川正夫氏の翻訳で青空文庫に掲載されたものをKindle化して読んだ。どういうわけか電子ブック化するとスーと読める。)

だが、この翻訳、当時はかなりの反響があったようだ。北村透谷が当時としてはこの小説の本質を的確に捉えた読みを示しているし、その影響から島崎藤村が『破戒』という小説に生かしたと言うことだ。

さて、この小説の内容だが、端的に言えば強盗殺人事件を犯した青年の精神の物語ということになる。大学を学費未納で除籍されて窮乏生活を送る知的青年が、何度か金銭を借りた金貸の因業な老婆を計画的に殺す。ただ、その時偶然にその老婆の義理の妹まで殺してしまう。悪名高い高利貸し老婆を殺害するのは思想的に「善」だとしていたが、義理の妹の殺人によって精神に異常を来すようになってしまう。その後さまざまな偶然から逮捕を免れるのだが、その間友人との関係、家族との軋轢等が描かれていく。そして後半重要な役割を果たす、ソーニャという女性や判事のポルフィーリィとの出会いが描かれる。ここまでが第三篇までであり、この翻訳の全部である。

ところで、部分的とはいえ、この青年の精神の物語が当時の日本の文学界にあっては極めて新鮮だったようだ。これほど人物の内奥を描き、その発言を的確に描いた作品は日本にはなかったからだ。その文体もかなり言文一致体に近づいているようにも思う。それは元の作品が登場人物の長口舌を描いていることにもよるが、口語をうまく使って翻訳しているからかもしれない。実は翻訳に二葉亭四迷が協力したことにもよるらしいが、こうした文体に対しても当時の反響の大きさが窺える。

『椿姫』長田秋涛譯

これはオペラで有名な作品。しかしここはアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が書いた長編小説。原題は「La Dame aux camélias」という。直訳すれば「椿の花の貴婦人」ということになる。このカメリアすなわち椿は、実は日本原産で東洋にしかない花で、当時ヨーロッパに齎らされて、パリで評判になった花だということも念頭に置いておくといいかもしれない。ヨーロッパでは豪華な「薔薇」がなんといっても貴婦人を象徴するはずだが、椿は「薔薇」よりやや可憐な感じだ。この物語の主人公の女性を象徴しているわけだが、この翻訳では露子という女性はいわば「高級娼婦」ながら、そうした誠実さと可憐さを持った女性として描かれている。

さて、物語は恋愛譚のよくあるパターンである。これはオペラでも同じ。おぼっちゃま青年が高級娼婦である美女に本当に惚れてしまい、美女もその誠実さに絆され、付き合うようになる。しかしこの青年の父がこれを憂い、二人の中を割く企てをする。青年の将来を思ってそれを受け入れ、美女が元の娼婦の生活に戻る。そのことを裏切りと思った青年が旅に出る。しかし、美女はその後心身ともに疲れはてて死んでしまう。そして青年はその美女が実は自分のことを思って身を引いたことを知って愕然とする。というお話だ。

ただ、この原作はこの美女(翻訳では露子)が死んで、その家や家財が競売にかけられたところから始まる。このシーンは当時の高級娼婦の生活がいかに豪華で贅沢なものだったか(しかし儚いものか)を象徴している。そしてこの競売で、ある書籍を作者が手に入れて、それを探していた主人公の青年(翻訳では有馬寿太郎)に渡すところから始まる。そしてこの青年がこの死んだ美女(翻訳では露子)との経緯を語るという形で物語が展開していく。その物語の内容は先に示した通りだ。

オペラについては有名だが、寡聞にして観たことが無いのでなんとも言えないが、ここに登場する二人はいわゆる「才子佳人」の類である。特に女性はいわゆる「娼婦」とは思えない純情誠実な女性でとして登場しているようだ。この「才子佳人」は日本の物語でも描かれるが、ただこの小説の方はそうには違いないが、やや現実的に描かれているように思う。決して類型的な人物像では無い気がする。翻訳とはいえ日本名で登場するので日本のこうした展開の物語にあるような人物と思われがちだが、この当時のこうした物語とは雰囲気がかなり違った感じがする。これは文体にもよるのかもしれない。文中会話文が多いことも、やや言文一致的であるからかもしれない。

