『日本古典文学総復習』43

『保元物語』他二編を読む

中世に入って軍記物語というジャンルの一連の作品がある。『平家物語』はいわばその頂点の作品だが、それに先行する幾つかの作品がある。ここで取り上げる三つの作品がそうだ。これらの作品は鎌倉時代が成立し、政権が源氏から北条氏へと移った時代に書かれたと思われる。鎌倉時代はそれまでの京都を中心とする貴族の世界が、関東といういわば未開な地域の武士を中心とした世界に移っていた時代だ。そのプロセスをざっと見ると以下のようになる。

  1. はじめは天皇と上皇の対立があり、そこに武士団がそれぞれについて戦うという様相を示していた。
  2. 一旦は上皇側が覇権をとる。
  3. しかし、実際の戦いで必要不可欠であった武士団にその実権が握られ、その中で平家が覇権をとる。
  4. 一方覇権を取った平家によって追放された源氏が巻き返しを図る。
  5. やがて源氏が関東の武士団を中心に新たな政権を成立させる。
  6. ただ、源氏の血統は途絶え、関東武士団そのものが政権を運営することとなる。
  7. その中で京都側からの上皇を中心とした反乱が生じる。
  8. しかし、鎌倉幕府体制はその反乱を納めてしばらく安定する。

ざっとこういうプロセスがあり、その記録がここで取り上げる三つの軍記物語である。

『保元物語』は1、2のプロセスを、『平治物語』は3、4、5のプロセスを、『承久記』は6以降のプロセスを語っている物語だと言える。
もう少し具体的に見てみると

『保元物語』は「後白河院御即位ノ事」という記事から始まり、「為朝鬼島ニ渡ル事 并ビニ 最後ノ事」で終わる。
『平治物語』は「信頼・信西不快の事」という記事から始まり、「頼朝義兵を挙げらるる事 并びに 平家退治の事」で終わっている。
『承久記』はこうした章立てはなく、大きく古い時代から説き起こし、北条義時についてからはじめ、京都側の敗北までで終わっている。

ただ、これらの物語はあくまで物語であって正式な歴史書ではない。そして、『承久記』以外はそれまでの説話集の体裁をとっている。
すなわち「何々の事」と題された幾つかのエピソードを連ねて一つの物語としている。これはこの軍記物語がそれまでの説話集と同様、実際に流布していた幾つかのエピソードの内武士と内乱に関わる部分を集めることによって成立したことを思わせる。読者は武士団であったのだろう。読者というより聞き手と言って良いかもしれない。『平家物語』が琵琶法師によって流布したようにだ。そういう意味で言うと『承久記』がやや完成した作者による統一的な世界を持っていると言えるかもしれない。

さて、この三つの物語にはどんな特徴があるのだろうか?それを知るには以下の『保元物語』の末尾の一文を読むのがいい。

  源はタエハテニキト思シニ千世ノ為共今日見ツル哉
 昔ノ頼光ハ四天王ヲ仕テ、朝ノ御守ト成リ奉ル。近来ノ八幡太郎ハ、奥州ヘ二度下向シテ、貞任、宗任ヲ責メ落シ、武衡、家衡ヲシタガエテ御守ト成奉ル今ノ為朝ハ、十三ニテ筑紫ヘ下タルニ、三ケ年ニ鎮西ヲ随ヘテ、我ト惣追補使ニ成テ、六年治テ、十八歳ニテ都ヘ上リ、官軍ヲ射テカヰナヲ抜レ、伊豆ノ大島ヘ被流テ、カカルイカメシキ事共シタリ。二十八ニテ、終ニ人手ニ懸ジトテ、自害シケル。為朝ガ上コス源氏ゾナカリケル。保元ノ乱ニコソ、親ノ頸ヲ切ケル子も有ケレ、伯父ガ頸切ル甥モアレ、兄ヲ流ス弟モアレ、思ニ身ヲ投ル女性モアレ、是コソ日本ノ不思議也シ事共ナリ。

ここで語られている源為朝は敗者の側にいる人物だ。それを讃えている。これは完全に源氏の側からの言だと言わざるを得ない。この物語が源氏が覇権を取った後に流布したから当然かもしれないが、敗者に注目する姿勢は後の軍記物語の達成点『平家物語』にも受け継がれる特徴だと言える。

この項了

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