日本古典文学総復習続編32『三人吉三廓初買』

はじめに

また歌舞伎台本。今度は幕末期の河竹黙阿弥の有名作「三人吉三廓初買」。ただし最近上演の「三人吉三巴白浪」のフルバージョン。最も初期の形の台本。内容は以下に場面ごとに追っていくことにして、白浪物ということで、いわば「ダークヒーロー」が主人公の話だが、このフルバージョンは如何にも「世話物」らしい人情噺的要素も色濃くある。実はこの部分は最近では割愛されて上演されている。なぜかその理由はいろいろあるだろうが、以下見ていくように話が長いのだ。全八幕もあるからだろう。しかしここはしっかりこのフルバージョンで読んでいくことにする。

その内容

第一番目 序幕

荏柄天神社内の場

話の発端に関わりある人物の登場。

同 松金屋座敷の場

安森家で盗まれた庚申丸の短刀を売る人物と買う人物のやりとり。

笹目が谷柳原の場

夜鷹小屋でのやりとり。十三郎とおとせ中心。

同 新井橋の場

安森家の家来弥作、海老名軍蔵一味を討つ

失われた名刀とその代価百両を廻ることの発端

例によって時代は鎌倉時代になっているが、鎌倉殿から預かった伝家の宝刀「庚申丸」という名刀を盗まれてお家断絶になった安森家とそれを探し出して出世の種にしようとする海老名軍蔵との争いが縦軸となって話が展開する。横軸にはその名刀を川底から拾ったのを二束三文で買い、売って金儲けをした研ぎ師、その代価を軍蔵に貸して儲けを企む金貸、それを買ってさらに売って百両を預かった小道具屋木屋の手代、それに惚れた夜鷹おとせらが絡む。一旦名刀は軍蔵のものとなる(実際は研ぎ師の元にあり、研いだ上での納めることになっている)が、軍蔵は安森家の家来弥作に討たれ、十三郎は預かったはずの金百両を夜鷹小屋で落としてしまう。なおこの幕では三人吉三はまだ登場しない。

第一番目 二幕目

花水橋材木河岸の場

軍蔵が討たれて、貸した金を失った金貸と思わず名刀を手に入れた研ぎ師がであう。預かった金を失った十三郎が身投げしかけるが、夜鷹小屋の主人伝蔵に助けられる。金は娘が預かっているという。

稲瀬川庚申塚の場

娘おとせが金を持ったままお嬢吉三に出会い、奪われてしまう。おとせは川に落される。そこをお坊吉三に見咎められ、よこせとお嬢吉三と争いになる。が、もう一人和尚吉三が現れ仲裁し、結局は三人の吉三が義兄弟の契りを結ぶことになる。

ここで初めて三人吉三が登場となる。お嬢吉三は八百屋のお七、実は旅役者で男。お坊吉三は実は安森の子息、吉三郎。和尚吉三は吉祥院の所化、弁長で巾着切り。という悪者。この幕で有名なセリフが披露される。以下である。お嬢吉三の台詞。

月も朧に 白魚の、篝もかすむ春の空。冷たい風もほろ酔ひに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏の ただ一羽。ねぐらへ帰る川端で、竿の雫か濡れ手で泡。思いがけなく手に入る百両。
厄払  御厄払ひませう、厄落とし(繰り返し記号)
ほんに今夜は節分か。西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落とし。豆沢山に一文の、銭と違つた金包み。こいつぁ春から、縁起がいいわへ。

第一番目 三幕目

化粧坂丁字屋の場

丁字屋二階、吉野の部屋の場

お坊吉三、馴染みの遊女吉野の部屋にいる。そこへ巾着切りが三人分け前を取りに来る。喧嘩となるが、そこに木屋の文里が現れて仲裁。文里はお坊吉三の妹の遊女一重に通っている。

一重の部屋の場

文里は他の遊女や周りの人間にはすこぶる人望があるが、どういうわけか一重だけは嫌っている。?