さて、訳者の長田秋涛について触れておく。父の影響で早くからフランス語に親しんだようで、パリにも留学し、結構贅沢なパリ生活を送ったようだ。しかも同じく留学していた宮様の取り巻きとして当時の社交界にも出入りしていたようだ。それがこの翻訳にも生かされているという。(高橋邦太郎「秋涛と『椿姫』」明治文学全集月報)

おわりに

今回はなんとか半月で終わるつもりだったか、ここ一週間出かけてしまったのでやや遅れてしまった。今回もなかなか読みにくかったが、翻訳ということで言文一致に近くなった作品もあって少しそれは薄らいだ感がした。今後はもっと読みやすくなるのではと思っている。この文体の変化ということもこの近代文学の歴史の重要な要素なので、今後もこの点にも注意していこうと思う。

参考文献

以下の書籍を参考にしたことをここに記しておく。なお、ここでは一々触れなが、ネット上の研究論文など諸情報も参考にしたことを断っておく。

  • 『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 ー北村透谷から島崎藤村へ』高橋誠一郎 成文社 2019.2.27
  • 『文学と魔術の饗宴』 斎藤英喜編 小鳥遊書房 2024.9.30
  • 『「色」と「愛」の比較文化史』 佐伯順子 岩波書店 1998.1.27
  • 「国文学論考 第50号」都留文科大学国語国文学会 平成26年3月15日

2025.10.22
この項 了

日本近代文学総復習明治文学編6『明治政治小説集(二)』を読む

明治政治小説集の二回目。

東海散士篇『佳人之奇遇』(抄)

いきなり苦労させられた。読みにくいことこの上ない!実は以前の古典文学を読んだときには感じなかった読みにくさだ。したがってこれから書くのは全て読了した上でのことでないことを断っておく。とてもじゃないが、全て読了するには数ヶ月を要してしまうだろう。と、まず言い訳をしているわけだが、この読みにくさの原因はその文章そのものと、表記というかこの全集の版組にもある。まず文章だが、この『佳人之奇遇』は所謂漢文訓読体だ。以下に例を示す(写真)。

この作品は高々140年前に出版されたものだが、現代の文章と大きく隔っているのが分かる。しかもこの組版だ(写真は下段部分)。この全集は当時の表記をなるべく伝える目的のためか、また多くの作品を収めるためか、そうしているのだろうが、この行間のなさとカタカナや傍点、ルビなどが読みにくくしている(岩波の古典大系明治編は大分読みやすくしているが)。しかし、この作品は当時大ベストセラーだったようなのだ。「え、どれぐらいの人がこれをすらすら読めたの?」って思うが、ここに日本の近代の変化の急激さを感じざるを得ない。本当はこの作品、現代でも読むに堪える内容を持っているし、日本の近代史を考える上で読むべき著作の一つなのだけれど、残念でならない。

さて、こんなことばかり言っていても始まらない。数名の研究者たちの論文に助けられながらこの書について書いていくことにする。

その梗概

この書は長編である。全八編巻一六まである。ここは(抄)とあるように、五編の巻十までを収める。もっともその発行や内容が巻によって大きく異なる。初編は明治18年に刊行、その後明治21年までに四編まで刊行され、その三年後、国会開設の後に五編が、さらに日清戦争後の明治24年に六編から八編まで刊行されたというからだ。その内容もそれぞれで違ってきている。一部には「過去の傑作が、その名声の尾について 蛇足的に続いた」とみるむきもあるようだが、やはりここに収められている部分がこの書の一番の面目と言える。

さてその内容だが、題名にあるように主人公が留学地アメリカで二人の佳人に出会うことから物語が始まる。そしてこの二人の佳人が小国の亡命者であることから自身の境遇と同様であることを感じ、同情する中でさまざまな事件というか国外の事情が描かれていく。美女紅蓮のアイルランド、貴女幽蘭のスペイン、さらにコシュートのハンガリー、そしてポーランドさらにはイタリアの統一、エジプトの独立運動、アフリカの独立国の指導者まで登場する。どこからこの作者がネタを仕入れたが不明だが、かなり世界中の独立運動についての知識が豊富であったが窺える。いわば世界の独立運動史といった側面もある小説である。

