成島柳北「柳北奇文」を読む10

富鬼の説(明治9年10月27日)

久しぶりの柳北について書く。

今日は朝から雨で何となく活字に向かいたくなる。梅雨だから雨が降るのは当たり前。雨の日は雨の日でいいとしよう。日々是好日なんだから。

さて、「「柳北 奇文」を読む」はここで前編終了となる。ここもテーマは同じ。新時代になって大手振って歩く出世した田舎侍への痛罵である。

人間貧しくなると鬼と化すというが、いやいや富める者でも同じ。やはり鬼と化している。

「ただ金を拝す者を貧鬼と言い、ただただ女を漁するを色鬼と言い、金の使い道を知らず、ただ蓄えるばかりの者を呆鬼と言い、偉そうに振る舞い権謀術数をもって出世を願う者を姦鬼と言う」

これが富鬼である。そして、

「この四鬼は皆官鬼の種族にして青天白日道路に横行する者、豈貧鬼の破扇敝屣(ハセンヘイシ、破れた扇にぼろぼろの靴)悄々乎として陋巷に出没に比ならんや」

と言うようにほとんどが官吏であり、その数が多いとする。

実はこの文章、色々とその連中の行動が面白く描かれているんだけど、なかなか上手く紹介できない。(勉強が足りないというか、教養がないというか。)ただ、中身は未だに通用するものだ。お金は大事だ。誰もがもっといい生活をしたいと願い、お金を稼ごうとする。これは当たり前だ。ただ、これがある程度達成できても、止まることを知らず、もっともっとと思う。人間の業ですかね。

しかし柳北は簡単に言えば、東京を闊歩する薩長の田舎侍が嫌いで嫌いでたまらないということです。

 

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