年が改まって、あと10冊になったので、少し速度を上げないとと思っている。
今回は前回に続いて浄瑠璃。その浄瑠璃を完成させた近松だ。近松門左衛門は江戸時代を代表する文学者だ。西鶴や芭蕉よりも最も江戸時代を代表すると言っていい存在だと思っている。ただ、浄瑠璃というジャンルが現在は古典芸能という所に追いやられてしまっているために、その文学としての価値が必ずしも正当に評価されていないように思える。この辺りを念頭に近松の世界を振り返ってみたい。
近松は上級の武士の家に生まれ、幼少時代は比較的恵まれた生活をしていたようだが、父が浪人になったために京都に移り住み、ある機会から公家に仕えるようになって、そこで浄瑠璃に出会ったようだ。当時浄瑠璃はそれなりの流行を見せていたようで、京の公家たちの間でも好む人たちがいたようだ。そこで当時の浄瑠璃の代表的存在、加賀掾に出会い、その台本を書くことになったとのこと。当時の浄瑠璃の作者は署名もない存在だった。歌舞伎の台本作者も同様で演じる者が全てだった。そんな中、近松の作品として先ず間違いないものとしては、この書の巻頭にある『世継曽我』と言う作品だ。
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『世継曽我』
これは伝統的に受けに受けた曽我兄弟の仇討ち物語の後日談と言う形でつくられている。兄弟の恋人を登場させて、当時の遊里の情緒も含んだ当世風に仕立て上げられている話。しかも歌舞伎的な要素を浄瑠璃に持ち込んだ作品とされている。
そして、この本がきっかけで竹本義太夫と出会うことになったようだ。義太夫は浄瑠璃の根本である義太夫節の創始者。この竹本義太夫が登場して近松と出会い、浄瑠璃は大きく変化する。その竹本が大阪で竹本座を立ち上げ、初演となったのが『せみ丸』と言われている。
『せみ丸』
近松門左衛門という署名のある作品。内容は謡曲の「蝉丸」を題材に、美男で多くの恨みを女からうけた主人公蝉丸がその結果盲目になるというもの。この作品がいわば「色好み」を題材にしている点、また三段目の「せみまる道行」のいわゆる道行文の完成度に特色がある。
さて、この後に掲載されている『曽根崎心中』が何と言っても近松浄瑠璃の特質を遺憾無く発揮する作品だ。
『曽根崎心中』
この作品は一段ものといって極めて短いものだが、当時実際にあった心中事件をほどなく浄瑠璃化し上演したために大ヒットとなったようだ。
醤油屋の主人の甥で手代奉公中の徳兵衛という人物が、堂嶋新地の遊女おはつと馴染んでいたが、それぞれに縁談が持ち上がり(といっても遊女の場合は身請け話だが)、そこに徳兵衛が友人に金を騙し取られるといったいきさつもからまり、結局二人は心中するという話。
この作品がいわば近松の作品の方向性を決めたといっていい。これ以来近松は「心中」にこだわった。ここに当時の社会の本質を見極めたといっても過言ではないような気がする。この後いわゆる心中ものと言われる作品が多出する。以下だ。
『曽根崎心中』1703年(元禄16年)『心中二枚絵草紙』1706年(宝永3)3月『卯月の紅葉』1706年(宝永3)4月『卯月の潤色』1707年(宝永4)『心中重井筒』1707年(宝永4)『今宮の心中』1711年(正徳元年)『心中天網島』1720年(享保5年)『心中宵庚申』1722年(享保7年)竹本座
なお、この大系では『曽根崎心中』のほか、『今宮の心中』『心中宵庚申』が収録されている。
『今宮の心中』
この作品は『曽根崎心中』同様、実際にあった心中事件のあと作られ上演されている。事件の詳細は不明だが、大坂今宮の戎の森で前年秋にあった、年上の下女と手代の心中事件だという。下女のおさきという人物に別の縁談があったことから事件は起きたという、例のパターンだ。しかし、この事件はその心中の、松の木に絹の布を掛けて、その両端で首を吊るという形から、世間の注目を集めたという。ただ、近松は当時の他の作者たち(他の座でもこの話を題材に作品が上演されていたし、浮世草子も出版されていたようだ)と違って、主人公の手代を単純な悲劇のヒーローに仕立てていない点が注目される。
『心中宵庚申』
この作品は心中ものとしてはちょっと変わった内容に思える。というのは心中するのが夫婦だからだ。この夫婦、夫は養子、妻は三度の結婚という組み合わせ。そこに義母が大きく絡む。夫の留守中に義母が折り合いの合わない妻を懐妊中にもかかわらず里に返してしまう。夫はなんとか妻と添い遂げたいと思うが、義母に対する恩誼から苦悩する。色々と画策するが結局は死を選ぶしか無くなるという話だ。
現代的感覚から言えば、おかしな話に思えるが、当時にあっては決してありえない話ではなかったのだろう。
こうした近松の心中ものにはいくつかの特徴がある。その第一は登場するする人物がごく普通の人間たちだということだ。歴史的人物を扱うものが多かったその他の作品やいわばヒーローを主人公とする演目に比べると、そこに登場する人物たちは極めて卑小に見える。単に市井の人物というばかりか、実に優柔不断な情けない人物たちなのである。