その作者

さてこの作者だが、「東海散士」とはこの小説の主人公であり、日本の浪人といった意味の言葉で、勿論本名ではない。作者は柴四朗という会津藩の遺臣である。この会津藩の遺臣というところにすでにこの小説の骨子がうかがえる。自分を此処に登場する小国の亡命者に準えているのだ。勿論自分を亡国者にしたのは薩長の維新政府である。そしてこの小説に登場する小国の亡命者を産んだのはその維新政府が最も敬愛する英国である。特に英国人のアジア・アフリカ人に対する非道ぶりを憤りを持って描いているのは、英国と維新政府が重なっているからだと思える。

ただ注意したいのは、後半では朝鮮半島をめぐる議論や日清戦争後の三国干渉をめぐる議論が作品の主軸を占めるようになっていった点である。勿論朝鮮や清もまた英国の支配下に置かれようとしていた意味では日本と同様である。しかし本編のヨーロッパやアフリカの小国に対する筆致と朝鮮というやはり小国に対する考えが微妙に違っている気がする。作者柴四朗は当時の朝鮮の独立運動にもかなり肩入れしていたようだ。この辺りはこの小説を離れて、当時の日本のアジア観の問題になるのでそれ自体興味深いが、作者柴四朗が後に国権主義的なナショナリズムに傾倒したのも頷ける気がする。

まとめ

しかし、それにしてもこの作品は当時としてはその舞台といい、登場人物といい、物珍しさも際立った作品であったことは間違いない。しかもそれが漢文訓読体というその当時の知識人には当たり前な文体で書かれていたこともベストセラーになった所以のものだったと言える。今から見るとその文章は古臭く、滑稽な点もあるが(例えば登場人物たちが高昌するマルセイエーズがなんと漢詩!)、当時としてはその政治的な表明と相まって多くの若者に受け入られたことは間違いないようだ。

末廣鐡膓篇『政治小説雪中梅』『政事小説花間鴬』『政治小説南洋の大波瀾』

今度は前回と違って比較的容易に読める。段組みは相変わらずだが、文体が比較的現代に近くなっている気がするし、会話部分も多く、内容もわかりやすい。まずは画像を見て欲しい。

この作品の初めの部分。この小説のヒロイン「富永お春」が病床の母親と交わす会話が書かれている。まだ「小女」となっているのが「お春」である。

その梗概

さて、この話、政治小説と自らうたっているが、やや人情本的である。それはこの最初に登場する「小女」と主人公で政治活動家の国野基という人物との絡みが中心になっているからだ。勿論背景には当時の自由民権運動熱があるし、主人公が投獄されると言った場面もあるが、別段政治的な主張が全面に出ているとは言えない。しかも、最後に結ばれるこの「小女」(お春)と主人公国野基が実は許嫁だったという展開はいかにもである。

さてその梗概は中村光夫氏の『明治文学史』からの引用で間に合わせることする。(というか、こんなに上手くまとめられない。)

(前略)「雪中梅」の筋書を述べると、主人公の青年志士国野基は、正義社にぞくし、政談演説会で雄弁をふるって大きな成功をおさめましたが、貧しいため下宿料の支払いにも困り投獄されるが、そのために、彼の窮地を救い、あるいは励ましてくれた少女富永お春と恋仲になり、お春の財産に目をつけた彼女の叔父夫婦が正義社の領袖である悪人川岸萍水にお春をめあわそうとする陰謀を破って、結婚の約束をすると、偶然にふたりはお春の父親のきめた許婚であったことが判明するという筋です。

さて、この「雪中梅」の続編が『政事小説花間鴬』。この題名については柳田泉の解説がいい。以下だ。

これが正に、雪中寒凝の虐をしのんだ梅樹が、今や時に逢うて花咲き、日暖かに、枝々の間をわたる鶯聲の和らぎが人の心を豊かに慰めるというこの作の題目の意味するところである。

