水の禍福(明治9年9月3日)
湯屋すなわち銭湯の大繁盛を書く。前半を読むと現在のスーパー銭湯ブームを彷彿させる。ほんと日本人は風呂好きである。柳北もまた風呂好きであった。柳北は言う。
「斯クノ如ク府下ノ士女争ツテ来タリ以テ其ノ垢賦ヲ洗滌シ全身ノ清潔ナルヲ得ル実ニ府下智者ノ夥キ知ル可シ是即チ我輩ノ大ニ楽シム所ロナレド其六根マデ清浄ニ至ルヤ否ヤハ我輩ノ敢テ保証シ能ハザル所ロナリ」
自分もまた銭湯を好むが、東京の男女が銭湯に浸かって「身も心も」清浄にするというつもりだろうが、「身」はともかく「心」まではどうか保証の限りではないという。ここらあたりがいかにも柳北らしい。銭湯の効能に若干の留保を置く。これが後半の旱魃について語ることにつながる。
後半で柳北は旱魃について論じる。都会では銭湯が大繁盛し、まさに「湯水の如く」水を消費する。しかし一方で地方では旱魃である。だが、都会の士女は
「水ノ以テ人生ニ必須物タルヲモ想フコト無ク唯遊戯談笑シテ以テ旱魃ノ何物タルヲ知ラザル者蓋シ多キニ居ル」
と言うようにほとんど旱魃について考えてもいない。
それを柳北は
「我輩ハ是ヲ以テ真ノ幸福ナリト公言スルヲ楽シマザルナリ」と言う。
こうした言に柳北の経世家らしい面を見ることができる。都会での楽しみに充分浸かってもいたし、その人生における大事さも十二分に体現していた柳北だが、一方でそれらを裏で支えることにも目配りを忘れていないのもまた柳北であったといえる。
ここに若干の都会の人士(即ち都会の支配層)への批判を読み取ることもできるが、それを声高には言っていない。ただ、軽く
「いつまで銭湯の楽しみが続くかは保証の限りではないよ。ちょっとは地方の旱魃のことも頭に入れておかないとね。」と言ってるのみだ。
また、結論は
「君其レコレヲ水道ニ問ヘ」とのみ。
これはお天道様次第とでもとれる言い方だが、ここらあたりもいかにも柳北らしく好ましい。