またもう一つの特徴は、内容が当時の社会の枠組みをしっかり捉えている点だ。それまでの男女の情愛をテーマにしていた文学と違い、社会の枠組みの中で苦悩する人間の葛藤が描かれている。一般に近松の心中ものを「義理と人情の板挟み」をテーマとすると言われるが、この「義理」というのが社会の枠組みであり、その枠組みの中でしか生きることのできない普通の人間の「情」が貫徹するためには「死」しかないことを描ききったということだ。
そして見逃してはならない特徴がその語り口だ。それは「道行文」と言う形で定式化されたものだ。これは、男女が様々な軋轢から結局は死を選ぶしかなく、死にに行くクライマックスで語られる文章の完成度だ。ドナルドキーン氏が最も美しい日本の文章だといった『曽根崎心中』から引用しておく。
この世の名残り 夜も名残り 死ににゆく身をたとふれば あだしが原の道の霜 一足ずつに消えてゆく 夢の夢こそ あはれなれ
あれ 数ふればあかつきの 七つの時が六つなりて のこる一つが今生の 鐘のひびきの聞きおさめ 寂滅為楽とひびく也
これを聞いた(読んだではない)当時の聴衆は胸が詰まって涙したに違いない。
しかし、この近松の心中ものは、多くの類似の作品を生みながら姿を消してしまう。これは当時の為政者がこの心中ものの上演を禁止したからだ。この事実は逆にこうした心中ものが如何に当時の社会の本質的な暗部を捉えていたかの証左でもあると言える。
心中ものにこだわりすぎただろうか。もちろん近松には他にも多くの作品がある。以下この大系に納められた他の作品を列挙してこの回を終えることにする。
『丹波与作待夜の小室節』
俗謡でうたわれた人物を題材に、馬方におちぶれた元武士の与作に、なじみの女小万、妻の滋野井、子の三吉らがからむ物語。「恋女房染分手綱」はその改作。
『百合若大臣野守鏡』
幸若舞、説経節、などにもある「百合若物」の主人公百合若大臣の話。筑紫の国司となり命によって蒙古を攻めて凱旋の途中逆臣のため孤島におきざりにされるが、後に神仏の加護で筑紫にかえることができ、鉄の大弓で復讐をとげる。
『碁盤太平記』
時代物の代表作。赤穂義士のかたき討ちを「太平記」の世界に仮託して、大星由良之助、力彌父子の出立と討入り本懐を脚色したもの。これも実際の事件を扱った作品。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」を生む母胎となった。
『大職冠』
元は幸若舞の曲の一つ。中国から送られた宝珠が瀬戸内海で竜に奪われたのを残念に思った大織冠藤原鎌足が、海女と契ってその女に竜宮の宝珠を取返させるという玉取り伝説に基づく。謡曲『海士』や古浄瑠璃にもある話。外国趣味が見られる作品。
『天神記』
菅原道真を巡る天神伝説や先行する能作品等をモチーフとした作品。初演当時大当たりし、同年歌舞伎でも上演され、人形浄瑠璃を歌舞伎に移した最初の例となったと言われる。『天神記』には「渡唐天神」「飛梅」「綱敷天神」「柘榴天神」「天拝山祈願」といった、道真と天神にまつわる伝説が巧みに織り込まれている。『菅原伝授手習鑑』の先行作。
『双生墨田川』
時代物の一つ。能の隅田川を骨子とし、宇治加賀掾の浄瑠璃隅田川などによる。吉田家のお家騒動に霊木のたたりをからませ、鯉魚の名画の霊怪談を付加するといった怪奇性の強い点に特色がある。吉田少将行房とその愛妾班女との間に梅若・松若の双生児がいた。行房は舅の常陸大掾百連の計略にかかって死に、松若は天狗にさらわれるという話。
『津国女夫池』
晩年の作品。室町幕府の将軍足利義輝殺害にまつわる史実と、大阪天満にあった夫婦池の伝説をおりまぜた時代物。義輝に謀反を起こす悪の一派と将軍家を守り世の中の秩序回復を図ろうとする善の側の攻防が展開される。将軍の御台を守る冷泉造酒之進とその父・文次兵衛の起こす悲劇が描かれる。善良な人間が犯す「悪」に対する関心がうかがえる作品。
『女殺油地獄』
これも同様に「悪」の際たるもの、殺人を扱った著名な作品。放蕩息子である河内屋の次男与兵衛が金に困り、姉のように親しんでいた豊島屋の女房・お吉を殺してしまう顛末が書かれた作品。しかし、この作品はいわば衝撃的な内容のためか、初演以来再演がなかったという。ただ、現代では映画等に取り上げられている。
『信州川中島合戦』
近松の最晩年期を代表する作品の一つ。時代物。戦国時代末期、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信とによる戦いの史実を背景に、山本勘助などの伝説を加えた作。信玄の子勝頼と謙信の娘衛門姫との恋が信州の領主村上義清の横恋慕のため親たちに知られ、両家不和の原因となったとする。これを収めようと努めるのが山本勘助で、謙信は川中島の合戦で信玄を襲うが、その信玄は実は勘介だったとする。
『関八州繋馬』
近松の絶筆と言われる作品。「繋馬」は、関東の風雲児、平将門が用いていた旗印という。しかし、活躍するのはその遺児の将軍太郎良門と小蝶の兄妹。敵役は源頼光と四天王という古浄瑠璃ではおなじみの武者たちと言う構成。巧みに謡曲「土蜘」が取り入れられ、妖怪変化が登場して舞台が工夫されていて大いに受けたと言われる。
こうして近松の作品を見てくると、やはりそれは演劇だということを思い知らされる。
2019.01.18
この項了