『日本古典文学総復習』31 『三宝絵』『注好選』

『三宝絵』を読む

元は三宝絵詞といい、成立当時は絵を伴っていたらしい。これも仏教説話集の一つだ。平安中期に成立し、尊子内親王のために学者源為憲が撰進したと言われる。いわば内親王のための仏道の入門書である。
そもそも三宝とは仏・法・僧を指し、本書はその功徳について述べたもので上中下3巻構成で、それぞれ「昔」「中頃」「今」の時代に対応する形をとっている。
上巻は仏の誕生、出家、降魔、成道の事を述べ、神通力、慈悲心、功徳を述べる。巻末にあるように

「仏ノ勝レ給ヘル事ヲ顕ス」

巻である。
中巻は

「コノ巻ハ先ハジメニ其趣ヲノベテ、次ニ十八人ガ事ヲ注セリ。」

とあり、仏教伝来史が語られ、聖徳太子以下仏道に帰依した我が国の人物たちの話を列挙する。
下巻は

「此巻ニハ、正月ヨリハジメテ十二月マデ、月ゴトニシケル所々ノワザヲシルセル也」

として一年間にすべき仏事について、その来歴・作法述べている。
また、中巻にある高僧伝などの説話の多くは前に見た『日本霊異記』からの引用とされている。
この書は当時のいわば仏教の入門書的なものだと思われる。これが内親王のために書かれたということは仏教がいかに天皇家に食い込んでいたがわかる。この書を贈られた尊子内親王は3歳で斎院となりその後15歳の時円融天皇の女御となった人物。しかし内裏が火災にあったり後ろ盾が失脚したりと災難が続き、後に密かに落飾したという女性だ。こうしたいわば不運な女性にとって仏教が救いであったことは間違いない。源氏物語等にも仏教がいかに平安時代の貴族達に受け入れられていったが伺えるが、この書はそうした貴族達に読まれたものなのだろう。ここで神道と仏教の関係を思わずにはいられないが、現生の苦悩からの救いという意味では神道より仏教が力があると思われていたのだろう。

『注好選』を読む

童蒙教訓的な説話集である。3巻からなり、上巻は「俗家に付す」とあり、中巻は「法家に付して仏の因位を明らかにす」とあり、下巻は「禽獣に付して仏法を明らかにす」とある。中身は上巻に中国の説話,中巻にインドの仏教説話,下巻には主に動物を素材とする説話を収めている。
童蒙教訓的なということの他に初学者に向けたテキスト的な意味合いもあったようだ。従って漢文も『日本霊異記』に比べると易しいものだ。また、この書も『今昔物語集』の種本に成っているようだ。
ここでも一例を引いておく。比較的簡易な内容と文章なので解説は省く。
本文

田祖返直第九十七
往有三人。同父一腹兄弟也。田祖田達田音云。即其祖家前栽。四季開花荊三茎在一花白一花赤一花紫。自往代相伝為財随色付香千万有喜剰。人々雖欣未有他所。即父母亡後此三人身極貧。相語云売吾家移住他国。時隣国人買三荊。已売之得値。其明旦三荊花落枯也。三人見之歎。未見如此之事。呪曰吾三荊為惜別枯也。吾等可留。復返栄耶。即返値。随明日如故盛也。故不去。是以契曰三荊也。

書き下し文

田祖は直を返す第九十七
往、三人有りき。同父の一腹の兄弟なり。田祖・田達・田音と云ふ。即ち其の祖の家に前栽あり。四季に花を開く荊三茎在りて、一花は白、一花は赤、一花は紫なり。往代より相伝へて財と為して、色に随ひ香に付きて、千万の喜び剰り有り。人々欣ふと雖も未だ他所に有らず。即ち父母亡せて後に、此の三人極めて貧し。相語らひて云はく、「吾が家を売りて他国に移住せむ」と。時に隣国の人、三荊を買ふ。已に此れを売りて値を得つ。其の明旦に三荊花落ち葉枯れたり。三人これを見て、歎ず。未だ此の如き事をば見ず、と。呪して曰はく、「吾が三茎、別れを惜しむが為に枯れたり。我等留まるべし。復返りて栄かむや」と。即ち値を返す。明くる日に随ひて故の如く盛りなり。故に去らず。是を以て契をば三荊と曰ふなり。

この項了

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