『日本古典文学総復習』81『田舎荘子・当世下手談義・当世穴さがし』

 江戸時代に「談義本」というジャンルがある。これは江戸時代中期の戯作の一種だが、いわゆる滑稽本の先駆をなしたとされている。しかし内容は滑稽本とは異なっている。その祖先は仏教徒による談義にある。すなわち談義僧という仏教徒が仏教の教義をわかりやすく話をするという仏教談義だ。その談義僧の口調を真似て活字化したものが「談義本」ということになる。したがってはじめは滑稽を狙うというより、もっと教訓的な色彩が強かったようだ。しかし、庶民にもわかりやすくするために題材を当時の風俗に求めたため、やがて教訓臭が薄まり滑稽化していったようだ。
 もう一つこの談義本が流行したのは江戸中期の支配層の要求もあったようだ。江戸中期になると社会が安定し、商業化が進み市民生活が爛熟してくる。そうなると庶民への教化策が必要になってくる。もちろんそれは当時の支配原理たる儒教道徳による教化策だ。そうした支配層の要求にかなったのもこの談義本である。動物の問答を通して老荘の儒教的解釈を語ったり、狂俳文という形をとって死生観を語ったりする初期の談義本にはそうした色彩が強いようだ。
 ではここに収められている各作品を見ていくことにしよう。

『田舎荘子』

 談義本の嚆矢と言われる作品。享保12 (1727) 年刊。著者は佚斎樗山という人物。本編が上中下巻の3巻と付録1巻。外篇が6巻からなる。ここは本編と付録1巻が収められている。内容は動植物の対話をもって、老荘思想を元に教訓を伝えるというものとなっている。以下がその内容。

上巻 雀蝶変化・木兎自得・ケン蛇疑問・鴎蝣論道・鴨鷯得失・鷺鳥功拙
中巻 菜瓜夢魂・蟇之新道・古寺幽霊・蝉蛻至楽・貧神夢会
下巻 荘右衛門が伝・猫の妙術・荘子大意
付録 鳩之発明

 最後の「鳩之発明」も雉と鳩との問答の形をとっている。雉が鳩に対して「お前はなんでなんの警戒もなく人間の間に気楽に居られるんだ。」と言う。「自分はいつ捕まって喰われるかもしれないからいつも警戒して暮らしているのだ。」と。それに対し鳩は「自分だって警戒はしているし、捕らえられないような術は心得ている。しかし、山奥に暮らしていたって危険はあるし、やがて死は訪れるものだ。」とする。すなわち

「何方に居たればとて、命数来れば、遁るる所なきは、死の道也。」

とする。人間とて様々な災厄を恐れて何かと騒いでいるが、むしろ人間自身がその災厄を作り出しているようなものだとする。すなわち

「禅家にいへる事有、『元来地獄なし。衆生みづから地獄を作て、我と、此に、堕在す』と。汝が地震にさわぎ、うろたゆるも此類なり」。

と。
 こうした思想は儒教的というより老荘的である。しかも日本固有の死生観にもよっているように思う。

『労四狂』

 自堕落先生の「狂俳文」ともいうべき文章とされている。『労四狂』はもちろん「老子教」のもじりである。近世中期の「徒然草」と言うべき内容をもった作品で作者の死生哲学とでも言うべきものが述べられている。序に言う。

 「智者は智に狂ひ、愚者は愚に狂ふ。智者の智に狂ふは、愚者よりも病をもし。且得と失との地を審にせむと欲して、労し狂ふ者、又あり。其の狂ふと自ら知て狂ふ者有り。知らずして狂ふ者あり。庵主の爰に記するこもごも也。医薬の及ぶべからざるのみ也。憐むべし、憐れむべし。各死して後癒べし。狂なる哉、狂なる哉と、口をあき手をたたきて、十無居士北華序。」(一部変更)

 すなわち人間が一生をおくる上で必ずつきまとう苦労、その結果として必ずとりつかれる心の病としての「狂」ということが述べられている。智者は智に狂い、愚者は愚に狂い、その狂うと知って狂う者、知らずして狂う者、その症状はこもごも四つあるという。これが「労四狂」というわけだ。こうした人生哲学は本家『徒然草』にも語られているが、もっと徹底している気がする。こうした労苦を遁れるにはもう「死」しかないと言う事になるが、これを逆転すると享楽が見えてくる気がする。ペンネーム「自堕落」は韜晦だけではないのかもしれない。

