『日本古典文学総復習』88・89『偐紫田舎源氏上下』

また大部な作品がやってきた。柳亭種彦作、歌川国貞画の『偐紫田舎源氏』だ。前回の二倍の容量だ。したがって、この短期間に読了できるわけがない。例によってパラパラとページを括って読んだことにするしかない。

さて、題名からいってこれは源氏物語のパロディと想像できる。しかし、内容はどうもパロディではない。設定と物語の骨子を使っているものの基本は武家のお家騒動と権力争いとなっている。源氏物語が当時かなり読まれていた、というより人口に膾炙していたエピソードを巧みに使って、一種の活劇的な長編物語を作り上げたといっていい。馬琴が主に大陸の古典を典拠にして物語を作ったと同様に種彦は日本の古典を題材に物語を作り上げたと言える。

ということで舞台が同じ日本ということになるので、時代を源氏物語の平安時代から室町時代に移し替えている。語り手は江戸日本橋の式部小路の女お藤と言う人物という設定で、この人物が石山寺ならぬ石屋の二階に暮らして書いたとしている。(この辺りがいかにも江戸時代的だ。)
主人公は将軍足利義政の妾腹の子の光氏と言う人物。彼が将軍を狙う山名宗全と戦って最後には勝利して栄華を極めるいうストーリーだ。ただ、その過程ではこの光氏の女性遍歴が存分に描かれる。これはもう源氏物語の得意とするところだが、この源氏物語の幾つかの話を巧みに利用している。夕顔との一夜や六条御息所と葵の上の車争いの話なども巧みに利用されている。ただ、こうした男女の話の幾つかが室町時代という設定とは言え、城内を舞台に描かれていることが問題視されたようだ。
江戸時代の男女の恋愛沙汰といえば遊里が舞台というのが定番だが、それが城内となれば当時の大奥を連想させることとなる。そこでこの物語は評判になればなるほど当局から睨まれるようになったようだ。全編で四十編だが、実際に出版されたのは三十八編までで、これは当局から絶版を命じられたためだという。理由は当時の将軍家斉の大奥を描いているとされたためだという。

ところでこの物語には注目すべき点がまだある。その一つが国貞の絵だ。この大系本では上段に当時の板本が示されているが、絵の間に文章が刻まれているという形で、いわば絵の方が中心と言っていいものだ。その質の高さは当時の一級品と言える。ここにその一部をネット上で見つけたものから紹介する。(http://book.geocities.jp/hf2929/72murasaki/)各編の表紙は色刷りのようだ。

 

また注目すべきは源氏物語にある和歌を巧みに利用した発句や俗謡の類だ。源氏物語には多くの和歌が引かれている。作者紫式部は当時の有数な歌人であったが、この物語の作者種彦もそれに劣らぬ才能を示している。その幾つかを示しておく。

風よりはさきにきて見ん山ざくら(主人公・光氏)
宮人に行きて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく(源氏物語・若紫・光源氏)

さくらには目こそうつらね花のかほ(相手役・阿古木)
優曇華の花待ち得たる心地して深山桜に目こそうつらね(源氏物語・若紫・北山僧都)

いつか見んわれもちりゆく花の京(主人公・光氏)
いつかまた春のみやこの花を見ん時うしなへる山がつにして(源氏物語・須磨・光源氏)

なきかげやまだ目にのこるおぼろ月(主人公・光氏)
なきかげやいかが見るらむよそへつつながむる月も雲がくれぬる(源氏物語・須磨・光源氏)

馬琴の合巻同様、いつか全編を精読できる日が来るか全く心許ないが、こちらの方が精読を試みたい気がしている。

2018.11.23
この項了

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