九重の部屋の場

九重が一重を説得。文里に対して、謝るようにと。

再び、一重の部屋の場

一重指を切って文理に誓いを立てようとするが、文里は拒否。一重が今度は短刀で自害しよとする。その短刀から一重が安森の娘であることを知る。

葛西が谷夜鷹宿の場

川に落ちた「おとせ」を八百屋の久兵衛が助け夜鷹宿に連れてくる。そこには十三郎が助けられ匿われている。おとせと十三郎は再会を喜ぶ。ただ、久兵衛から話を聞いて、おとせと十三郎は実は双子の兄妹で夜鷹宿の主人伝吉の実の子だとわかる。また、ここで和尚吉三が伝吉の息子であることがわかり、その和尚吉三が例の百両を持ってくるが伝吉はどうしても受け取らない。たまたま訪れた、おとせに惚れる武兵衛の手に入ることになる。

ここの伝吉の回想の台詞は重要。以下に本文の画像で示す。これまでの因果がわかる。読んでいただきたい。

第一番目 大詰

地獄正月斎日の場

ここでどういう訳か、地獄が舞台。閻魔大王、紫式部、地蔵、朝比奈という本編とは無関係な人物が登場。地獄とはいえ斎日で宴会騒ぎ。後の場でこれは和尚吉三の夢とわかる。ここは当時の歌舞伎のあり方か。

小磯宿化地蔵の場

和尚吉三、研師の与九兵衛に出会う。親父が件の百両を受け取らなかったことを知る。最後に丁子屋の長兵衛と一重が登場する。小磯宿は大磯にあるが、ここは焼場の小塚原のこと。

ここで第一番目が終わる訳だが、なんとなく中途半端な気がする。あの地獄の宴会騒ぎは何のためにあるかわからない。

第二番目 序幕

化粧坂八丁堤の場

研師与九兵衛と貸し物屋の利助、文蔵の女房おしづから着物を無理矢理取り返そうとする。文蔵は今や廓通いが祟って貧乏に。しかも一重を孕ませていた。それを気遣うおしづが廓へ向かう途中だった。運よく紅屋の息子与吉に出会い、金をもらって難を免れる。一方伝吉は武兵衛に出会い、娘を百両で買ってくれと頼むが断られる。

同丁字屋二階の場

一重の部屋の場

一重としづの会話。心を通わせる。一重の子を育てたいと申し入れる。

回し部屋の場

一重が遅ればせながら顔を出す。武兵衛は持参の百両と引き換えに刺青を自分の名に変えろとせまる。しかし、一重はそれを断り金を突っ返す。

隣座敷の場

この話を聞いていたのはお坊吉三と花魁吉野、一重に同情し、武兵衛の金を奪うべく追いかける。

元の回し部屋の場

一重の心中。吉野に慰められる。

平塚高麗寺前の場

お坊吉三、武兵衛からあっさり百両を奪う。それを伝蔵が見ていて、お坊吉三から奪おうとする。しかし、お坊吉三に切られてしまう。またそこに十三郎とおとせが現れ、お坊吉三が落とした刀の目貫を拾う。

ここで話が展開する。文里と一重の話がお坊吉三と絡んで、元の庚申丸と百両の話へと繋がっていく。

第二番目 二幕目

丁字屋別荘の場

座敷の場

産後の肥立が悪く、一重は明日も知れぬ病。丁子屋の主人長兵衛は年季証文を一重に与え、自由の身にした上で、文里を招いて、最後の対面をさせる。

表の場

やってきたおしづ親子は一旦は追い返えされそうになるが、おしづは文里を一重の元にいかせようとする。しかし戻ってきた主人長兵衛の計らいでおしづたちも座敷に招かれる。

元の座敷の場

一時の小康状態を保った一重は、我が子梅吉を抱いて別れを告げ、おしづに書置きを渡す。梅吉に残したその書き置きには、養父母への報恩孝養を説き、長じて決して廓遊びなどせぬようにと書かれていた。その場の人々は胸を打たれる。

ここはまさに人情話。白浪ものとは思えないエピソードとなる。ここは観客を泣かせる場面か。それにしてもここに登場する人々はいい人ばかり。

第二番目 三幕目

御輿が嶽吉祥院の場

本堂の場

お坊吉三とお嬢吉三は和尚吉三の住む吉祥院に隠れている。おとせと十三郎が和尚を訪ね、伝吉の殺害と百両を奪われた経緯を語り、仇討ちの助力と金の調達を依頼。だが、和尚は義兄弟の契りを重視、逆に二人を身代わりにして、お坊、お嬢を救おうと決意。お坊お嬢は我が身の罪の償いに、自害しようとする。

