『後撰和歌集』を読む
『後撰和歌集』は『古今和歌集』から50年足らずの後編纂された2番目の勅撰集だ。したがって、『古今和歌集』とさほどの違いはない。取られている歌人もさほど違ってはいない。いわば『古今和歌集』の補遺版と言ったらいいかもしれない。ただ、編者は違っている。宮中に撰和歌所が置かれ、その寄人に任命された源順・大中臣能宣・清原元輔・坂上望城・紀時文だ。しかもこの編者たちの歌は取られていない。また、この編者たちは『万葉集』の訓詁を行ったとされている点も注目に値する。
部立はほとんど『古今和歌集』と同じで、春、夏、秋、冬、恋、雑、離別、賀歌の二十巻からなっている。ただ総歌数は1425首とやや多く、春と秋は上中下にわかれ、雑も多く、離別には羇旅歌が含まれ、賀歌には哀傷歌が含まれているのが違っている。
さて、今回この『後撰和歌集』を読んで注目したのは女流歌人の伊勢についてだ。この伊勢は『古今和歌集』にも多くの歌が取られているが、この集では紀貫之に次いで多い72首もの歌が取れれているからだ。いかにこの編者たちがこの伊勢という人物の歌に注目したかがうかがわれる。そこで今回はこの伊勢の歌を各巻からとっていきたい。
春
春には6首取られている。その中の一つ。
あをやきのいとよりはへておるはたをいつれの山の鴬かきる
「古今集」神遊歌に
青柳を片糸によりて鶯のぬふてふ笠は梅の花笠
という歌があって、この歌からの発想。実は鶯は姿をほとんど見せず、その色合いもけっして美しいものではない。鳴き声からのイメージがそうさせる。綺麗なのは実はメジロだけどね。可愛らしい想像の歌。
夏
夏は3首。
郭公はつかなるねをききそめてあらぬもそれとおほめかれつつ
詞書きに「女の物見にいでたりけるに、こと車かたはらに来たりけるに、物など言ひかはして、後につかはしける」とある。ホトトギスの声が忘れなれないといっているが、この詞書きを見ると出逢った男性の声が忘れられないという意味に取れる。
秋
秋には7首。
をみなへしをりもをらすもいにしへをさらにかくへき物ならなくに
この歌は以下の歌の返歌
女郎花折りけむ枝のふしごとに過ぎにし君を思ひいでやせし
この歌には「法皇、伊勢が家の女郎花を召しければ、たてまつるを聞きて 枇杷左大臣」という詞書きがあり、法皇が伊勢に命じて自家の女郎花を献上させたことを聞いた枇杷左大臣が歌を贈り、かつて寵愛を受けた法皇への思いを尋ねて来たというわけだ。それに対し、「私は今更心にかけてなどいないし、これを機会に昔を懐かしむこともない」としている。この辺りは伊勢にまつわる色恋沙汰が彷彿とする。
冬
冬には以下の1首のみ。
涙さへ時雨にそひてふるさとは紅葉の色もこさまさりけり
これも前と同じ枇杷左大臣の歌に対する返歌。大臣の歌は「すまぬ家にまで来て紅葉に書きて言ひつかはしける」という詞書きがある以下の歌。
人すまず荒れたる宿を来て見れば今ぞ木の葉は錦おりける
秋の歌のようだが、「時雨」で冬に分類されたのだろう。この大臣とは藤原仲平のことで、伊勢のかつての恋人。「ふるさと」はかつて伊勢が住んでいた所。そこにかつての恋人が訪れて紅葉を歌う。それに対して「時雨」に「涙」が加わって紅くなったのだと。「紅涙」(こうるい)という美しい女性の涙をいう言葉があるが、この涙で紅くなったのだと恨む気持ちを歌う。
恋
恋には22首もの歌が取られている。伊勢ならではだ。ここは以下の3首を引く。
おもひかはたえすなかるる水のあわのうたかた人にあはてきえめや
