罰当たりな日々

宮城県志津川を訪れた。
ここは南三陸町といった方が通りがいいだろう。あの大震災で大きな被害を被った町だ。
実はこの奥にある登米市はうちのカミさんの両親が生まれた所。ずいぶん以前にも訪れたことがある。その時も今もリアス海岸の海は穏やかだ。多分定置網だろう、その浮き球も全く動かないほどのべた凪だ。あの日の朝もこんな海が眺められたにちがいない。
夜、この海を間近にホテルの食堂で鮑、雲丹、鱶鰭などなど海の幸をいただいた。実にうまかった。フローズン生ビールも良かった。ぐるっと海を眺められる温泉も良かった。極楽だ。あの日の前の晩もこんな気持ちで過ごした人も多く居たに違いない。

どこぞの大物政治家がこの震災を「天罰」と発言し、世間の顰蹙をかったことが思い出された。さすがにこの政治家も世間の非難に発言を撤回した。しかし、この発言は強ち的を射て居ないと言えない気がする。もちろん被災した人々のみに罪があったわけではない。ただ、「天」を「自然」のことだとすれば、今更のように「自然」の恐ろしさを思い知らされたはずだ。人間の営みをたった5分の間に物の見事に奪い去ってしまったわけだから。人間の営みがあたかも「罪」であったかのようにだ。

でも、鮑、雲丹、鱶鰭、そして生ビールはうまいのだ。またぞろ罰当たりな日々を過ごす。「自然」よ、許し給え。

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