五島列島の教会を訪ね歩いて

頭ヶ島天主堂

私はキリスト教徒ではない。宗教とは無縁の人間だ。「無縁」というのは正しくないかもしれない。正月には地元の神社に初詣に行き、父母の葬儀は仏教で行った。確か結婚式はキリスト教式だった。ようするに宗教に対して「いい加減な」人間なのだ。たぶん多くの日本人がそうなのかもしれない。

今回五島列島の教会を訪ね歩いて、改めてなぜこれほどまでにここに教会が多く存在し、しかも生きた形で存在しているのか考えさせられた。

五島列島に多く存在する教会はまさに生きた教会だ。けっして歴史的建造物ではない。訪ねてみるとそれがよくわかる。掃除当番表があり、それぞれの席には自分の物の聖書と賛美歌集が置かれ、布団まで個人用に置かれてある。どこも掃除が行き届き、いつでもミサが行われる用意がある。この島ではキリスト教が今も住民の生活の一部をなしていることがよく分かる。しかもキリスト教は江戸期に禁教であったのに、である。

なぜ、五島列島ではこれほどまでにキリスト教が根付いているのだろうか。ここからは単に私の想像に過ぎないが、そのプロセスを考えてみた。

まずこの島の地理的条件だ。五島列島は九州の西に位置する。古くは遣唐使が立ち寄ったことでも知れるように大陸へ渡る際の停泊地だったようだ。つまりは大陸に近いという条件だ。日本にキリスト教が伝来した地は南方の種子島と言われているが、この島も早くから布教が行われた可能性がある。また、大陸との交易も盛んだった可能性もある。そして離島であるということだ。

次に、この島を治めていた領主が息子の治療の為にキリスト教を受け入れ、キリシタン大名だったことも大きな要素だ。

しかし、江戸時代に入るとキリスト教は禁教となる。信長の時代は反仏教の立場からキリスト教はむしろ奨励された向きがある。しかし安定した江戸時代に入ると完全にキリスト教は禁教となり、弾圧と排除の歴史が始まる。これについては多くの文献がその苛烈さを語っている。

ただ、私はキリスト教の排除が宗教的な対立から生まれたものとは思っていない。イスラム教とキリスト教の対立のような仏教徒との対立があったわけではないと。徳川幕府の禁教はもっと経済的な政治的な理由によって行われたと考える。幕府の鎖国政策も同様だと考えている。イデオロギーとして鎖国をしたわけではない。むしろ海外からの権益を独占する為に行ったものだと。またキリスト教の浸透がキリシタン大名を多く生み、それが海外とも交易で多額の利益を得て勢力を増すことを恐れたのが禁教の主な要因だったと思われる。

こうした要因からキリスト教徒への弾圧も苛烈を極めたものであったが、隠れキリシタンとして一般の信徒が生きる道がわずかであったとしてもあったような気がする。九州本土から多くの一般のキリシタンが五島の辺鄙な漁村に逃れ、自給自足の生活をしながら信仰を守っていった様子が想像出来る。

何と言っても五島列島は離島である。現在でもフェリーで3時間、ジェエトホイルでも1時間半かかるのだ。当時にあっては航海は死ぬか生きるかであったろう。信仰の為に命を賭して島に渡った人々が、わずかな土地に植物を栽培し、何と言っても豊かな海の資源を得ることができれば信仰を糧にして生きることはできたように思う。

また、五島列島のキリスト教信仰はマリヤ信仰を中心としていたことも現地に行って知った。あらゆるところにマリヤ像があり、ルルドと呼ばれる洞窟が作られていた。このマリヤ信仰は仏教の観音信仰に擬せられる。日本仏教においても観音信仰は根強いものだ。各地に観音像があるが、マリヤ観音像というのもある。いわば観音信仰に擬することでキリスト教信仰を潜伏させたものと思わせる。「潜伏キリシタン」という言い方を現地で知ったが、こうした「潜伏キリシタン」が江戸期の長い禁教の時代を子孫に継いで行ったのだろう。変な言い方かもしれないが、禁教があったからこそと言える気もする。

明治に入って禁教が溶けると、潜伏していたキリシタンは一挙に表に現れる。それが教会建築ラッシュを生む。これまで先祖たちが守ってきた信仰が大手を振って行われる。その場が集落ごとに必ずあると言っていい教会なのだ。信徒たちはけっして裕福ではないにちがいない。しかしこの解放が身を削って資金を拠出する原動力になったと。

中通島の東端にある立派な石造りの頭ヶ島天主堂もそうした教会の一つだ。しかし、地元の人が今は信者の住人は11人しかいず、皆高齢だと言っていた。ここにも少子高齢化の波は否応なく訪れている。地元はこの島を世界遺産に登録しようとしている。これも経済効果を生みたいが故であろう。しかし、私はそうした行為はあまり好きではない。信仰と信徒がいなければ、単なる歴史的建物に成り下がるからだ。

若い人たちがこの豊かな島で人生を選択してくれることを望むだけだ。 具体的に訪れた教会は以下のページをご覧あれ。

五島列島教会旅

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