要するにハッピーエンド。無事結婚した国野とお春はその後信念に従って行動するが、幾多の艱難辛苦に出合う。しかし、お春の健気な援助によって最後は思い通りに民間党大団結論を果たし、官民協和論が多くの賛同を得て、選挙で大勝利を収めるという話。その途中の艱難辛苦の内容は保守派の川岸という人物と過激派の武田という人物をめぐって起きる。いわば右と左の引っ張り合いということで、その中で主人公はいわば中間派ということになるが、そこがこの小説の政治的アピールということになるのかもしれない。ただ、ここでもお春という女性の役割が大きく描かれているのが、特徴的だ。

『政治小説南洋の大波瀾』

さて、もう一つ『政治小説南洋の大波瀾』に触れなくてはならない。

これは舞台がフィリピンという変わった小説。いわばスペインに支配されていたフィリピンの独立運動の話。作者末廣鐡膓はフィリピンの国祖というべきホセ・リサール博士という人物とアメリカ行きの船中で知り合ったという。そこでスペイン支配のフィリピンの実情を詳しく知り、なおかつヨーロッパの南方進出の野望を憂いて、日本の立場も同時に憂い、この作をものしたようだ。しかも当時日本にはやはり南方進出の意向もあり、それはヨーロッパと違っているというメッセージも含まれていたようだ。また当時、フィリッピン人の大半は日本士人の子孫であるとされていたようで、そのこともこの小説の内容に影響しているようだ。ここに朝鮮に対する東海散士の考えと同じように、当時の独立を果たしていないアジアの隣国に対する知識人の考えが窺える。それは後の大東亜共栄圏構想というナショナリズムに勿論通じるだろうが、その行き着く先は知る由もなかったのは仕方のないことである。

作者について

ここで作者末廣鐡膓について触れておきたい。彼は宇和島の出身。初め官吏となったようだが、自由民権運動の高まりのなか上京し新聞記者となり、政治運動に関わるようになったようだ。この点は「雪中梅」や「花間鴬」の主人公そのものだが、特に彼を有名にしたのが、朝野新聞の成島柳北とともに筆禍で投獄されたことだったようだ。当時の讒謗律、新聞紙条例の初回の逮捕者だった。その後、朝野新聞の社長となり、国会議員ともなっている。その政治的スタンスは自由党でもなく、立憲改進党でもなく、勿論過激派でもない穏健な独自路線にあったようだ。この辺りも小説に表れている通りだ。明治29年、現職議員のまま、舌癌で亡くなったという。

小宮山天香篇『冒嶮企業聯島大王』

最後になった。この作品はこれまでとは違い、それほど政治的なものではない。「企業」という言葉があるように、南方進出を図る企業家の冒険譚といった趣だ。「改進新聞」に連載された作品。主人公大東一郎は水兵上がりの船乗り。沈没の汽船を引き上げ、修理して南洋諸島に無人島の開発に出かけるというお話。英国人や中国人、そして日本人の乗組員たちが繰り広げる冒険が面白おかしく語られている。連載当時、いわゆる国権伸長のために南進論があったようだが、その風潮に乗ってよく読まれたようだ。「ロビンソン・クルーソー」の話もこの当時翻訳され読まれていたようだから、そういう意味でも評判になったようだ。ただ、この作者が大阪で新聞記者をしていたこともあって、中央すなわち東京においては今ひとつだったためか、文学史にはあまり登場しなかった作品だ。作者についても水戸藩の出身で、新聞記者を長く勤め、立憲政党に近かったぐらいのことしかわからない。ただ、前にあった「南洋の大波瀾」同様、当時の南洋進出のナショナリズムについて考える上でやはり重要な作品とは言える。

おわりに

これでなんとか六回目を終えることができた。相変わらず読みにくい文章が続くが、実はこれらの作品と同時期に坪内逍遥の新文学が登場している。これは内容ばかりでなく、その文章も大きく変わっているはずだ。それを楽しみに少しペースを上げていきたいと思っている。

