『日本古典文学総復習』80『繁野話・曲亭伝奇花釵児・催馬楽奇談・鳥辺山調綫』

 このプロジェクト?ようやく80巻までたどり着いた。ここのところやや難渋している。それは対象がわかりにくいのだ。江戸期の文学は多岐にわたっている。ここで取り上げるのはあまり馴染みのない「読本」である。「読本」とは文字中心の物語をいうのだが、現在からするととても読みにくい。それはその内容にもよっている。「読本」は小説なのだが、その内容は多く中国の白話小説と呼ばれるものによっていて、ほとんどが伝奇的な内容を持っている。もちろんこうした内容を持っている小説は現代でも書かれているし、読まれている。現代風に言えば歴史ファンタジーといったところだろうか。しかし、こうした内容の小説が苦手なのだ。これはいわゆる現代文学、特に純文学というものに毒されてしまったからだろう。しかし、こうした伝奇的な話は日本文学において古くから大きな部分を占めている事も確かだ。それは今昔物語に至る古代からこの江戸時代の読本にいたる長い歴史を持っているとも言える。しかもそれが現代の大衆小説の世界に連なっている。決して看過できないジャンルなのだ。では内容をざっと紹介しておくことにする。

『繁野話』

 都賀庭鐘という人物になる作。5巻あり、5巻目は上下巻がある。明和3年、1766年に刊行されたという。9篇の物語が収められている。多くは中国の白話小説等を翻案した奇談集と言えるが、日本の話を下敷きにしたものもある。各話の内容をざっと紹介しておく。

第一篇「雲魂雲情を語つて久しきを誓ふ話」
 僧が物の精霊と問答するという話。雲を相手にその形状や属性を聞き出すという話だが、これも古く中国にあったらしい。
第二篇「守屋の臣残生を草莽に引話」
 上古の物部氏と蘇我氏の廃仏を巡る論争が題材。江戸期においてもこの論争は儒教対仏教という形をとって再び巻き起こっていたようだ。
第三篇「紀の関守が霊弓一旦白鳥に化する話」
 人妻の男女関係の話。今昔物語と中国の話を融合。教訓で終わる。人妻が結局男を手玉に取っていたという結末。
第四篇「中津川入道山伏塚を築しむる話」
 南北朝時代の歴史についての議論。小説と言うより歴史評論。これも江戸時代盛んに行われていたようだ。
第五篇「白菊の方猿掛の岸に怪骨を射る話」
 隠れ神を滅亡させる話。中国の小説の翻案のようだが、白菊という女性の役割が大きく描かれている。
第六篇「素卿官人二子を唐土に携る話」
 日本と中国を往来し騒動を起こした素卿という中国の人物の話。謡曲の「唐船」にもある話も取り込む。
第七篇「望月三郎兼舎竜窟を脱て家を続し話」
 甲賀三郎伝説に基づいた話。甲賀三郎は長野県諏訪地方の伝説上の人物。地底の国に迷いこんで彷徨い、後に地上に戻るも蛇体となり諏訪の神となったという。
第八篇「江口の遊女薄情を恨て珠玉を沈る話」
 現代の中国でも有名らしい優柔不断な美男子と美しさだけでなく侠気もある遊女の話の翻案。
第九篇「宇佐美宇津宮遊船を飾て敵を討話」
 南北朝の南方の活躍をのべた軍段。南北朝が合一したあとの南方の残党の話。

『曲亭伝奇花釵児』

曲亭馬琴の初期読本の一つ。
馬琴は読本の代表的作家。『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』で夙に有名。
読本の多くと同様これも中国の伝奇小説からの翻案。中国清時代の戯曲の作者、李笠翁という人の『笠翁伝奇十種曲』、「玉掻頭伝奇」がネタ本であるとのこと。従ってこれも歌舞伎の台本のような体裁をとっている。しかし分量は多くなく、かなり圧縮・割愛しているようだ。内容は原本では明の皇帝武宗を巡る権力争いとそれを彩る女性たちの話と概括できるが、ここでは時代を室町時代にとり、武宗は足利義輝となっている。これは江戸時代の話の常套手段といってよく、例の忠臣蔵も時代を室町時代に設定している。また、幾つかの改変があるようでそこに馬琴の趣旨が伺えるのかもしれない。ただ、ざっと見ただけではそれはわからない。

『催馬楽奇談』

 小枝繁という人物の作になる読本の一つ。これも馬琴のように浄瑠璃に材を求めた物という。題材は軍記物語の『源平盛衰記』の鹿谷密謀事件にとっている。それに浄瑠璃「恋女房染分手綱」という作品の趣向を取り入れているという。この時代の時代小説のパターンらしい。この作者には伝説物読本である『松王物語』や史伝物読本の『小栗外伝』などがある。

『鳥辺山調綫』

 歌舞伎の演題に「鳥辺山心中」というのがある。これは「江戸から京に上った菊地半九郎は、まだ初心な遊女お染と愛し合うが、ふとした言い争いから親友の弟を殺してしまう。切腹しようとする半九郎は、お染の純真な想いにほだされ、二人で死出の道行に出る。」という話。この話は当時様々な形で人口に膾炙していたようだ。それを読本にしたのがこの作品。作者は村田嘉言という人物。父は村田春門。当時有名な国学者だったという。ただ、この読本は他と違って「心中」を題材にしているだけに「人情本」的要素が色濃いようだ。ただ、当時の読本の世界では善男善女を心中させるわけにはいかなかったらしい。そこで心中を決心する二人に死後の石塔を注文させるという結末が用意されている。なんとも中途半端な気がするが、読本が持っている時代的な制約なのかもしれない。
 ちなみに現代でも演じられる歌舞伎の「鳥辺山心中」の結末は心中しに行く道行となっている。

2018.04.25
この項了

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です