『日本古典文学総復習』98『東路記・己巳紀行・西遊記』

 こんどは紀行文だ。この紀行文学は日本文学において重要な位置を占めている。しかし、江戸時代の紀行文はあまり読まれていないような気がする。もちろん芭蕉の「奥の細道」も紀行文学とすれば別だが、あまり文学史に登場しない。ただ、江戸時代は交通の発達した時代だ。参覲交代という制度によるところが大きいが、全国に街道が整備され、旅籠も増え、お伊勢参りなど庶民にとっても旅行ができる時代になったはずだ。そうなればガイドブックは必要だし、たとえ実際に旅に出ないとしても、各地の知識に対する欲求は大きくなったはずだ。
 そんな中で、たとえ文学史に取り上げられなくても優れた紀行文は存在した。ここは三作のみだが、江戸の紀行文を代表する作品だ。各作品を見ていこう。

『東路記』

「あづまじのき」と読む。貝原益軒の作。ここでは以下の紀行が収められている。

「東海道」

「美濃路」

「播州高砂より室までの道里を記す」

「江戸より美濃迄東山道の記」

「江戸より日光への行道の記」

「日光より上州倉加野迄の路を記す」

「美濃関が原より越前の敦賀への行道」

「越前敦賀より京への道」

「安芸国厳嶋記事」

 いずれもその行程を詳細に書いたガイドブックである。この辺りは科学者的な資質をもった貝原益軒ならではの気がする。どこからどこまで何里あるかなど距離を記したものが多い。また、風景や街の様子の描写も客観的である。そういう意味では面白さに欠けるが、ガイドブックとしては優れている。

『己巳紀行』

これも益軒の作。音読みで「きしきこう」と読む。ここには関西方面の紀行が収められている。以下だ。

「丹波丹後若狭紀行」

 これは京から現代の福知山線沿いに宮津・天橋立に至り、舞鶴・小浜と行って永坂峠を経て琵琶湖畔の今津にいたり、竹生島を見て、大原から京に戻るという旅の記録である。「末に近江の事を記す」とあるように竹生島に渡っている。記述は客観的な部分が多いが、竹生島では
「社前より遠く望めば、湖水渺茫として人(クワン)遠く隔たり、境地潔浄にして俗塵をはなれ、恰浮世の外に出たる心地して、仙境に入りたるように覚え侍る」などと語ってその感動の様を文学的に表現している。

「南遊記事」

 「河内、和泉、紀伊、大和等の処々を記す」とあるように関西の旅。京から四条畷、岸和田を通り、和歌浦を見て、高野山、吉野を経て交野を通って京に戻る旅の記録である。

「嶋上紀行」

 「摂州嶋上郡、金竜寺、小曽部、伊勢寺等の事を記す」とあり、現在の高槻市辺りの小さな旅の記録である。

『西遊記』

 これは橘南谿という人物の作。京都の医者。門人の文蔵という人物を伴って京都から山陽道を下り、小倉から九州に入って九州を巡歴してさらに四国に渡り、船を使って明石・大阪に戻り京都に帰るという大変な旅の記録。
 そしてこの紀行文はこれまでの益軒の紀行文と違って、旅程を詳しく記述するというよりは、この長い旅で出会った様々な人物や事象を描いているところが特長だ。項目を見ると、例えば「檜垣女」「豆腐の怪」「牛の生皮」といった珍しいものを記している。旅が長いだけあって大部なものだ。注目するのは巻四の「琉球人」についての記述。その歴史についても正確に語っている。そのあとにある現在の宮崎県日向の「山女」と言う章も面白く、こうした地方に伝わる伝承や生活の記録は貴重である。

2019.05.07

この項了

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