『日本古典文学総復習』94『近松半二 江戸作者 浄瑠璃集』

 今回もまた浄瑠璃。ただ時代が下った時の浄瑠璃作品だ。これまで浄瑠璃は歌舞伎に比べて大いに流行していた。しかし江戸時代も18世紀の中頃になると浄瑠璃は衰退の兆しを見せ始め、主役の座を歌舞伎に譲るようになる。これは浄瑠璃が人形の技巧の高度化を遂げて行ったために、かえって物語の充実がおろそかにされていったこと。また文化の中心が上方から江戸へと移っていったこととも関係があるようだ。浄瑠璃は上方、大阪に本拠があったからかもしれない。そうなると浄瑠璃の歌舞伎化という形が、逆に歌舞伎台本の浄瑠璃化といった傾向も産むようになったようだ。
 そのような浄瑠璃斜陽化のなか、優れた作家として近松半二と言う人物が文学史に名をとどめている。近松半二は近松門左衛門とは血縁的なつながりはない。ただ、父が儒者の穂積以貫と言う人物で近松門左衛門と関係が深く、何より近松門左衛門に私淑していて、そう名乗ったようだ。多分浄瑠璃斜陽化の意識があって、門左衛門時代の復興を夢見ていたのかもしれない。その近松半二には今でも上演される「本朝廿四孝」「妹背山婦女庭訓」などの優れた作品があるが、ここでは絶筆となった「伊賀越道中双六」が収められている。(なお、巻末には翻刻のみの「仮名写安土問答」もある)
 以下他の作者のものも合わせて見て行くことにする。

「伊賀越道中双六」

 天明3年4月大坂竹本座にて初演。近松半二と近松加作の合作。近松半二の絶筆と言われている。歌舞伎から浄瑠璃化した「伊賀越乗掛合羽」と言う作品に依拠しているという。例によって仇討ちの話だ。上杉家の家老、和田行家と言う人物の子息が姉の婿唐木政右衛門という人物の助太刀を得て、父の敵沢井股五郎と言う人物を打つ話。
 ただ、これには実際の仇討ち事件が背景にあるという。世に言う「伊賀越敵討」だ。この仇討ち事件は喧嘩が元の事件だったようだが、やがて旗本と大名の対立まで発展して当時の話題となったようだ。また、この仇討ちの助っ人の荒木又右衛門の剣客ぶりも話題となり、多くの書物を生んでいる。
 こうした実際の事件を脚色するのはいわば浄瑠璃の常套手段だが、近松半二は、この事件を「道中双六」という構想で、場所(東海道筋)を移動しながら様々な登場人物たちが展開するドラマに仕立て上げた。「沼津の段」「岡崎の段」は今でも、その緊迫したドラマ仕立てが好まれているという。
 主人公も仇討ちする本人ではなく、助太刀する剣客唐木政右衛門として、その人物の活躍を描き、また、大名と旗本との確執も描いている。

「絵本太功記」

 普通「たいこうき」といえば「太閤記」である。もちろんこれは豊臣秀吉の一代記だ。しかしこの「絵本太功記」は信長を本能寺で謀反に及んだ明智光秀を主人公とする話である。その光秀が本能寺の変で織田信長を討ってから、天王山の合戦で秀吉に敗れて滅ぼされるまでの、いわゆる光秀の「三日天下」を題材にしている。近松半二はこの作に先行する『三日太平記』と『仮名写安土問答』(この書は翻刻のみで付録に収められている)でこの話を書いているが、この作は近松半二の作ではない。しかしこれらを基本にしていることは間違いないだろう。また、当時出版が始まった秀吉を描いた『絵本太閤記』が大評判となっていたことも影響しているはずだ。
 この作の特徴は、当時から大阪の人々に絶大な人気のあった秀吉ではなく、その敵役の光秀に着目した点にあるが、その構成にも注目すべき点がある。実録風に一日一段の構成になっている点だ。光秀が謀反を決意した天正10年6月1日から、秀吉との戦いに敗れ小栗栖の竹薮で落ち武者狩りの土民の手によって落命する同13日までを描き、それに「発端」の一段を加えた14段構成はこれまでの浄瑠璃になかったものだ。
 中でも十段目の「尼ヶ崎の段」は、誤って光秀が自らの手で母親を刺し殺してしまい、そこに戦場で深手を負った息子が戻ってきて、味方の敗北を伝え息絶えるという、悲壮感が追い打ちをかけるような名場面で、歌舞伎でももっぱらこの段が上演されたという。
 それにしても、成功者も好きだが、敗れ去った者への同情も好む庶民に後々も好まれることとなる話である。

「伊達競阿国戯場」

 これはもともと歌舞伎の台本だったものを浄瑠璃化した作品だ。歌舞伎では通称「先代萩」「身売りの累」で親しまれている。題名からわかるように仙台藩伊達家のお家騒動と下総に伝わる累の伝説を絡めて作られた作品。1778年(安永7)閏7月江戸中村座で初演されている。
 この伊達騒動は江戸時代前期に藩主の伊達綱宗が乱行を理由に幕府から隠居を命じられたことに端を発し、藩内の進歩派と保守派の対立や所領争いに発展した事件だ。
 累伝説は下総の羽生村にいたという醜女の話。その醜女、容貌が醜いだけでなく性根も悪かったために、結婚するが夫に殺されてしまう。それが怨霊となり祟りをもたらすという話。
 この二つの話が様々な形で取り上げられ作品として残っているが、中でも歌舞伎の「伽羅先代萩」は有名。浄瑠璃では第二から第五まで歌舞伎によっているが、そのあとは創作だと言われる。ただ、歌舞伎でも浄瑠璃でもすべて通して演ぜられることは少なく、それぞれの段がいわば独立して上演されている。この辺りも浄瑠璃や歌舞伎の特徴でもある。

 こう見てくると浄瑠璃はやがて歌舞伎にその中心的な座を譲って行くことになる。ただ、読む文学としては未だその価値は存在すると思う。なぜなら歌舞伎はあくまで見るものだからだ。それに比して浄瑠璃は人形を使っているとはいえ、その詞章すなわち「語り」に重きがあるからだ。
 次は歌舞伎台本を見て行くことになる。

2019.02.26
この項了

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