成島柳北「柳北奇文」を読む9

先生国(明治9年9月13日)

新時代になって「先生」が大量発生したことを揶揄する。

「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」という戯れ句があった。
「先生」という言葉は様々な意味を持つ。政治家が互いに「先生」と呼ぶのは今も続いているようだ。単に学校において生徒を指導する立場の人間を指す言葉でないことは確かだ。漢字本来の意味は単に「何々さん」と言った敬称だったが、これが人の上に立つ立場の人間をすべて指す言葉になったようだ。
ただ、この語は現代でもことの両面を表す。戯れ句ではないが、馬鹿にした意味でも使われる。現代の学校でも生徒たちは真に尊敬する教師にはかえってこの語を使わず、「さん」付けで呼ぶことを小生も知っている。

さて、この語江戸時代ではそれほど使われていなかったようだ。(柳北によれば、大名の留守居役が集まる場合に使われていたとのこと)しかし新時代になって一気に「先生」が増えた。

「嗚呼先生ノ夥シキ開闢ヨリ以来未ダ今日ヨリ盛ンナルハ有ラズ」というわけだ。

ここで柳北は何を嘆いているのだろうか。

「我々ガ其ノ多キニ驚ク所ロノ先生者流ハ決シテ人ノ称スルノミニ非ズ自ラ信ジテ以テ先生ト思ヒ自ラ僭シテ以テ先生ト號スル者ナリ」

と言うように自称先生が多すぎる。このことを嘆いているのだ。(「僭シテ」とはおごること)
これでは今日の先生が明日は車夫と化し、今年の学僕がにわかに先生となっても不思議ではない。先生の「粗製乱造」だと言う。

これに対し先生社中からは以下のような反論が聞かれる。

「学ノ進ムハ刮目シテ待ツ可シ学僕豈頓ニ大博士タラザルヲ知ランヤト」と。

つまりは「学問は日々進歩している。したがって学僕が俄かに大博士となる場合だってあるんだ。それがわからないか。」と言って柳北を批判する。

しかし、柳北は「そんなのは真の先生ではない」と断ずる。
幼少から圧倒的な教養と学問を身につけ、転換期においてもいち早く洋学に取り組んできた柳北から見れば世の自称「先生」達は「偽物」にしか見えなかったのはことの当然である。

現代においても「一億総評論家先生」と言った傾向が見える。しかし、それはまた「一億総白痴化」時代を意味するとも言えなくもない。

結語

「我ガ日本帝国ノ狭小ナル壌地ニシテ先生大家ノ数ハ欧米諸州ニモ超絶シタルハ豈是レヲ欣〃慶賀セザルヲ得ンヤ是レ則チ君子國ノ称有ル所以ナル耶抑モ亦以テ先生國ト改称ス可キモノナル耶」と。

「君子」則ち「先生」だとすれば、いっそ「君子國」を「先生國」って変えたらどうです。これまた、薄っぺらな新時代への痛罵である。

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