『日本古典文学総復習』2『萬葉集』2

『萬葉集』を読む1の2

2冊めには以下の歌が収まっている。
巻6
雑歌907から1067
巻7
雑歌1068から1295
譬喩歌1296から1403
挽歌1404から1417
巻8
春の雑歌1418から1447
春の相聞1448から1464
夏の雑歌1465から1497
夏の相聞1498から1510
秋の雑歌1511から1605
秋の相聞1606から1635
冬の雑歌1636から1654
冬の相聞1655から1663
巻9
雑歌1664から1765
相聞1766から1794
挽歌1795から1811
巻10
春の雑歌1812から1889
春の相聞1890から1936
夏の雑歌1937から1978
夏の相聞1979から1995
秋の雑歌1996から2238
秋の相聞2239から2311
冬の雑歌2312から2332
冬の相聞2334から2350

巻六

この巻ではやはり山部赤人の歌が目立つ。数もそうだが歌の良さもそうである。宮廷歌人たる内容の長歌の反歌2首を引いておこう。

み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも

ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く

また、この赤人の叔母にあたるという坂上郎女の歌にもいいものがある。

我が背子に恋ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘貝

赤人はいわゆる宮廷歌人の一人で柿本人麿と並び称される。宮廷歌人だけに謂わば皇室賛歌的な歌も多いが、叙景歌的な歌もあって後の歌集にも多く登場する。

巻七

この巻はこれまでにない分類で歌を集めている。
分類自体はこれまでにあった、雑歌・譬喩歌・挽歌という分類だが、その中身が異なっている。雑歌の中に「天を詠みし一首」「月を詠みし一八首」等々として歌を紹介している。天文・自然・場所等での分類だ。譬喩歌も同様に物で分類するという形をとっている。挽歌はわずかしかない。天文ではやはり「月」自然では「河」が多い。ここにも日本の詩の題材の特徴が伺える。

玉垂の小簾の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも

ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しもあらしかも疾き

初めの歌には作者の記述はないが、後の歌は柿本人麿歌集にあるとする。
譬喩歌では「玉に寄せし」が多い。以下に引く。

海神の持てる白玉見まく欲り千たびぞ告りし潜きする海人

ここでの「白玉」は「真珠」のことで、それを深窓の美しい娘に譬えているとする。

巻八

ここで初めて季節による分類が登場する。これまでの分類をさらに季節によって分ける試みだ。これまでの分類は謂わば大陸の影響下に行われた物と考えられるが、
この季節による分類はその後「古今集」以後しっかりと定着する。いわば日本的な分類と言えるかもしれない。しかもここは作者をはっきり明記した上で歌を収めている。幾つか引く。

水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも

笠郎女が家持に贈った歌とされる。春の相聞。

卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る

ここは家持の歌が多い。これもその一つ。霍公鳥はホトトギスのこと。夏の雑歌。

神さぶといなにはあらず秋草の結びし紐を解くは悲しも

加茂女王の歌とされる。秋の相聞。

沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも

大伴旅人を忘れてはいけない。太宰府での歌。冬の雑歌。

巻九

この巻はまた以前の分類に戻っている。
雑歌に珍しく「星」を詠んだ歌がある。月を詠んだ歌はたくさんあるが、太陽や星を詠んだ歌があまりないのが日本の古典の特徴と言えるが、
これは七夕伝説はすでに伝わっていたことを示している。因みに後の巻10には七夕を詠んだ歌が130首以上ある。

彦星のかざしの玉は妻恋ひに乱れにけらしこの川の瀬に

ここで東国の地名を含んだ歌。

埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし

勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ

いずれも高橋虫麻呂歌集にあるという。後者は真間の手児奈の伝説を歌った長歌の反歌だ。

巻十

この巻はまた巻8と同様な構成をとっている。
春の雑歌には「鳥を詠みし二十四首」とあり、「鳥」を読んだ歌が多く見られる。

春されば妻を求むと鴬の木末を伝ひ鳴きつつもとな

春の相聞には

春さればもずの草ぐき見えずとも我れは見やらむ君があたりをば

夏の雑歌にもやはり「鳥」の歌二十七首ある。霍公鳥は「ホトトギス」

木の暗の夕闇なるに霍公鳥いづくを家と鳴き渡るらむ

夏の相聞には

霍公鳥来鳴く五月の短夜もひとりし寝れば明かしかねつも

秋の雑歌には

秋の野の尾花が末に鳴くもずの声聞きけむか片聞け我妹

秋の相聞には「鳥」とはしていないが、

出でて去なば天飛ぶ雁の泣きぬべみ今日今日と言ふに年ぞ経にける

さすがに冬にはない。
後に「花鳥風月」とか「花鳥諷詠」と言った言葉があるように、「鳥」はこのころから和歌の主要な題材であったことがわかる。
また、四季による分類が登場したことは萬葉集編纂者の意識が古今集に繋がるものを持っていたことをうかがわせる。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です