『日本古典文学総復習』95『上方歌舞伎集』96『江戸歌舞伎集』

 今度は歌舞伎である。先に見たように嘗ては浄瑠璃の方が歌舞伎より人気があった。しかし、時代が下るにつれ歌舞伎が隆盛となる。これは文化の中心が上方から江戸へと移っていったことと即応しているようだ。
 まずは歌舞伎の展開をざっとおさらいしてみることにする。
 最初に歌舞伎として始まったのは出雲の阿国という女性が始めた女歌舞伎だ。これは踊りが中心であったようだが、この歌舞伎踊りの中で阿国が男装して茶屋のおかかに戯れる寸劇を見せたのがその始まりだという。(茶屋が舞台ということでこの「傾城買い」が一定の様式を備え、いわゆる「島原狂言」という形が生まれたという。)
 やがて女歌舞伎は幕府の統制から元服前の美少年を担い手とする若衆歌舞伎へ、そして現在の野郎歌舞伎へと展開していった。
 この間、踊り中心だった歌舞伎が浄瑠璃との相互影響を経ながら、劇的要素を濃くして、ゆわゆる演劇としての形を整えていった。
 はじめ上方で坂田藤十郎という役者が現れ、さきにふれた「島原狂言」を中心に「和事」がうまれ流行した。こうして歌舞伎は上方で隆盛を誇ったようだ。しかし、政治の中心である江戸もようやく文化的にも中心の座を持つようになると、歌舞伎も江戸で盛んに行われるようになり、上方を上回る隆盛を見るようになる。ただ、男性社会の江戸では「和事」より「荒事」が好まれようになり、独特の様式も生まれ舞台芸術としての格式をもつようになったようだ。
 
 さて、この歌舞伎を文学として見るとはどのようなことだろうか。浄瑠璃は人形芝居だけに「語り」に、より重要性があり、その「語り」の詞章が文学として読めるということはある。近松門左衛門をみれば然りである。しかし、歌舞伎は人間が演じるだけにその要素は薄い。また、現代の戯曲のような作者がはっきりしているものも少なく、台本も演じる役者によっていくらでも変化したようだから現代の文学観から文学として見ることは難しいと言わざるを得ない。まさに舞台と役者が中心であったから、観劇してこそのものだと言える。そこで文字で読む我々はその筋立てと台詞のそれぞれと人物像などに文学を見るしかないように思う。
 この大系では以下の作品が収められているが、「絵入り狂言本」と言う物で残っているものと「台帳」と呼ばれた台本である。台本はあまり残っていないようでそれも時々で変化する物であったようだからある意味貴重なものだ。
 以下作品を見て行く。

『上方歌舞伎集』

「けいせい浅間嶽」(絵入狂言本)

  例によってお家騒動のお話。ゆわゆる世継ぎ争いが話の中心だ。しかし、この作はいわゆる反魂香の伝説を巧みに取り入れたところに後の世にも残った作品になったと言われている。反魂香の伝説は古く中国に発祥した、焚くとその煙の中に亡き人の姿が現れるという香の伝説。後に日本文学で多く引かれた伝説のようで、この作品では、主人公と愛人との起請、すなわち愛の誓いの証文を主人公が焼くと、その愛人が煙の中から現れ、恨み言を言って消える、という形で取り入れられている。この煙の中から愛人の姿が現れ、口説を述べる場面が後にいわゆる「浅間物」の特徴となったという。

「おしゆん伝兵衛十七年忌」(絵入狂言本)

 これは心中物。「おしゆん」は祇園の遊女の名。このおしゆんに惚れた伝兵衛という男が横恋慕する男を殺してしまい、心中を企てる話。実際にあった事件だという。ただ、心中直前におしゆんの兄と母親に助けられ逃げ延びる。伝兵衛を思う遊女おしゆんの真情やおしゆんの兄で猿回し与次郎の親切が話の中心だ。この兄を描いた「堀川猿回し」の段は今でもしばしば上演されるという。なお、この狂言本は極めて短いものだ。

「伊賀越乗掛合羽」(台帳)

 これは前の巻で取り上げられていた「伊賀越道中双六」の元の話。仇討ちの話である(内容は前回で触れた)。この作品は浄瑠璃と歌舞伎の相互影響を見るに適した作品で、何回も相互に改作されて上演されたようだ。
 ここはその歌舞伎台帳すなわち台本である。この巻の大部分を占める分量である。普通台帳には目録は付かないらしいが、まず目録があり、大序から大切まで全十五段が示されている(ただし九段目までは〜目となっている)。そして各段には配役と役者名が記され、舞台設定が記され、台詞が役名(役者名)ごとに記されている。もちろん途中にト書きもある。

