日本近代文学総復習明治文学編10『三遊亭圓朝集』を読む

はじめに

また随分と間が空いてしまった。前回の河竹黙阿弥を書いたのが前年の暮れの三日だったから、もうひと月以上だ。本当は年内に次を書きたかったけれど、そうはいかなかった。暮れから正月を経ているのだから仕方がないと言えばそれまでだ。このペースで行くと本当に生涯の締め切りが来てしまいそうだ。何とか歩を進めなくてはならない。

さて、そんな言い訳はこのくらいにして今回も個人選集、「三遊亭圓朝集」である。この人物、周知のように文学者でもなく、思想家でもない。まさに「落語家」である。「落語家」で文学全集に名を連ねるのはこの人物のみである。では落語家が小説を書いたのか、いやそうではない。まさに円朝は高座で落語を語っていた。それが筆記されて残っていたのだが、それがまさに当代きっての「小説」的な作品だったのである。しかも落語の筆記という点が小説史にもたらした影響が大きかったのである。

もちろん、当時は録音機器などなかった。ましてや音声認識ソフトなどありはしなかった。どうしたか?これは当時発明された「速記術」が齎した作品だったのだ。落語は高座で語られ、聞かれて終ってしまう。しかも芝居のように台本があるわけではない。落語は筋立てはあるものの、それは師匠から弟子に口述で伝えられ、それを演じる落語家によって内容も大きく異なったりする。そういうものなのだ。しかし「速記術」の発明と実践がこの落語を筆記し、活字化して読み物とすることを齎した。そして元々物語性の強い円朝の落語が選ばれたのだろう。

さて、その円朝の落語だが、まずその長さに驚く。これをどうやって高座で語り、聞かせたのか甚だ疑問である。しかしそれは「タイパ」などと言っている現代人の疑問ということになりそうだ。円朝は一つの話を何日もかけて語ったようだ。それを贔屓の客が何日もかけて聞きに来た。明治の時代になったとはいえ、未だゆっくりと時間が流れていたのだろう。今の落語の概念では想像できないものだったようだ。

そしてもう一つ、これはこれから見ていくことになるが、円朝の落語は何より創作性が高かったということだ。この後見ていく作品は皆円朝の創作落語である。この「創作落語」という語自体がいわゆる「古典落語」に対する語だからこれも現代的なのだが、円朝は今「古典落語」となっている落語を多く「創作」したのである。しかもこれから見ていくようにほとんどがいわゆる「人情噺」である。円朝といえば、「怪談」ということになるが、その実は「人情噺」なのである。落語は滑稽を旨とし、「笑い」がその最大の要素だと思われがちだが、円朝の話はそうではない。これはこの後個々の作品を見ていくことによってわかると思う。

収録作品

ここからはこの選集に収められた個々の作品を見ていくことにする。以下の作品だ。

「怪談牡丹燈籠」「鹽原多助一代記」「英國孝子之傳」「眞景累ヶ淵」「名人長二」

「怪談牡丹燈籠」

これは怪談として有名な作品。例の「カラン、コロン」という下駄音ともに牡丹の模様の入った灯籠を持って現れる美女の幽霊だ。しかしこの話、怪談部分は意外に少なく、後半は「仇討ち」の話となっている。

人物関係が実に錯綜していてわかりにくいのだが、怪談部分は旗本の飯島平左衛門という人物の娘、「お露」と浪人の「萩原新三郎」という「いい男」の話。お露が新三郎に恋焦がれながらなかなか結ばれず、亡くなってしまうが、その想いから亡霊となっても、侍女の「お米」とともに新三郎の下へ通い続ける。しかしその「お露」と「お米」が実は亡霊だと新三郎は知り、亡霊避けの札を貼ってその来訪を拒絶するが、下男の「伴蔵」という男が金に目が眩んで、そのお札を剥がしてしまう。するとその亡霊は新三郎との逢瀬を繰り返すが、そのことによって新三郎は衰弱死してしまう。これが前半部の怪談部分だ。

