成島柳北「柳橋新誌」初編を読む

東京遊び場ガイドです

永井荷風は「柳橋新誌につきて」の冒頭で以下のように書いている。

明治時代の書生にして成嶋柳北の柳橋新誌を知らぬものは殆無かつたであろう。柳橋新誌は其の名の示すが如く柳橋烟花の地の繁栄を記述したものである。

今や国文学徒と雖もほとんど顧みない書となってしまっているようだけど、明治初期にはよく読まれたのには理由がある。この書、文学書というより、今で言う「街ガイド」なのだ。初編が書かれたのは幕末期だけど、明治初期の書生にとっては当時東京の最大の繁華街であったらしい柳橋を知る東京遊び場ガイドといった趣で迎えられたのではないかと想像する。

遊び場と言ったが、もちろん柳橋は花街である。花街と言うと吉原を思い浮かべるだろうが、この柳橋は吉原とは異なる。この辺はもう今ではわからなくなっているが、吉原は公認の悪所であり性を売る場所だ。他に非公認の岡場所と言われるこうした場所がいくつかあったが、これとも趣を異にしていたようだ。しかも、幕末期新興の遊び場だった。飲食店も多くあって盛んだったようだが、なんといってもこの街の肝は芸者であった。

柳北は言っている。

而してこの地の繁華、往日に超えたる者は、即ち此にあらずして彼に在り。彼とは何ぞ。曰く、歌妓なり。江都、歌妓の多くして佳なる者、斯の地を以て冠と為す。(中略)蓋し柳橋の妓、其の粧飾淡にして趣きあり。其の意気爽にして媚びず。、、、、

いかにも江戸っ子が好みそうな芸者が多くいた場所だったようだ。しかもこの地は水運の要所で船遊びにはもってこいの立地だった。もちろん金持ちの遊びだけど、芸者を連れてする船遊びは特に柳北が好んだ遊びである。この辺の事情もこの書で詳しく書かれている。
また、どれぐらいのお金がかかるか、どんな店があるか、美味いものはどこの店にあるか、どんな芸者がいるかなどなど、実名を挙げて記述している。

街ガイドに止まらない

これについてはまた後で。

 

1件のコメント

  1. (@_@) 成島柳北1
    ……発見ですネ。私のようなステレオタイプの人間は、すぐに研究者 = 研究書と判断してしまいがちです。
    (ノ_<) 江戸時代の街巡りガイドブックとは…。読破されましたネ。
    (//_//) しかも、ガイドのし始めが芸者遊びの船遊びとは粋でござんすねぇ。それとも男性のサガってぇもんでしょうかねぇ。←(//_//) 最後の一文は完全なる知ったかぶりです。

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