「まかる所知らせず侍りける頃、又あひ知りて侍りける男のもとより、『日頃たづねわびて、失せにたるとなむ思ひつる』と言へりければ」という詞書きがある歌。「なかるる」は「流れる」「泣かれる」がかかっている。「あはてきえめや」で「うたかた(泡沫)のように、会わないで消えるもんですか」と言っている。なかなかの歌だ。歌に濁点がないのはその当時の表記そのまま。
わかやととたのむ吉野に君しいらはおなしかさしをさしこそはせめ
これも以下の歌の返歌。その歌の詞書きに「女につかはしける 贈太政大臣」とある。この大臣は藤原時平。仲平の兄である。このとき伊勢は仲平とは疎遠になっていた。
ひたすらに厭ひはてぬる物ならば吉野の山にゆくへ知られじ
ここでは「吉野」が当時隠棲する場所として知られていたこと、「かざし」が不老長寿を願う呪いであったことを知らないと解釈できない。時平が「会ってくれないなら、いっそ吉野に隠棲したい」と言っているのに対し、伊勢は「私も隠棲して山人として暮らしたい」と応じている。隠棲は男女の関係を超えた生活を言うのだろう。
見し夢の思ひいてらるるよひことにいはぬをしるは涙なりけり
「心のうちに思ふことやありけむ」という詞書きがある歌。片思いの歌。「涙」だけが自分の思いを知っていると言う。いかにも古今的な恋の歌。
雑
雑には17首取られている。その中から1首を引く。
よのなかはいさともいさや風のおとは秋に秋そふ心地こそすれ
これも返歌。読み人知らずとなっているが、「人に忘られたりと聞く女のもとにつかはしける」という詞書きを持つ以下の歌に対するもの。
世の中はいかにやいかに風のおとをきくにも今は物やかなしき
雑に分類されているが、秋とも恋ともとれる歌。ただ元歌が「風の音」に季節感があるが、季節がはっきりしないのでここに分類されたか。「世の中」は男女の仲を言うのは古典常識。「二人の仲はどうでしょう?悲しいのでは」聞いている元歌に対し、「秋に秋添う」気持ちだと答えている。「秋」に「飽き」が掛かっている。
離別
離別には10首取られている。その中から1首を引く。
わかるれとあひもをしまぬももしきを見さらん事やなにかかなしき
詞書きに「亭子のみかどおりゐたまうける秋、弘徽殿の壁に書きつけ侍りける」とある。関係が深かった宇多天皇の譲位が近づき、伊勢が宮中を離れることになった際に天皇が読むことを想定して壁に書いたと言う歌。「ももしき」は「宮中」を指す。「何か悲しき」とは「なんで悲しいことなっんかあるものか」という反語がかえって悲しさを強調する。
賀歌(哀傷)
哀傷には6首取られている。その中から2首を引く。
ひとりゆく事こそうけれふるさとのならのならひてみし人もなみ
詞書きに「大和に侍りける母みまかりてのち、かの国へまかるとて」とある。母の死を悼む。奈良は伊勢の「ふるさと」であり、かつて都があった土地という意味もある。「ならふ」は「慣れ親しむ」意。母の死を知って奈良に行く時の哀傷。素直な歌。
なくこゑにそひて涙はのほらねと雲のうへよりあめとふるらん
詞書きに「一つがひ侍りける鶴のひとつがなくなりにければ、とまれるがいたく鳴き侍りければ、雨の降り侍りけるに」とある。これはペット?の死を悼んだ歌。鶴がペット?鶴は当時から不老不死の象徴だったらしく、飼うことが流行していたようだ。
今回は解釈を混じえ伊勢の歌を見てきた。日本古典文学に果たす女流の役割は昔から大きものがあった。こののち宮中での女房たちによる文学が花開くが、伊勢はその先駆であったといえる。
本文は便宜上以下のサイトを利用した。
https://ja.wikisource.org/wiki/後撰和歌集
この項了