2025.09.24

この項 了

日本近代文学総復習明治文学編5『明治政治小説集(一)』を読む

はじめに

実に一ヶ月以上ぶりである。前の総復習明治文学編4をブログに発表したのが、7月15日だった。その間なんとか読み進もうと何度かはページをめくっていたのだが、孫たちが夏休みに入るとつい先週までずっと一緒にいて、何度か遠方に出かけたりして、全く手につかなかった。まさに夏休みだったのだ。まだまだ暑さは残っているが、やっと孤独な時間ができたので、取り組むことにした。

さて、言い訳はこのぐらいにして、今回取り組むのは明治の「政治小説」だ。「明治の」と言ったが、他の時代にはないものだ。しかも明治「初期」特有のものだ。(いや、現代にもないことはないと言われるかもしれない。政治家が主人公の小説や総理大臣を扱った小説などだ。ネットを検索すると以下の現代の作品が出てくる。池井戸潤『民王』・原田マハ『総理の夫』・逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』・中山七里『総理にされた男』・真山仁『プリンス』などだ。)

しかし、ここで扱う「政治小説」は明らかにこれらとは異なる。明治維新後民権運動が高まり、国会開設運動や反政府運動を背景に描かれたこの時期特有のジャンルとしての「政治小説」である。

さて、(一)では以下の小説を紹介する。
戸田欽堂篇『民權演義情海波瀾』
桜田百衛篇『佛國革命起源西の洋血潮の暴風』
宮崎夢柳篇『佛蘭西革命記自由の凱歌(抄)』『虚無黨實傳記鬼啾啾』
坂崎紫瀾篇『天下無雙人傑海南第一傳奇汗血千里駒』
小室信介篇『自由艶舌女文章』
須藤南翠篇『處世寫眞緑簑談』
ではざっとその内容を見ていこう。

戸田欽堂篇『民權演義情海波瀾』

この作品は政治小説の「初め」の作品と言われている。明治13年の作。初めから単行本だったという。作者戸田欽堂は妾腹とは言え大垣藩主の子、維新後は父は大名だから華族ということになり、いわば華族の子が自由民権思想の小説を書いたわけだ。ただ、この小説は極めて概念的で、しかも小冊子だ。「情海」とは「政界」の謂だ。そこに「魁屋阿権(さきがけやおけん)」という芸者が登場、それを「和国屋民次(わこくやみんじ)」「国府正文(こくふまさふみ)」という男が争うという話。「阿権」は「権利」を、「民次」は「民衆」を、「国府」は「政府」の謂だ。そして、「国府」が譲る形で「阿権」と「民次」が夫婦になるという結末。要するになんとも穏和な政治小説ということになる。作者は華族の子ということもあって、維新後ヨーロッパに留学し、新知識を得て、さらにはキリスト教に帰依したらしいが、いかにもその出自に相応しい内容ということになる。しかし、こうした立場の若者も当時はこうした思想に親しんだという点が注目される。

また、冒頭にこの書を成島柳北に読んでもらい校閲を願ったことが語られ、ただ、柳北の病気のため叶わなかった点、また多少文章が硬いとの指摘を受けて改めたかったが、書肆の都合でこれも叶わなかった点に触れているところが注目される。

桜田百衛篇『佛國革命起源西の洋血潮の暴風』

これは一種の「翻訳小説」と言える。ただ、自由党の機関紙「自由新聞」に連載され、フランス革命を例に日本においての自由民権運動を鼓舞する形に書かれている点からやはり「政治小説」と言えそうだ。元本はフランスのアレキサンドル・ヂュマの『一医師の回想』という長編小説だという。この小説は主人公の成長をフランス革命を背景にして綴ったもののようだが、むしろ作者はフランス革命を成し遂げた人物を描きたかったようだ。作者は序文で次のように言っている。

(前略)志季島の大和文に書変し、名称をもとり換て、其概略を顕はすものは、吾邦方今の時世に照して専々有益と信へばなり。読者もその心して、文字の蕪陋を咎むるなく、辛苦の中に勇ましくも革命なせし外国人の有様を鑑がみて、自己の権理を復し給はば、訳者の慶幸これに過ず。(筆者電子化。一部仮名遣い、漢字等改めている。)

