はじめに
今回は式亭三馬だ。
実は過去にすでに三馬については触れている。正編の86だ。三馬の代表作『浮世風呂』と『戯場粋言幕の外』『大手世界楽屋探』を読んでいる(リンク)。しかし、今回は別作品が収められているので触れることにした。『浮世床』と『四十八癖』だ。
『浮世床』の梗概
この作品は『浮世風呂』の姉妹編といったところだ。まさに風呂の隣にある床屋を舞台にした話。しかし、話といっても話らしい話はない。ここにやってくる人々が語る「話」の記録といった趣だ。ここにこの作品が後世に残る最大の魅力がある。すなわち当時の話し言葉が記録されているからだ。具体例はのちに紹介するが、まずはその「話」を羅列しておく。なお全3篇あるのだが、三篇目は別人物の作なのでここには入れない。
初編巻之上
浮世床の近所合壁
早朝の景・隠居登場
勇肌の男の話題
孔糞先生登場し、学識をひけらかす
先生、寄席ビラに悩む
湯上がりの隠居再登場
読まぬ大学・今川論議
二十四孝は王祥の説話
先立った婆どのの話
氏子論と宗旨の論
すてき亀の登場
ここに旦那出現とは
常磐津師匠・仇文字の噂
湯上がりの仇文字を見る目
美人の年増とその妹の品さだめ
菓子売り登場して呼び売りの口上披露
初編巻之中
馴染みの女のふみ自慢
美人の月旦、転じて女房論となる
商人作兵衛の上方者気質
貰ってきた猫の名付
道楽息子をさがす爺さまの愚痴
三十過ぎての放蕩者
初編巻之下
かくあるべしの道楽訓
悪戯者の丁稚にお手上げ
奉公人・居候について
居候飛助登場
居候と銭右衛門のうそまこと
霜枯れ時の巫女登場
富家の娘御とその乳母登場
二篇 巻之上
口寄せに浮んだ霊は人ならず
死霊の恨みから嫉妬論へ
天狗になった爺さまの口寄せ
互いに小咄を披露する
二篇 巻之下
色恋と酔いの終りは溝の中
二字の戒名が話の発端
髪結渡世の話
鳥屋の口上一部始終
瞽女のうたう正調越後節を披露する
読めるか、通俗三国志を
櫛屋、吉原の文使い登場ちゃぼ八と蛸助の拳勝負
こう並べてみるとよくもまあいろんな「話」を拾ったものだと感心する。この時代の江戸の庶民の関心事や言葉がよくわかる。落語のパターンである御隠居、与太郎、八さん、熊さんといったところの人物たちが勝手な「話題」を繰り広げているといったところだ。
その本文
さて、その本文だが、ここは一例をあげてみる。「すてき亀の登場」の場面だ。
ここは図表で示した方がいいだろう。クリックすると拡大します。
本文から言えること
どうだろうか。読めるだろうか。本文は全てこんな調子だ。所々にト書きがある。これは特に場面転換の時に現れる。また時々注が書かれる。これはこの本の注ではない。三馬が書き込んだ注だ。そして何よりも全て会話文ということだ。したがって当時の庶民の江戸弁がよくわかるわけだ。
さて、注の六が興味深い。今でも使う「だらしもねへくせに」という言葉は実は「しだらがない」の「下俗の方言」だと言っている点だ。これは「キセル」を「セルキ」という類だという。現代一部業界人が「おんな」を「なおん」、灰皿を「ザラハイ」という類だったという。
また、亀と熊のやりとりが面白い。こうした会話をそのまま記録したような本文は他にそう見られなかったはずだ。これがのちの「言文一致」へ影響していることは否めないだろう。
それとこの江戸弁のやりとりが最近ほとんど聞かれなくなったのが寂しく思われる。江戸落語に残っているだけで、粋のいい江戸弁が聞かれないのが残念だ。しかも最近関西系の発音が席巻しているような気がしてならない。こうした発音は流石にこの三馬もしっかり書き残すことは出来ていないが、現代のおいては録音という方法があるが、それを文学作品で文字で残すのは現代でも難しい。ここでもそれを書くのは難しいが、例えばテレビなどでアナウンサーすら平気で関西系アクセントで話すことが多いように思われる。「二月」を発音してみてください。どう発話しますか。グーグルでは正しく発声されているので、試してみてください。ちょっとこだわり過ぎでしょうか。必ずしも関西系が悪いとは言えないが、どうしても東京生まれ東京育ちのものにとっては違和感があるのは否めない。
ともかく、三馬が苦労して当時の会話を残そうとしたのがこの作品の最大の価値であることに間違いはない。
『四十八癖』の梗概
自序に「世の人の無くて七癖、或は有て四十八癖、異類異形を図にあらはして、癖といふ癖物語と目す」というのがこの題名の由来だが、以下に示すようにここで言う「癖」は、ちょっとした仕草の「癖」ではなく、いわゆる「癖のある人物」と言うふうな使い方の「癖」で一種の人物類型を示している。以下は「標目」として初めに記されているものだ。
初編
女房をこはがる亭主の癖
物事を気にかける人の癖
通りものになりたがる人の癖
つまらぬ事を苦にする人の癖
詞数の多き人の癖
人の非をかぞふる人の癖
二篇
幇間めかす素人の癖
大言を吐いて諸道を訕る人の癖
并に克く応答をする人の癖
陰で舌を出だす人の癖
金を溜むる人の癖
金を無くす人の癖
浮虚なる人の癖
并に不実者の癖
三篇
他の疝気を頭痛に病む人の癖
他の奴婢を会めて世間話する人の癖
他に遊ばれさうなる人の癖
世話を為過ぎて悪く言はるゝ人の癖
面白くない話する唯の老爺の癖
物に譬へて悪言を衝く人の癖
話の度毎に悪地口をいう人の癖
亭主に負けぬ下卑女房の癖
四篇
拙将棋の癖
並勝ちたる人の癖 負けたる人の癖
我面白の他姦しと云はるゝ人の癖
言語の可咲を含みて教諭する人の癖
極楽蜻蛉と呼ばるゝ人の癖
こう見ただけで、「いるいる今でもこんな人」と思える。ここには三馬の人物観察がよく表れている。しかし、本文は例によって会話文が中心だ。これも図で示す。
その本文
どうです。読めますか。いるでしょう。こんな老人。小生もこの類かもしれない。気をつけなくちゃね。
おわりに
こうした類型的人物をそれぞれ会話文で描くところはなかなかの腕前というか、その観察眼が何より光っている。三馬は国語学的に評価されて、文学的にはもう一つ評価が上がらないが、いやいやどうして一つの画期的な仕事をしていると思う。
今回はここまで。
この項 了
2024.10.16