本堂裏手、墓地の場

和尚はおとせ十三郎を手にかける。和尚二人が双子の兄妹であることを告げる。二人は納得して手にかけられる。

元の本堂の場

お坊とお嬢は書き置きを残して自害しようとする。そこに妹たちの首を持って和尚が現れ、二人に逃げるように諭す。二人の首の代わりに妹たちの首を差し出す算段だ。ここでお坊は百両を、お嬢は庚申丸を差し出す。お坊には庚申丸を実家に、百両を久兵衛の元へ戻すように諭す。そこに追手が来る。

ここで話が終局を迎える。庚申丸と百両が揃ったことでこれまでの経緯が全て明らかになり三人吉三が最後の博打に出ることとなる。

第二番目 大切

南郷火の見櫓の場

南郷二丁目火の見櫓の場

和尚の苦心にもかかわらず、武兵衛の訴えで、届けた首は偽首と知れ、三人の吉三は窮地の追い込まれる。三人に対する包囲網が敷かれる。

火の見櫓の上の場

太鼓が打たれれば包囲網が解かれるということを知ったお嬢がお坊の助けで櫓に登り太鼓を打つ。木戸が開かれ、和尚が駆けつける。

元の火の見櫓の場

和尚は妹夫婦の死を犬死に終わらせた武兵衛を斬り殺す。そこへ八百屋久兵衛が登場。お嬢から百両を、お坊からは庚申丸を受け取り、道を急ぐ。逃れられないと悟った三人の吉三は、三つ巴になって差し違える。これでおしまい。

ここは最後の部分を本文でご覧ください。クリックで大きくなります。

黙阿弥が描きたかったもの

 

こう読んでくると、この話がやはり「因果」の物語であることがよくわかる。実に多くの人物が登場するが、それらがいずれも「因果」の糸で結ばれている。血縁的な結びつきはもちろん、この物語で重要な要素、失われた名刀「庚申丸」とその代価の「百両」という金銭が、登場する人物たちを翻弄する。これらもここに登場する人物たちを結びつけてやまない「因果」なのだ。

この舞台は「白浪物」ということでいわば「ダークヒーロー」三人を主人公にした活劇的な内容だと思われるが、初期のフルバージョンではかなり「人情噺」要素が色濃いと思われた。というのは「因果」に絡め取られた人物たちの人生がどうにもならない悲哀に満ちているからだ。

私はこの話を読んできて、ここに登場する人物で重要なのは「三人吉三」よりむしろまずは「伝蔵」であると思われる。そして知らずに夫婦となる「伝蔵」の双子の兄妹である。そもそもことの発端は「伝蔵」が「庚申丸」を盗み、逃げる際に孕んだ犬を斬り殺したことにはじまる。しかもその「庚申丸」を失ったことがこの話を膨らませていく。一方、盗まれた方はお家断絶・切腹となるが、その一族もこのことによって辛い人生を歩むことになる。最後に三人差し違えて死ぬことになる「三人吉三」もまたこの「因果」によって絡め取られた人生を歩んだということなのかも知れない。

実に未来のない陰鬱な話ということになる。前回見てきた『四谷怪談』のような陰惨さはないが、「俺たちに明日はない」的な世界が描かれているような気がしてならない。

おわりに

この作品が上演されたのは安政七年正月だったという。安政といえば、幕末期の大変な時代だったはずだ。江戸で安政の大地震があり、海外から責め立てられた時代であり、安政の大獄、桜田門外ノ変とまさにその名と裏腹に江戸時代が終わりを告げる時代だった。そんな中庶民たちは歌舞伎に何を求めていたのだろうか?やはり「ダークヒーロー」だろうか。いや、やはり「因果」によって絡め取られた人生を生きるしかなかった悲哀に満ちた「人情噺」だった気がする。そんなふうにこの台本を読んだ。

この古典総復習続編も残すところあと二冊となった。今年はここまでか。

2024.12.03
この項 了

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