大分この古典文学総復習、滞ってしまった。読書の秋というより、行楽の秋でなかなか自宅で落ち着いていられなかったためだ。
しかしやっと江戸初期の面白い古典について書けることととなった。江戸時代はもっとも興味ある時代だ。文学においてもさまさまなジャンルが花開いた時代だからだ。文学の庶民化の時代とも言え、馴染みやすい作品が数多く作られたからでもある。
『七十一番職人歌合』を読む
「しちじゅういちばんしょくにんうたあわせ」と読む。題にあるように、これは歌合。室町時代・1500年末ごろに成立したとされる。しかし、この歌合、これまでものとは趣を異にしている。職人を題材としているのだ。職人の姿絵と「画中詞」と呼ばれる職人同士の会話や口上も描かれている。いかにも近世初期の社会を彷彿とさせる。近世は職人と庶民が表舞台に出てくる社会だからだ。
さて内容だが、七十一番とあるように、七十一組の職人が登場する。つまりは倍の百四十二種の職人となる。しかし、職人といっても現代でいう「職人」の範疇を超えている。物売り・芸人・連歌師なども含まれている。例えば、三十七番の「豆腐売り」に「素麺売り」とか、六十三番の「競馬組」に「相撲取」といった具合だ。では、ここはいかにも職人らしい一番を紹介する。
「番匠」と「鍛治」だ。大工と鍛冶屋である。歌合だから二つの歌が紹介され、判定が行われる。
一番 左
をしなをす工(たくみ)もいさやすみかねにさげすむ月のかたぶきにけり
右
軒あれて古きかぢやの太郎槌ふりさけみれば月のさやけき
判定は「持」、すなわち引き分け。
その後二つの職人の仕事姿の絵と言葉がある。
(模本だが、国立博物館に絵巻きがあって画像を見ることができるので、ここで紹介。なお、アドレスは以下だ。
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0017448)
そしてさらに二つの歌が再び紹介され、判定が行われている。その形が七十一組続くと言うわけだ。もちろん歌は専門歌人が読んだものである。
この書は、歌の内容と出来がどうのというより、当時の社会の現実を見るに適したものとなっている。ただ、それだけでなく職業人が文学の表舞台に立ってくるようになったことが注目される。
『新撰狂歌集』を読む
狂歌は江戸時代の重要な文学ジャンルの一つだ。江戸時代の文学の中心はパロディにあると言っていい。狂歌はまさに和歌のパロディだが、その狂歌の初期の作品集がこれだ。
1633年(寛永10)ころの刊行されたという。編者と版元は明らかではない。上下2冊あって、古今の狂歌191首を和歌集の部立に従って、四季・恋・羇旅・述懐・釈教・哀傷・神祇・雑に分類編集されている。所収作品は古くは鎌倉時代の定家まで及んでいるが、狂歌らしく作者不明のものも多く、宇治の茶大臣母、無銭法師のごとき狂名もすでに用いられている。以下こんな感じだ。
芋を盗まれたる人のよめる
筒井筒五つばかりもとりはせで掘りにけるかな芋見ざるまに
備前の吉備津にて神前に団子をささげたるを見て 小野の小餅
搗き砕き団子そなふる吉備津宮これかや神は巫(きぬ)が習はし
寒夜月といふ題にて 大江の肥持
冬の夜の尿しがてらに見る月はおもしろしとてやがてひつこむ
こうしたパロディは本来的に元がわかっていないと面白くないことは言うまでもない。こうしたことは如何に古典が教養人のなかで一般化していたが伺える。もちろん狂歌は教養人の作品である。
『古今夷曲集』を読む
これも江戸時代前期の狂歌集。生白堂行風 (せいはくどうぎょうふう) という人物の編という。 10巻4冊あり、寛文6 (1666) 年に刊行されたもの。古今の作者二四一人に及ぶ作者の狂歌千首以上をやはり和歌集の部立にしたがって分類している。この時代いかに狂歌が流行したかが伺える大部の狂歌集である。いくつか紹介しておく。
正 長
たばこのむうちより春は来にけらし烟も霞むはなのさき哉槿(あさがほ) (雄 長 老)
花の露も日影うつれば蛭に塩ひるはしほしほとなれる朝貌題知らず 西行上人
七瀬川やせたる馬に水かへば九勢(くせ)になるとてとをせとぞいふ来不逢恋(くれどあはざるこひ) 未 得
鉄砲のたまたまきてもはなさぬは結句おもひのたねが島哉人のもとより鰆の鮨をえて返事に 右衛門尉藤原武員
近江鮒宇治丸あゆの鮨もあれどをされぬ味は鰆なりけり
といった具合である。
2017.10.13
この項了