後半の中心人物は「考助」という人物。この人物、旗本の飯島平左衛門(「お露」の父親)の家来となった人物だが、実はその主人が若い頃切ってしまった男の忘れ形見だった。その彼の仇討ち話なのだが、実の父親の仇討ちではないところが「ミソ」。飯島平左衛門は自分が実は「考助」の仇の対象だと知っていてわざと「考助」の槍で刺される。しかし「考助」は飯島平左衛門に一方ならぬ「恩義」を感じていて、飯島平左衛門を騙して金を奪おうとしていた妾の「お国」と家来の「源次郎」という人物の悪巧みを知っていて、この二人が「仇討ち」の対象となっていた。そして最終的には二人を宇都宮の十郎が峰というところで討ってこの話が終わりとなる。ただ、ここに至るまで前半で登場した「伴蔵」やその連れ合い、また新三郎をお露に紹介した医者の「山本志丈」といった人物も登場し、それらの人物が何らかの関係を持っていて話を複雑にしている。ここを書くとキリがないのでやめておくが、これが円朝が演じた実に長い「怪談牡丹燈籠」の全容である。

「圓朝叢談鹽原多助一代記」

鹽原多助という名を聞いて、どこかで聞いた名だなと思った人も多いかもしれない。また「青との別れ」と聞いてこれも何となく聞いたことがあるという人もいるかもしれない。実はこの話、歌舞伎になったり、戦前の修身の教科書に載ったりして、かつてはかなり有名な話だったのだ。

これまでの怪談と違って、無一物の塩原多助が艱難辛苦、刻苦勉励の末、本所に名を残す炭屋となるという話が一種の立身出世の物語として当時の世相に受けたようだ。

しかし、この話、そんな単純な話ではないように思う。そこに登場する人物関係や事件の様相はかなり錯綜している。またその舞台も現在の栃木群馬にわたる北関東に広がり、作者円朝の並ならぬ現地調査の跡が見られる。また、初めはこの作品も怪談として構想された形跡があり、続編では立身出世の「めでたしめでたし」では終わらせたくない円朝の姿勢も窺える作品となっている。前の作品同様、この話にも殺人・強奪・誘拐といった事件が多く語られ、決して明るい話に終始はしていないのも、円朝の話の、というより当時の世相の繁栄なのかもしれない。

「英國孝子之傳」

題名に騙されてはいけない。「英国」とあるが、まるっきり舞台は明治初期の日本。「孝子」とあるが決していい人物とはいえない。これは翻案ものという。元本は不明という。話は金を巡る殺人事件。没落士族が維新後宿屋を経営して失敗。町人を殺して金を奪い、さらには死体を隠す過程でその処理を任せた人物が車夫まで殺してしまう。しかしその金が元手でこの没落士族は後の商売は成功する。ただ、ここからは例によって仇討ちの話に。金を奪われた町人の子息が最終的に金を取り返し、その没落士族は割腹するというお話。これも因果応報、江戸時代的な話であった。

「眞景累ヶ淵」

これも怪談ということになっているが、どちらかというと陰惨な因果応報話という内容だ。実に多くの殺人が描かれている。最後は仇討ち達成の物語となってはいるが、実に多くの関わりある人物が殺し合うといった話になっていて、ちょっと陰惨さに辟易してしまう。以下その殺人を中心に見ていくことにする。

  • 借金の取り立てに激昂した「新左衛門」、金貸しの「宗悦」を斬り殺す。これが発端。
  • 「新左衛門」が呼んだ流しの按摩が「宗悦」の姿に変わり、思わず斬りつけると「宗悦」ではなく妻で、それを斬り殺してしまう。
  • 「新左衛門」隣家の騒動で突き殺され、家は改易となる。
  • 「新五郎」(「新左衛門」の子息)、「お園」(「宗悦」の娘)を犯そうと押し倒すと、背中の下に押切があり、その刃でざくざくと切り殺してしまう。
  • 「豊志賀」(「宗悦」のもう一人の娘)、「新吉」(「新左衛門」のもう一人の子息)と深い仲になっているが、関係がこじれて(弟子の「お久」に嫉妬し、顔に障害が生じたため)結局自害。「新吉」の妻を7人まで取り殺すという遺書を残す。
  • 実家に向かう途中怪我をした「お久」を介抱しながらその顔を見ると「豊志賀」の顔。「新吉」思わず鎌で「お久」を惨殺。
  • 金に困った「新吉」、新たに関係を持った「お累」を蚊帳を生爪ごと引きはがし、赤子(「新左衛門」の生写し)には煮え湯をかけて殺す。「お累」は鎌で自害。
  • 新たに関係を持った「お賤」(実は異母妹)の頼みで「新吉」は名主の「惣右衛門」を扼殺。
  • 「甚蔵」(「新左衛門」の門番、訳知り男)を崖から突き落とす。が、手負いの「甚蔵」が襲いかかる。これを「お賤」が鉄砲で射殺する。
  • 「惣吉」(後半の主要人物。「惣右衛門」の子息)が薬を買いに行く隙に母が扼殺される。
  • 「新吉」は待ち伏せて三蔵を殺し、金を奪う。
  • 「新吉」「お賤」を鎌で殺害。自分は自害。「お熊」(「お賤」の母)も鎌で自害。
  • ついに「惣吉」は兄の敵の「安田一角」を討つ。