要するにこの小説を読んで自分たちの権利の主張をしっかりして欲しいと言っている。ただ、この翻訳第十八章まで行って未完となってしまった。

作者桜田百衛は岡山備前の人、東京外国語学校に学び。中村敬宇の門を叩き、早くから自由民権運動に参加したという。そして自由党内においては優秀なオルガナイザーとして活躍、あの車界運動も彼が組織したという。ただ、病に倒れ25歳という若さで亡くなったという。

宮崎夢柳篇『佛蘭西革命記自由の凱歌(抄)』

この作品『自由の凱歌』は前記のいわば続編。作者は直接前記の作者とは面識はなかったようだが、同じ「自由新聞」に入って、いわば未完に終わったヂュマの『一医師の回想』の続編を書いたわけだ。ただ、続編と言っても正確に続編ではなく、一気に「バスチイユの奪取」まで飛んで、そこを五十五回に亘って連載した。その評判はすこぶる良かったという。

宮崎夢柳篇『虚無黨實傳記鬼啾啾』

その後、翻訳(というか翻案)するに適したいい本がなかったというが、たまたま「地底の秘密」という「魯国虚無党の形情を記せし一書を得たり」(「鬼啾啾」緒言から)ということで書かれたのがこの作品だ。

内容はロシヤのテロリストたちの物語という体裁で、そこに当時のロシアの現状を描いている。ただ、その描き方は劇的で基本文章は漢文的なのだが、よくその内容が伝わるものだ。また、テロリストとして登場するのが、男性だけでなく、年端もいかない少女といった人物造形も巧みである。この話が実話なのかどうかはわからないが、ともかくロシヤの専制政治の酷さ、官吏たちの横暴、農民たちの貧窮と言った現状がよくわかり、これが当時の明治政府のあり方に投影されると考えていたのかもしれない。とにかくこの宮崎夢柳という人物はかなりの筆力のある文章家であったことは間違いない。この作品は明治17年12月から翌年4月にかけて新聞「自由灯」に連載され、これまた評判になったようだ。

また実は、この作品は電子ブックになっていて、比較的容易く読めるのがいい。こうした仕事が増えることを望んでやまない。

坂崎紫瀾篇『天下無雙人傑海南第一傳奇汗血千里駒』

この小説は坂本龍馬を主人公にした伝記小説と言われている。1883年(明治16年)に「土陽新聞」に連載されたという。その後一冊として出版されたらしいが、ここはその連載をそのまま載せている。実に65回にわたる連載だ(ただ、新聞の連載だから1回分は決して多くはないが)。

さて、内容だが、主人公は坂本龍馬ということだが、どちらかというと土佐を舞台にした維新史といった趣だ。いわば土佐勤王党の歴史といったところか。土佐勤王党の活動を「下士(郷士)による封建制度への抵抗」とし、それを、現下の藩閥政府に対抗する自由民権運動が再現しているとみなしたかったのかもしれない。この作者坂崎紫瀾は土佐のドン板垣退助を師とした人物であり、当時板垣退助が新政府(藩閥政府)に懐柔されそうになっていたこともこの作になんらかの影響があったかもしれない。

小室信介篇『自由艶舌女文章』

自由党の機関紙「自由新聞」の後続誌「自由灯」の創刊号から五八号まで47回に亘って掲載された小説。題名にある通り中心人物が全て女性である点が注目される。

内容は第一回から十一回までは抱えの芸妓「小民」をめぐる話。これをとりまきの養母お勘、金持髯大尽 、新貝熊次、箱屋の戌吉といった人物がその「小民」を束縛するという展開。

十二回から三十五回までは複雑な「お信」の身の上話。お力、お金、智次らの同志を得るという展開。その後、最後の四十七回まではこうしたお信らの助力によって「小民」が自由の身になるという設定である。

ここで設定されている人物たちはそれぞれの寓意であることはこの時期の政治小説にありがちな設定だ。「小民」はもちろん「国民」、「お勘」は「官権」、「金持髯大尽」は「政府高官」、「箱屋の戌吉」は「警察」を寓意している。また後半の「お力、お金、智次」は志士的民権家、すなわち当時の自由党の寓意ということになる。

