『日本古典文学総復習』52『庭訓往来』『句双紙』

『庭訓往来』を読む

『庭訓往来』という書名は以前から知ってはいた。しかし、その中身は全く知らなかった。多分辞書のようなものだぐらいの知識しかなかった。今回初めてその書を紐解いてみた。果たしこの書はなんと名付けたらいいのだろう。文学作品とは到底言えそうにない。まずはその一部を紹介する。画像も載せておく。

面拝の後、中絶良久く、遺恨山の如し、何れの時か
 意霧を散ぜん哉、併ら胡越を隔つるに似たり、猶以て千悔々々、
 抑、醍醐雲林院の花、濃香芬々して匂已に
 盛ん也、嵯峨吉野の山桜、開落条を交ふ、黙
 止難きは此の節也、争でか徒然として、光陰を送らん哉、花の
 下の好士、諸家の狂仁雲の如く霞に似たり、遠所の
 花は、乗物僮僕、合期し難し、先づ近隣の名
 花、歩行の儀を以て思ひ立つ事に候、左道の様為りと
 雖も、異体の形を以て明後日御同心候はば、本望
 也、連歌の宗匠、和歌の達者、一両輩
 御誘引有る可し、其の次を以て、詩聯句の詠同じく所望に候、
 破籠小竹筒等は、是自随身す可し、硯懐紙
 等は、懐中せらる可き歟、如何、心底の趣紙上に
 尽し難し、併ら参会の次を期す、不具恐々謹言
 二月廿三日   弾正忠三善
 (謹上) 大監物殿

 是自申さしめんと欲し候の処に、遮つて恩問に預り候、
 御同心の至り、多生の嘉会也、抑花の底の
 会の事、花鳥風月は好士の学ぶ所、詩歌管弦は、嘉齢延年の方也、御勧進の
 体、本懐に相叶ひ候者を哉、後園庭前の花、
 深山叢樹の桜、誠に以て、開敷の最中也、若し今
 明の際に、暴風霖雨有らば、無念の事也、同じく
 は、片事も急ぎ度存ぜしめ候所也、倭歌は、
 人丸赤人の古風を仰ぐと雖も、未だ長歌、短歌、旋
 頭、混本、折句、沓冠の風情究ず、(連歌は、無情寂忍の旧徹を学ぶと
 雖も、未だ)輪廻、傍題、打越、落題の体を(弁ず)、詩聯句は、菅家
 江家の旧流を汲乍ら、更に序、表、賦、題、傍絶、韻
 声の質を忘る、頗る猿猴の人に似たるが如く、蛍火の
 燈を猜むに同じ、然ども、人数の一分に召加へられば、殆ど後日
 の恥辱を招く可し、執筆、発句、賦物以下、才学未練の間、当座に定めて赤面に及ぶべき歟、聊用意
 有る可き由の事、承り候ひ訖ぬ、形の如く稽古を致す可し、
 公私の怱忙として、毛挙に遑あらず、恐々謹言 
   二月廿三日     監物丞源 
 謹上 弾正忠殿(御返事)

(以上の本文は大系本の表記を筆者が電子化したものだが、改行がおかしいのはこの大系本が写本の通りに改行しているためだ。写本の一部を画像で示しておく。)

こうした往復書簡が一年間続く形で記されている。「往来」とは往復ということで、ここでは往復書簡のことを言う。「庭訓」とは字のごとく庭の教えという意味でおもに幼児教育を言う言葉だ。従ってこの書は初学者のために書かれた往復書簡の形をとった教科書ということになる。その内容は月々によって異なり、そこに常識的な知識が並べられていると言うわけだ。また、お家流と言われる書の見本としての役割もあったようだ。そしてこの書が後々も活用されることになる。もっと辞書的にこの書に現れる語や事柄を図入りで示す本が江戸時代になって現れる。これがこの『庭訓往来』という書名を有名にしたのだと思われる。
ところで、この書を紐解いてみて日本の中世において教育がやや一般化した跡が見られることに注目した。もちろん近代的な学校と言えるものはいまだ存在しないが、一部の貴族のみに限られていた教育が武士へまた寺院をつうじて庶民へと広がる契機をこの書等に感じることができる。江戸時代になればそれが一挙に広がっていくのもうなずける気がする。

『句双紙』について

この書は全くの語彙集だ。しかも説明も何もない。ただ、一字・二字・三字・四言・五言・六言・七言・八言・五言対・六言対・七言長句という分類で語をただ並べたものである。これは禅宗の僧侶が知っているべき語を収集したもので教科書なのである。

付録に「実語教童子教諺解」という書もある。

この項了

2017.07.27

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です