やっと90冊目となった。今年の年賀状を見たら、去年までで70冊とあった。もう年賀状を書く時期だからこの一年20冊しか読んでいないことになる。まあ、いろいろな事情があるが、古典も時代が下るにつれ、これまであまり触れていなかったものが多く登場するというのが主な原因かもしれない。総復習と題してはいるが、江戸時代に入ると初見の古典が多く登場するのも時間がかかる理由と言える。
さて、今回は『古浄瑠璃・説教集』だ。江戸時代の文学は実に多岐に亘っていて、これまで読んできた浮世草子や滑稽本・洒落本、それに大部な読本といった散文を始め、芭蕉を中心とする俳諧や狂歌まで多くの優れた作品がある。その中でも忘れてはならないのが、「浄瑠璃」と言うジャンルだ。これから触れるであろう近松は西鶴や芭蕉といった天才と肩を並べるどころか、むしろ抜きん出た存在だが、その近松は浄瑠璃の作者である。この近松の浄瑠璃は江戸時代の文学の象徴だと言っても過言では無い。時代の本質に最も近づいた文学者と言っていい存在である。ただ、浄瑠璃は人形を使った劇として演ぜられる為にかえって近代においては近づきがたいものとなってしまったように思う。当時はそんなことはなかったはずだが、この音曲と人形を用いた「語り」である浄瑠璃は近代の「読む」ことを中心にした文学読者にとっては異質なものと写ってしまうからだ。
それはさておき、ここではその近松の浄瑠璃に行く前に、先行する浄瑠璃とその祖ともいえる説経節について見ることにする。
浄瑠璃の始めはこの巻の冒頭にある「浄瑠璃御前物語」である。この物語は後の義経、牛若丸の恋物語である。その相手の名が「浄瑠璃姫」ということになっている。例によって悲恋物語であり、蘇生話である。元は三河国峰の薬師のご利益(ごりやく)を伝える語り物であったという。
先ずはこの点が重要だ。話が仏教の布教に絡んでいること、そして「語り」ものであったことだ。「語り」ものはむしろ文学の中心だった。我々は「読む」ということに文学を見るが、「読む」形が一般化したのは江戸後期に入ってからだ。簡単にいえば識字率がそれほど高くなく「読む」ことではなく、「聞く」ことによって文学を享受するのが一般的であったということだろう。「読む」ことのできる人口が少なく、出版もそれほど発達していない中、「語られる」物語はいわば誰でも享受することができるものだ。しかもそれが人形とはいえ、演ぜられればなおさら親しみやすいはずだ。しかも内容が悲劇の主人公の物語となれば庶民に受けいられたに違いない。
ここでわれわれが「読ん」でいるのはもちろん活字化された物だが、いずれも最初は語られていたものだ。説経節もまたそうした物の一つである。
以下ここに納められた作品を見ていこう。
「浄瑠璃御前物語」
前述
「ほり江巻双紙」
高貴な身分の出である武士が美しい姫を娶って幸せに見えた人生が、国司の横恋慕によって暗転し、非業の死を遂げる。残された忘形見が艱難を乗り越え、復讐を果たして栄えるというおきまりのお話。東国で熊野信仰や日光信仰を説いた人々の関与があったとされる。
「をぐり」
説教節の一つ。後にも歌舞伎でも取り上げられた有名な話。これも高貴な出である小栗判官が照手姫という美女を娶ったところから悲劇が始まる。姫の兄弟に惨殺されてしまう。しかし、地獄の閻魔大王に許され、辛うじて生き返り、熊野の壺湯につかり元の姿となる。そして復讐を遂げて、照手姫とも再会を果たす話。時宗の布教や熊野信仰とも深い関わりがある。
「かるかや」
これも説経節の一つ。高野山の念仏僧が広めたと思われる往生譚。苅萱道心と子息石童丸の物語。なに不自由ない生活をしていた加藤左衛門重氏という人物が突如周囲の反対を押し切って出家し、苅萱道心と名乗り、妻と息子が訪ねて来るのを恐れて女人禁制の高野山にこもる。やがて息子とは再会するが父であることは最後まで明かさず、北國に旅に出て往生する。息子の石童丸も出家し道念坊と名付けられ、やがて往生して、やっと善光寺に親子地蔵として祀られるというお話。
「さんせう太夫」
これも説経節。森鴎外の小説で有名になった話。安寿と厨子王の話。これも説経節のパターンでおなじみの離散と復讐の物語。これも仏教的背景があるらしい。忍性といった律宗僧の宗教活動だ。最後はやはり幸福になるのだが、途中の話の展開は実に悲惨だし、復讐のあり方も実に残酷な点が注目される。
「阿弥陀の胸割」
仏教種の古い語り物。阿弥陀の身代わり利生譚。「さんせう太夫」と同様な姉弟の物語で幾多の艱難辛苦を乗り越えてやがて幸福となるというこの時期の語り物のパターンだ。
「牛王の姫」
「浄瑠璃御前物語」と同様、鞍馬の牛若丸のお話。題名にあるように牛王の姫との恋物語となっている。牛王の姫は数々の拷問にも屈しない姿は「さんせう太夫」の安寿と同じ人物像。こうした話がいかに当時の庶民に受けたがわかる。これも人形劇として語られていた。
「公平甲論」
金平浄瑠璃の代表作とされる話。金平浄瑠璃は、軍記浄瑠璃と言われ、罠にはまって没落した武士たちの復活劇を描く。いわば後の歌舞伎の荒事につながるものだ。源頼義のもと、親四天王の子供たちが子四天王として活躍する武勇潭となっている。
「一心三河白道」
歌舞伎の主要演目として知られる清玄桜姫物のうち最古とされる作品。清玄桜姫物とは、様々な形で歌舞伎で取り上げられたいわば恋愛に執着する男の物語。有名な「娘道成寺」にもこの話の片鱗がある。
さて、最後に「をぐり」から本文を紹介しておく。この部分は加藤周一氏も取り上げた照手姫の人物像の鮮烈さを示す部分だ。ここには平安時代にはなかった芯の強い女性像が伺える。小栗判官と照手姫が再会する場面だ。この時小栗は完全復活し社会的立場も高いものとなっていた。一方照手姫はいまだ水汲み女という下層の女であった。照手姫の主人は再会にあたって、十二単をまとって出かけるように勧める。しかし照手姫は
次のように言って拒否し、前垂れ姿で小栗の前に現れる。
「愚かな長殿の御諚やな 流れの姫とあるにこそ 十二単もいらふづれ 下の水仕とあるからは あるそのままで参らん」と 襷がけの風情にて 前垂しながら銚子を持つて 御酌にこそは御立ちある
そして小栗が照手姫にその身分をただすと
「さて自らは 主命にて御酌にこそは参りたれ 初めて御所様と懺悔物語には参らぬよ 酌が厭なら待たうか」と 銚子を捨てて 御酌をこそはお退きある
と言って拒否するのだ。
ここに加藤氏は後の江戸時代の遊里の花魁の気性の原型を見ている。
さて、ここでやっとこの日本古典文学総復習も90冊を終えた。あと10冊は来年に持ち越しである。
2018.12.29
この項了