『日本古典文学総復習』72『江戸座点取俳諧集』

『江戸座点取俳諧集』

 「俳句」と言えば、知らない人はいないはずだ。現在でも「俳句」をたしなむ人は多い。しかし、この「俳句」がもともと「俳諧」を親としていたことを知っている人は多くない。「俳句」は単独で詠むものだ。しかし「俳諧」は基本的に複数の人間が句を連ねて詠んでいくものだ。したがって、「俳諧」の句は発句を除いて必ず前の句が存在する。つまり句を詠む時、前の句にどう「付ける」かが最大の問題となる。その「付け方」がいろいろと研究されることとなる。芭蕉もここに最大の関心があり、いろいろと「付け方」について発言している。たとえば「匂い付け」といったことだ。しかもこの俳諧が元禄期以降大流行を見て、庶民層まで広がりを見せたことがこの「付け方」の研究に拍車をかけることとなる。そしてこの「付け方」を採点する、いわゆる「点者」という俳諧の師匠が登場することになる。
 その一番簡易なものが、前の句を示して、付句を作らせそれを採点するといったものだ。これが「点者」の役割だ。しかも、句を提出した者は幾らかの金銭を払い、高得点の者は懸賞品をもらうといった形が出來、それが一般化してゆく。こうなると一種の「賭け事」の様相を帯びてさらに大流行していくのだ。
現在でも人気のある「川柳」も実は柄井川柳という点者がおこなった前句付けが元となっている。
こうした俳諧を「点取俳諧」と呼ぶが、前句付けのみといった簡易なものから本格的な独吟歌仙を採点するものまであり、これらの一端を示したのが今回取り上げる『江戸座点取俳諧集』だ。それぞれを簡単に紹介する。

「二葉之松」

前句付月次高点句集。点者不角編。付句一句の面白さによって選句している。不角は芭蕉以前の江戸点取の先駆的存在。一例を。

   風ここちよく戦ぐ湯あがり
 両葉之部
すすたけと親にいつはる丁子染 幸有
殉死の限に寺の草ふみて    三口

わかりやすい七七の前句に全く異なった付句を並べる。これが俳諧の妙味なのだ。

「末若葉」

独吟歌仙選集。点者其角編。其角は江戸座の祖と言える。芭蕉の門人だが、芭風が地方を中心に広がったのに対し、都会的な洒落風を唱導した。ここは其角の門人たちの若葉の発句による独吟歌仙に其角が加点して収めたもの。その一例。

第一          彫棠
帆柱や若葉上越谷の棚
 山を見立る楊梅の旬
大名に八百屋が付て下るらん
 袴を陰に寝たる月影

「江戸筏」

独吟歌仙集。風葉編。点者は沾徳。江戸俳諧の新風を諸国に広めるために編まれたという。恋愛風俗の比喩を俳諧の眼目とする、都会的な俳諧。その一例。

第九          甘谷
何を取船とも見えず初時雨
 石蕗のひかりの凄き待合
織殿に不断余国の気を兼て
 蝕む月の手形一束

「万国燕」

俳諧高点付句集。淡々評。淡々は京大坂の俳諧大名と呼ばれ活躍。江戸風を関西にもたらす。その一例。

花之巻
虹と起りし活僧の恋    我笑
我庭の月はよそにて花盛り 難里

「俳諧草結」

俳諧選集。隆志編。高点句の手引書。京都の高点句を紹介しているが、風俗詩的傾向がある。その一例。

梨子柿の跡おもしろし接木の実
 始て鹿を得たる余り米

で始まる、ここは百韻。

「俳諧童の的」

これも手引き書。江戸座俳諧高点付句集。竹翁編。江戸座宗匠を座別に配列し、高点句を例示するとともにその宗匠の好みを示している。その一例。

寝た時も顔へ扇をおんど取
馬のつらにて明る柴の戸

「俳諧觿」

江戸座俳諧高点付句集。沾山編。これはまさに付句が歌仙式や百韻からはなれて、付句そのものとして独立する傾向を示すことになった。これがいわゆる前句付けの流行を示し、やがて近代の「俳句」や「川柳」につながる契機となったと思われる。その一例。

前句  別に風雅な昆布で葺屋根
 付 奥蝦夷の雪の咄しは嘘のやう

前句  当分の風邪も案じる斗りなり
 付 貴様ひとりで城は盤石

 こうした「付け合い」や「付句」は現在ほとんど行われていないが、復活すると面白いと思える。ツイッターを使ったりして。

2018.01.18
この項了

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