この小説は題名や登場人物から女権伸長の主張を展開したと考えられるが、決してそうした部分は表面的には存在しない。ただ、こうした設定の背景には当時ようやく登場した女性民権家の姿があったのかもしれない。

作者小室信介は自由党の中では「国権論者」と言われたようだ。これはアジアの独立といった後のイデオロギーにも通ずる点があるようだが、「国権」の伸長には、まず人民の自立が不可欠だとする考え方のようだ。当時の自由党にはさまざまな要素があったわけだ。

また、彼は板垣退助が撃たれた時、その場に居合せ、あの有名なセリフ「板垣死すとも自由は死せず」を書いた人物だとされているらしい。

須藤南翠篇『處世寫眞緑簑談』

作者須藤南翠は本格的なこの時期の小説家である。これまで見てきた作品の作者とはかなり趣を異にしている。ここの作品の他多くの小説を残しているからだ。しかもこの『處世寫眞緑簑談』はこの集の中でも3分の一を占める長編である。しかしやはり政治小説の一つであることに変わりはない。ただ、これまではどちらかというと自由党系の作家が多かったが、この須藤南翠は改進党系の作家である。改進党は自由党以上に地方自治の重要性を説いてきたが、この小説もはっきりその地方自治の意義を説いたものとしている。

その凡例に以下の文言がある。

(前略)近時地方困憊の情愈々切迫して殆ど救済すべからざるの傾向を現ぜしに際し、地方分権の期愈々迫るを見る。予亦た此に感なき能ハざれバ、筐底を探りて聊か之れを補修し、遂に私論を小説に假りて説くに至れり。(筆者電子化。一部仮名遣い、漢字等改めている。)

その要約は以下である。ここは吉武好孝氏の論文「政治小説の意味するものー末広鉄腸と須藤南翠を中心に」を利用させてもらう。

その筋はこうである。「毎日電報」の主筆山田文治と弁護士中島博智とは地方自治を目ざす「政 社」を設立し中央集権の弊をなくしようという運動を起す。これに共鳴した越後生れの越山卓一は中島のもとで学問に励んでいるうちに、ひそかに中島の妹お今と相思の間柄になる。父の入獄を知った彼は郷里の越後に帰り、山田に励まされ困苦に耐え労働と勉学につとめ、傍ら地方自治の精神を鼓吹し婦人矯風会をつくるところまで進んでゆく。その間に、「専制的な大臣の春川伯爵が戸長を通じて村民分け持ちの美田を収奪しようとするのに反対して勝利をおさめる」、という挿話がふくまれている。しかも、それを彩る話として、 春川の娘艶子が父の政敵である中島博智に恋して父に許されず、失恋して修道院の尼になるつもりで単身イタリーに逃避しようと決心するが、結局、春川と中島の政見が妥協に傾いて二人の恋は、父春川から許されることになる、といったような恋物語がからんでいる。そのほか、 戸長の息子の森村権一郎が越山の妹お雪に横恋慕する話もその一つの挿話として活かされている。そのほかに、この小説の後編には、当時外交上のもつれが日本とスペインの間にあって、議会でその議論が沸騰した事情や、新聞社襲撃事件、隅田川のボートレースの華やかな場面などが描かれて多彩な物語を形づくっている。

こう見てくるとやはりこの小説も当時の政治小説のパターンの一つで、世の現状とそれに対する政治的な関わりを物語として大衆にアピールするという形である。それだけに現代の小説観からするともう一つ不満足だが、それでもこの小説は他のこの時期のこれまで見てきた小説より現実描写が巧みであるような気がした。

終わりに

なんとか今月中に終わることができた。このペースだとほんとに月一なのでまずい気がしている。何せ99冊あるわけだから、年間12冊で8年で96冊だと8年以上かかってしまう。終わるのが八十歳を過ぎてしまうのだ。いけるだろうかという不安が強い。これはこの全集が極めて読みにくいことにもよっている。実は今回紹介した電子ブック化されている本文は同じ本文だが実に読みやすいのだ。なんとかなないものか。そんな実現不可能なことを考えてしまうのも暑さのせいかもしれない。ま、頑張りまっせ。

2025.08.31

この項 了