日本古典文学総復習続編1『古事記』その1

古事記を新潮社の古典集成本で再読した。
この新潮社の古典集成本の特徴はその傍注にある。傍注といってもほとんど口語訳である。そういう意味では分かりやすいが、字が小さいのが難点だ。
もう一つこの古典集成本の古事記には巻末に神の名の釈義が載っている。これは興味深い研究といえる。古事記を読むとさまざまな神が登場し、名前のみの場合も多い。そこで名前にどんな意味があるのだろうかと興味を惹かれるからだ。実に三百以上の神の名について分析している。
ここで神の名もそうだが、その表記法について触れなければならない。この本でも、読みやすさを考えて、漢字かな交じり文で表記されている。
しかし、これは後の時代のものだ。この本には載っていないが、かつて読んだ岩波の古典体系本、朝日古典全書本には、もとの表記も載っている。
一例を紹介する。

故、取此大刀、思異物而、白上於天照大御神也。是者草那芸之大刀也。故是以其速須佐之男命、宮可造作之地、求出雲国。爾到須賀地而詔之、吾来此地、我御心須賀須賀斯而、其地作宮坐。故、其地者於今云須賀也。茲大神、初作須賀宮之時、自其地雲立騰。爾作御歌。其歌曰、夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曽能夜幣賀岐袁

この部分の古典集成本の書き下し文は以下である。

かれ、この大刀を取り、異しき物と思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。こは草なぎの大刀ぞ。
かれ ここをもちて、その速須佐之男の命、宮造作るべき地を出雲の国に求ぎたまひき。しかして、須賀の地に到りまして詔らししく、
「あれここに来て、あが御心すがすがし」
とのらして、そこに宮を作りて坐しき。かれ 、そこは今に須賀といふ。この大神、初めて須賀の宮を作らしし時に、そこより雲立ち騰りき。しかして、御歌を作みたまひき。その歌に曰ひしく、
八雲立つ 出雲八重垣
妻篭みに 八重垣作る その八重垣を

実はこの書き下し文は書籍によってかなり異なることも知っていなければならない。なお、上記の表記も岩波の古典体系本、朝日古典全書本では訓点が施されている。ということは基本的に本文は漢文だということだ。ただし、日本語独特な語彙は字音を使って表記されている。「歌」がいい例である。この日本最古の歌とされる「八雲立つ」の歌もそうである。日本書紀も同様なのだが、この字音表記の仕方が古事記の場合むしろ統一感があって、この辺りがこの古事記が実は後の時代にかかれたものではという偽書説の根拠になったりしている。また、万葉仮名と呼ばれる表記とも違っている。この問題は実に興味深いのだが、ここはこの辺りにとどめておきたい。むしろ内容が問題だからだ。この部分の口語訳も紹介しておく。実は古事記は研究者ならともかく、一般の読者は口語訳で読めばいいと思う。いろいろな口語訳が出ているが、ここは子供向けの古典叢書(講談社少年少女古典文学館)の、枕草子の名訳で名高い橋本治氏の訳を紹介しておく。

 スサノオの命が須賀の宮をつくり終えられたとき、豊かな大地の実りを約束するような、美しい雲が立ちのぼりました。「出雲」という土地の名にふさわしい、りっぱで美しい雲の群れでした。
その美しい雲の姿に感動され、そしてりっぱなお住まいをつくり終えられたことに満足されたスサノオの命は、そのお心を三十一文字の和歌にしてお詠みになりました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣つくる その八重垣を

「妻籠み」とは、たいせつな妻をかくしておくという意味です。スサノオの命のお詠みになったこの歌は、わが国で最初の和歌とされているのです。

部分的に省略し、説明を加えてわかりやすくしている。
もし、もっと本文に忠実に行った口語訳が読みたければ、武田祐吉氏の口語訳がいい。青空文庫で公開されているし、電子ブックで読める。是非読んでもらいたい。
今回はここまでにしておく。内容については次の記事で。

2021.01.12

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