『江戸歌舞伎集』

「参会名護屋」(絵入狂言本)

 歌舞伎十八番と言うのがある。その一つ「暫」は今でも人気の演目だが、元はこの「参会名護屋」の一場面として初代市川團十郎が初演したものだという。歌舞伎の作品は様々な先行作品の改作というのが多いが、この作品も古浄瑠璃の「なごやさんざ六条がよひ」「名古屋山三郎」、歌舞伎の「遊女論」等の改作である。
 この主人公名古屋山三は実在の武士というが、歌舞伎踊りの創始者の出雲阿国と恋愛伝説があり、伊達男として知られた存在だったようだ。これに敵役を加えた三角関係の話や例によってお家騒動を背景にしたりして物語が作られている。
 ここも絵入り狂言本ということでいわば筋書きのみの短いものだ。元禄期の台帳は残っていないらしい。

「傾城阿佐間曾我」(絵入狂言本)

 江戸では先に触れた市川團十郎が人気だったが、一時上方で活躍した中村七三郎という役者が江戸に戻って良きライバルとなっていたようだ。芸風の違いがあったようだが、彼も江戸を代表する立役者であった。その中村七三郎が、先に触れた「浅間嶽」(「けいせい浅間嶽」)の趣向を「曽我物語」の中に取り入れたのがこの作品だ。この「曽我物語」はこれまでも多くの浄瑠璃や歌舞伎に取り上げられてきた仇討ちの話であるが、そこに濡場を設定するなど「荒事」とは違う要素が色濃くある作品となっている。後の二代目市川團十郎による「助六」の基礎となったという。公演された前年には赤穂浪士の討ち入りがあり、その影響も考えられている。

「御摂勧進帳」(台帳)

 これは有名な作品。「義経記」に基づいていることはいうまでもないが、能の「安宅」と言う作品にも色濃く影響されている。現在でも人気で義経・弁慶・冨樫の三役は立役者が演じることとなっている。
 ここはその台帳だ。この巻の大部分を占めている。一部を紹介しておく。「勧進帳の読み上げ」の場面である。台帳では台詞が役名ではなく、役者名で記されている点にも注目される。
海老蔵=弁慶、團十郎=冨樫だ。因みに義経は松本幸四郎。「第一番目五建目」「安宅の関の段」である。

海老蔵 確かな証拠は勧進帳、人を勧むるこの一巻、身の上の証拠に聞めされい。
団十郎 何、人を勧むる勧進帳とや。
海老蔵 いかにも。
団十郎 然らば早ふ。
海老蔵 心得申て候。
    ト是より又、鼓の相方になり、海老蔵心づいて浄るりの幕の巻物を出して読みにかかる。両方より、取た、とかかる。投ちらす。どつこいと止まる。
海老蔵 夫、つらつら惟みれば、大恩教主の秋の月は、涅槃の上、雲に隠れ、生死長夜の、長き夢、驚かすべき、人の上。
    ト両方より、勧進帳をとりにかかる。是を左右に投て、どつこいと止まる。
 主膳太夫浄るり(歌マーク)ここに中頃帝おわします。御名をば聖武皇帝と名づけ奉り、最愛の夫人に別れ、恋慕やみ難く、涕泣、眼にあつく、涙、玉を貫く。思ひを
海老蔵 善路に翻して、盧遮那仏を建立す。かほどの霊場の絶へなん事を悲しみて。
八蔵
仲五郎 それを。
    トまた掛かる
海老蔵 何をひろぐ。
    ト両人の腕を捩じあげる
浄るり(歌マーク)数千蓮花の上に座せん。帰命稽首、敬つて申と、天も響けと読みあげたり
    ト此浄瑠璃のうち、海老蔵、下へ置きし勧進帳を取て戴く。浄るり切れる
団十郎 その一巻の勧進帳を聞からは、詮議におよばぬ。きりきり爰を通りめされい。
海老蔵 スリヤ、此所を。
団十郎 通りめされい。

というわけだ。しかし歌舞伎はやはり「読む」ものではなく、「観る」ものですね。

2019.03.12

この項了

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