無用の用は無用

最近文科省が大学改革で文学部など世の中に役にたたない学部はいらないと言っているらしい。
それに対し大学側は反発。一見無用に見える学問にも有用性はあると主張しているようだ。
さて、私は無用の人物が好きだ。できたら自分も無用の人物たりたいと思っている。
しかし、そうは世の中が許してくれない。どうしても役に立ってしまうのだ?
日本には伝統的に「無用」を尊ぶ傾向がある。多くの文学者や思想家は「無用の人」である事をポーズだとしても尊ぶ。また、そうした人物を尊ぶ風習が根強くあるといっていい。それは自分が事実有用な人物であったとしても、本来は無用でありたいと思う気持ちがどこかにあるからだ。
時の政府や権力者、財界人などが「有用」を説くのは当たり前だ。でもそうした人たちだって何人かはどこかで「無用」でありたいなんて思っているかもしれないのだ。
日本の文学や思想は基本的に「無用」を旨としいて、ずっと長らえてきた。小生は特にそうした傾向のある文学者や思想家が好きだし、もっといえば滅びた側にいる人物が好きなのだが、「無用」が長らえてきたのは、その憧れが多くの人にあるからだ。
だからと言って、「無用の用」を説いたらつまらない。「無用」はあくまで「無用」でなくてはならないからだ。
大学に文学部が必要か否かはどうでもいいが、ただ、もし世の中が「有用」一辺倒に傾いているとしたら、これはヤバイ!
「無用」を飼っておいて、「いいね、気楽で君たちは。羨ましいよ。」ぐらいの余裕がない社会は滅びる前兆です。

国文学科出身IT技術者

1件のコメント

  1. (//_//) 師匠、ブログ、拝読致しました。
    まず、「無用の用は無用」に大拍手。京都大学を始めとする文系学部の廃止案。それらを意識されていながら、ガッチリとは表に出されない。でも
    「無用の用は無用」だよ。……とサラリとスパッと論破。胸がすくようでした。

    師匠が歌う『勝手にしやがれ』。無用を上手〜く身に付けられながら、師匠は最も有用な人物でいらっしゃいましたネ (*^_^*) 。

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