果たしてこれでこの話の内容はお分かりでしょうか。実に複雑な人間関係、と言っても何らかの係累がある関係、それが殺し合うという実に陰惨な話でした。円朝はよくこんな話を語ったものだと感心する。

「名人長二」

真面目な指物職人の「長二」という人物が、ふとしたことから自分の出生の秘密を知り、生みの親だと思われた夫婦を、これまた偶然から殺害してしまう。それを本人は自首するのだが、当時の権力者がそれを許し、無罪放免にするという至って「おかしな」話だ。

この話、モーパッサンの「親殺し」とういう小説の翻案だというが、元の話がどんな内容か分からないので何ともいえないが、事実として実の母親を殺害していて無罪放免というのはどうも納得がいかない気がする。しかも当時の奉行所が何とか無罪にするために林大学頭まで動員しているのがおかしい。それほどこの名人長二を大事にしたということらしい。

大筋はそういうことになるが、この話、例によって様々な要素があり、結構長い。古今亭志ん生が五回にわたって演じているらしいが(実は録音があるようだ)、話の最初にある「仏壇叩き」は有名で、今でも演じられているようだ。また、湯河原温泉が舞台の一つになっていて、これまた円朝の取材が生きている。

さらには裁判で無罪放免になるというところに一種のトリックがあり、これも円朝の発想力と知識の深さの証左かもしれない。

それにしても、どうして無罪になったかというと、この殺人は実は親の「仇討ち」だったからだ。まずは殺害した父親は実の父親ではなく、実の父親を殺した人物であり、母親は実の母親なのだが、離縁が成立しているから、もはや親ではないということらしい。

この辺は現在の常識からは「おかしな」話となるのだが、当時では成り立った話のようだ。それにしてもやはり「殺人」と「仇討ち」がテーマの話が多い気がする。

さて、最後に一つ、この話はこれまでの口述筆記ではなく、円朝自らが「書いた」ものだということを付け加えておく。こうなると小説家ということになりそうだ。

おわりに

こうして円朝の話を「読んで」いくと、内容はやはり江戸時代的というか、幕末的な要素が多分にある話である印象が拭い得ない。そこに近代的な要素は見当たらない気がする。ではなぜ円朝がこの時期の文学史に名を残したのか。それはやはりその文体にあったといえそうだ。これは「落語」の口述筆記というところに負うところが大きいのだが、いわゆる「言文一致」体の一つの実現だったためだと言える。落語は登場人物の「会話」が中心となる。そこも近代的な小説の一つの形を示したとも言えるようだ。

小生は実はこの間、ドフトエフスキーの『罪と罰』を米川正男氏の翻訳で読了したところなのだが、この『罪と罰』が実は明治の初年に書かれた事実を知って愕然とした。この円朝の作品と同時代なのだ。そしてこの差はいったい何なんだろうと考えた。ロシヤもけっして近代的な国ではなかったはずだ。しかしこの時代、ドフトエフスキーの『罪と罰』を産んでいる。日本はまだ円朝に止まっていた。今後この差はどう埋まっていくのか、この仕事(明治文学全集の通読)を通じて見ていくしかない。今回はここまで。

2026.01.27

この項 了

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