『当世下手談義』

 「いまようへただんぎ」と読む。宝暦2年(1752年)江戸で刊行される。5巻5冊ある。1752年(宝暦2)江戸刊。作者は静観坊好阿(じょうかんぼうこうあ)という人物。もともとは享保の改革の意図を汲んだ庶民教化のための談義本。しかし、題材を当時の江戸の風俗にとり、江戸言葉を採り入れた文章は最初の江戸小説と言われ、仏教的な内容はない。そうした意味でも滑稽本の先駆けとも言える作品。歌舞伎、町人の身持、葬式のぜいたく、開帳、きおい組、虚説の流行、豊後節などが取り上げられ、それらを批判する形をとっているが、むしろ其の事が当時の江戸の風俗を活写する事になっている。
 また、解説によればこの書は3度目で当時の検閲をやっと通ったという。(通った時吉宗は死去している。)改革の意図を汲んだ庶民教化の書なのに妙だが、これも取り上げた題材による所が大きいと言えそうだ。豊後節は当時心中を美化するという名目で弾圧を受けたというから、それを取り上げる事自体問題視されたのかもしれない。ただ、それもこの書が当時から受け入れられた要因でもあったようだ。ようやく爛熟期にはいった江戸文化(上方文化に対する)の風俗を江戸言葉で活写したところにむしろこの書の魅力があったのかもしれない。

『当世穴さがし』

  豆男と言うのが主人公。この豆男は八文字屋本の好色物の主人公として人気を博したという。春信の春画にもなっている。この豆男が業平の霊夢に自由自在の身を得て、当時市中に流行した様々な風俗を取り上げて其の行き過ぎを批判するというストーリーとなっている。以下がその展開。

 壱の巻「豆男夢占の吉左右」「三味せんの流行」
 二の巻「琵琶が教訓の弁」「さがの釈迦もん答」
 三の巻「いけ花の立聞」「揚弓の高慢」
 四の巻「聖廟の神勅 付り はいかい点取の弁」
 五の巻「乗合舟の日記」「筒屋の夜話」「万度御はらいの託せん」

 ここに語られている流行がどの程度まで江戸市民に行きわたっていたかは定かではないが、もしこの書が語る事がある程度真実ならばこの時代の江戸はかなりな文化程度だったと想像できる。朱子学や徂来学といった学問の先端まで他の芸事と並んで流行現象として取り上げられている所にもそれがうかがえる。江戸文化恐るべしといった所だ。

『成仙玉一口玄談』

 「じょうせんだまひとくちげんだん」と読む。この題名からしてよくわからない。「一口玄談」は一気に語る霊妙な話ということだろう。「成仙玉」とは何か。仙人に成るための玉という事だろうか?この書の末尾近くに次の言葉がある。

「かの成仙玉は汝等諸人の赤肉団上にありて、是を清浄本然真一と号く。云々」

「真一の水精玉を見つけ了れば、是を実の仙人といふ。此玉を見る者は、仙道を成就するを以て、仮に名づけて成仙玉といふ。云々」

 すなわち、仙人になるためのものは人間自身に備わっているもので、凡夫はそれに気づいていない。それに気づきさえすれば仙人になれるとする。
 実はこの話、やたらと女好きの漁師が天上の遊女を女房にしたところから始まっている。しかしその後、雷に奪い返されてしまう。そこで漁師は天上の遊女が忘れていった羽衣を着て雷を追いかける。そしてなんと東風に乗って遥か南のハラシリア(今のブラジル)に行ってしまうというのだ。この荒唐無稽な設定が神仙談そのものだが、当時の世界認識が意外に広かった事が伺えて興味深い。(宝永5年・1708年の「増補華夷通商考」にある「地球万国一覧之図」は現代の世界地図とほとんど変わりがない。)
 そして最後にはブラジルで出会った和荘兵衞という人物とともにこの漁師も守一仙人の導きで「実の神仙」となるというところで話は終わっている。
 この書の作者、文坡という人物ははじめ仏教説話の作者だったようだ。後に神仙教に鞍替えし、教祖のような存在となり、そのプロパガンダのためにこの作品を書いたようである。神仙教は中国の道教の影響を受け、また老荘思想とも絡まり、日本の伝統思想とも絡まって江戸時代に流行したようだ。現代からすれば怪しい思想のように思われ、見捨てられているが、日本の思想を考える上で一顧の必要はあるように思われた。

2018.05.10
この項了

1件のコメント

  1. 大変参考になりました。「猫の妙技」の話をネットで知って、この本を知り購入しましたが、古典なのでとてもてこずっていました。ありがとうございます

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