『日本古典文学総復習』57・58『謡曲百番』『狂言記』

 ここで「能・狂言」が登場する。この「能・狂言」は現代でも演じられている演劇の一種だ。室町時代に大流行した物だ。演劇だから文学としては戯曲と言う事になる。しかし、現代の戯曲のようにまず書かれて、それを演出家が演出し、舞台をつくり役者が演じるといったものとは異なる。まずは演じられていた。もともと台本たる戯曲があったわけではない。特に狂言はほとんど即興的な物だったようだ。ここに収められている『謡曲百番』『狂言記』は後の時代に演じられていた「能・狂言」を筆録したものだ。後の時代に残すためや稽古のための物だったようだ。しかしこれが後の時代すなわち江戸時代になるとそれ自体として一般化してゆく。能の台本は「謡曲」としてそれ自体が一つの歌謡になってゆく。事実この「謡曲」旦那衆が稽古するといった事が行われる。私の父親も商売が順調だった頃その稽古をしていたようで、謡曲本が家にもあり、下手な唸り声を聞かされた記憶がある。これは「小唄」の稽古と同様であったようだ。一方「狂言記」は笑い話として読まれ流布していったようだ。もともと「狂言」が「おかしみ」をコンセプトにしてた演劇だったからだ。
 さて、この並んで称される「能・狂言」はそれぞれ違った内容と姿を持っている。ともに「猿楽」を親として生まれた物だが「能」はどちらかというと上流社会的で「狂言」は庶民的だ。「能」が武士層を中心に愛好されたのに対し、「狂言」が庶民層に好まれたというばかりでなく、「能」の内容が古典的な題材を扱っていて、「狂言」が現実的な題材を扱っている点からもそれは言える。ただ、この二つが同時に同場所で演じられている事にも注目する必要がある。平安時代の貴族と庶民の間隔はきわめて広かったが、室町時代の武士と庶民の間はそれほど広い物ではなかったという事だ。もう一つはそれを演じ、作った人々が武士でもなく、もちろん貴族でもなく、僧侶でもなかったという点だ。むしろ社会階層的には末端の賎民ともいえる芸能を職とする人間だったと思われる点である。いわばこの時代になってはじめて芸能人が誕生したということだ。芸術家といい直してもいい。文学者といってもいいかもしれない。つまり職業としての芸術家の誕生である。これが江戸時代の文学へ引き継がれていくのは言うまでもない。
 以下『謡曲百番』から、後の歌舞伎にも使われた弁慶義経の物語の一部「安宅」を紹介しておく。『狂言記』からは柿を食おうとした山伏がおちょくられる「柿山伏」を紹介する。(本文は新古典大系を筆者が電子化した物である。一部記号等は変えている。)
 
「安宅」通関の秘策を協議している場面

【三】(問答)ハウ「いかに弁慶  シテ「御前に候  判「唯今旅人の申て通りつる事を聞いてあるか  シテ「いや何とも承らず候  判「安宅の湊に新関を立てて、山伏を堅く選ぶとこそ申つれ  シテ「言語道断の御事にて候物かな、扨は御下向を存て立たる関と存じ候、是はゆゆしき御大事にて候、先此傍にて皆々御談合あらふずるにて候、是は一大事の御事にて候間、皆皆心中の通りを御意見御申あらふずるにて候、  ツレ山「我等が心中には何程の事の候べき、唯打破つて御通りあれかしと存じ候  シテ「暫く、仰せの如く此関一所打ち破つて御通りあらふずるは安き事にて候へ共、御出候はんずる行末が御大事にて候、唯何ともして無異の儀が然べからふずると存候  ハフ「とも角も弁慶計らひ候へ  シテ「畏て候、それがしきつと案じ出したる事候、我等を始て皆々憎くひ山伏にて候が、何と申ても御姿隠れ御座無く候間、此ままにてはいかがと存候、恐れ多き申事にて候へ共、御篠懸を除けられ、あの強力が笈をそと御肩に置かれ、御笠を深深と召され、いかにもくたびれたる御体にて、我等より後に引き下って御通り候はば、中々人は思いもより申まじきと存じ候  ハフ「実にこれは尤にて候。さらば篠懸を取り候へ  シテ「承候

五「柿山伏」

山伏 次第(マーク)大峯葛城踏み分けて 我が本山に帰らん「罷出たるは、大峯葛城参詣致し、唯今下向道で御ざる、よきついでなれば、檀那回りを致そうと存ずる、まづ(繰り返し記号)、そろ(繰り返し記号)参らふ、やれさて、何とやら物欲しう存ずるが、まだ先の在所は程遠さうに御ざる、何と致そうぞ、いゑ、こゝに見事な柿が御ざるほどに、一つ取つて食びやうと存ずる。
 柿主「罷出たるは此辺りの者で御ざる、今日も行て、又柿を見舞ふと存ずる、何と致してやら、鳥が突いて迷惑致す、いゑこゝな、鳥を食うかして、へたが落ちたが、わゝ、さねも落つるが、上に鳥がおるか、いゑ、山伏が上がつておるが、何と致そうぞ。いや、きやつをなぶりませうぞ、はあ、上に猿めが上がつておる  山伏「はあ、柿主めが見つけおつた。何と致そうぞ  柿主「はあ、あれは猿ぢやが、身ぜせりをせぬ、異な事ぢや  山伏「わ、それがしを猿ぢやと言ふが、はあ、こりや、身ぜせりしませうず  柿主「ふん、猿にまがう所はない、猿なら、鳴かうぞゑ  山伏「はあ、こりや、鳴かざなるまひ、きや(繰り返し記号)  柿主「はあ、猿にまがう所はない。猿かと思へば、犬ぢやげなわいやい  山伏「はあ、又こりや、犬ぢやと言ふ  柿主「犬なら、鳴かうぞよ  山伏「はあ、又こりや、鳴かざなるまひ。びよ(繰り返し記号)  柿主「はあ、犬ぢや(繰り返し記号)、犬かと思へば、鳶ぢやげなわいやい  山伏「はあ、又こりや、鳶ぢやと言ふ  柿主「鳶なら、飛ぼぞよ  山伏「飛ばざなるまひ  柿主「鳶なら、飛ぼぞよ、(繰り返し記号)、(繰り返し記号)、ありや飛んだは
 山伏「あ痛、痛、やい、そこな者、それがしが木のそらにいれば、尊い山伏を「いや犬で候の、猿で候の」と言ふて、なぜに腰をぬかしたぞ、急いでくすろうでかやせ  柿主「やい、そこな者、柿を食て恥かしくは、「御免なれ」と言ふて、おつとせで往ね  山伏「やい、そこな者、山伏の手柄には、目に物を見せうぞよ  柿主「柿盗みながら、小言を言わずとも、急いで往ね  山伏「定言ふか。物に狂わせうが  柿主「山伏おけ、なるまいぞ  山伏「定言ふか、それ山伏といつぱ、役の行者の跡を継ぎ、難行苦行、こけの行をする、今此行力かなわぬかとて、一祈りぞ祈つたり 節(マーク)橋の下の菖蒲は 誰が植へた菖蒲ぞ  柿主「やい山伏、おかしい事をせずとも、往ね  山伏「やい、定言ふか、も一祈りぞ祈つたり、ぼうろぼん(繰り返し記号)(繰り返し記号)、そりや見たか、山伏の手柄には、物に狂ふは手柄ではないか

以上
2017.09.04
この項了

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